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2022年4月 9日 (土)

フィリピン宣教500周年感謝ミサ@東京カテドラル

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フィリピンに福音が告げられて2021年で500年となりました。この一年、フィリピンの教会は500年を祝う様々な行事を行い、それにあわせて東京での感謝ミサが、2022年4月2日土曜日午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられ、人数制限があったものの、300人近い主にフィリピン出身の信徒の方が集まり、ともに祈りをささげました。CTICの高木健次神父様や英語司牧担当のエドゥイン・コロス神父様が、中心になって企画してくださいました。祭壇前には、入堂行列で運ばれたサント・ニーニョの像も飾られました。

1521年、ポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼランがフィリピンの地にキリスト教を始めてもたらしたとされ、そのときに持ち込まれた木製の十字架がマゼランクロスと呼ばれて、セブ島では観光名所になっているそうです。(セブ島の有名なサント・ニーニョの像がある教会の隣にこの十字架があると、様々な観光案内には記されています。)

なお4月2日はフィリピンの殉教者である聖ペドロ・カルンソッドの記念日でもあります。聖人は1672年に、宣教活動をしていたグアムで殉教しています。

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以下、感謝ミサでの英語での説教の抄訳です。

500 Years of Christianity in the Philippines
Thanksgiving Mass
2 April 2022
Tokyo St. Mary's Cathedral

まず最初に、福音宣教500周年を祝っているフィリピン出身の兄弟姉妹の皆様に、心からお祝いを申しあげます。福音が到達してから500年が経過して、いまやフィリピンはアジアで一番キリスト者の多い偉大な国となりました。アジアの司教たちが集まると、いつでもキリスト者は自分の国では絶対的に少数派だと言う話になりますが、フィリピンだけは例外です。皆さんをはじめ、この500年間、宣教のために熱心に働かれた宣教師たちに、心から感謝とお祝いを申しあげます。

わたしたちはいま、復活祭の準備のための四旬節を過ごしています。主の復活という信仰にとって重大なお祝いを前にして、わたしたちは心躍らせながら準備をしているはずです。しかしわたしたちはこの霊的な準備期間を、不安とともに過ごしました。感染症のために2020年から、すでに三度目となりますが、不安な心持ちで四旬節を過ごしています。二年以上にわたって、暗闇で彷徨い続けているような気持ちですし、出口を探し求め続けています。これは災害と言っても良い状況です。また今年も、喜びではなくて不安と恐れのうちに、復活祭の準備を進めています。

感染症はわたしたちの生活を大きく変えました。特に教会共同体の活動やあり方に影響しています。イエス・キリストの一つの体の一部である共同体として集まりたいのに、感染予防対策のために集まることができません。わたしたちは大きい声で神をたたえて歌いたいのに、歌えません。互いに助け合うために近づきたいのですが、それもできません。互いに距離を取ることが強く勧められているからです。世界中の教会共同体が困難に直面しています。アイデンティティの危機です。

もうそろそろ終息かと思ったら、今度は変異株の登場です。次にどうなるか予測もできません。10人の専門家に話を聞けば、10の異なる意見が返ってきます。ですからコロナ感染症が終息したなどと、責任を持って言うことはできません。いのちを守るための対策はまだ必要です。

自分のいのちを守りたいだけではないのです。隣人のいのちを守るためです。教会活動を一部自粛してきたのは、降参し隠れてしまったからではなくて、すべてのいのちを守るための前向きな選択です。他者のいのち、特に高齢者と持病のある方のいのちを守るために、わたしたちは教会活動に制限を設け、典礼での感染対策を取ってきました。理解し協力してくださっていることに感謝します。

わたしたちは暗闇に輝く光が必要です。どこに向かって歩いたら良いのか示してくれる光が必要です。わたしたちは救い主イエスが暗闇に輝く光であること、暗闇と死の陰に生きる人にいのちの希望の光をもたらす方であることを知っています。そしてわたしたちキリスト者だけでなくすべての人が、いま、その輝く光を必要としています。それでは誰がその光を、暗闇に住む人々へと届けるのでしょうか。

兄弟姉妹の皆さん。皆さんこそが、そうするのです。皆さんがこの光を暗闇に住む人々にもたらすのです。しかも故郷であるフィリピンでだけではなくて、日本にいるすべての人にもたらすのです。皆さんは宣教者です。

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福音宣教省長官のタグレ枢機卿の言葉を引用させてください。昨年10月に、フィリピン宣教500年について語ったときの言葉です。

「わたしたちは500年前に信仰の恵みをいただきました。しかしそのときだけではありません。いまでも、主の名を呼び求め、信仰の恵みをいただきます。わたしたちはわたしたち自身のやり方で、フィリピン人としてその恵みを受け、それに生き、そして世界に向かってフィリピン人としてそれを与えます。わたしたちの7,500を超える島々からなる列島で、信仰は一つの島から隣の島へと、豊かな交わりのうちに広がりました。今日、多くのフィリピン人信仰者は、自分を宣教者と考えていなくても、また宣教学を学んでいなくても、家庭において、職場において、宣教者であり、生き方を通じて信仰を伝えます。一千万人のフィリピン出身労働者が世界中にいます。この移住の動きは、宣教者の動きになりました。わたしたちは、宣教者となり信仰の恵みを分かち合うように、神から呼ばれています」

これになにも付け加えることはありません。皆さんがそれぞれの個人的計画を人生に持っているように、神はわたしたち一人ひとりに対してご自分の計画を持っておられます。皆さんは、それぞれの理由で家を離れ日本に来られましたが、神はご自分の理由で皆さんをここに連れてきました。救いの計画において、神は常にそうされてきました。旧約聖書を読めば、神がわたしたちに相談すること無しに、ご自分の計画を実行される物語にいくらでも出会います。神は人を使います。神は将来のために人を準備なさいます。神は今日、日本における福音宣教へのご自分の計画を持っておられます。皆さんこそが、福音宣教者なのです。

 

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