« 週刊大司教第九十五回:年間第二十六主日 | トップページ | 寺西英夫神父様葬儀ミサ@東京カテドラル »

2022年9月30日 (金)

ケルン教区代表団、東京訪問中です。

2022cologne01

ケルン教区の司教総代理であるグィド・アスマン師を団長とした代表団が、この一週間、東京教区を訪問中です。

2022cologne02-2

代表団は全部で6名。聖職者は団長のアスマン師のみで、他は国際支援を行う普遍教会部門の責任者や青少年担当、教育部門担当などの信徒の方々です。10月5日まで滞在され、これまでケルン教区から支援してきた各所を訪問すると同時に、将来的なケルンと東京教区の関係について、意見交換をすることになっています。

昨日、9月29日の夕方5時から、参加者を限定しましたが、歓迎のミサをカテドラルで捧げました。ケルンと東京の姉妹関係、そしてミャンマーへの支援につながった道筋などは、以下の説教で触れています。

2022cologne03-2

代表団は、支援する上智大学などを訪問し、またドイツ大使館での行事などもありますが、日曜日には中目黒のドイツ語共同体のミサに参加した後、夕方6時からは築地教会でミャンマーのための平和の祈りに参加されます。また月曜日には、東京教区の司祭評議会のメンバーと会談したり、神学院を訪問する予定です。

以下、カテドラルでの歓迎ミサの説教原稿です。

ケルン教区訪問団歓迎ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年9月29日

聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエルの祝日に、ケルン教区からの訪問団をカテドラルに迎え、共に感謝の祭儀を献げることは、東京教区にとって大きな喜びです。

2020年初頭から続いているコロナ感染症は、当初の予想とは大きく異なり、3年目に入ったいまでも、完全に治まってはいません。ヨーロッパと日本では事情が異なっているので、ケルンから来られた皆さんには戸惑いもあるやと思います。皆さんを迎えて、この聖堂に多くの人が集まることができないのは残念です。しかし、霊的な絆における兄弟姉妹としての繋がりを思い起こし、ケルン教区を代表する皆さんに、心から東京教区の感謝を伝えたいと思います。

天使たちが、神の愛を具体化する霊的存在として、常にわたしたちと歩みを共にしてくださるように、ケルンからの訪問団の存在は、目に見える形で、ドイツの兄弟姉妹の皆さんが、日本の教会と歩みを共にしてくださっていることの、あかしです。わたしたちは、イエス・キリストにおける兄弟姉妹として、これからもともに歩んでいきたいと思います。

東京教区にとって、ケルン教区との繋がりには歴史的な意味があり、その繋がりは物質的な援助にとどまらず、霊的にも大きな励ましをいただいてきました。東京教区のホームページには、こう記されています。

「まだ第2次世界大戦の傷あとの癒えない1954年、当時ドイツのケルン大司教区の大司教であったヨゼフ・フリングス枢機卿は、ケルン大司教区の精神的な復興と立ち直りを願い、教区内の信徒に大きな犠牲をささげることを求めました。そして その犠牲は、東京教区と友好関係を結び、その宣教活動と復興のための援助をするという形で実現されていきました」

フリングス枢機卿と当時の土井枢機卿との、個人的な出会いも、ケルンと東京の友好関係の始まりであったとも記されています。

もちろんドイツも日本と同様、当時は敗戦国であり、戦後復興のさなかにあって、決して教会に余裕があったわけではないと思います。ケルンの大聖堂の修復にも取り組まなくてはならなかったでしょう。にもかかわらず、なぜ海外の教会を、なぜ日本の教会を援助する必要があるのかと問われたフリングス枢機卿は、「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」と応えたと記録されています。この自らの身を削ってでも必要としている他者を助けようとする精神は、当時のケルン教区の多くの人の心を動かし、ケルン教区の建て直し自体にも大きく貢献したと伝えられています。

それ以来、東京カテドラル聖マリア大聖堂の建設をはじめ、東京教区はケルン教区から多額の援助を受けて、さまざまな施設を整えることができました。東京教区の感謝の気持ちは、白柳枢機卿の時代、1979年の両教区友好25周年を契機として、来日した当時のヘフナー枢機卿様と話し合い、今度はケルンと東京が力を合わせて、ミャンマーの教会を支援することになりました。ミャンマーへの支援はいまも続けられており、特にクーデター後の混乱が続くミャンマーのために、平和を祈り続ける原動力となっています。

