コンベンツアル聖フランシスコ会助祭叙階式@赤羽教会
5月21日土曜日の午後2時から、赤羽教会を会場に、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の助祭叙階式が行われました。
助祭に叙階されたのは、大天使ミカエル 外山 祈さんとテモテ・マリア 中野里晃祐さんのお二人。おめでとうございます。
感染症対策のため、多くの方の参加はなりませんでしたが、聖堂には同修道会会員や神学生、新助祭のご家族、そして赤羽教会関係者が集まりました。朝からあいにくの雨模様でしたが、ミサが始まる頃には雨も上がり、最後には無事に聖堂前で記念撮影もできました。また赤羽教会の侍者の皆さんも、叙階式は滅多にない儀式ですが、一生懸命に頑張ってくださいました。感謝です。
叙階されたお二人は、今後、一年ほどの司牧実習を各地で行い、その後、養成が順調に進めば、来年春には司祭に叙階されることになります。叙階式に与ったときには、与えられたその恵みに喜ぶとともに、さらにその後に続く人が出るように、司祭・修道者の召命のためにお祈りください。
コンベンツアル聖フランシスコ修道会助祭叙階式・赤羽教会
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、 食べ物がない。空腹のままで解散させたくない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
先ほど朗読されたマタイ福音は、パンと魚を増やす奇跡物語でありました。その奇跡自体、驚くべき神の業でありますが、同時にその業を成し遂げたイエスの動機、心持ちが、この冒頭の言葉に満ちあふれています。
1980年に発表された回勅「いつくしみ深い神」で、教皇ヨハネパウロ二世は、「キリストにおいてキリストを通して、神は御いつくしみをもって、とくに見えるものとなります。・・・(キリストは)ご自身がいつくしみそのものなのです(2)」と指摘されています。イエスは神のいつくしみそのものであり、その言葉と行いは、神のいつくしみを具体的に顕すものでした。
教皇フランシスコの、東京ドームでの言葉を思い起こします。
「キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です」教会はこの世界の現実の中で、神のいつくしみを具体的に顕す存在であり続けたいと思います。2020年2月頃から始まって今に至るまで、感染症の困難の中で暗中模索を続けてきた世界は、暗闇から抜けだそうともがき続けています。にもかかわらずわたしたちは愚かにも、互いのいのちを暴力的な力を持って奪い取る戦争を、再び始めてしまいました。
ちょうど明日5月22日から29日まで、今年の「ラウダート・シ週間」となります。そのテーマは、「ともに耳を傾け、ともに歩もう」であります。教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シ」で、「皆がともに暮らす家を保護するという切迫した課題は、人類家族全体を一つにし、持続可能で総合的な発展を追求するという関心を含んでいます」と記されました。残念ながら、この数ヶ月の現実は、この共通の家を争いの場とすることであり、武力の行使は地球を荒廃させ、さらには環境の中心にある賜物であるいのちを暴力的に奪い去ります。人類家族全体は、残念ながら一つにはなっておらず、共通の家に対する配慮は後回しにされています。
わたしたちはこの現実に向けて、キリストの福音を、そして神のいつくしみをあかしするものとして遣わされています。教会を導く聖霊は、わたしたちにこの現実の中で何をあかしするようにと導いておられるのでしょう。
折しもこの困難な時期のただ中にあって、教皇様は、2023年秋に世界代表司教会議(シノドス)を開催することを決定され、そのテーマを、「ともに歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」と定められました。わたしたちは今その道程を、全世界の教会をあげて、ともに歩もうとしています。
第二バチカン公会議の教会憲章は、教会が個人の信心の積み重ねと言うよりも、全体として一つの神の民であることを強調しました。教会憲章には、「しかし神は、人々を個別的に、まったく相互の関わりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に神に仕える一つの民として確立することを望んだ」(教会憲章9)と記されています。
さらに教会憲章は、洗礼によって一つの民に結びあわされたわたしたちは、「ある人々はキリストのみ心によって他の人々のための教師、神秘の分配者、牧者として立てられているが、キリストのからだの建設に関する、すべての信者に共通の尊厳と働きについては、真実に平等」(教会憲章32)であると記しています。
ともに旅を続ける神の民にあって、わたしたち一人ひとりには固有の役割が与えられています。
わたしたちの信仰共同体は、ただの仲良しの仲間の集まりではなくて、一つのキリストの体に結ばれた、共同体です。同じキリストに結ばれることで、共同体を形作る一人ひとりは同じ神のいつくしみに満たされ、同じいつくしみに生かされ、同じいつくしみをあかしするものとなります。わたしたちの信仰は、共同体における「交わり」を通じて、神のいつくしみをあかしする信仰です。
交わりによって深められたわたしたちの信仰は、わたしたち一人ひとりを共同体のうちにあってふさわしい役割を果たすようにと招きます。交わりは参加を生み出します。一人ひとりが共同体の交わりにあって、与えられた賜物にふさわしい働きを十全に果たしていくとき、神の民は福音をあかしする宣教する共同体となっていきます。ここにシノドスのテーマである「ともに歩む教会のため-交わり、参加、そして宣教-」の意味があります。
果たして今の状況の中で、わたしたちの教会共同体は、何をあかししているでしょうか。
福音をあかしする教会共同体を育てて行くためには、牧者である司祭の役割は重要ですし、それを助ける助祭の役割も重要です。
(以下、助祭叙階式の儀式書から引用)
ご列席の皆さん。教会共同体において、新しく誕生する2人の助祭の務めは何でしょうか。
助祭は聖霊のたまものに強められ、神のことばと祭壇に奉仕し、愛のわざに励み、すべての人に仕えて、司教とその司祭団を助けます。祭壇に奉仕する者となって福音を告げ知らせ、ささげものを準備し、主の御からだと御血を信者に授けます。
さらに、助祭の奉仕職には、司教から命じられたことに従って、信者にも信者でない人にもよい勧めを与え、聖なる教えを伝え、祈りを司式し、洗礼を授け、結婚に立ち会って祝福を与え、死に臨む人にキリストの聖なる糧を授け、葬儀を司式することがあります。
助祭は、すべての務めを神の助けによって果たし、仕えられるためではなく仕えるために来られたキリストのまことの弟子であることを示してほしいと思います。
あなたがたは自らすすんで助祭に叙階されることを希望しているのですから、かつて使徒たちによって愛のわざの奉仕者として選ばれた人々のように、人望があつく、聖霊と知恵に満たされた者でなければなりません。あなたがたは独身のまま奉仕職を果たそうとしています。独身生活は、牧者としての愛のしるしと励ましであり、また、世にあって豊かな実りをもたらす特別な源なのです。主キリストへのひたむきな愛に駆り立てられ、すべてをささげてこの生き方を貫く人々は、ほかのことにとらわれず、よりたやすくキリストに結ばれるでしょう。こうして、より自由に神と人々に仕えることに専念し、人々を神によって新たに生まれる者とするわざに、よりよく奉仕することができるのです。信仰に根ざし、これを土台にして、キリストの役務者、神の秘義を人々にもたらす者にふさわしく、神と人々の前で汚れのない者、非のうちどころのない者として自らを示してください。また、福音の告げる希望から目をそらさないでください。あなたがたは、福音を聞くだけではなく、福音に奉仕しなければならないのです。
清い心で、信仰の秘義を保ち、口でのべ伝える神のことばを行いで示してください。こうして聖霊によって生かされるキリストの民は、神のみ旨にかなう清いささげものとなり、あなたがたも終わりの日に主を迎えて、「忠実な良いしもべだ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」という主のことばを聞くことができるでしょう。
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