« 週刊大司教第127回:三位一体の主日A | トップページ | 週刊大司教第128回:キリストの聖体 »

2023年6月 4日 (日)

三位一体の主日堅信式ミサ@下井草教会

Img_0008

三位一体の主日の今日、午前9時半から、都内、下井草教会で堅信式を行い、22名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

Img_0007

下井草教会は、サレジオ会が司牧を担当しており、現在の主任司祭は並木神父様。22名の方々には、中学生や高校生、一家総出、年長の方など、様々な年代層の方がおられました。記録によれば、下井草教会を前回訪問したのは2018年7月で、その際には14名の方が堅信を受けられました。その後、感染症の拡大などもあり、5年ぶりの訪問となってしまいました。

なお、バチカンからの発表によると、教皇様は、今年の8月31日から9月4日まで、モンゴルを訪問されることを決定されました。詳細なプログラムはこれからですが、モンゴルは、すぐ近くの国ですし、またその隣の中国との関係も難しい問題がありますが、教皇様の使徒的訪問が無事に行われるよう、お祈りいたしましょう。

Img_0001

以下、本日の下井草教会堅信式ミサの説教の概要です。

私たちは、「主イエスキリストのめぐみ、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に」という言葉で、ミサを始めます。この言葉は、先ほど朗読されたパウロのコリントの教会への第二の手紙を、締めくくっている言葉です。コリントの教会に宛てて、パウロは愛に満ちた教えの書簡をしたためます。そこにはパウロが伝えたいことが凝縮されています。そのすべてを背負ってまとめるのが、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」という言葉です。

ですから教会は、共に集まってミサを捧げるとき、パウロが締めくくった言葉からミサを始めます。つまりパウロが伝えようとした主イエスの福音をすべて背負った言葉から、私たちの祈りを始めます。私たちは、パウロが伝えたかったイエスの恵み、神の愛、聖霊の交わりをすべて自分たちの心に受け止めて、そこから信仰生活を始めます。私たち教会共同体は、どれほど時を経たとしても、この言葉によって、常にパウロの時代の教会と繋がっています。いや教会は、使徒言行録に記された五旬祭のあの日、聖霊が降ってきて弟子たちを満たし、福音がすべての人に告げられるようになったあの日から、連綿と続くときの流れの中を、常に前進しながら歩み続ける、交わりの教会です。

教会ではよく当たり前のように、「交わり」という言葉を使います。いまも、「聖霊の交わり」というパウロの言葉を引用しました。そもそも「交わり」ってどういう意味で使っているのでしょう。教会は人が集まるところだから、いろんな人と交わって仲良くなること、ではないのです。教会共同体というのは、仲の良い人の集まりのことではありません。教会が語る「交わり」とは、「共有する」ことだったり、「分かち合う」ことだったり、「あずかる」ことを意味しています。パウロのコリントの教会への手紙に、「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか」という言葉があります。その「あずかる」が、すなわち「交わり」のことです。

わたしたちの信仰は、ひとつのキリストの体である共同体を通じて、ひとつのキリストの体にあずかり、その中でいのちを分かち合い、互いに愛を共有する「交わり」のなかで、生きている信仰です。私たちは、一つのキリストの体を作り上げるために、それぞれが自分に与えられた使命を生きることで、その目的に貢献します。勝手に働くのではなくて、体のほかの部分と協力し協調しなければ、体はバラバラになります。皆が一つのキリストの体に与るのですから、互いに思いを一つにし、支え合い、励まし合い、協力しながら、私たちはキリストの体をこの世界に目に見える形で実現していきます。それが交わりの共同体です。

そこで一人一人の体における役割は何かを見極めていかなくてはなりません。それぞれの与えられたたまものがあるでしょう。それぞれの能力があるでしょう。できることできないこと。自分の役割に忠実であることは、自己実現ではなくて、キリストの一つの体を実現するための務めです。それが交わりの共同体です。

Img_0006

教会は、聖体の秘跡によって一つに結び合わされています。私たちは数は多くても、一つのイエスの体に与ります。聖体を受けるものは、共同体の交わりへと招かれています。教会は常に聖霊の交わりの中にいます。つまりキリストの一つの体を作り上げるための私たちの務めは、聖霊によって導かれています。

堅信の秘跡は、キリスト教入信の過程の完成です。洗礼に始まり、御聖体を受け、そして堅信で聖霊の恵みをいただくことで、私たちは大人の信仰者として自立します。福音のためにすべてをかけ、交わりの共同体にあって、一つのキリストの体の部分としての役割を果たす責任を与えられます。今日から務めを果たしていきましょう。与えられた責任にふさわしくいきましょう。

とはいえ、私たちは弱い存在であるので、熱意はあっても、それを実現することは容易ではありません。だからこそ聖霊の助力があるのです。聖霊は、私たちの前向きな思いを後押ししてくれる神の力、神の息吹です。自らの務めを果たそうと決意するその思いを、後ろから吹き付ける聖霊の息吹が後押ししてくださいます。身を任せましょう。風がどこからどこへ吹くのか、私たちは誰も知りません。信頼を持って聖霊に身を委ね、後押ししてくれる方向へと勇気を持って踏み出しましょう。

 

| |

« 週刊大司教第127回:三位一体の主日A | トップページ | 週刊大司教第128回:キリストの聖体 »

司教の日記」カテゴリの記事