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2023年5月28日 (日)

2023年教区合同堅信式@東京カテドラル

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東京教区では、聖霊降臨の主日の午後に、カテドラルで、教区合同堅信式を行ってきました。それぞれの小教区で司牧訪問に合わせて堅信式を行う共同体も多くありますが、合同堅信式に参加される小教区も、少なくありません。カテドラルでの司教ミサに与る機会でもあります。

二年ほどは感染症の蔓延のため中止となり、昨年は規模を縮小して行いましたが、わたし自身が新型コロナに感染して発症し、発熱と激しい喉の痛みで声を失い、司式を稲川総代理に委任しましたので、今年の合同堅信式は、わたしにとっても久しぶりの行事となりました。

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今日午後の堅信式では、同じ関口教会にある韓人教会の方々も含めて、110名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。

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これから大人の信徒として、福音をあかしし、広く伝えていく務めを、それぞれの場で、それぞれの方法で、しっかりと果たしていってください。また、教会共同体とともにミサに与り、御言葉と御聖体のうちに現存される主イエスによって力づけられ、共同体を導かれる聖霊に身を委ね、御父の愛といつくしみを、広くあかしする者となってください。

以下、本日のミサの説教の原稿です。

聖霊降臨の主日合同堅信式ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2023年5月28日

わたしたちは、どうやって、自分の信仰をあかしできますか。どんな言葉で、どんな行いで、イエスをキリストだと信じていることをあかしできますか。信仰をあかしすることは、教会共同体に与えられた務めです。この世界に生きる教会共同体は、その義務を果たさなくてはなりません。

そしてわたしたちひとり一人は、その教会共同体を形作っている一員です。ですから、自分の信仰を生活の中であかしすることは、わたしたちひとり一人の務めでもあります。

「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」

パウロはコリントの教会への手紙にこう記しています。

第二バチカン公会議は教会憲章で、教会はキリストの体であると宣言しています。教会は、キリストの一つの体を形作っています。この体において「キリストのいのちが信じる者に注ぎ込まれ、・・・(わたしたちは)諸秘跡を通して、苦しみと栄光を受けたキリストに神秘的かつ現実的な方法で結ばれる」と信じています。洗礼を通じてキリストの死と復活に与り、聖体をいただくことでキリストと一致し、そして聖霊によってそれぞれがふさわしいたまものをいただきます。

わたしたちは、どうやって、自分の信仰をあかしできますか。教会共同体におけるわたしの務めは何でしょうか。キリストの体の一部分として、わたしはどんな役割を果たしていくのでしょうか。

先日帰天された教皇ベネディクト16世は、教皇に就任して一番最初に、「神は愛」というタイトルの回勅を発表されました。その冒頭に、「人をキリスト信者とするのは、倫理的な選択や高邁な思想ではなく、ある出来事との出会い、ある人格との出会いです。この出会いが、人生に新しい展望と決定的な方向付けを与えるからです」と記しておられます。

わたしたちは、信仰を深めるためにいろいろなことを学びます。過去の大聖人の言葉に触れたりします。聖書に記された言葉について、様々な学問的な見解を学びます。わたしたちは、時間をかけて様々に知識を積み重ねていきます。歴史の中で積み重ねられた様々な知識を身につけたとき、初めてそれに基づいて信仰における選択をすることができるように思ってしまいます。

しかしベネディクト16世は、それだけでは人はキリスト者にはならないというのです。教皇は、必要なことは「出会い」だと言います。誰との出会いですか。主イエスとの個人的な出会いです。知識の積み重ねが不要だとは決して言いません。その知識の積み重ねは、主イエスとの個人的出会いで初めて、命を吹き込まれ生かされるのです。命を吹き込むのは聖霊です。

ヨハネ福音は恐れのあまり部屋に隠れていた弟子たちの姿を記しています。弟子たちはイエスと一緒に時を過ごし、イエスの教えたことについて十分な知識を積み重ねていました。しかし恐れは彼らにその知識を封印させてしまいます。そこに復活された主御自身が現れ、「あなた方に平和があるように」」と告げられます。その言葉は、日常のあいさつの言葉に留まらす、恐れに束縛される弟子たちの心には、神の平和が欠如しているのだという事実をも指摘しています。

