堅信式ミサは、関係者だけで、午後2時からささげられましたが、その前に午前10時から、清瀬教会の司牧訪問のミサも捧げました。前回の訪問が2018年でしたので、その間にコロナ禍が挟まれて、5年ぶりとなりました。午前中のミサは、聖堂一杯のみなさんにお集まりいただきました。歓迎していただき、ありがとうございます。
清瀬教会を担当するのは、お隣の秋津教会の主任司祭でもある野口神父様です。清瀬教会の前任の主任司祭であった西川師が倒れられ入院されて以来、野口神父様に兼任をお願いしています。またこの日の堅信ミサには、かつてこの教会で司牧実習をしていたコンベンツアル会の外山助祭と、いつもは秋津教会で司牧実習をしている東京教区の今井神学生も参加されました。
2023年2月19日 清瀬教会堅信式 年間第7主日
堅信を今日受けられる方々、堅信の秘跡の意味は、準備の間に勉強されたことと思います。それは、聖霊の照らし、聖霊の恵みを受けることによって、成熟した信仰者としての道を歩みはじめる、信仰生活における成人式のようなものだと思います。
使徒言行録に書いてある初代教会のとき、五旬祭の日に聖霊が弟子たちと聖母マリアに降り、そこで弟子たちが、いろんな国の言葉でイエスキリストの福音を語り始めました。あれが最初の聖霊降臨の出来事で、そこから教会は福音を宣教する道を歩みはじめています。
ですから、堅信の秘跡によって聖霊を受けることの一番大きな目的は、その日から聖霊の照らしを受けて、弟子たちがそうであったように、福音を多くの人たちに告げ知らせていくということです。
その五旬祭のあの日、聖霊降臨が起こったときの出来事をよくみてみましょう。
聖霊降臨が起こるまで、弟子たちは恐れていました。先生であるイエスが殺されてしまい、自分たちは暗闇に放り出されたようになってしまった。どうしたらいいかわからない。そんな思いを抱えて集まり、隠れていたんですね。
その隠れていた弱々しい弟子たちが、聖霊を受けることによって大きく変えられたのです。
その日からいろんな国の言葉で、…もちろんいろんな言葉で話せるようになったら嬉しいですが…、それよりももっと大事なことは、すべての人にわかる言葉で福音を述べ伝えはじめたということです。つまり、隠れていた弱々しい人が、聖霊を受けることによって福音を述べ伝える者となった。それが成熟した信仰者として生きていく、信仰の成人式です。
昔は、堅信の秘跡はキリストの兵士になることと言いました。堅信を受けることによって、キリストのために世の中で戦ってゆく兵士になるんだと。当たらずとも遠からずだと思います。わたしたちの目的は、兵士となって力で戦うのではなくて、福音を述べ伝える戦いの兵士になっていくということです。わたしたちは、堅信を受けることによってキリストの兵士となっていくのです。
ですから、今日、堅信を受けられるお一人おひとりは、やはり同じように、神様のために福音を述べ伝える者となっていかなければならないわけですね。
ところが、ここからがものすごく大きな問題なのです。
いままで何千人、何万人という人が堅信を受けてきました。私自身、司教になってから何人の人に堅信を授けてきたかも覚えていません。それくらい沢山の人が堅信を受け、成熟した信徒として、キリストの兵士として歩みはじめているはずなのですが、あまり成果が上がっていないんですよ。
これだけ沢山の人が堅信を受けたんですから、日本中そこら中に、キリストの福音を耳にしてキリストの福音に従おうと決意する人たちが、沢山現れてきてもおかしくないですよね。ところがいまだに日本でカトリック信者は、本当にほんの少しですよね。人口の1%以下。40万人いればいい方だと思いますけれども、その状態から変わらないわけです。一体何が足りないんだろう。せっかく堅信を受けたのに、何が足りないんでしょう。
一番大きいのは、自覚が足りないんです。洗礼を受けて堅信を受けることによって、自分がキリストの福音を述べ伝える者となったんだという自覚が、足りないのだと思います。
もう一つは、聖霊に対する信頼です。聖霊に対する信頼が足りないのだろうと、わたしは思っています。
教会は、あの第二バチカン公会議もそうですけれども、最初にできたときから常に、聖霊によって導かれています。
様々なことが教会の歴史の中では起こってきましたが、いままで連綿として信仰が伝わってきた一番大きな理由、それは、わたしたちが聖霊によって導かれているからです。ですから、わたしたちがその聖霊の働きを、どこまで信じて、どこまで信頼しているのかが大切なのです。
聖霊を受けたからといって、聖霊が、その日からわたしたちをスーパーマンに変えてくれるわけではない。急に変身して、勇気あるすごい人になることはないです。
聖霊は本当に神様の息吹なのです。後ろからフーッと吹いてくる息でしかないんですよ。そして、それが力を発揮するのは、わたしたちがその息吹の方向に従って前に向かって進もうとするときです。そのとき、後ろから来る風が力を発揮するんです。わたしが斜め横に向かって進むとき、真っ直ぐ吹いている風はあまり効きません。横を向いて全然違う方向に行こうとすれば、風は全く力を発揮することができないんです。
