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2022年12月29日 (木)

一年の締めくくりに

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12月28日の一般謁見で教皇様ご自身が呼びかけられたように、名誉教皇ベネディクト十六世の健康状態が悪化しているようです。名誉教皇様のためにお祈りをいたしましょう。ベネディクト十六世は引退後、バチカン内のバチカン市国政庁近くにある修道院にお住まいでした。(上の写真は2007年のアドリミナで)

バチカンニュースによれば、教皇フランシスコの呼びかけは以下の通りです。

「すべての皆さんに、沈黙のうちに教会を支えている名誉教皇ベネディクト16世のために、特別な祈りをお願いしたいと思います。名誉教皇は重い病状にあります。ベネディクト16世の教会への愛のこの証しにおいて、主が最後まで彼を慰め、支えてくださるよう祈りながら、名誉教皇を思いましょう」

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一年の締めくくりとして、主の降誕の祝日の翌日、12月26日(月)の午前中、東京教区の聖職者の集いが行われました。伝統的に年の終わりには神に感謝をささげながら「テ・デウム」を歌うことから、この集まりも「テ・デウム」と呼ばれています。東京教区で働いてくださっている司祭を中心に、教皇大使もお招きして、聖体賛美式を行い、終わりには教皇大使の「日本語」でのあいさつに続いて、ラテン語で「テ・デウム」が歌われました。

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ラテン語の「テ・デウム」は、そもそも音程が高いので歌いにくいのはさておき、年々、諳んじて歌える神父様も減ってきていると、皆で歌う様子を耳にしながら感じます。

以下、聖職者の集いでの、わたしの説教の原稿です。

2022年東京教区テ・デウム
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年12月26日

主ご自身が幼子として誕生された受肉の神秘を祝う降誕祭は、あらためていのちの尊さをわたしたちに教えています。その小さないのちは、しかし、暗闇に輝く希望の光であることを天使たちは輝く栄光の光の中で羊飼いたちに告げています。暗闇が深ければ深いほど、小さな光であっても輝きを放つことができます。

いまわたしたちが生きている時代を見つめるならば、希望と絶望がまるで天秤にかけられて、時に希望が力を持つかと思えば、絶望へと大きくシフトすることを繰り返しています。残念なことに、世界は神からの賜物であるいのちへの尊厳を最優先とすることなく、いのちを生きているわたしたちは、危機に直面しながら、希望と絶望の繰り返しのなかでこの数年間を生きています。

特にこの三年におよぶ感染症の状況は、よい方向に向かっているとは言え、わたしたちを取り巻く暗闇を深めています。その暗闇がもたらす不安は、多くの人の心を疑心暗鬼の闇に引きずり込み、他者の叫びに耳を傾けることのない利己的な姿勢を強めさせています。感染症の状況が終わっていない闇の中で、わたしたちの姉妹教会であるミャンマーにおけるクーデター後の不安定な状況や、ウクライナにおけるロシアの侵攻がもたらす戦争状態によって、暗闇はさらに深められています。暗闇は世界から希望を奪っています。暴力が横行する中で、いのちを守るためには互いに助け合うことが必要であるにもかかわらず、深まってしまった利己的姿勢は、自らの命を守るために、暴力には暴力を持って対抗することを良しとする風潮すら生み出しています。しかし暴力の結末は死であり神の否定です。わたしたちはいのちを生かす存在であることを強調し、あくまでも愚直に暴力を否定したいと思います。暴力を肯定することは、いのちの創造主である神への挑戦です。

困難の中で、神父様方にはそれぞれの現場において、困難に直面している多くの方に、それぞれの方法で、手を差し伸べてくださったと思います。皆様のお働きに心から感謝申しあげます。また教区からお願いしたさまざまな感染対策をご理解くださり、協力してくださっていることに、心から感謝申し上げます。多くの人が集まる教会であるからこそ、責任ある隣人愛の行動を選択し続けたいと思います。

ご存じのように、いまわたしたちの国では宗教の意味やその存在が問われています。元首相の暗殺事件以来、宗教団体がその背景にあると指摘され、それが宗教全体の社会における存在の意味を問いかけるきっかけとなりました。

宗教は、いのちを生きる希望を生み出す存在であるはずです。その宗教が、信仰を強制して信教の自由を踏みにじったり、いのちを暴力的に奪ったり、生きる希望を収奪するような原因を生み出してはなりません。家庭を崩壊させたり、犯罪行為を助長したり、いのちを生きる希望を絶望に変えたり、人間の尊厳を傷つけるようなことは、わたしたち宗教者の務めではありません。教会はすべての人の善に資する存在として、この社会の現実のただ中で、いのちを生かす希望の光を掲げるものでなければなりません。

その中で、保守的傾向を強める社会全体の風潮に流されるように、異質な存在を排除することを良しとする傾きが、教会の中にも見受けられるようになりました。一見、教会の教えを忠実に守るかのように見せかけながら、その実、異質な存在への攻撃的な言動をすることが、神の愛とあわれみを証しするとは思えません。教会は一部の選ばれた人たちだけの安全地帯ではなく、神が創造されたすべてのいのちを抱合する共同体です。排除ではなく、ともに歩むことを求めている神の民です。他者を攻撃し、排除する様な価値観を、それも多様性の一つだと主張して承認させようとする考え方には同調することはできません。あらためて強調しますが、教会はどのような形であれ、神の賜物であるいのちに対する攻撃を、ゆるすことはできません。

教会のシノドスの歩みは続いています。新しい年のはじめ、2月から3月にかけて、各大陸別のシノドスが開催され、アジアの大陸シノドスも2月末にタイで開催されます。その後、今年の10月と、来年2024年10月の二会期に渡ってローマでの会議が開かれ、その結果を受けて教会は2025年の聖年を迎えます。聖霊が教会をどこへと導こうとしているのか、共同体の識別の道はこれからも続けられます。東京教区にあっても、今後も小グループによる分かち合いを通じた聖霊の導きへの識別を深め、互いに耳を傾けあい支え合うことが当たり前である教会共同体へと変貌していきたいと思います。これからも、シノドスに関する呼びかけは継続していきたいと思います。

この困難な状況のなかにあって、私たちは、互いに耳を傾け、ともに現実を解釈し、現代の時のしるしを見極め、聖霊の導きに勇気を持って身を委ねる共同体でありたいと思います。

この一年にいただいた神様の祝福と守り導きに感謝しながら、新しい年、2023年に向けて、ともに歩みを進めていくことができるように、聖霊の照らしと導きを祈りましょう。

皆様、この一年間、本当にありがとうございました。皆様のお祈りと、支えに、心から感謝です。新しい年も、神様の祝福に満ちた平和な一年となりますように。

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