神の平和とは、なんでしょうか。ヨハネ23世の回勅「地上の平和」の冒頭にこう記されています。

「すべての時代にわたり人々が絶えず切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」

すなわち、神の平和とは、神の定めた秩序が実現していることを指しています。

ですから、イエスが弟子たちに指摘された神の平和の欠如とは、すなわち、神が求めておられる世界のあり方とは、正反対にある状態です。恐れる心は自分を守ろうとする思いに満たされ、他者への配慮に欠ける利己的な心となってしまいます。グローバル化された世界で、この3年間私たちがパンデミックのさなかにあって目撃してきたのは、互いに助ける世界の姿ではなくて、互いに罵り合い、排除し合い、挙げ句の果てには暴力が支配する世界を生み出してしまう身勝手さでありました。わたしたちは、互いに助け合う者として共に生きるようにと、このたまものであるいのちを与えられています。そのわたしたちが、他者への心配りを忘れて自己保身に走るとき、そこに神の秩序の実現はあり得ません。

「聖霊を受けなさい」と恐れる弟子たちに、イエスは語りかけます。聖霊は、「いのちの霊、すなわち永遠のいのちの水がわき出る泉」であります(教会憲章4)。聖霊は、心の恐れを打ち砕く、いのちの源です。わたしたちが聖霊の息吹に満たされたとき、はじめて、神の平和が実現する道が開けます。聖霊降臨の主日の今日、主御自身がわたしたち教会共同体の真ん中にたち、わたしたちひとり一人に「平和があるように」と呼びかけ、「聖霊を受けなさい」とその息吹で包んでくださっていることを、あらためて心に刻みます。

使徒言行録は、聖霊によって生かされた弟子たちが、恐れから解き放たれて、まるで人が変わったかのように勇気に満ちあふれて、様々な言葉で福音を語る姿を記しています。聖霊をいただいた教会は、言葉や文化の壁を乗り越えて福音が伝えられ、理解され、それを通じて神の平和が実現するようにと、世界に向けて遣わされています。神の望まれる世界が実現するように働きかけるために、遣わされています。

わたしたちの信仰は、徹底的に共同体的でありながら、同時に徹底的に個人的でもあります。わたしたちはキリストの体の一部分として共同体の中で信仰を生き、信仰をあかしします。しかしその信仰は、わたしと主との個人的出会いの中で実現していきます。

共同体として集まり、ミサの中でこの朗読台から聖書が朗読される。その神のみことばの中に、主は現存される。ここで語られるのは、昔、書かれた古文書を読み上げているだけではないのです。いまここに、ことばで語られることによって、声に出して語られることによって、そこに主は現存されている、と教えています。

共同体として集まり、ミサの中で捧げられる御聖体のいけにえ。そのご聖体のうちに主は必ずそこに現存される。それは主ご自身が「わたしのからだ」「わたしの血」だと約束されたからに他ありません。この二つ現存、朗読されるみことばにおける現存と捧げられるご聖体における現存。わたしたちが聖堂に集まっているとき、主はここにおられるのです。そしてもう一つあります。
 

それは、主ご自身が、「二人、三人がわたしの名によって集まるところに、わたしはそこにいる」とおっしゃったことです。わたしたちがこうして一緒になって集まっているとき、そこに主ご自身がおられるんだと信じている。だから共同体は不可欠なのです。

堅信の秘跡を受けられる皆さん、教会共同体と歩みをともにしてください。一緒になって主から与えられた務めを果たしていきましょう。ともにミサに与り、御言葉のうちに、御聖体のうちに現存される主との個人的出会いの場をいただきましょう。共同体のただ中にともにおられる主に信頼しましょう。一緒になって、信仰をあかしする者であり続けましょう。聖霊がその努力を後押ししてくださいます。

 

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2023年5月27日 (土)

