世界病者の日ミサ@東京カテドラル
2月11日はルルドの聖母の記念日であり、世界病者の日と定められています。
毎年この日の午後には、教区の福祉委員会の主催でミサが捧げられてきましたが、現在は福祉委員会は他の社会活動系の委員会とともに、カリタス東京にまとめられましたので、今年はカリタス東京の主催で、午後から、東京カテドラル聖マリア大聖堂でミサが捧げられました。
このミサには、教区内で活動している団体など50近い団体、組織、活動グループが参加しました。今後、時間がかかるとは思いますが、教区内の社会系の活動のネットワークを、カリタス東京を核として発展させることができればと思います。それについては、下記のビデオの最後、わたしのあいさつのことろで詳しく語っています。(ビデオの59分あたりからです)
本日の世界病者の日にあたっての、教皇様のメッセージは、こちらの中央協議会のHPからご覧ください。
以下、本日のカテドラルでのミサの説教の原稿です。
世界病者の日ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2023年2月11日いまや心と身体に癒やしをもたらす聖地として有名となったフランスのルルドにおいて、聖母マリアが少女ベルナデッタに出現されたのが、1858年2月11日のことでした。聖母に促されてベルナデッタは洞窟の地面を掘り、湧き出た泉の水によってもたらされた病気の奇跡的治癒は、その後いまに至るまで七十以上が、公式な委員会によって奇跡と認定されています。それ以外にも個人的に何らかの形で癒やしを得た人は、数え切れないほど存在しています。
ちょうど30年前、1993年に、教皇聖ヨハネパウロ二世は、聖母マリアを通じたこれらの奇跡的な治癒を思い起こさせるルルドの聖母の記念日を、世界病者の日と定められました。この日の制定にあたって教皇聖ヨハネパウロ二世は、二つの点を心に留めるように呼びかけています。
第一に、善きサマリア人の業を現代社会において具体的に生きることは、福音宣教の重要な部分であると神の民全体が理解し、社会全体が病者と苦しむ人へ心を向けるよう努めること。
第二には、理不尽とも思えるこの世における人間の苦しみを、キリストの苦しみと一致させることで、わたしたちがキリストの贖いの業における栄光に与ることができるのだと心に留め、キリスト者としての霊的な成長を目指すこと。この二点です。
教皇聖ヨハネパウロ二世は1984年2月11日に教皇書簡「サルヴィフィチ・ドローリス」を発表され、人間の苦しみのキリスト教的意味を考察されました。この考察を通じて教皇は、人類の救いのための力は苦しみから生み出されることを、キリストの生涯が、あかししていると指摘します。イエスの十字架での受難と死こそが復活の栄光を生み出す力でありました。同様に、この世界における人類の苦しみは、いのちを生きる希望を生み出す源であります。
わたしたちは闇の中に取り残された不安の中で、この三年間を過ごしてきました。世界的な規模での「いのちの危機」に直面して来たことは確実です。
あらためて、亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、現時点で病床にある方々の一日も早い回復を祈ります。またいのちを守るために、日夜懸命に努力を続けている医療スタッフ、介護職にある方々、また未知の感染症の解明のために日夜研究を続けている専門家の方々。その懸命な働きに、心から感謝すると共に、皆さんの心と体の健康が守られるようにお祈りいたします。
このいのちの危機という大きな苦しみは、あらためて互いに助け合うことの重要性をわたしたちに思い起こさせました。助けを必要とする人への思いやりの大切さを感じさせました。人間は一人では生きてはいけない、誰かの助けによって生かされていることを肌で感じさせました。
それにもかかわらず、世界の現実はどうでしょうか。思いやりのある助け合いの世界は実現しているでしょうか。現実は全く反対です。
教皇フランシスコは、感染症が広がった当初から、助け合うことの大切さを述べてきました。
