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2022年2月11日 (金)

2022年世界病者の日@東京カテドラル

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2月11日はルルドの聖母の記念日です。ルルドの聖母の記念日は、典礼の暦では「任意」の記念日ですので、年間の典礼暦の中で大きな扱いを受けてはいませんが、聖母の祝日として大切な日であります。

教会はこの日、ルルドの聖母の記念日を祝うとともに、「世界病者の日」と定めています。教皇様の世界病者の日のメッセージは中央協のホームページに掲載されており、こちらのリンクです。世界病者の日は1993年に始まり、今年で30回目となります。教皇ヨハネパウロ2世は、1984年に使徒的書簡「苦しみのキリスト教的意味」を発表されて、それ以降、苦しみの持つ意味を考え、同時に苦しみのうちにいる人々に十分なケアがあるようにと呼びかけてきましたが、その文脈の中で、ルルドの聖母を通じて触れる神の癒やしの力を黙想しながら、この日を世界病者の日と定められました。

また今年のメッセージの冒頭で教皇フランシスコは次のように記し、この日の意味を再確認しています。

「30年前、聖ヨハネ・パウロ二世教皇が世界病者の日を制定したのは、神の民、カトリック医療施設、そして市民社会が、病者と彼らのケアにあたる人々の支援の必要性への認識を高めるためでした」

わたしたちはすべからく、なにがしかの意味で「病者」です。完全で完璧な人間などは存在しません。たとえば「障がい者」という言葉に対峙するかのように、「健常者」などという言葉を何気なく使ってしまいますが、人間は大なり小なり困難を抱えて生きているのであり、また齢を重ねれば当然にその困難さはまし加わります。肉体的な困難さではなく、心に困難を抱えている人も多くおられるでしょう。その意味で、完全完璧な「健常者」なる存在は、空想の世界にしかいないのではないでしょうか。

皆同じように、なにがしかの困難を抱えて生きているからこそ、その程度に応じて、私たちは助け合わなければならないのです。支え合って生きていかなくてはならないのです。わたしたちは連帯の絆のうちで、いのちを生きている者です。与えられた賜物であるいのちを、互いに生かし合おうとする存在です。いのちを生きる希望は、互いに支え合うところから生まれてきます。

教会は、そうしたなにがしかの困難を抱えて生きている人が、互いに支え合って生きていく共同体です。主イエスの癒やしの手は、私たちすべてに向けられています。私たちは教会にともに集うとき、その共同体の絆のうちにあって、主イエスの癒やしの手に、ともに抱かれて、安らぎを得るのです。

ですからこの「世界病者の日」は、特定の疾患のうちにある人たちだけを対象にした、特別な人の特別な日ではなく、私たちすべてを包み込む神の癒やしの手に、ともに包み込まれる日でもあります。主の癒やしの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくことができるように、主のあわれみに身を委ねましょう。

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毎年この日の午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂では、世界病者の日のミサが捧げられてきました。残念ながら現在の感染状況の中では、互いのいのちを守るために、大勢の方に集まっていただくことが適いません。そこで、配信ミサといたしました。

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以下、本日午後一時半から行われた、世界病者の日のミサの、説教原稿です。

世界病者の日ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年2月11日

わたしたちは混沌とした中で、この2年間を過ごしてきました。地域によってその影響には違いがあるものの、確かにわたしたちは世界的な規模で、いのちの危機に直面してきました。感染症の状況は終息には至らず、2年が過ぎた現時点では、日本では第6波と言われる感染拡大のただ中におります。これが最後の感染拡大で、このまま終息に向かうという観測もあれば、まだまだ安心するのは早いと指摘する声もあり、2年を超える自粛生活に自信を持ってピリオドを打つには、まだ早いと言わざるを得ません。

あらためて、亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、現時点で病床にある方々の一日も早い回復を祈ります。またいのちを守るために、日夜懸命に努力を続けている医療スタッフ、介護職にある方々、また未知の感染症の解明のために日夜研究を続けている専門家の方々。その懸命な働きに、心から感謝すると共に、皆さんの心と体の健康が守られるようにお祈りいたします。

この二年ほど、互いのいのちへの思いやりと支え合いが重要であることを思い知らされた時はありません。危機を乗り越えるために、国境を越えた連帯が必要であると感じさせられたことはありません。そして、その連帯が難しいどころか、この状況の中でも,一触即発の紛争に発展しそうな対立が存在し、互いに支え合う世界の実現は、この危機に直面しても夢物語であることを痛感させられています。

今回の感染症への対策は、手洗い、うがい、マスクと言う基本的感染対策に加えて、社会的な距離を保つことが当初から重要視されてきました。そのため社会の活動は長期間にわたって停滞し、いきおい、人と人との繋がりが断絶されてしまう状況も生み出しています。