週刊大司教第126回:聖霊降臨

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聖霊降臨の主日です。

教会の誕生日とも言うべきこの日、東京カテドラル聖マリア大聖堂では、午後から教区合同堅信式を執り行います。昨年までは、様々な制限を設けたり、開催できなかったりのことが続きましたが、今年はこれまでと同様に教区内のいくつかの小教区からの受堅者を迎えて行いたいと思います。合計で何名になるのかは、また後ほど報告します。

堅信を受けるために準備されてきたみなさん、おめでとうございます。また堅信のための学びを導かれたみなさんにも、感謝いたします。

以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第126回、聖霊降臨の主日のメッセージ原稿です。

聖霊降臨の主日A
週刊大司教第126回
2023年5月28日

「聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください」

聖霊降臨の主日に、私たちはこの言葉で聖霊の続唱を歌い始めます。続唱には、この聖霊の光が、「恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光」であると記され、その光は「苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め」であると記しています。

この三年間の暗闇の体験を振り返るとき、まさしく私たちは苦しみと憂いの中にたたずんでいました。世界を席巻したパンデミックにもやっと終わりが見えてきました。新たに道を歩み始めようとする私たちの周りは、グルーバル化した利己主義と暴力によって大きく変化してしまいました。新たな歩みを始める今だからこそ、私たちは光である聖霊の照らしを願いたいと思います。

それは、続唱にあるとおり、「あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、だれも清く生きてはゆけない」からに他なりません。今、聖霊の導きが必要です。

教会は、シノドスの歩みを通じて、聖霊の導きを識別しようと努めています。

第二バチカン公会議の「教会憲章」は、聖霊は「教会をあらゆる真理に導き、交わりと奉仕において一致させ、種々の位階的たまものやカリスマ的たまものをもって教会を教え導き、霊の実りによって教会を飾る」と教えています。その上で、「聖霊は福音の力をもって教会を若返らせ、たえず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く」とも記し(4)、教会は、「キリストを全世界の救いの源泉と定めた神の計画を実現するために協力するよう」、聖霊から迫られていると記します(17)。

2021年9月に発表された今回のシノドスの準備文書も、ともに旅を続けることを通じて福音を告げるためには、聖霊に耳を傾ける必要があるとしてこう記しています。

「この問題にともに取り組むためには、聖霊に耳を傾けることが必要であり、その聖霊は、風のように「思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」(ヨハネ3・8)のです。聖霊が途上で必ず用意してくださる驚きに心を開いていなければなりません。このようにして、ダイナミズムが活性化され、シノドスによる回心の実りの一部を収穫し始めることができ、それが徐々に成熟していくのです(2)」

教会には聖霊がいつも働いています。あの五旬祭の日の出来事以来いまに至るまで、聖霊は教会に働き続けています。聖霊は常に既成概念を打ち破り、固定観念を打ち砕き、父である神の御旨のままに、様々な方向へと吹き続けています。その息吹に、身を委ねる勇気を持ち続けましょう。

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2023年5月20日 (土)

週刊大司教第125回:主の昇天の主日

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復活祭も終わりに近づき、主の昇天の主日となりました。本来は木曜日が主の昇天ですが、現在は多くの国でその直後の日曜日に移動されています。先週末はローマにいましたが、ローマでも、例えば国際カリタス本部のあるサンカリスト宮殿などの飛び地も含めて、バチカン市内では木曜日が主の昇天で休日ですが、ローマ教区を始めイタリアでは日曜日に移動されています。バチカン関係だけはローマでも先日の木曜日が休日となっていました。

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今年2月に相次いで二人の教区司祭が帰天されました。2月4日には茂原教会前主任司祭であったパウロ安次嶺晴実神父様が73歳で、そして翌2月5日には滞在先のフィリピンで、ヨハネ満留功次神父様が78歳で帰天されました。お二人の納骨式を、本日5月20日午前11時半から、カトリック府中墓地で行いました。

また東京教区司祭のフランシスコ・ザビエル坂倉恵二神父が、5月17日(水)午後2時54分、中咽頭癌のために、千葉寺教会内の居室にて帰天されました。71歳でした。坂倉神父様には、わたしが東京に赴任される以前から病魔と闘っておられました。坂倉神父様の葬儀は、5月22日月曜日の12時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。

