年間第三十三主日ミサ@東京カテドラル聖マリア大聖堂
年間第三十三主日は貧しいひとのための世界祈願日でしたので、十時の関口教会のミサを司式させていただきました。このミサでは七五三の祝福も行われ、大勢のお子さんたちが、祝福を受けられました。おめでとうございます。これからの人生が神様からの祝福で豊かなものとなりますようにお祈りいたします。
以下、本日の説教原稿です。
年間第33主日C
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年11月13日典礼の暦は終わりに近づき、毎年この時期、福音のメッセージは、世の終わりについて語り始めるようになります。
第一朗読のマラキの預言でも、終わりの日が到来するとき、「高慢なもの、悪を行うもの」は焼き尽くされるであろう事が記され、それを避けるために、神の名を畏れ敬う生き方をするようにとの諭す言葉が記されています。
パウロはテサロニケの教会への手紙で、自ら模範を示してきたように、怠惰な生活を避け懸命に働くことを命じています。それは、主の再臨は間近であって、現世には何の価値も見いだせずに、ただただ世の終わりを待つ人たちが存在していたからだと言われます。パウロはいまを生きるいのちが、その終わりまで、与えられた使命を懸命に生きることの重要性を説いています。
ルカ福音は、神の御旨であって、実際にはわたしたちがしるはずのない世の終わりに心を奪われて、社会に生じるであろう混乱を記します。その上で、時のしるしを読み解くことの重要性を説くイエスの言葉を記しています。
確かに、一体のその終わりはいつ来るのかが気になってしかたがありません。例えば今回の感染症の世界的大流行の中で、二年以上も混乱が続き、いのちの危機に直面すると、それこそが世の終わりのしるしだと考える人が出てきたりするものです。また世紀末のように区切れがよい時期が近づくと、世の終わりが近いと考える人も出現します。歴史はそれを繰り返してきました。心が動揺しているとき、わたしたちは自らの心の不安を反映してなのか、この世界が終わりを迎えるのではないかという不安に捕らえられてしまいます。
しかしイエスは、そういった諸々の不安を醸し出す出来事に振り回されないようにと忠告します。なぜならば時の終わりは神の領域であって、人間の領域の出来事ではないからです。
「時のしるし」を読み取ることの重要性については、マタイ福音書16章に、もっとはっきりとこう記されています。
「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか」
ヨハネ二十三世が、1961年の降誕祭に、「フマーネ・サルティス」を持って第二バチカン公会議の開催を告示したとき、そこには「時のしるし」を読み解こうとした教皇の言葉が、こう記されています。
「一方においては精神的貧困に苦しむ世界、他方には生命力に満ちあふれるキリストの教会がある。私は……教皇に選ばれたとき以来、この二つの事実に直面して、教会が現代人の諸問題の解決のために貢献するよう、すべての信者の力を結集することが私の義務であると考えてきた。」
第二バチカン公会議は、「時のしるし」を読み解き、それに基づいて聖霊の促しに信頼しつつ行動することを柱の一つに据えました。公会議を締めくくる「現代世界憲章」は、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と指摘した後に、社会の現実の中で、真理をあかし、世を救い、キリストの業を続けるために、教会は「つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務を課されている(4)」と記しています。「時のしるし」を福音の光に照らされて読み解くのは、わたしたちの務めです。
教会は年間第33主日を、貧しい人のための世界祈願日と定めています。教皇様の今年のメッセージは、「イエス・キリストはあなたがたのために貧しくなられた」をテーマとしています。
教皇様はこの数ヶ月の世界の情勢を悲しみを持って見つめられながら、「愚かな戦争が、どれほど多くの貧しい人を生み出していることでしょう。どこを見ても、いかに暴力が、無防備な人やいちばん弱い人にとって打撃となるかが分かります。数えられないほどの人が、とりわけ子どもたちが、根ざしている地から引きはがして別のアイデンティティを押しつけるために追いやられています」と、いのちの危機の直面する多くの人への思いを記しておられます。
その上で教皇様は、コリントの教会への手紙を引用しながら、「イエスをしっかりと見つめなさい、イエスは「豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」と呼びかけられます。
すなわち、教会は義務として愛の奉仕に生きるのではなく、イエスに倣って生きる者だから当然として、困窮する人々との連帯のうちに支え合って生きることが重要だと教皇様は強調されています。
そしてメッセージにはこう記されています。
「貧しい人を前にしては、きれいごとを並べ立てるのではなく、腕をまくり上げ、人任せにせず直接のかかわりによって、信仰を実践するのです。ところがときおり、ある種の気の緩みが生じてしまい、貧しい人に対する無関心といった、一貫性のない行動をとることもあります。また、キリスト者の中には、お金に執着するあまり、財産や遺産の誤った使い方を正せずにいる人もいます。これらは、信仰が薄弱で、希望が揺らぎやすく近視眼的である状況を示しています」
教皇様は、常日頃から強調されているように、このメッセージでも連帯の重要性を強調し、こう記しておられます。
「連帯とはまさに、もっているわずかなものを、何ももっていない人と分かち合うことで、苦しむ人がいないようにすることです。生き方としての共同体意識や交わりの意識が高まれば、それだけ連帯は強まります」
社会全体が様々な困難に直面し、暗闇を彷徨い続けているいまだからこそ、教会は希望の光を掲げる存在であり続けなくてはなりません。希望の光は、教会を形作るわたしたち一人ひとりの言葉と行いによって、この世界にもたらされます。光を必要としている人のもとへ、光を届け、歩みをともにする教会でありたいと思います。
あらためて、第二バチカン公会議を招集された教皇ヨハネ23世の言葉を思い起こします。私たち「教会は現代世界の血管に、福音の永遠の力、世界を生かす神の力を送込まねば」なりません。
なお今日のこのミサの中で、七五三のお祝いを受けられるお子さん方がおられます。これまでの成長に感謝し、これからもいのちの与え主である神の祝福を豊かに受けながら、その命をより良く健やかに生きていくことができるように、皆でともに祈りましょう。
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