2023年元旦の最初のミサは、神の母聖マリアの主日となり、同時に世界平和の日でもありますが、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、関口教会の主日10時のミサとしてささげさせていただきました。
世界平和の日にあたり、教皇様はメッセージを発表されています。今年のメッセージのタイトルは、「だれも一人で救われることはない。COVID-19からの再起をもって、皆で平和への道を歩む」とされており、教皇様はコロナ後の世界を見据え、あらためて連帯のうちに支え合ってともに歩むことの大切さを強調されています。日本語翻訳は中央協議会のこちらのリンク先にあります。
神の母聖マリア(配信ミサ説教)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2023年1月1日
新年明けましておめでとうございます。
新しい年、2023年が始まりました。2020年の春に始まった現在の困難な状況は、すでに3年になろうとしています。様々な情報が錯綜する中で、この3年間、わたしたちははっきりとした道筋を見出すことができずに不安のうちに取り残され、まるで暗闇の中を手探りで歩いているかのような状況であります。
3年近い時間の経過が、専門家の知見を深め、またわたしたちにもどのように対処するべきかを学ばせてくれましたから、徐々にではありますが、先行きに光が見えるようになってきました。しかしまだ、自信を持って、以前のような普通の生活に戻ったとは言い難い状況が続いています。
この困難と不安な状況に加えて、暴力によるいのちへの攻撃も続き、さらに闇を深めています。東京教区にとっては姉妹教会であるミャンマーにおけるクーデターとその後の混乱は続いており、平和と自由を求める人々、特にその先頭に立つ宗教者への暴力的攻撃も頻発し続けています。
またロシアによるウクライナ侵攻とその後の戦争状態は続いており、世界中からの平和への呼びかけにもかかわらず、終わりが見えない泥沼の戦いが続いています。さらには日本を含め世界各地で、自らの感情にとらわれ、いのちに対する暴力的な蛮行に走る事例も頻発しています。
神が賜物として与えてくださったいのちに対する暴力が止むことはなく、闇が深く増し加わるほどわたしたちは疑心暗鬼に捕らわれ、疑心暗鬼は不安を呼び覚まし、それがために暴力に対抗するためには暴力が必要だという声が普通に聞かれるようになってしまいました。
あらためて言うまでもなく、暴力の結末は死であり、いのちの創造主である神への挑戦です。あらためて1981年2月の広島における教皇ヨハネパウロ二世のことばに耳を傾けたいと思います。
「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です」
いのちの尊厳を繰り返し説かれた教皇ヨハネパウロ二世は、回勅「いのちの福音」に、「『殺してはならない』というおきては、人間のいのちを尊び、愛し、守り育てるといった、いっそう能動的な観点においても一人ひとりに拘束力を持っています」と記します。わたしたちには、自らに与えられたいのちを大切にし、それを守ることに留まらず、同じ賜物を与えられているすべての人のいのちを「尊び、愛し、守り育てる」務めが与えられています。
一年の初めのこの日は、世界平和の日と定められています。
教皇様は、世界平和の日にあたりメッセージを発表されています。コロナ後の世界の歩むべき道を見据えながら、連帯のうちに支え合って歩み続けることの必要性を説いておられます。わたしたちは、この新しい一年を、あらためて連帯を深め、互いに耳を傾けあい、支えながら、聖霊の導く先を探し求めながら歩むときにしたいと思います。
主の御降誕から一週間、御言葉が人となられたその神秘を黙想し、神ご自身がそのあわれみといつくしみに基づいて自ら人となるという積極的な行動を取られたことに感謝を捧げる私たちは、主の降誕の出来事に思いを馳せながら、人となられた神の御言葉の母である聖母マリアを記念します。
神が自ら人となられた神秘、そして人間として私たちと共に生きられたという神秘、その不思議な業は人間であるマリアによって実現したという事実によって、神ご自身が創造された人間の持つ尊厳をあらためて私たちに示されました。
神ご自身が人間となり、母マリアから生まれたことをあらためて黙想するこの日、ひとりひとりに神から与えられた賜物である「いのち」の尊厳をあらためて黙想し、いただいたその恵みに感謝したいと思います。
ルカ福音は、「聞いたものは皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」と簡潔に述べることで、その夜、驚くべき出来事に遭遇し、そしてその意味を理解できずに翻弄され戸惑う人々の姿を伝えています。暗闇の中に輝く光を目の当たりにし、天使の声に導かれ誕生した幼子とそれを守る聖家族のもとに到達したのですから、その驚きと困惑は想像に難くありません。
しかしルカ福音は、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とも記します。神のお告げを受けた聖母マリアは、その人生において常に、神の導きに思いを巡らせ、識別に努められた、観想を深めるおとめであります。
教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」の中で、聖母マリアを「福音宣教の母」と呼ばれています。神の御旨を受け入れる聖母マリアは、祈りかつ働き、即座に行動し、他者を助けるために出向いていく方であったとする教皇は、同時に、「マリアは、神の霊の足跡を、大きな出来事の中にも些細なことと見える出来事の中にも見いだせる方です。・・・正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力、これこそがマリアを、福音宣教する教会の模範とするのです」と記しておられます。(288)
あふれるかえるほどの情報に振り回されながら現代社会に生きているわたしたちにとって、常に心を落ち着け、周囲に踊らされることなく、神の道を見極めようと祈り黙想する聖母の姿は、倣うべき模範であります。
新しい年の初めにあたり、ともに祈りをささげたいと思います。
わたしたちがこの数年遭遇している世界的な困難の時を、連帯のうちにともに支え合いながら乗り越えていくことができるように、聖霊の導きを祈りましょう。シノドスの道をともに歩んでいる教会は、互いに耳を傾けあい、支え合い、祈り合いながら、聖霊の導く道を見いだすように招かれています。この状況の中で、聖霊に導かれる教会こそが、社会の中で連帯と交わりの証しになりたいと思います。
政治のリーダーたちを、また経済界のリーダーたちを、聖霊が賢明と叡智と剛毅の賜物をもって導いてくださるように祈りたいと思います。また感染症の状況の中で、この数年間、いのちを守るために日夜努力を続けている医療関係者の上に、護りがあるように祈り続けたいと思います。
神から与えられた賜物であるいのちが、その始めから終わりまで例外なく、守られ育まれ、尊厳が保たれる世界が実現するように祈りましょう。
圧政による人権侵害によっていのちの危機に直面している人たちに、神の正義の支配がおよぶように祈りましょう。自らのいのちを守るために、危険を冒して旅立ち、国境を越えてきた難民の人たちが、安住の地を得ることができるように祈りましょう。力による対立ではなくて、互いの存在に思いを馳せ、謙遜に耳を傾け、愛をもって支え合う社会が実現するように祈り、また努めましょう。
平和を実現する道を歩まれたイエスの旅路に、聖母マリアが信仰のうちに寄り添ったように、私たちも神が大切にされ愛を注がれる一人一人の方々の旅路に寄り添うことを心がけましょう。聖母マリアのうちに満ちあふれる母の愛が、私たちの心にも満ちあふれるように、神の母であり、教会の母である聖母マリアの取り次ぎを求めましょう。