帰天された神父様方の永遠の安息をどうぞお祈りください。

以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第125回、主の昇天の主日のメッセージ原稿です。

主の昇天の主日A
週刊大司教第125回
2023年5月21日

使徒言行録は、新しいいのちへと復活された主イエスが、弟子たちとともに40日を過ごした後に天にあげられるとき、弟子たちに対して、神の国について教え、地の果てに至るまで、イエスの証し人となるように命じられたと記しています。

マタイの福音も、主イエスが残される弟子たちに、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じる言葉を記しています。

主の受難と死と復活に与り、新しいいのちへと招かれたわたしたちには、福音を告げ知らせる使命が与えられています。その使命を果たすことは、キリストに従う一人ひとりの責任です。同時に、パウロがエフェソの教会への手紙に記すように、「教会はキリストの体」ですから、ともに道を歩む教会共同体全体にとっての責任でもあります。福音を告げ知らせないキリスト者はいないのと同様、福音を告げ知らせない教会共同体もあり得ません。

主が取り去られてしまった弟子たちは、希望を失い、大きな絶望を味わったことでしょう。茫然自失の状態で立ち尽くす弟子たちに、主御自身が希望の言葉を告げます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

困難な状況の中にあるときこそ、未来への希望は人を生かします。希望は不安を打ち砕き、行動へと駆り立てる勇気を与えます。希望は、利己心にがんじがらめにされた心を解放し、助けを必要としている他者に向けて心を向けさせます。

だからこそマタイの福音に記されたイエスご自身の言葉は、わたしたちの生きる希望です。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

様々な困難に直面し、人間という存在の弱さと小ささを自覚させられるときに、それでもわたしたちは見捨てられることはない。いつまでも共にいてくださる主が、未来に向かって歩みを共にしてくださる。わたしたちは、この約束の言葉に、生きる希望を見いだします。

主がともに歩んでくださるからこそ、わたしたちはその主を具体的にあかしするように努めましょう。世界を支配するのは暴力であってはなりません。いのちの選別であってはなりません。弱者の排除であってはなりません。困難に直面する社会で真の希望を生み出すために、すべての人と真の連帯を強め、忍耐と謙遜の内に希望の福音をあかしする者となりましょう。

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国際カリタスの総裁に選出されました

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すでにお聞き及びのこととは思いますが、5月11日から16日までローマで開催されていた国際カリタスの総会で、総裁(会長)に選出されました。任期は今回の総会の終了時から次の総会、すなわち4年後の2027年の総会終了時までです。

ローマのコンフェレンスセンターで開催された国際カリタスの総会には、カリタスジャパンの二人(成井司教様、瀬戸神父様)を含め400人を超える代表が参加し、5月13日夕方、今年で二期8年の任期を満了したタグレ枢機卿の後任総裁(会長)を選出する選挙が、5人の候補者で行われました。

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またその前日、5月12日の夕方には、5人の候補者がそれぞれ10分の持ち時間で、総会参加者にスピーチをする時間もありました。

また5月15日には、二人の候補者から事務局長を選出する選挙が行われ、イギリス出身で現在はスコットランドのカリタスであるSCIAFの責任者を務めるAlistair Dutton氏(わたしの向かって右隣り)が同じく4年の任期で選出されました。また、新しい評議員会において副会長と会計の選挙も行われ、副会長にはこのポジションで初めての女性となるカリタスオーストラリアの責任者Kirsty Robertson氏(わたしの向かってすぐ左隣り)、会計にはカリタスヨーロッパの会計責任者でもあるベルギー出身のPatrick Debucquois氏(左端)が選出され、これから4年間の新しい指導部が決定しました。

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国際カリタスは世界各国・地域の司教協議会によって認められている「カリタス(愛)」の活動を行う団体による連盟組織です。国際社会では国際赤十字に次ぐ世界で第二の規模を持つ人道支援NGO組織と言われています。日本からは、司教協議会の委員会である「カリタスジャパン」が、国際カリタスの連盟に参加してきました。現時点では世界各地から160を超えるカリタスが連盟に参加し、教皇庁の総合人間開発省のもと、バチカンに本部事務局を置いています。

