« 週刊大司教第134回:年間第16主日A | トップページ | 週刊大司教第135回、年間第17主日A »

2023年7月23日 (日)

五井教会堅信式@2023年7月16日

1689484474711

一週間遅れになってしまいましたが、先週の日曜日、7月16日午前10時から、千葉県の五井教会で、堅信式ミサを行い、18名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

1689484444273

五井教会の主任司祭は、コロンバン会のティエン神父様が主任司祭で、日本人信徒のほか、フィリピンやベトナム、インドネシアなど、様々な国出身の信徒の方が大勢おられる共同体です。

余裕を持ったつもりで、朝の8時に関口を車で出発したのですが、京葉道路は事故渋滞で、途中で下道におり、ミサが始まる10時を少し過ぎての到着となってしまいました。

1689484457709

以下、当日のミサの説教を録音から書き起こしたものです。

カトリック五井教会堅信式 (2023@年間第15主日)

今朝は、8時には出てきたのですけれども、京葉道路が事故渋滞をしていたので途中で降り、下道を走って2時間ちょっとかかってしまいました。遅れて申し訳ありませんでした。また、たぶん木曜日の夜、寝ている間に熱中症になったのかもしれません。昨日、一昨日と、熱が出ましたが、コロナは陰性でした。二日間休んでいたのでちょっと本調子ではないのですが、幸い喉は影響を受けておらず声が出るので、今朝は堅信式のために五井教会来ることができほっとしています。

今日、堅信を受けられる18人の方に、心からお祝いを申し上げたいと思います。
今日の第一朗読では、イザヤの預言が朗読されました。その後半に「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」という言葉が記されています。

2023_07_16_021

ご存知のようにヨハネ福音書の冒頭には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記されています。つまり、イエス・キリストは、神の言葉そのものであると記されています。ですから、このイザヤの預言が記している「わたしの言葉」、それはイエスご自身のことであります。「わたしの口から出る」、つまり神の言葉は人となって、わたしたちのところにやって来られた。そしてその言葉は、何も成し遂げることがなくむなしいままで、御父のもとに帰ってゆくことは絶対にあり得ない。「わたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」のだと記されているわけです。

イエス様ご自身は33歳の時に十字架にかけられて死に、復活し、御父のもとに帰ってしまわれたよね。ではそのあと、その神の言葉はどうなってしまったのでしょう。

わたしたちはイエスご自身が目に見える形でわたしたちの間に存在していなくても、わたしたちと共にいてくださるということを信じているからこそ、いまこうやって一緒に共同体として集まっているわけですよね。つまり、神の言葉は、受難と死と復活と昇天の後にいなくなってしまったのではなくて、わたしたちと共に、それからずっと一緒に存在しておられるのです。

では、いったい神はどこに、イエス様はいつもどこに、いてくださるのですか?

まず一つ思いつくのは、最後の晩餐の時に、パンと葡萄酒を取って、「わたしのからだである」、「わたしの血である」、これを飲む時、食べる時、わたしのことを忘れずに記念し続けなさいと言われたあの主の言葉通り、こうやって集まりご聖体の祭儀に与る時、そこに主ご自身はご聖体のうちにおられるということです。

そしてもう一つ、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という主の言葉です。こうして主のみ名において共同体が集まる時、ここに、主ご自身がおられるのですよ。

そしてさらに、ミサの中では、第一朗読、第二朗読、そして福音朗読と、3回聖書が朗読されます。この聖書の朗読は、昔、書かれた本を懐かしく読んでいるのではありません。いま、朗読されるまさしくこの時に、その神の言葉は、わたしたちのうちに現存するのです。神の言葉が声に出される時、ここに神が現存される。イエスが現存される。

わたしたちは教会で、三つのイエスの現存に出会います。
一つはご聖体におけるイエスの現存。そして、二人三人がイエスの名のもとに集まっているという時におられるイエスの現存。そして聖書の言葉が朗読される時に、その言葉のうちにおられる主の現存。イエスは、三つの現存を通して、わたしたちと共におられるのです。

ですから、神の言葉は、神の口から出て、人となってわたしたちのところにお住まいになり、いまに至るまで、わたしたちと共にいて、その使命を成し遂げようとしておられます。その使命を、どうしたら成し遂げるようにすることができるのか。神様に任せてしまえば良いわけではありません。

