年間第13主日ミサ@関口教会
昨日6月26日、年間第13主日は、久しぶりに関口教会の10時のミサを司式させていただきました。先日のコロナ感染で、聖霊降臨のミサを司教総代理の稲川神父様に交代していただいたこともあり、関口でのミサは5月15日以来です。教区の行事以外でも、できる限り月に一度は、関口教会の主日ミサを司式させていただけるように、できる範囲で予定を調整しています。
まだのどと声に自信がなかったので、一部だけの歌唱ミサとさせていただきましたが、声は80%は戻ってきました。
以下、年間第13主日の関口教会でのミサの説教原稿です。なお説教でも触れていますが、シノドスに対する教区回答は締め切られ、16教区からの報告が出そろいました。7月の司教総会で全国の報告書を採択し、8月15日の締めきりまでにローマに送付します。個人やグループで、締めきりまでに寄せられた文書も、バチカンの事務局の指示通り、そのままローマに送付します。教区からの報告書送付へのお礼の言葉を、中央協議会のホームページにも掲載しました。ご一読いただければと思います。
なおこのあとですが、11月頃を目途に、バチカンの事務局が、世界中からの報告をまとめた文書を作成することになっています。そして今度はそれを基にして、各大陸別の話し合いが行われます。世界にある7つの司教協議会連盟で、何らかの話し合いが行われます。アジア司教協議会連盟(FABC)は、来年2月の末に開催予定の中央委員会に合わせて、行われる予定です。そしてこの大陸別の話し合いの結果に基づいて、準備文書が作成され、それに基づいて2023年10月に、本番のシノドスがローマで行われる予定になっています。
以下、説教原稿です。
年間第13主日C(配信ミサ説教)
関口教会主日ミサ
2022年6月26日ご存じのように、教会は今、シノドスの道をともに歩んでいます。6月初めが締めきりでしたが、各教区から提出された報告をもとに、司教協議会としての報告書を8月半ばまでにバチカンのシノドス事務局へ提出することになっています。
これまでのシノドスであれば、特定の課題について小教区などで話し合っていただき、その意見を集約して教区の回答を作成し、さらに集約して司教協議会の回答を作るという過程があり、小教区や教区レベルでは、その回答を作成した段階で、シノドスへの関わりは終わりでした。
しかし今回は、全く違います。シノドスの歩みは始まったばかりか、実はまだ始まってもいないかのどちらかであり、これからも続けられていきます。なぜならば、このシノドスで求められている課題は、教会が本来の教会であり続けることであり、すなわち教会とは一体何であるのかを、皆の共通認識としてあらためて共有することにあるからなのです。
教皇フランシスコは、「ある意味、主がわたしたちに求めておられることは、すべて「シノドス、共に歩む」ということばの中にすでに含まれています」と指摘されています(2015年10月17日)
その上で教皇様は、「教会の中の役目がどんなものであっても、また信仰の素養に差があっても、洗礼を受けた一人ひとりが福音宣教者なのです。だから資格のある者だけがそれを進め、残りの信者はこれを受け取るだけだと考える福音宣教の図式は適当ではありません」と指摘されています。
また今回のシノドス準備文書には、「教会のメンバーが皆ともに旅をし、集いに集まり、教会の福音化の使命に能動的に参加するとき、交わりとしての教会の存在を明らかにし、実体を与えます」と記され、ともに歩む共同体こそが聖霊に導かれた真の教会共同体の姿であることを明示しています。
ですから、教会が今求められているのは、何らかの設問に対して答えを出すことではなくて、わたしたち自身は旅する教会としてどうしたら歩みを共にできるのかという課題に、それぞれの場で取り組むことに他なりません。ですからこの歩みは、報告書の提出を持って終わるのではなく、これから先、長い期間、続いていくであろうわたしたちの歩みそのものであります。教会は、これまでの自らのあり方を振り返り、これからどのように歩むのかを共に見出していくために、互いに耳を傾けあい、互いに支え合い、共に祈りあうことが不可欠です。
わたしたちに投げかけられている根本的な問いが、準備文書に記されています。