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四年に一度開催される総会では、連盟全体の活動計画や予算計画と共に、総裁(会長)、事務局長、会計が選出され、同時にその後4年間の役員会のメンバーも承認されます。毎年の会費を納入していないと選挙における投票権がありませんので、アフリカなどのいくつかの国が総会に参加したものの投票することができませんでした。それでも、わたしが選出された総裁選挙では、投票総数は143票でした。

なお、事務局長はローマ本部で有給の契約職員として常勤となりますが、総裁(会長)、副総裁と会計は無給の非常勤です。したがって、今回わたしは総裁(会長)に選出されましたが、ローマに引っ越すわけではなく、必要に応じてローマなどに出かけることになりますので、東京を離れるわけではありません。

事前に「司教の日記」にも書きましたが、わたしは本当に選出されるとは思っていませんでしたので、心の底から驚き、多少怖じ気づいています。なんといっても昨年11月、教皇様は国際カリタスの本部事務局の運営に問題があるとして、総裁であるタグレ枢機卿以下、当時の事務局長や評議員などすべてを解任し、外部のコンサルタントに一時運営を任せていました。その間、コンサルタントと、バチカンの担当部署である総合的人間開発省のチェルニー枢機卿などが、国際カリタスの規約を書き直し、教皇様がそれを認可したばかりです。ですから、この新しい指導部にとっては、ゼロからの立て直しがまず第一の務めとなります。そしてそれは、かなり困難を極めるものと思います。

総裁選挙は立候補制ではなく、連盟に加盟する団体からの推薦(ノミネート)を受けてカリタス内部の候補者委員会が審査し、その後、バチカンの国務省の審査を通過して初めて候補者と認定されます。わたしはカリタス台湾がノミネートしてくださったと伺いました。

事前の複数のソースからの情報では、ほかのある方が本命であると聞いていました。わたしもよく存じ上げている方でしたので、間違いがないと思っていました。ですからわたしは準備もそこそこに、総会が始まってから12日の朝にローマ到着。11日には教皇謁見もあったそうですので、結局教皇様には会わずじまいに。用意したスピーチも、10分と言われたところに5分分しかテキストを用意していなくて、ちょっと前振りをアドリブで入れて、それでも7分もかかりませんでした。ほかの方々は、持ち時間がカウントダウンされますので、後一秒のところまでギリギリお話しなさっておられました。

どういういきさつなのか、総裁選挙の投票は3回目の上位二名の決選投票までもつれ込み、最終的にわたしが選出されることになりましたが、その本命候補の方とわたしとの票差はたったの1票。つまりちょうど過半数の72票です。

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選出されてからが大変でした。予定では土曜に落選して、そのまま日曜には会場を離れて修道会の本部へ移り、二日ばかりローマの休日として帰国するつもりでした。ところが当選したため、日曜の午後には最初の評議員会があり、さらにその翌日までに、総裁は副総裁の候補者を指名して、月曜の評議員会で信任投票を行う規則になっているので、たった一日で、20人ほどの評議員から一人を選ばなくてはなりません。その晩から、様々な方面からのメール攻勢と、月曜朝にはなんと朝5時半に、朝食時に話したいので朝6時に食堂でとリクエストが来る始末。それから午後の評議員会まで、ああでもないこうでもないと思い巡らして、最終的に決めたのがオーストラリアのKirsty Robertson女史。国際カリタスには、これまで一期だけ女性の事務局長はいましたが、女性の副総裁は初めてとなりました。満場一致で評議員会では可決。

しかもその日には、たまたまですが、スマホに入れていた海外用のesimの調子が悪くなってあわててesimを買い直したり、PCのWIFIが不調になってアダプターの再インストールになったり、すさまじくパニック状態の一日となってしまいました。