聖霊の恵みは、確かにお恵みとして、わたしたち一人ひとりに与えられます。7つの賜物があると聞きましたよね、堅信の勉強をしたときに。
つまり、聖霊の7つの賜物は、後ろから真っ直ぐ、フーッと神様の息として吹きかけられている。それが本当に効果を発揮するためには、わたしたちが真っ直ぐその息吹と同じ方向に向かって、歩いて行くことが必要なのです。
聖霊の息吹がフーッと吹いている、その方向と同じ方向に向かってわたしたちが歩いているというのは、とても大切な条件なのですよ。
「風がどこから吹いてくるのか、人は誰も知らない」という典礼聖歌の歌がありますけれども、まさしく神の息吹ですから、目に見えないですよね。風が一体どこからどこへ向かって吹いているのか、パッと見ただけじゃわかんないわけですよね。
同じように聖霊も、一体どこからどこに向かって吹いているんだろうということがわからなければ、わたしたちはその風と同じ方向に向かって進んで行くことはできないわけですよ。ですから、わたしたちにとって大切なのは、風はどこからどこに向かって吹いているのかということを、知ろうとすることです。
では、それはどうやって知ることができるのでしょう。
教会に来ていれば、シノドスという言葉を耳にしたことがあるかもしれない。もしもまだならば、今日から是非、シノドスというのは何だろうと考え、学んで頂ければと思います。東京教区や教区ニュースでも、YouTubeのチャンネルで短いビデオをいろいろ作っていますので、是非ともご覧ください。
シノドスというのは、共に歩む、という意味です。教会はシノドスの教会なんだと、教会のあり方はシノドスなんだということを教皇様がおっしゃって、それでいま「教会が、共に歩む教会になりましょう」ということを呼びかけています。
なぜならば、そうすることではじめてわたしたちは、聖霊がどっちに向かって吹いているのかを知ることができるからです。自分一人ではわからないけれども、みんなで一緒になって、集まって、互いが感じていること、互いが思っていることを話し合い、分かち合って、相手の言うことによく耳を傾け、自分の語りたいことを語り、そして、一緒に祈って、一緒に助け合って、道を進んで行くときにはじめて、どちらの方向に神様は息を吹いているのかがわかるんです。その方向を見誤っていると、聖霊は働かないのですよ。ですから、みんなで一緒になって正しい方向を見極めてゆくことは、とても大切なことです。
その見極めの取り組みの一つが、さっきもお話した、1965年まで開かれていた第二バチカン公会議です。
その公会議には、当時のすべての司教さんたちが世界中からバチカンに集まり、一緒になって何年間も会議をしたのです。
その中で、一緒に祈り、一緒に分かち合い、耳を傾け合い、そして互いに手を取り合って、助け合って進んでいきましょう、という作業を重ねていきました。それによって、一体いまの教会に対して、神様はどちらの方向へ風を吹いておられるのかを、見極めようとしたんです。それを、教会がよく使う言葉で「識別する」と言います。
神の意志を識別する。識別という言葉をよく使いますけれども、それは聖霊がどちらに向かって吹いているのか知ろうとする作業のことです。
ですから第二バチカン公会議はまさしく、その識別の作業でしたし、いまもなお、それが続けられているはず、なんですよね。ところがわたしたちは、そうしたことを時間が経つにつれて忘れてしまうわけです。
そこで教皇様はあらためて、シノドス的な教会、つまり、みんなで一緒になって支え合い、みんなで一緒に祈り合い、みんなで一緒に道を見つけてゆく、識別をする教会であることが当たり前の教会の姿にしましょうと呼びかけられた。聖霊がどちらに吹いているのかを、常に知ることができる教会にと。そして、そちらに向かって歩いていけば、おのずと聖霊の力が教会に働いてくれるわけです。
ですから、みんなで一緒になって識別をするというのは、とても大切なことだと思います。
こうして、何人もの人たちが一緒に堅信を受けますね。
今日堅信を受ける皆さんも、自分一人だけが今日から成熟した信徒となるということではなくて、一緒になって、神様の息吹が吹いている方向を見極めてゆく、助け合ってゆく仲間ができたんだということを、是非とも忘れないでいて頂きたいと思います。そしてそれは、今日堅信を受ける方たちだけでなくて、この教会共同体と言われているこの教会に集まって来るすべての人にとっても同じです。
一緒になって、神様の息吹の吹いている方向性を見極め、そちらに向かって足を踏み出すことで、教会は常に、聖霊によって満たされ、聖霊に導かれ、聖霊に後押しされる豊かな教会になってゆくと思います。
聖霊の力を受けて、皆さんお一人おひとりが、今日から成熟した信仰者、キリストの兵士として、聖霊に信頼しながら、福音を述べ伝えてゆく者となることを、心から期待してお祈りしています。