東京では毎年、1月の第四日曜日を「ケルン・デー」と定め、いただいたいつくしみに感謝を捧げ、その愛の心に倣い、今度は率先して愛の奉仕に身をささげることを、心に誓います。またケルン教区のために、特に司祭・修道者の召命のために、祈りをささげてきました。

ケルンと東京の友好50周年当時のマイスナー枢機卿の書簡には、東京教区への支援を通じて、「私たちの目と心が、世界中の欠乏、飢え、病気に向けて開かれることとなりました。東京教区との、信仰と祈りの生きた共同体が存在しなかったならば、ケルン教区においてその5年後に、全ドイツの司教たちに働きかけて、世界中の飢えと病気に対する教会の救済組織「ミゼレオール」を創設しようとする歩みはなされなかったかも知れません」と記されています。

ケルンと東京の両教区が支援するミャンマーでは、2021年2月1日のクーデター以降、軍政下での混乱が続き、平和を求めて声を上げる人々や教会に対する暴力的な弾圧も続き、7月には民主化運動の指導者たちの死刑も執行されました。暴力を持って他者を従わせ支配しようとすることは、いのちの尊厳への挑戦です。

カテキズムには、「権威が正当に行使されるのはそれが共通善を目指し、その達成のために道徳的に正当な手段を用いるときです。従って、政治体制は国民の自由な決断によって定められ、人々の恣意でなく法が支配する「法治国家」の原則を尊重しなければ」ならないと記されています。(要約406)

残念なことに世界では次から次と暴力的な事態が発生し、社会の関心は移り変わっていきます。世界から忘れ去られたあとに、苦悩に晒された人だけが取り残される悲しみが、幾たび繰り返されてきたことでしょう。わたしたちは、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」という教皇ヨハネパウロ二世の広島での言葉を心に刻み、姉妹教会であるミャンマーの方々のことを忘れることなく、平和の確立を願いながら、祈り続け、行動したいと思います。歩みをともにすることこそ、いま一番大切であり、それはわたしたちがケルン教区と歩みを共にしてきた経験から学ぶことができます。

3年目に入っている感染症の状況の中で教皇フランシスコは、いのちを守り、その危機に立ち向かうには連帯が不可欠だと強調してきました。この危機的状況から、感染症が広がる以前よりももっとよい状態で抜け出すには、「調和のうちに結ばれた多様性と連帯」が不可欠だと呼びかけてきました。互いの違いを受け入れ、支え合い、連帯することが、いのちを守るのだと強調されてきました。

しかしながら、特にロシアがウクライナに侵攻し戦争が始まった今年、そこには調和でも多様性でも連帯でもなく、対立と排除と暴虐が展開しています。互いに助け合い、支え合うことこそが、いのちを生きる希望を生み出すことを、わたしたちは経験から知っています。しかし現実の社会は、全く反対の道を歩み、いのちを奪い続けています。

本来宗教は、賜物として与えられたいのちを危機にさらすものではなく、神の秩序の確立を目指して、いのちの尊厳を守り、共通善の実現のために資するものであるはずです。暴力が世界を支配するかのような状況が続くとき、どうしても暴力を止めるために暴力を使うことを肯定するような気持ちに引きずり込まれ、宗教者の中にさえ、その暴力を肯定するものがいます。しかし暴力の結末は死であり神の否定です。わたしたちはいのちを生かす存在であることを強調したいと思います。

いま世界に必要なのは、互いの違いを受け入れ、支え合い、連帯することであり、余裕があるから助けるのではなくて、苦しいからこそ、積極的に支援の手を差し伸べる姿勢であります。

その目に見えるあかしの一つとして、これからもケルン教区と東京教区の連帯の繋がりを、強めていきたいと思います。

2022cologne05-3

 

| |

« 週刊大司教第九十五回:年間第二十六主日 | トップページ | 寺西英夫神父様葬儀ミサ@東京カテドラル »

説教原稿」カテゴリの記事