事務局長は、以前からよく知っている人物で、かなり前に国際カリタスの本部事務局でも人道支援の責任者として働いていた方なので、彼が選ばれたことはわたしにとっては良かったと思います。ただイギリス人の事務局長とオーストラリア人の副総裁が、二人でやり合っている英語は、かなり理解が難しい・・・。

翌火曜日の午前中には、バチカンの広報へこのチーム4人で出かけていき、記者会見もありました。それぞれ少しづつ集まった20人ほどの記者の前で話しましたが、その後は個別インタビューとなり、ほとんど事務局長が引き受けて、見事に話しておられました。

カリタスは普遍教会の本質的な役割の一つである愛の業を率先して実行し、神の愛を目に見える形であかしする存在として、教会全体の福音宣教と存在そのものにとって大きな意味を持つ組織です。今回多くの加盟団体の支持をいただいて総裁(会長)に選出されましたので、教皇様の意向に従い、教会の愛の業を深めていくために、自分にできる限り力を尽くしたいと思います。

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東京教区の皆様には、わたしがまた役目を一つ増やしてしまいましたので、今後、予定の変更など大きな迷惑をおかけすることになるかと思います。大変申し訳ありません。宣教地の司教任命の担当者である福音宣教省のタグレ枢機卿様には、直接、東京教区に補佐司教を任命することを優先してほしいとお願いしましたが、こればかりは簡単にはいきません。もちろんわたしの第一の務めは東京の大司教ですので、その務めをおろそかにしないように全力を尽くします。

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2023年5月13日 (土)

週刊大司教第124回:復活節第六主日A

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復活節も終盤となり、すでに第六主日です。主の昇天と聖霊降臨が近づいてきました。

復活節第六主日は、世界広報の日でもあります。この日の教皇様のメッセージは、こちらで公開されています。ご一読ください。今年のメッセージのテーマは、「心をもって、『愛に根ざして真理を語る』(エフェソ4・15)」とされています。

予定通りであれば、本日わたしはローマにおります。この原稿は一週間前に事前投稿していますので、どういう結末になっているかは、この後改めて記します。

何をしているのかというと、予定では選挙に負けるためにローマまで来ております。国際カリタスは4年ごとに総会を開催し、そのたびごとに4年任期で、総裁と事務局長を選出しています。その国際カリタスの次期総裁選挙の投票が、本日5月13日午後に、ローマで行われます。それに参加しております。

前回の2019年5月の総会まで、わたしは、アジアのカリタスの総裁を8年務めました。昨年2月にはカリタスジャパンの責任司教も降りましたので、いまはカリタスとのつながりはありません。カリタスの選挙はメンバーによるノミネート制で、立候補はできません。また候補者に関しては国務省の事前審査が必要です。

というわけで、カリタスジャパンではなくて、アジアのどこかのカリタスが、ありがたいことにわたしを総裁候補にノミネートしてくださり、国務省の審査も通りましたので、選挙に参加するように急遽呼ばれました。候補者はわたしを入れて5名です。ほとんど全員存じ上げているので、どなたが選ばれるか、事前に予測しております。現在の総裁がフィリピン出身のタグレ枢機卿様ですから、わたしは無理だと思います(地域的にも能力的にも)。いずれにしろ結果が出たらすぐにお知らせします。ちなみに事務局長はフルタイムですが、総裁はパートタイムですから、選ばれたからといって、ローマに引っ越すわけではありません。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第124回、復活節第六主日メッセージ原稿です。

復活節第六主日A
週刊大司教第124回
2023年5月14日

ヨハネ福音は、最後の晩餐の席上で、聖霊を与えると弟子たちに約束を繰り返すイエスの言葉を記しています。御聖体の秘跡のうちに常に現存されることを約束された主は、さらに愛する弟子たちに思いをはせ、またご自分が創造されたすべてのいのちへの愛に駆られて、常に変わらない聖霊の導きを約束されます。その愛に満ちあふれたイエスの御心に思いを馳せましょう。

「わたしが父のうちにおり、あなた方が私のうちにおり、私もあなた方のうちにいる」

イエスに従うものが、共同体のうちにともに生きていくことが、この言葉に示唆されています。聖霊は教会共同体に働き、共同体としてイエスの福音を明かしするものであるようにと、わたしたちを導いてくださいます。主はともにおられます。