2020年9月2日の一般謁見では、「このパンデミックは、わたしたちが頼り合っていることを浮き彫りにしました。わたしたちは皆、良くも悪くも、互いに結びついています。この危機から、以前よりよい状態で脱するためには、ともに協力しなければなりません」と呼びかけ、その上で、 「調和のうちに結ばれた多様性と連帯、これこそが、たどるべき道です」と、世界的な連帯が不可欠であることを強調されました。
しかしながら、この三年間、わたしたちの眼前には、調和も多様性も連帯も実現していません。目の前に展開しているのは、分裂であり、排除であり、暴虐です。
例えばミャンマーではクーデターが起こり、ウクライナではロシアの侵攻によって戦争が始まり、日本でも元首相の暗殺などという、暴力によって他者のいのちを奪い取るような、いのちに対する暴虐は続いています。
暴力による支配が続く中で、先行きの見えない不安は暗闇をさらに深く増し、わたしたちは疑心暗鬼に捕らわれます。一体これからどうなるのだろうという、先行きの不透明性は、心の不安を増し、いのちの危機の状況が続く中で疑心暗鬼はさらに深まり、他者への思いやりの心は薄れ、利己的な保身に走ってしまいます。社会は寛容さを失ってしまったかのようです。
そのような状況が続いていると、心の一部を占めてしまった不安が、暴力を止めるためには暴力を持って対抗することを認める思いを強くします。いのちを守るためには、多少の犠牲はやむを得ないという気持ちになってきます。しかし暴力の結末は死であります。
キリストの苦しみに与ることが、いのちを生きる希望を生み出す源となるのだと信じるわたしたちは、内向きになり自分を守る利己的な生き方ではなく、積極的に出向いていき、互いに支え合う思いやりに満ちあふれた社会を、いまだからこそ実現するように努めなくてはなりません。
教皇フランシスコは、今年の世界病者の日のメッセージのテーマを、善きサマリア人のたとえ話から、「この人を介抱してください」とされ、副題として、「シノドスの精神にかなう、いやしの実践としてのあわれみの心」を掲げておられます。シノドスの精神こそが、互いに連帯の内に助け合いながら道を歩むことですから、まさしく。この苦難に満ちあふれた現実の中で、いのちの希望を生み出す道であります。
メッセージで教皇様は、ともに歩むことの大切さを強調した上で、「本当に一緒に歩んでいるのか、それとも同じ道にはいても、それぞれ、自己の利益を優先し、ほかの人には『自分でどうにか切り抜けて』もらって、わが道を行っていないか」自分に問いかけることが大切だと指摘されます。
その上で教皇様は、様々なレベルでのケアの実践の必要性を説いて、こう述べています。
「わたしたちが今まさに経験している歴史的状況において、教会の使命は、まさしく、ケアの実践に表れます。わたしたちは皆、もろくて弱い存在です。立ち止まり、近づき、介抱し、起き上がらせる力のある、あわれみの心で注意を向けてもらうことを、皆が必要としています。ですから病者の置かれている状況は、無関心を打ち破る呼びかけであり、姉妹や兄弟などいないかのように突っ走る人々に、ペースを落とすよう訴えるのです」世界病者の日は、私たちを包み込む神の癒やしの手に、いつくしみの神の手に、ともに包み込まれることを実感し、それを今度は自らが実践しようと心に誓う日です。主の癒やしといつくしみの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくともに歩む民でありましょう。キリストの苦しみに心をあわせ、十字架のもとに佇まれ苦しみを共にされた聖母と心をあわせて、この世界の苦しみのなかに、いのちを生きていく希望を見いだす日でもあります。共同体における連帯の絆を回復させる日でもあります。
神のいやしの奇跡の泉へとベルナデッタを導かれたルルドの聖母マリアが、同じようにわたしたちを、いのちを生きる希望の源であり、神のいつくしみそのものである御子イエスへと導いてくださいますように、聖母の取り次ぎを祈りましょう。
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