カトリック大森教会創立100周年感謝ミサ
大田区にあるカトリック大森教会が、創立100周年を迎え、感謝ミサが、10月10日に捧げられました。
大森教会の創設の歴史は、東京教区のホームページにこう記されています。
「アルベルト・ブルトン師は、アメリカ合衆国在留日本人の宣教にたずさわっていたが、再び日本国内で宣教を行うため、帰朝した。レイ東京大司教は、品川と横浜間に教会がなかったので、その付近に教会をつくるよう希望した。ブルトン師は大井町に、大阪の事業家の援助で社宅を無料で借り受けた。1921年8月28日、訪問童貞会(後の聖母訪問会)の2名の修道女と共に幼稚園、医院を開設し宣教活動を開始した。小さな聖堂のミサには、近所の信者が集まった。修道会の発展に伴い建物が狭くなったので、省線 (JR)大森駅と京浜電車八幡駅に通じる目抜き通りに面して土地を購入した」
ブルトン神父様は、いまの聖母訪問会の創立者となります。大森教会の歴史全体についてはこちらのリンクをご覧ください。
この写真にあるように、ジャルディニ大司教が大森教会を公式に訪問した1922年7月2日を、創立の日と定めています。
大森教会の皆様、おめでとうございます。またこの100年間、教会共同体を育み、ともに歩まれた司祭、修道者、信徒の皆様に、心から感謝申しあげます。次の100年を目指して、時のしるしを識別しながら、新たな歩みを、勇気を持って始められるよう期待するとともに、聖霊の導きを祈ります。
ミサの終わりには、教区内各小教区から送っていただいた小石を配置した十字架の祝福と、鐘の祝福を行い、祝福後に一突きした鐘の音は、聖堂内に低く響き渡り、新たな100年の始まりを告げました。この鐘は教皇ピオ11世から1930年に東京の神学校に贈られたものですが、その後戦時中の紆余曲折を経て、戦後復興のシンボルとして土井枢機卿様が大森教会に贈られたものです。
説教の終わりでも触れましたが、教皇様の「野戦病院であれ」と言う呼びかけを、具体的な活動に生かしているのも大森教会の皆さんです。特に今般の事態の中で、食料を提供するフードパントリーの活動は、地域社会からも評価されています。これからもこういった活動を、地道に継続して行かれることを、期待しています。なお大森教会のフードパントリーの活動については、こちらに記事があります。(教区ニュース380号の中段あたりです)
以下、本日の感謝ミサのために用意した説教原稿です。
大森教会創立100周年感謝ミサ
2022年10月10日大森教会の創立100周年にあたり、皆様に心からお祝いを申しあげます。
教区の歴史に記された100年前の出来事を読むと、アルベルト・ブルトン師は、当時のレイ東京大司教が、品川と横浜間に教会がなかったので、その付近に教会をつくるよう希望され、その出発点は、小さな聖堂と、幼稚園と医院であったと記されています。100年前の日本における福音宣教のパイオニアの時代には、教会は福音を教育と福祉を通じて広く告げしらせました。大森教会もその流れの中で、初期から幼稚園と医院とともに、歩み始められ、その後の戦争の時代も経て、現代からは考えられない様々な困難に直面しながら、それを乗り越え、福音をあかししてこられました。
教区ホームページに記されている歴史には、こういう記述もありました。
「近くの埋め立て地に捕虜収容所があったが、当時主任司祭であった下山神父は、捕虜たちの救霊のため収容所に通い続けた。終戦後、開放された捕虜たちは本国に帰り、日本の教会復興のため多大の援助をした。大森教会は、戦後復興した東京教区第1番目の教会となった」
現代の教会は、教皇フランシスコの元で、連帯による支え合い事がいのちを守る道であると説きますが、すでにこの戦乱と混乱の時代に、国籍を超えて兄弟姉妹としての連帯をあかしする歩みを、大森教会は歩んでおられました。
いまでも教会とともにある幼稚園や、戦後の混沌とした時代に発展したスカウト活動などとともに、これからも福音をあかしする活動を続けて行かれることを期待しています。
わたしたちは今、歴史に残る困難に直面しております。
新型コロナ感染症の蔓延は、未知の感染症であるが故に、わたしたちを不安の暗闇の中へと引きずり込みました。わたしたちはすでに2年以上にわたって、出口が見えないまま、まるで闇の中を光を求めて彷徨い続けているかのようであります。
教会も、さまざまに対応してきました。なんといっても、当初から、密接・密集・密閉を避けるようにと呼びかけられているのに、教会はその三つの密のオンパレードでありますし、ましてやミサなどになれば一緒になって大きな声で聖歌を歌ったりいたします。換気も容易ではありません。
大げさなようですが教会は、いまアイデンティティの危機に直面しています。なにぶんこれまでは、日曜日にできる限りたくさんの人が教会に集まってくれるようにと働きかけてきたのです。この教会という場所に集まることが、共同体なのだと思っていました。少しでもミサに参加する人が増えることが、宣教の成功だと思っていました。