教会は、復活節第六主日を、「世界広報の日」と定めています。第二バチカン公会議の「広報メディアに関する教令」に基づき、「広報分野における各自の責務について教えられ、この種の使徒職活動のために祈り、援助のために募金するように(18)」と、1967年に始まりました。

新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画などにとどまらず、いまや時代はインターネットです。すべての人が、この使徒職に関わる道具を手にしています。SNSなどを通じてわたしたちは、誰でもいつでも、世界に向けて声を届ける手段を手に入れました。いまや、広報における使徒職は、特別な人や団体だけに限定された使徒職ではなく、すべてのキリスト者にとっての使徒職です。

この配信をご覧になる皆さんを含め、福音宣教のための道具を手にしているのです。もう、福音宣教ができない口実を並べることはできません。わたしたちは、道具を手にしているからです。

今年の第57回世界広報の日メッセージで、教皇様は、「心をもって話す」ことに焦点を当て、こう記されています。

「澄んだ心で相手の話に耳を傾けることができれば、愛に根ざして真理を語れるようになります(エフェソ4・15参照)。面倒が生じようとも、真実を告げることを恐れてはなりません。ただし真実を告げる際、愛も心もないままにそうしていないかを気に掛けなければなりません」

心を持って語ることは愛のうちに語ることです。現代社会はインターネットという福音宣教の道具を手にしながら、同時に「真実を捏造して操作する偽情報を持ち出すことす」すら可能となっています。わたしたちは、ともにおられる主に導かれ、聖霊に照らされながら、主の愛を受けて、心をもって語るものでありたいと思います。

 

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2023年5月 6日 (土)

週刊大司教第123回:復活節第五主日A

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復活節第五主日です。

ご存じのように今年の10月には、ローマでシノドスが開催されます。このほど確定した日程が公表され、シノドスはまず、9月30日(土)にエキュメニカル祈祷会で始まり、9月30日から10月3日までが参加者全員の黙想会、そして10月4日から29日までが実際の討議となります。

正式な参加者リストは、これから教皇様の裁可を経て、後日公表されるとのことですが、すでに報道されているように(ヴァチカンニュースの英語版です)、参加者には各国の司教協議会から選出された司教以外にも、70名の司祭・修道者・信徒の代表が参加することになります。また教皇様はこれまで司教に限定されていたシノドスでの投票権を、司教以外の参加者にも認める決定をされ、すでにシノドス事務局の次官として女性・修道者で初めて投票権を持つことが決まっていたシスター・ナタリーに加えて、投票権の範囲が広がることになりました。

それぞれの大陸別司教協議会連盟にはリストを作成するように指示が出ており、私が事務局長を務めるFABC(アジア司教協議会連盟)でも候補者リストを作成しているところです。これから準備される世界から集まる140名の候補者リストから、教皇様が、70名を選択することになります。

とはいえ、9月30日から10月29日まで、仕事や学業を休んでローマにいることになりますから、司祭・修道者・信徒からの候補者選びは、それは簡単なことではありません。

よりよい参加者の選択がされますように、お祈りください。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第123回、復活節第五主日のメッセージ原稿です

復活節第五主日A
週刊大司教第123回
2023年5月07日

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」

私たちの主イエスは、すでにできあがっている地図に基づいて道を案内してくれるいわばカーナビのガイドなのではなく、ご自分こそが何もないところに新たに切り開かれていく「道」そのものであるのだと、自ら宣言されます。

すなわち、御父へと至る道は、すでに存在している道ではなくて、新しい道、しかもイエスご自身が先頭に立って切り開いて行かれる新しい道であります。イエスは、その新しい道こそ真理であり、そこにこそいのちがあるといわれます。わたしたちは、すでにあり、よく知っているからこそ、不安なくたどることのできる道に安住しがちであります。すでによく知っているからこそ、そこにこそ安心があり、いのちがあると思い込んでしまいます。しかし主は、常に新たにされる道であるご自身を、ともにたどるように、招いておられます。未知への旅立ちを促します。

