松原教会堅信式ミサ@年間第二十四主日
9月11日の日曜日、世田谷区にある松原教会で、15名の方の堅信式を行いました。松原教会は、淳心会(スクート会)が司牧を担当し、構内には、聖書と典礼でおなじみのオリエンス宗教研究所があります。
堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。
以下は、当日のミサ説教を録音したものから書き起こし、少し手直しをした原稿です。
松原教会堅信式@年間第二十四主日
2022年9月11日今朝ミサの前に、祭服を着て準備をし、外を見ていました。入口のところにマリア様のご像があって、ここに来られる多くの方は、その前で、マリア様にお辞儀をし、お祈りをしておられる。その姿を拝見していて、ああいいなと思いました。
そうしたら今日の第一朗読は、イスラエルの民が雄牛の鋳像を作って、それに祈りを捧げていたという話でしたね。わたしたちが祈りをささげる聖母像と、イスラエルの民が拝んだ金の雄牛の鋳像と、何が違うのか。何が違うかご存じですよね。
それは、別にわたしたちは、マリア様のご像自体が、何かをしてくれる神様そのものだと思って祈っているわけじゃないですよね。ご像それ自体じゃなくて、マリア様を通じて、主イエスに祈りを捧げる。その取次ぎをしてくださる力をもっておられる方が、聖母マリアだということを信じているので、聖母マリアの御像を目の当たりにしながら、実際に存在される聖母のことを心に思い起こし、わたしたちの祈りを、主イエスに向かって、そして神に向かって、捧げる。その一番大切な、取り次いでくださる方がそこにおられる、ということを感じながら、祈りを捧げてゆく。
ところが、出エジプト記にはこう書いてあります。
『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と。つまり、鋳造してそこにある若い雄牛の像、それ自体が神様なのだと。それは神様を象徴しているものだとか、わたしたちに神を想起させるものだとか、わたしたちを祈りへと招くよすがであるとか、そうではなくて、その像そのものが神なのだと言っている。人間が作ったものが神なんだと言っているところに、大きな間違いがあるわけです。
わたしたちは、聖母像がそこに立っていれば、その像こそがマリア様なのだというわけではないです。それを通じてわたしたちは、霊的な聖母の存在を心に感じながら、祈りを捧げている。その助けとしてご像が、そこにあるということですので、このわたしたちの教会にある御像と、旧約の時代のこのイスラエルの民が作った偶像である神との、大きな違いはそこにあります。 わたしたち人間が勝手に作って、人間の思いをそこに込めた偶像なのか、そうではなく、神様に向かってゆく道の一つなのかというところに、大きな違いがあると思います。
ところが、この2年間のように、なかなか先行きが見通せない、特にいのちの危機やそれに絡んでいる状況の中に取り残されてゆくと、暗闇の中に取り残されたままでは落ち着かなくなってくるので、何とか道を見つけたい、何とか出口を見つけたい、どこかに光を探したい、と一所懸命になってしまいます。2年以上もこの状況が続くと、ちょっと光が見えると、それに飛びついてしまうんですよね。時として心によく響くそういった光は、偽の情報かも知れません。でも、安心を与えてくれるそういった情報に、飛びついてします。今のわたしたちにとって偶像は、情報です。
インターネットなどを通じて、朝昼晩と入ってくる情報です。高度な情報化社会の中で生きているわたしたちは、あっ、これだ!あれこそ救いだ!これこそ救いだ!といって、あまり大した確証もないのに、サッと飛びついてしまう。それがわたしを救ってくれる、これがわたしを救ってくれると、飛びついてしまう。そうゆう状況の中でわたしたちは生きている。それこそが現代の偶像崇拝の蔓延です。その中で、その危険の中で、信仰生活を営んでいるのだということを、常にこころに留めてゆかなければと思います。
そのような中、今日の福音には、99匹の羊を荒れ野に残して、見失った1匹の羊を探しにゆくという、主の姿が記されていました。
そこにこそ、人間が勝手に作った偶像ではなくて、真の神の姿が表されています。
すなわち、人間の普通の常識であれば、危険を冒してまで、いなくなった一匹を探すよりも、残された99匹を守った方が、損得勘定からいったら当然、得なはずです。なので、99匹を守ってそこで利益を確保して、と思うのが普通の常識ですけれども、神にとっては、すべてが大切なのだと、一人ひとりが大切なのだと。これはわたしたちの信仰の根幹です。
いのちは、神によって与えられたもので、そこに、どれが大切だとかどれが大切ではないのかとか、そうゆうことは一切ないのです。神はすべてのいのちを大切だと思っている。