感染した場合の隔離の状況や、重篤化した場合の完全な孤立は言うに及ばず、今回の感染症はさまざまな場で、孤立を生み出し、孤独のうちに多くの人を追いやっています。また一体いつまでこのような状況が継続するのか推測することができないため、わたしたちの間には疑心暗鬼が深まり、社会の中で不寛容さに基づく攻撃的な言動とそれによる対立が目につくようになりました。加えて、感染した人やその家族への排除の動きや差別的な言動の事例も聞かれ、さらには必死になって治療に専念する医療スタッフへの差別的な言動もあると聞いています。

利己的な思想や価値観の広まりは、教皇フランシスコがすでに2013年に地中海のランペドゥーザ島で、「無関心のグローバル化」という指摘をしたとおりこの数年の世界的風潮であり、助け合うことや支え合うことが意味を失い、格差が明確に広がり、孤独や孤立のうちに取り残される人が多く見られるようになっていました。異質な存在を排除し、自己の価値観を守ることに専念する社会は、寛容さを失い、異質な存在への攻撃性を強めています。

自らを守るために利己的となる社会は、あたかも人間のいのちには価値の違いがあるかのような思い違いすら生み出してしまいます。自分を守るためならば、異質な存在は排除しても構わないという考えは、いのちに対する尊厳の欠如です。まさしく、ヨハネパウロ二世が指摘したとおり、現代社会は「死の文化」に彩られた社会となってしまいました。困難に直面し、不安を抱え、分断と対立にあえぎ、希望を失っている今だからこそ、教会はあらためてこの社会の中で、「死の文化」に対抗する「いのちの文化」を強調しなければなりません。神からの賜物であるいのちが、その始まりから終わりまで、例外なくその尊厳を守られる社会の実現のために、尽力しなければなりません。福音の力を持って、善が悪に勝利を収めることを、証明していかなくてはなりません。そのためにも、さまざまなレベルの共同体での連帯による支え合いが不可欠です。

こういった状況を目の当たりにする中で,教皇フランシスコは今年の世界病者の日のメッセージタイトルを、ルカ福音書から取った、「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい」とされました。

教皇様はメッセージの冒頭で、「あわれみとは神の別名であり、それは偶発的に生じる感情としてではなく、神のすべてのわざの中に存在する力として、神の本質を表しています。それは強さであり、同時に優しさでもあります」と記します。

すなわち、わたしたちキリストに従って生きる者は、まさしくあわれみそのものである神に倣って生きるのですから、当然、自らもあわれみに満ちあふれた存在となる必要があると教皇様は指摘されます。

その上で、「御父のあわれみであるイエスの模範に倣って、病者の傷になぐさめの油と希望のぶどう酒を注ぐ、神の愛のあかし人の存在が重要なのです」と教皇様は指摘されます。

教皇様は今回のパンデミックがもたらした分断と孤立によって多くの人が傷つき、孤独のうちにさいなまれている現状を指摘し、イエスに倣うものすべてが「神の愛の証し人」となるように招いておられます。同時に教皇様は、そのために献身的に働くよう召されている医療関係者の方々の存在の重要性を指摘され、メッセージの中でこう呼びかけておられます。

「御父のようにあわれみ深い者となりなさいというイエスの呼びかけは、医療従事者にとって特別な意味があります。・・・親愛なる医療従事者の皆さん。愛と技能をもって病者の傍らで務めておられる皆さんの奉仕は、職業という枠を超え、使命となるのです。キリストの痛みを負ったからだに触れる皆さんの手は、御父のあわれみ深いみ手のしるしとなるはずです」

加えて教皇様は、カトリック医療施設がさまざまな国で運営の困難に直面していることを十分に承知した上で、それらは「保護され維持されるべき貴重な宝です」と記されます。

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世界病者の日と定められた2月11日は、1858年に、フランスのルルドで、聖母マリアがベルナデッタに現れた日でもあります。聖母はご自分を、無原罪の聖母であると示され、聖母の指示でベルナデッタが洞窟の土を掘り、わき出した水は、その後、70を超える奇跡的な病気の治癒をもたらし、現在も豊かにわき出し、多くの人に希望と生きる勇気を与える源となっています。

ルルドという聖地は、それ自体が、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」というイエスご自身の言葉を具現化している場所となっています。ルルドの聖地が生み出す安らぎの雰囲気は、希望を失った人の心に希望を回復し、互いへの思いやりの心を思い起こさせる力があります。わたしたちすべての教会共同体が、その霊的な安らぎの雰囲気に倣い、それを生み出すものでありたいと思います。

世界病者の日は、私たちを包み込む神の癒やしの手に、いつくしみの神の手に、ともに包み込まれることを実感する日でもあります。主の癒やしといつくしみの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくことができるように、野戦病院となる決意を新たにする日でもあります。その安らぎの中に、いのちを生きていく希望を見いだす日でもあります。共同体における連帯の絆を回復させる日でもあります。

神のいやしの奇跡の泉へとベルナデッタを導かれたルルドの聖母マリアが、同じようにわたしたちを、いのちを生きる希望の源であり、神のいつくしみそのものである御子イエスへと導いてくださいますように、聖母の取り次ぎを祈りましょう。

 

 

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