2023_07_16_033

福音書は、種蒔きの話を記していました。

種を蒔く。種は神の御言葉ですよね。神の御言葉である種を蒔くけれども、その蒔かれていく土壌によって、育ち方が違っていくのだと。
道端に落ちてしまうと、鳥が来て食べてしまう。石だらけの土の少ない所では、あっという間に枯れてしまう。茨の間に落ちると、茨に塞がれてしまって育つことができない。

「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」と記されています。

ここでは種を蒔くのは神様ですから、わたしたちにできることは何なのかと考えてみると、それは、種が蒔かれるための土壌を、土を、良い土を、用意することです。

神様はイエスをこの世に人として遣わし、神の言葉をここに残し、そして、毎週、毎週、ミサの中で聖書が朗読されるたびに、この神のみことばのうちに現存し、わたしたちと共にいてくださる。

その神のことばが使命を成し遂げるためには、その種が蒔かれて育つ土、土を用意しなければならないのです。わたしたちの使命は、土を、良い土を準備することです。神様が蒔かれた種が育つことができるような、良い土を用意していくこと。それがわたしたち一人ひとりに与えられている使命のひとつであると思います。

では、どうやってその良い土を用意するんだろうか。

本当の農業であれば、必要な材料を買ってきて土壌改良するでしょうけれども、相手は人間の心なのですよ。この人の心をどうやって良いものにしていくのか。

それは他の人の良い模範、他の人の良い心に触れること、でしかあり得ないんですよ。わたしたちにとって大切なのは、自分自身の良い心、良い思い、それをわたしたちの言葉と行いを通して、他の人たちの間で証ししていくことなのです。

決して、人前に立って、あなた方みな回心しなさい、そうしなければ地獄に落ちるぞというのが、わたしたちにとって土を改良していくわざではないのです。

わたしたちは日々の生活の中で、いろんな人たちと出会っていきますよね。この日本において多くの人は、キリストを知らないか、または誤った解釈をしているか、もしくは変な宗教の一つだと思っているか、ではないでしょうか。キリスト教徒がものすごく少ないこの国の中で、わたしたちはそのような人と毎日出会い、一緒に生活をしているわけですね。

その中で、わたしの語る言葉、わたしの行い、それを通じて、神様の愛を、神様のいつくしみを、あわれみを証ししていきたいんですよ。その証しをすることこそが、福音を伝えることであり、神のみことばの種が蒔かれるための、良い土を作る働きなのだと思います。

2023_07_16_053

堅信を受けられる方々にあっては、水による洗礼を受け、ご聖体を受け、そしてこの堅信で聖霊の恵みを受けることによって、キリスト教徒になっていくプロセスが完成します。ですから、この堅信の秘跡を受けることによって、完成したカトリックの信者、キリストの弟子になるのです。そして完成しているということは、お恵みもいただきますけれども、同時に、求められていること、務め、責任がそこには必ず発生をするわけです。

その責任の最たるものは、この言葉と行いを通して、神の愛といつくしみとあわれみを証しをしていくこと、福音を告げ知らせていくことが、わたしたち一人ひとりに課せられている務めであります。

それを心に刻んでいただきたい。ですが、容易にできることではないので、だからこそ聖霊を、この堅信の秘跡の中でいただくのです。聖霊は、わたしたちの福音を証しするぞという決意を、後ろから後押ししてくれる神の息吹、神の力です。わたしが、何とかしてこの社会の中で良い土を用意するために、言葉と行いで証ししていくぞという、この決意を、後ろから支え押してくれる、後押ししてくれるのが、聖霊の働きだと思います。その聖霊の働きに信頼し、これからも福音を述べ伝えることができるように、努力をしていただければと思います。

そして、ここに集まっている多くの人たちは、この18人以外には関係ないと思っているかもしれないですが、今日、堅信式の時に、集まっているみなさんにも質問するんです。ご存じですか?

堅信式の中で、堅信を受ける人たちに質問するんですよ。

最初、「あなたは悪霊を捨てますか?」とか、「神を信じますか?」って、質問します。みんなハイって答えると思います。そしたらその後に、実はですね、「ではここにお集まりのみなさんにも、一つ質問があります」とわたしは尋ねます。だいたいみんな気が付かずに、すーっと通り過ぎていってしまうんですけれども、本当はみなさん、すごいことを約束するんですよ。

今日、気をつけて聞いておいてください。みんなすごいことを約束しますから。よく耳を傾けて、一体自分は何を約束するのだろうかと、気をつけておいていただければと思います。

 

| |

« 週刊大司教第134回:年間第16主日A | トップページ | 週刊大司教第135回、年間第17主日A »

説教原稿」カテゴリの記事