高円寺教会新司祭館祝福式と堅信式
高円寺教会の司祭館は、2019年1月25日に、火事に見舞われ全焼してしまいました。ちょうど朝のミサの時間帯であったので、怪我をされた方などはおられませんでしたが、主任司祭の蔵書をはじめ多くの貴重なものが失われました。その後、当時の主任司祭であった吉池神父様を中心に再建が検討されました。吉池神父様には、関口のペトロの家から、高円寺教会まで通う毎日が続きました。
残念なことに、再建計画を検討している最中にコロナの状況となり、また既存の建物の課題も指摘されるなど、もろもろのことが発生して、再建計画は当初の予定よりも遅れてしまいました。
この春からは、高木健次神父様が主任司祭となり、工事も進められ、この度、新司祭館の完成と相成りました。9月18日のミサの前に、前任の吉池神父様にも参加していただき、祝福式を行いました。関係された多くの皆さんに感謝申し上げます。多くの方のご尽力をいただいて、素晴らしい司祭館が誕生しました。
またこの日は、お昼から堅信式ミサを行い、8名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。
以下、当日のミサ説教の録音から書き起こして、手直しをした原稿です。
高円寺教会堅信式ミサ
このミサの始まる前に、新しく建った司祭館の祝福式をいたしました。3年ほど時間がかかりました。火災で前の司祭館が消失してから、ちょうどコロナの状況になってしまい、なかなか話が前に進まず、いろんなことがありましたけれども、多くの方のご尽力によって今日、やっと祝福の日を迎えることができたのは、本当に大きな喜びであると思います。
教会の中で、聖堂であれ、司祭館であれ、信徒会館であれ、新しい建物が建つときには必ず言われることですけれども、建てるまでは大変なので一所懸命になって働くわけですけれども、いったん建ってしまうと安心してそれっきりになってしまうということがあります。新しくなったものには、そこから新しいことを生み出してゆくというこころを、常にもっていただきたい。
新しい葡萄酒は新しい革袋にということばがありますけれども、新しい建物が建った今日、これからこの新しい建物でこの高円寺教会は、いったい何を新しく生み出していくのかということを、一緒に考えていただければと思いますし、それに対して神様の豊かな聖霊の導きを、ともに祈り続けていただきたいと思います。
堅信の秘跡を受けられる方々が8人おられると伺いましたけれども、第一の朗読は、聖霊降臨の日、五旬祭の出来事を記した使徒たちの宣教からの箇所でした。
ちょうど今日は、台風が近付いてきていて、外は大雨になり、今はたぶん、今日の中で一番雨が激しい時間帯ですが、雷が鳴って、なかなか落ち着かない。外がゴロゴロしていてやかましくて落ち着かない状況ですけれども、本当はこれこそまさしく聖霊降臨の出来事にふさわしい状況であると思います。
先ほどの使徒たちの宣教をもう一度よく読んでみると、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえて、家中に響いたと書いてあります。そして、あまりにも騒々しいので、みんなびっくりして見に来たと。
聖霊降臨の出来事は、静かに進んでいったのではなくて、やかましい出来事だったと記されています。周りの人たちが驚いて、何事だといって見に来るほどの騒々しい出来事であったことが、この使徒たちの宣教に記されています。
聖書のことばを読むときは、どうしても字面だけを追ってゆくので、実際にどうだったんだろうということを思い起こすことはなかなかないのですけれども、この使徒たちの宣教の五旬祭の出来事は、是非とも頭の中でイメージをしてほしいと思います。
弟子たちは静かに、それまでは隠れていたんですよね。みんな怖くて、イエス様が殺されてしまって、いなくなってしまって、取り残された弟子たちは、周りの人たちを恐れて、静かに隠れていたのです。けれども、そこに聖霊が降って来て、どーんと大きな音で、騒々しい出来事が起こって、多くの人たちが見に来て、そこから福音宣教が始まったと。
ひっそりと隠れているところから福音宣教は始まらなかったんです。騒々しくてガタガタしていて、落ち着かないところから、福音宣教は始まった。そしてその福音宣教が始まるためには、聖霊がそこに豊かに働いていたという出来事が、この最初の朗読だったと思います。
その意味で、こうやって外では雨が降って騒々しくて雷が鳴って落ち着かないですが、まさしく、聖霊が働いているという意味で堅信式にふさわしいお天気であると思います。
教会も人間の集りですから、みんなが仲良く、みんなの意見も一緒で、にこやかに静かに、何事もなく集まっていれば、それは居心地がいいですけれども、でも、聖霊が働いているところは実は居心地が悪いんです。ガタガタしているんです。なかなか落ち着かないんです。
聖霊が働くことによって、いろんなことを考える人たちが、同じ事をみな考えているのではなく、それぞれに与えられた役割、それぞれに与えられた恵み、それぞれに与えられた聖霊の導きがそこにはあって、それがぶつかり合うから、落ち着かないんです。
ですから、聖霊が働いているところは落ち着かない。聖霊が豊かに働いているところほど、ガタガタしているというふうに私は思っています。
今日、お一人おひとりの上に、堅信の秘跡を通じて豊かに聖霊が注がれます。それは、けっして、これこそが完成したクリスチャンですよという雛形があって、それにぴったしと収まるようなクリスチャンができるということではないんですよ。洗礼、ご聖体、そして堅信という3つの秘跡を受けて、入信の過程は完成するんですけれども、完成したときにはこうゆうクリスチャンが、キリスト者がそこに出来ているというふうな雛形はないんです。みんな違う。それぞれが受けた恵みがそれぞれ異なっているはずなので、違う人たちが、みんな同じようなことを言ってみんな同じようなことを考えているような共同体だったら、聖霊は働いていないんです。
ここで8人の人が聖霊を受ければ、8通りの聖霊を受けたキリスト者としての完成した姿がある。お一人おひとりに、神様は聖霊の力を豊かに恵みを注いでくださるので、一人ひとりが、自分に見合った才能、見合ったタレントをより良く活かし、福音を告げ知らせる者として生きてゆくこと、それが成熟したキリスト者が完成するということだと思います。
一昔前は、堅信を受けることによって、みなキリストの兵士になるという言い方もしましたけれども、それくらい、命をかけてイエスキリストの福音を証しする生き方をしていこうという意気込みが表されたことばだったと思っています。
堅信の秘跡を受けることによって、今日これからお一人おひとりの上に聖霊が注がれるといいますが、でも、急に力が出るとかスーパーマンになるとか、そうゆうことはないんです。皆さんおひとりひとりが福音を宣べ伝えよう、自分に与えられた役割を果たしていこうというその熱意を、聖霊は後ろから後押しをしてくれる、後ろから支えてくれます。
あぁダメだなと思うとき、後ろを振り返って下さい。必ず聖霊がわたしたち一人ひとりを支えて、励ましてくれます。これは確実にそうですので、堅信式を受けるにあたって、これから福音を告げ知らせるという役割を、ゆっくりゆっくり、それぞれの場で、それぞれの方法で、果たしていっていただければと思います。
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