それが今、教会にはなるべく来ないでくれと呼びかけたり、集まってもなるべく離れ、一緒に聖歌も歌わないでおります。そのような中で、教会共同体というのは、そもそもいったいどういう意味を持つのだろうかと、自らに問いかける日々が続いています。
もちろんわたしたちは、以前から教会というのは単に聖堂という建物のことだけではないと学んできました。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘し、その上で教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)と教えます。教会は神の民という共同体のことであり、その共同体は、「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」として、この地域に存在しています。
わたしたちは、実際に集まることが難しい中で、互いの信仰における絆を確認するように促されています。それは、実は、大きな変革のチャンスを与えられていることではないかと感じています。これまでは教会共同体の一員となると言えば、何か役職を担って貢献することが重要と考えてしまいがちでしたが、集まることが難しいいま、そのこと自体が成り立ちません。成り立たないからこそ、集まれなくても共同体であるとはどういうことかを見直すチャンスです。
何がわたしたちを結びつけている絆でしょうか。何がわたしたちを、この地域において、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしと道具」にしているのでしょうか。すべての中心には、主イエスがおられます。わたしたちの真ん中に現存しておられる主への信仰、一人ひとりの主への思いが、わたしたちを結びつける絆です。
教会に集まることが難しい今だからこそ、その絆に信頼し、わたしたちとともにおられる主に励まされて、わたしたちは自分の生活の場へと「出向いていく教会」として、「神との親密な交わりと一致」をあかしする神の民でありたいと思います。
教皇フランシスコの語られる「出向いていく教会」は、神の言葉が人となられてわたしたちのうちにおいでになったという救いの業の行動原理に倣う、教会のあるべき姿を表しています。闇雲に出向いていくのではなく、助けを必要としている人のもとへと出向いていく教会であります。孤立しいのちの危機に直面している人のもとへと、出向いていく教会であります。
コロナ禍のもたらす疑心暗鬼の暗闇の中で、対立と分断、差別と排除、孤立と孤独が深まる現代世界にあって、教皇様は、神のいつくしみを優先させ、差別と排除に対して明確に対峙する神の民であるようにと呼びかけておられます。とりわけ教会が、神のいつくしみを具体的に示す場となるようにと呼びかけ、東京ドームのミサでも、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と力強く呼びかけられました。
疑心暗鬼の暗闇の中で不安に苛まれる心は、寛容さを失っています。助けを必要としているいのちを、特に法的に弱い立場にある人たちを、いのちの危機に追い込むほどの負の力を発揮しています。わたしたちは神からの賜物であるいのちを守る、野戦病院でありたいと思います。
教会共同体は、その体の一部である一人ひとりが、それぞれの生活の場で神のいつくしみをあかしする言葉と行いに忠実であることによって、出向いていく教会となります。わたしたちのあかしするいつくしみの言葉と行いは、個人の業ではなく、共同体の業です。わたしたちは、共同体で受けた神の愛といつくしみを心にいただき、それをそれぞれが生きる場で分かち合うのです。
五つのパンと二匹の魚を目の当たりにした弟子は、主に向かって、「こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と断定します。人間の常識に従えば、当たり前の判断です。しかし神はそれをひっくり返されます。
いま教会はともに歩む道・シノドスの道をともにしていますが、2021年9月初めにローマ教区の信徒代表たちとお会いになった教皇様は、その席で、「教会がリーダーたちとその配下の者たちとか、教える者と教わる者とから成り立っているという凝り固まった分断のイメージから離れることには、なかなか手強い抵抗があるが、そういうとき、神は立場を全くひっくり返すのを好まれることを忘れている」と指摘されています。これまでのやり方に固執することなく、勇気を持って新しいあり方を模索することは、教皇フランシスコが教会にしばしば求められる道です。
次の100年のあゆみを始めた大森教会も、聖霊の導きに信頼して、神の呼びかけをしっかりと識別し、過去にとらわれずに、大胆に自らのあり方を見つめ直し、勇気を持って出向いていく教会であり続けますようにお祈りします。
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