すべてのいのちを救っていきたい、すべてのいのちに対して愛を注ぎたい、すべてのいのちに対していつくしみを注いでいきたい。すべてのいのちを救いの道へ導きたい。その思いが、イエスご自身が、受肉されて人となられ、十字架の死を通じて、苦しみを通じて、復活して栄光に到るまでの、あの道を歩んできた。その原動力は、すべてこの、すべてのいのちが大切なのだという、神の愛といつくしみの表れなのです。そして、そこにこそ真理がある。
この混乱する社会で、これこそ救いだ、あれこそ救いだ、こちらにこそ真理がある、など、いろんな説が流れている中で、わたしたちはすでに真理を知っているんです。わたしたちは、本当の、大切なことをすでに知っているんです。それは、神はすべてのいのちを愛して、誰一人見捨てない。いつくしみを常に注いでくださっている、というこの事実です。そのことを、常に私たちの心に刻んでおきたいと思います。
その上でわたしたちは、それを、あぁ有難いと受け取るだけではなくて、更にそれを多くの人たちに告げ知らせていきたいと思います。でも今、この数ヶ月の間、特に信仰について語ることが難しくなっています。元首相が暗殺されて以降、いろんな宗教的なことがその背景に語られているので、宗教的なことを社会の中で語ることが、ものすごく難しい状況の中で、いま生きていると感じます。そういった状況に合って、、どうやって福音を告げしらせるのでしょう。
福音を告げ知らせなかったら、キリスト者でいる意味がないですよね。わたしたちにとって信仰を生きるというのは、自分がよければいい、自分さえ神様に救われて天国へ入ればいい、というための信仰ではないんですよ。
わたしたちの信仰は、全世界に行って福音を宣べ伝えなさいと言ったイエスの、最後の宣教命令を実現してゆくこと。具体的に生きてゆくこと。それがわたしたちの信仰の中心にあるはずなので、福音をこんな状況の中でどうやって伝えていくことができるんだろうか、ということは、大きな課題としてわたしたちの眼前にあると思います。
今日堅信を受けられる方々は、洗礼の秘跡を受け、ご聖体の秘跡を受け、堅信の秘跡を受け、入信の三つの秘跡をすべて受けることによって、キリスト者として完成するわけですね。完成した瞬間には成熟した立派な大人の信仰者がここに存在しているはずなんです。ここからだんだん悪くなっていくのですけれど。
そのことを一昔前には、キリストの兵士になるという言い方をしましたし、現代では、成熟したキリスト者、大人のキリスト者になるという言い方もします。成熟し兵士になり大人になってゆくんですから、それにはそれなりの責任が伴ってゆくんですね。
その果たさなければならない責任の一つが、あの宣教命令に従うこと。福音を告げ知らせなさい。ですから今日堅信を受けられる15名の方々は、このコロナの状況の中で、どうやって福音を伝えていくかということは、それぞれが与えられた責務として、考えていただかねばなりません。
いろんなことがあると思いますけれども、やっぱり、原則は基本に忠実にいくしかない。つまりわたしたちは、自分の言葉、自分の行い、日々の生活の中での自分の言葉と自分の行いが、どれだけ福音に基づいているのか、ということを振り返ってゆく。それがまず肝心だと思います。
自分が語っていることは正しいこと、行っていることは正しいこと。でもそれは自分の視点にすぎません。自分のしていることは正しいこと、正しいことをしている。でも問題は、それがどうゆう人間関係を生み出しているのか。そこにも、心を配らなければならないのです。宣教はわたしの価値観の押しつけではないのですから。
わたしは一人で信仰を生きているわけではなくて、この神が与えられたいのち、すべてのいのちとともに、共同体を一つの共同体を作って生きるのですから、その中で、どうゆう人間関係を、わたしの言葉が、わたしの行いが、生み出しているのか。そこに常に心を配っていく必要があると思います。
わたしの語る言葉、わたしの行う行い、そしてそれを通じて育ってくる人間関係、その中でわたしたちは福音を証ししていくのです。わたしが語っていること、わたしがすること、そしてあなたとの関係、その中で福音が実現していくこと、それをわたしたちは目指していきたいと思います。
堅信を受けられる皆さん、堅信を受けたからって、急にスーパーマンになるわけではない。見た目は何も変わらないです。でも、一つだけ変わることがあります。それは、確実に今日堅信の秘跡を受けるので、神様は聖霊でわたしを後押ししてくれているという確信が得られると思います。
それは、秘跡によって必ず与えられます。神は聖霊の力をもって、あなたの善なる意志を、後ろからぐっと押して下さっている。それは確信として今日、この堅信の秘跡を受ける時に、心に留めていただければと思います。後ろから押されていることに抵抗しないで、素直に押されて、前に進んで、福音を証しするつとめを果たす、それを常に心掛けたいと思います。
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