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2023年2月11日 (土)

パウロ安次嶺晴美神父葬儀ミサ@東京カテドラル

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去る2月4日に帰天された東京教区司祭パウロ安次嶺晴美神父様の葬儀ミサは、2月8日午後1時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。

安次嶺神父様の略歴については、こちらをご覧ください

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安次嶺神父様は、東京教区が新潟教区を助けるために司祭を派遣してくださった、その第一号でした。新潟教会で3年間活躍してくださり、新潟にも友人がたくさんおいででした。新潟教区の司祭団は、2月7日、毎月の司祭静修にあわせて、新潟のカテドラルに集まった司祭で、安次嶺神父様のために祈りをささげてくださったと、成井司教様から連絡をいただきました。

様々な病気を抱えられ、人工透析のために週三回は病院に通わなくてはならなかった中で、最後の任地となった茂原教会で、できる限りで頑張っておられましたが、病状が深刻になり、信徒の方々の手助けがなくては生活もままならない状況の中で、ペトロの家に移動していただきました。昨年末頃にはペトロの家での介護も難しくなり、もっと手厚い介護をしていただける施設への移動を調整していましたが、その間に様態は急変し、入院先の病院で、2月4日に亡くなられました。

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神父様の永遠の安息のために、どうぞお祈りください。なお、後日、カトリック府中墓地にある教区司祭共同納骨墓へ納骨いたしますが、その日程は追ってお知らせいたします。

以下、2月8日の葬儀ミサの説教原稿です。

パウロ安次嶺晴実師葬儀ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2023年2月8日

わたしたちは信じています。イエスはキリストです。イエスはわたしたちの罪の贖いのためにご自身をいけにえとしてささげ、その受難と死にあずかる者が、主ご自身の復活の栄光にも与るようにと招いておられます。神は、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む人々を世の終わりに復活させてくださる」のだと確信し、永遠のいのちに生きる大きな希望を持ちながら、この世界における人生の旅路を歩んでいます。

イエスはキリストです。すべての人をその懐における安息と永遠のいのちに招かれる救い主です。わたしたちは、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉を信じています。イエスをキリストと信じるわたしたちには、すべての人がその救いに与ることができるように、神の愛といつくしみ、あわれみを、ひとりでも多くの人に伝え分け与える使命があります。

司祭は叙階式の時に、「福音をのべ伝え、カトリックの信仰を表すことによって、神のことばに奉仕する務めを誠実に」果たすことを約束します。また司祭は、「教会共同体の助けのもとに、貧しい人、苦しむ人、助けを必要とするすべての人に、主の名において、神のいつくしみを示しますか」と問われて、「はい、示します」と約束いたします。

1987年3月15日に司祭叙階を受けた安次嶺神父様も、その日同じように力強く約束したことだと思います。安次嶺神父様は1949年9月生まれですから、司祭に叙階されたときは37歳であったかと思います。それから35年間の司祭としての人生において、様々な困難に直面しながらも、安次嶺神父様は、すべての人がキリスト・イエスの約束された救いに与ることができるように、イエスの愛といつくしみを、ひとりでも多くの人に分け与えようと使命を果たされてきました。

この数年、ただでさえ感染症の拡大の中でいのちの危機に直面しているのですが、賜物である人間のいのちを、まるでもて遊んでいるかのような方法で、暴力的に奪い取る理不尽な事件も続発しています。

特にこの3年間、様々ないのちの危機に直面する中で、教皇フランシスコは連帯の重要性をたびたび強調され、感染症が拡大していた初期の段階、2020年9月2日の一般謁見で、 「このパンデミックは、わたしたちが頼り合っていることを浮き彫りにしました。わたしたちは皆、良くも悪くも、互いに結びついています。この危機から、以前よりよい状態で脱するためには、ともに協力しなければなりません」といのちを守るための連帯が必要だと強調されました。

2019年11月。教皇様はここ東京で、東北被災者に向かってこう言われました。

「一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」

暗闇に輝く希望の光は、互いに助け合う人との出会いから生まれ、連帯を通じて強められます。しかし残念ながら、実際の世界ではその連帯は実現せず、かえって孤立と孤独が激しくすすみ、この歴史に残る困難の中で、暴力がいのちを危機にさらしています。今わたしたちの社会は、不安の暗闇の中に置き去りにされている恐怖から、他者に対する配慮をする余裕を心から奪い、不寛容な心は利己的になり、自分を守ることにばかり集中して、助けを必要として叫びを上げている人の存在を見えないものにしています。わたしたちには互いに助け合うものとして、多くの人との出会いが必要です。その出会いの中での支え合いが必要です。

安次嶺神父様が以前、東京教区ニュースのインタビューに答えられた記事を読んでみると、何か劇的なことがあったわけではないが、お母様を通じてプロテスタント教会に出会い、さらにカトリックに改宗し、そして様々な人との出会いがあって、それによって司祭へと導かれていった人生の歩みが記されていました。人との出会いが、司祭召命への道となったことが述べられていました。

忠実に小教区での司牧に携わってこられた安次嶺神父様の司祭としての働きに一つ特筆するところがあるとすれば、それは東京教区と新潟教区の協力関係の中で、東京から新潟へ派遣された一番最初の司祭であったことだと思います。わたしが前任であった佐藤司教様が新潟教区司教であった時代です。そこでの毎日の生活の中でも様々な人との出会いを通じて、安次嶺神父様は多くの方と強い人間関係を築き、その後もしばしば新潟の友人たちを訪問されていました。

最後の任地となった茂原教会では、特に外国籍の信徒の方々を共同体にどうつなげていくのかに心を配られていたようです。残念ながら、様々に抱えておられた病気のために、特に定期的に透析を受けなくてはならなかったこともあり、5年間茂原教会で働かれたあと、2019年10月にはペトロの家に来られ療養生活を始められました。73歳での帰天は早すぎると感じますが、特に人生の終盤では、様々な病気を抱える中でご自分の思い通りにならないもどかしさの中で、その苦しみを祈りの内にささげられる毎日であったと思います。

わたしたちは地上の教会において、御聖体を通じて一致し、一つの体を形作っており、互いに与えられた賜物を生きることによって、主ご自身の体である教会共同体全体を生かす分かち合いにおける交わりに生きています。同時に教会は、地上で信仰を生きているわたしたちの教会が、天上の教会と結ばれていることも信じています。ですからわたしたちは生きている互いのために祈るように、亡くなった人たちのために祈り、また聖人たちの取り次ぎを求めて祈ります。そのすべての祈りは、一つの教会を形作っている兄弟姉妹のための、生きた祈りであります。

安次嶺神父様の永遠の安息を祈ると共に、わたしたちも人生における出会いを大切にし、その中で互いに助け合い連帯しながら、福音をあかしする道を共に歩んで参りましょう。

 

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