わたしたちは御父へと至る道を、一人で勝手に歩むことはできません。イエスご自身しか、その新しい道を知らないからです。ですからイエスに付き従って、歩み続けなければなりません。そのためにもイエスがともにおられる、共同体の存在は不可欠なのです。「わたしのいるところに、あなた方もいることになる」と、福音に記されているように、主は信仰の共同体とともにおられます。わたしたちが歩むいのちに道は、共同体の交わりの道であります。

初代教会が発展してきた頃に、その実際の運営を巡って対立と混乱が生じたと、使徒言行録に記されています。そこで教会共同体は進むべき道を識別します。教会の新たなあり方を定めていったのです。聖書に記された教会の最初の改革です。神の言葉を告げしらせることこそ優先すべきことであると識別した教会は、そのための制度を整えたことで、さらに発展を遂げていきました。

現代を生きる教会も、「神の言葉をないがしろにして」はなりません。神の言葉をさらに多くの人たちに告げていくために、教会のあり方を常に見直す必要があります。シノドスの道はそのことを求めています。いま教会は変革のときにあります。

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五月は聖母月です。ロザリオの祈りのビデオをご利用ください

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5月は伝統的に聖母の月とされています。5月の間には、5月13日にファティマの聖母の記念日、聖霊降臨の翌日5月29日に教会の母聖マリアの記念日、そして月末の5月31日は聖母訪問の祝日です。

これまでの3年間、教皇様はこの聖母月に、特にパンデミックからの解放を聖母の取り次ぎによって祈り求めるように勧めてこられました。今年は、月末に、シノドスのためにロザリオの祈りを捧げるようにと呼びかけられ、東京教区では、5月31日に碑文谷教会を会場に祈りを捧げる予定で調整中です。詳細は後日お知らせいたします。今月のロザリオの祈りの際には、教皇様の意向に合わせて、シノドスのためにお祈りくださるようにお願いいたします。

1965年に、特に世界平和のために5月に聖母の取り次ぎを祈ってほしいと呼びかけた「メンセ・マイオ」で、教皇パウロ六世はこう述べています。

「五月は、より頻繁で熱心な祈りのための力強い励ましであり、わたしたちの願いがよりたやすくマリアのあわれみ深い心に近づく道を見いだすときです。教会の必要が求めるときに、あるいは人類が何か重大な危機に脅かされているときにはいつでも、キリスト者に公の祈りをささげるよう勧めるためこのマリアにささげげられた月を選ぶのは、わたしの先任者たちに好まれた習慣でした」(3)

同時にパウロ六世は、ロザリオの重要な要素として「賛美と祈願」に加えて、「観想」の重要性を説いておられます。「マリアーリス・クルトゥス」には、「観想という要素がないならば、ロザリオは魂の抜けた体にすぎません。・・・主にもっとも近かったマリアの目を通して主の生涯における神秘を黙想できるように役立つべき」とも記されています。(47)

十字架上で主イエスご自身から、「見なさい。あなたの母です」と、教会の母として民を託された聖母マリアは、ルルドやファティマでのロザリオの祈りへの招きを通して、母としてのわたしたちへの気遣いを示そうとしておられます。ロザリオの祈りは、聖母マリアを通して主イエス・キリストへとわたしたちを導く賛美と祈願と観想の道です。神の御旨が実現するために自分自身のすべてを神にゆだねる勇気を持つことができるように、聖母マリアに従って、主イエスへと至る道を歩み続ける祈りです。

聖母の取り次ぎを求めながら、祈りましょう。

今年も教区広報でロザリオのビデオを企画していますが、すでにYoutubeで公開されているこれまでに撮影された以下のロザリオの祈りのビデオも是非ご活用ください。ご一緒に祈りを捧げていただけますので、皆様の祈りの一助となりましたら幸いです。

上は、2020年5月13日に東京カテドラルで行われたロザリオの祈りの夕べのビデオです。

上は、2021年5月に毎週公開されたロザリオの祈りの総集編です。

上は、昨年5月に公開されたロザリオの祈りのビデオです。 

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