日本26聖人殉教祭@本所教会
2月5日は日本26聖人の記念日でした。聖パウロ三木を筆頭に、26名のキリスト者は、長崎の西坂において、1597年2月5日に殉教の死を遂げられました。
毎年2月の最初の主日には、この26聖人殉教者を保護の聖人とする東京の本所教会で、殉教祭が行われてきました。今年は感染対策をしてミサに参加する方の人数を制限しながら、2月6日の日曜日の午前10時から、殉教者記念のミサを行いました。
本所教会は、東京での4番目の教会として1880年(明治13年)の4月に聖堂が設けられ、そのときに「日本26聖人殉教者」に捧げられました。聖堂は度重なる火事や災害や空襲で焼失しましたが、現在の聖堂は1951年に、当時の主任司祭であった下山神父様によって建設されたものです。なお26聖人殉教者が列聖されたのは1862年(文久2年)6月8日ですから、今年で160年になります。またその当時の4つの教会とは、築地、浅草、神田、本所の四カ所で、その後に麻布と関口が加わりました。このあたりのことは、こちらのリンクから本所教会のホームページへ。
以下当日のミサの説教の時、手元にあった原稿です。原稿のあとに、本所教会のYoutubeアカウントから当日のミサの映像のリンクを張ります。説教中、一部音声が乱れますが、すぐに回復しますので、御寛恕ください。
日本26聖人殉教者殉教祭ミサ
2022年2月6日
本所教会わたしたちの人生には苦しみや困難がつきものです。他人の目からはどれほど順風満帆な人生だと思われていたとしても、そこには大なり小なり、さまざまな意味での苦しみや困難が存在するのが、わたしたちの人生です。
特にこの二年間、わたしたちは感染症の影響で、世界中ですべての人がいのちの危機に直面しています。どうしてこんなことになったのか、誰も分かりません。いつになったら安心できるのか、誰も分かりません。暗中模索という言葉は、まさしく今現在の状況を表している言葉であり、わたしたちは闇の中で希望を求めて彷徨っています。
感染症対策が経済に影響を与え、社会的距離を取ることや不要不急の外出を避けることなどが、多くの人を孤立の闇に閉じ込め、孤独が広がっています。感染症によっていのちの危機に直面する人もいれば、その感染症への対策によってもたらされた経済の危機や隔離政策によって、いのちの危機に直面する人もいます。
なぜこんなことになったのか。なぜ今なのか。いくら問いかけても答えは見つかりません。
教皇ベネディクト十六世は、回勅「希望による救い」のなかで、「苦しみは人生の一部」だと指摘されています。この世界から理不尽な苦しみを取り除く努力をしなければならないとしながらも、教皇は、人間はその有限性という限界の故に、苦しみの源である悪と罪の力を取り除くことができないのだとも指摘します。それができるのは神だけであり、神は人間の歴史に介入されて、自ら苦しまれることで、世界にいやしを与える希望を生み出した。それは自ら創造された人類への愛に基づく行動なのであり、その神の愛による苦しみにこそ、わたしたちが掲げる希望があるのだと指摘されます。
その上で、教皇ベネディクト十六世は、人間の価値というものは、わたしたちと苦しみとの関係で決まるのだとして、回勅にこう記しています。
「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼすことになります(「希望による救い」39)」
苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。
わたしたちの主イエスの人生こそは、「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと」を具現化する人生であります。
歴代の教皇様たちは、この世界になぜ苦しみが存在するのか、悪が存在するのかという課題に取り組んで、それぞれさまざまな教えを残しておられます。故岡田大司教様も、善である神が創造された世界になぜ悪が存在しているのだろうかと言う課題を最後まで追求されて、一冊の著書を残されました。「悪の研究」という著書は、大司教様が一年ほど前に亡くなられてから出版されました。
岡田大司教様の著書でもそうですが、悪が存在する理由は追求すればするほど、その理由は分からない。理由が分からないと言うことが分かる。悪が存在する理由は分からないけれども、神は愛をもってそれを凌駕して、わたしたちの苦しみをともにされたことによって、苦しみの中から希望が生まれるのだと言うことを明確に示された。そのことは理解ができる。なぜ苦しみがあるのかは分からないけれども、神はそこから復活のいのちへの希望を生み出していった。ですからわたしたちは、苦しみと理不尽さの中にあるときにこそ、主イエスの苦しみの人生に、そしてその死と復活の神秘に、本当の希望を見出します、
教会は2月5日に、日本26聖人殉教者を記念します。聖パウロ三木をはじめ26人のキリスト者は、1597年2月5日、長崎の西坂で主イエスの死と復活を証ししながら殉教して行かれました。
2019年11月に西坂を訪れた教皇フランシスコは、激しい雨の中、祈りを捧げた後に、次のように述べられました。
「この聖地は死についてよりも、いのちの勝利について語りかけます。ここで、迫害と剣に打ち勝った愛のうちに、福音の光が輝いたからです。・・・ここは何よりも復活を告げる場所です。あらゆる試練があったとしても、死ではなくいのちに至るのだと、最後には宣言しているからです。わたしたちは死ではなく、全きいのちであるかたに向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです。」
聖人たちの殉教は、死の勝利ではなく、いのちの勝利なのだ。聖人たちの殉教によって、福音の光が輝いた。そこから「福音の光」という希望が生み出されたと教皇様は指摘されました。
「殉教者の血は教会の種である」と、二世紀の教父テルトゥリアヌスは言葉を残しました。
教会は殉教者たちが流した血を礎として成り立っていますが、それは悲惨な死を嘆き悲しむためではなく、むしろ聖霊の勝利、すなわち神の計らいの現実における勝利を、世にある教会が証しし続けていくという意味においてであります。わたしたちには証しを続ける責務があります。
わたしたちは、信仰の先達である殉教者たちに崇敬の祈りを捧げるとき、単に歴史に残る勇敢な者たちの偉業を振り返って褒め称えるだけではなく、その出来事から現代社会に生きるわたしたち自身の希望の光を見いだそうとします。
わたしたちは、信仰の先達である殉教者を顕彰するとき、殉教者の信仰における勇気に倣って、福音をあかしし、告げしらせるものになる決意を新たにいたします。なぜならば、殉教者たちは単に勇気を示しただけではなく、福音のあかしとして、いのちを暴力的に奪われるときまで、信仰に生き抜いたのです。つまりその生き抜いた姿を通じて、最後の最後まで、福音をあかしし、告げしらせたのです。わたしたちは殉教者に倣い、福音に生き抜くようにと、最後の瞬間まで福音を証し、語り、行うようにと、今日、主から呼ばれています。
迫害という困難な時代に、福音に生きるとはどういうことであるのかを、殉教者たちは明確に模範を示されました。永遠の命への希望を心に刻み、どのような困難があっても神の愛を証しする奉仕の業に励み、それを最後の最後までやり通すこと。
今この感染症という困難な時代に生きているわたしたちも、この状況だからこそ、どのように福音に生きるべきなのかを見極めなくてはなりません。神からの賜物であるいのちを守り抜く行動は、自己保身ではなく隣人愛に基づく行動は、恐れのあまりの退却ではなく、積極的な愛の証しの行動です。今わたしたちは信仰を堅く保って、それをあかしし、告げしらせるために、どのような生き方をするべきか、何を語るべきか、何に心を向けるべきか、何を大切にするべきか、心の耳を開き、信仰の先達に倣い、この困難なときだからこそ、互いに助け合い支え合うことで、福音を証しして参りましょう。
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