「シノドス的教会は、福音を告げながら、「ともに旅をする」のです。この「ともに旅をする」ということは、今日、みなさんの部分教会(教区)の中で、どのような形で起こっているでしょうか。わたしたちが「ともに旅をする」中で成長するために、霊は、わたしたちがどのような段階を踏むよう招いているでしょうか」
この問いに答えて続けていくために、わたしたちは、聖霊の導きに身を委ねていかなくてはなりません。教会は、聖霊によって生み出され、聖霊によって導かれ、聖霊によって生かされているからです。
列王記は、エリヤが主からの命令に従い、自らの後継者であるエリシャを召し出す様子を伝えています。エリヤとエリシャにとって、この出来事は人生の大きな転換点であるにもかかわらず、全てが粛々と、というよりも、淡々と進められていった様が記されています。それは神の聖霊の導きに対して、二人が完全な信頼を寄せているからにほかなりません。
ガラテヤ人への手紙でパウロは、キリストによって罪の枷から解き放たれ、自由の身となったのだから、奴隷のくびきに再び繋がれることのないようにと諭します。パウロは、そのために必要なことは、「霊の導きに従って歩」む事だと指摘します。
ルカ福音は、イエスの言葉に従って歩む者に、徹底的な決断を促す言葉を記します。
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」そもそもわたしたちの人生は、すべからく選択の連続です。大なり小なり、わたしたちは常に選択に直面し、その都度、進むべき道を選びとるために決断を迫られます。もちろん自信を持って行う選択もあるでしょう。しかし、自信が持てない状況、例えば先を見通すことが難しい時には先立つのは不安です。不安は決断を鈍らせ、躊躇させてしまいます。まさしくそういったときに、わたしたちは「鋤に手をかけ」たは良いものの、不安に駆られて「後ろを顧み」てしまいます。
第二バチカン公会議の教会憲章は、「聖なる方から油を注がれた信者の総体は、信仰において誤ることができない」と記し、その特性は、「司教をはじめとして全ての信徒を含む信者の総体が信仰と道徳のことがらについて全面的に賛同するとき、神の民全体の超自然的な信仰の感覚を通して現れる」と記します(12)。
今教会がともに歩んでいるシノドスの道も、この信仰の感覚に教会共同体が信頼を寄せ、聖霊の導きに全幅の信頼を寄せながら、その導きに身を委ねることの重要性を強調します。その上で、シノドスの準備文書は、「霊の働きを通して、使徒たちに由来するこの聖伝は、……教会の中で進展し、それによって神の民は、伝えられた事物やことばの理解の中で成長できる」としるします。
わたしたちは、洗礼を受ける事によってキリストの身体に結ばれ、聖体をいただくことによって一致の交わりに招かれています。わたしたちが一致のうちに結ばれるキリストのからだである教会共同体は、聖霊によって導かれています。
わたしたちは、すでに鋤に手をかけています。特に東京教区は、数年をかけて多くの方の意見に耳を傾け、宣教司牧方針を策定する道を歩んできました。ですからシノドスの歩みはすでに始まっているはずなのです。すでにわたしたちは鋤に手をかけました。前に向かって歩んでいくしか道はありません。
教会共同体の信仰の感覚に信頼し、教会が示す誤りのない道を、勇気を持って、しかし淡々と、前に向かって歩み続けていきたいと思います。教会共同体は誰かの教会ではなくて、わたしたち一人ひとりの教会です。教会共同体は何かが起こるのを待つ教会ではなくて、何かを起こすために行動する教会です。教会共同体は自分の好き勝手を実現する教会ではなくて、耳を傾けあい、互いに心の思いを分かち合い、一緒になって支え合い歩みながら、導いてくださる聖霊に一緒に従う教会です。
全人類に対する神の愛といつくしみを象徴するのは、イエスのみこころです。その深い愛といつくしみのみこころでわたしたちを包み込み、まもり導いてくださる主の思いに信頼することで、聖霊の導きを、この世の価値観や自分自身の独善的なおもいと取り違えるような選択をすることのないように、共同体の絆の中で信仰を生きましょう。教会に働かれる聖霊の導きをわたしたちに感じさせる、教会に満ちあふれる信仰の感覚を大切にしたいと思います。一緒に歩み続けましょう。
このミサのビデオは、カトリック関口教会のyoutubeアカウントで、ご覧いただけます。
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