幼きイエス会来日150周年感謝ミサ
ニコラバレで知られる幼きイエス会。東京の四谷にある雙葉学園を始め、各地で学校教育にも取り組んでこられました。日本に宣教のために最初のシスターが来日して、すでに151年です。
日本に最初にやってきた宣教師はフランシスコ・ザビエルで、よく知られていますが、最初に日本にやってきたシスターは幼きイエス会のメール・マチルドと4名の会員です。その意味で、幼きイエス会のシスター方は、日本の福音宣教のパイオニアです。
来日150年を記念する行事が関係する各所で一年間行われ、その締めくくりの感謝ミサが、総長様(上の写真)も迎えて、6月24日午後、麹町聖イグナチオ教会で捧げられました。教皇大使とともに司式させていただきましたが、以下、当日の説教の原稿です。日本語の後に、サマリーが英語でついています。
幼きイエス会のみなさん、おめでとうございます。
幼きイエス会来日150周年感謝ミサ
麹町教会
2023年6月24日
幼きイエス会のシスター方が、再宣教がはじまったばかりの日本で、福音をあかしする活動を始められて、すでに150年以上が経過しました。長い迫害の時代を経て、大浦天主堂において聖母の導きのもと、信徒が再発見されたのが1865年。いまから158年も前のことであって、そのときはまだ明治にもなっていません。その後、あらためて起こった厳しい迫害の出来事を経て、キリシタン禁制の高札が撤去されたのが1873年。ちょうど150年前の出来事です。
150年がたったいま、現代社会の視点からその当時の状況を推し量ることは簡単ではありません。わたしたちからは考えられないような困難に直面されたことでしょう。とりわけ、外国からやってきた宣教師として、ただ単純に日本で生きるのではなくて、福音を具体的に伝えあかしする業に取り組むことには、いまからは考えられない困難があったことだと思います。
その困難な状況の中にあっても、シスター方には、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」にこそ御一人子が受肉されたこと、そしてそれは、「世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」であったことを心に刻み、人生を賭けて、天の御父の御心をあかしされて行かれました。志を同じくする仲間達は、修道会のカリスマを具体的に生きながら、キリストの一つの体のそれぞれの部分として、社会において言葉と行いを通じて希望の光を証しすることに真摯に取り組み、いま150年という時を刻みました。これまでの歴史を刻んできた修道会の先達の奉献の志しとその働きに心から感謝いたしましょう。またその宣教活動の始まりからいまに至るまで、幼きイエス会のみなさんを導いてくださる主のはからいを心にとめ、その招きにこれからも信頼のうちに応え続ける決意を新たにしたいと思います
幼きイエス会のホームページの冒頭に、ニコラ・バレ神父様のことが記されていました。
17世紀、貧富の差の激しかった当時のフランスで、貧しい家庭の子どもたちの教育が顧みられていない現実のなかで、彼らが神の子の尊厳にふさわしく育つのを助けるため、無料の小さな学校を始め、その学校の女教師たちのグループが、幼きイエス会の起源だと記されていました。
また、「貧しく、うち捨てられた子どもを受ける者は、まさに、イエス・キリストご自身を受けることになる。これこそ、本会の第一の、そして主要な目的である」という言葉も記されていました。その思いを具体的に生きるために、女子の教育や孤児の世話など、社会に大きく貢献される事業を日本においても続けてこられたのは、まさしく福音を目に見える形で生き、あかしする福音宣教の業であったと思います。
それから150年という年月を経て、いま問われているのは、大きく変革した社会の状況の中で、いま、その同じ思いを生きるとは具体的にどういうことなのか、改めて問いかけることであり、それこそは日本の再宣教におけるパイオニアである幼きイエス会の重要な務めであるとも思います。
わたしたちはこの3年間、歴史に残る困難に直面してきました。
新型コロナ感染症の蔓延は、未知の感染症であるが故に、わたしたちを不安の暗闇の中へと引きずり込みました。なかなか出口が見えない中を、わたしたちはまるで闇の中を光を求めて彷徨い続けるような体験をいたしました。いのちが危機に直面するというような体験は、なかなかあるものではありません。その意味で、先行きの見えない不安がいかに人を疑心暗鬼の闇に引きずり込み、それが社会全体においていかに自己保身と利己主義を強め、排他的にしてしまうのかを、目の当たりにしたことは、貴重な体験であったと思います。いま世界はまるで暴力に支配されているかのようです。ウクライナで続く戦争は言うに及ばず、神から与えられた尊い賜物であるいのちを危機に直面させるような状況は、偶然の産物ではなく、社会全体が排他的になり暴力的になった結果であり、わたしたちが生み出したものです。
この現実の中にあるからこそ、わたしたちは、教会が存在する理由を改めて見直し、それに忠実に生きていきたいと思います。第二バチカン公会議の教会憲章は、教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」(教会憲章一)であると記します。
いまわたしたちはこの日本の地において、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしと道具」になっているでしょうか。
教皇フランシスコは、コロナ禍のはじめ頃から、ポストコロナを見据えて、全世界的な連帯の重要性を説き続けてきました。教会こそは、その連帯を具体的に生きることで、「神との親密な交わりと一致」をあかしする存在となることができます。
今の世界を支配する疑心暗鬼の暗闇の中で、対立と分断、差別と排除、孤立と孤独が深まるなかにあって、教皇様は、神のいつくしみを優先させ、差別と排除に対して明確に対峙する神の民であるようにと呼びかけておられます。とりわけ教会が、神のいつくしみを具体的に示す場となるようにと呼びかけ、東京ドームのミサでも、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と力強く呼びかけられました。
疑心暗鬼の暗闇の中で不安に苛まれる心は、寛容さを失っています。助けを必要としているいのちを、特に法的に弱い立場にある人たちを、いのちの危機に追い込むほどの負の力を発揮しています。異質な存在を排除する力が強まっています。この現実の中で、わたしたちは神からの賜物であるいのちを守る、野戦病院でありつづけたいと思います。
来日150年を記念され、新たな次の一歩を模索される中で、みなさんが「神との親密な交わりと全人類一致のしるしと道具」であり続け、野戦病院であり続けることができますように、聖霊の導きを祈りましょう。
More than 150 years have passed since the Sisters of Infant Jesus began their missionary activities in Japan together with MEP missionaries.
The long-standing declaration of prohibition of Christianity was officially lifted only in 1873 and that was the social background of the time when pioneer missionaries started their work of evangelisation in Japan. There must be unimaginable difficulties existing in the society against activities of expatriate in Japan at that time. So we admire their courage to proclaim the Good News of Jesus Christ in Japan and we are sincerely grateful to their missionary zeal.
In these difficult and challenging situation at that time, the pioneer Sisters always kept in their hearts that Heavenly Father gave his Son so that "whoever believes in him should not perish but have eternal life" and Jesus came among us not to "condemn the world, but in order that the world might be saved through him". The Sisters made serious efforts to be witnesses of love and mercy of God the Father.
According to the Web-page of the Sisters of Infant Jesus in Japan, the foundation of the congregation was laid in France in 17th Century to help children of poor families to maintain their God given human dignity, the founder Nicolas Barre established free school for kids. In Japan, too, from the beginning the Sisters continued the work inspired by the teachings of the founder in education and social welfare. Past 150 years, Sisters of Infant Jesus continued the missionary activities especially in Education to be witnesses of love and mercy of God. For this, we are grateful.
Now you are stepping into the new page of the history after 150 years in Japan. So the question would be how to continue to be witnesses of love and mercy of God in this modern, secular and rapidly changing society.
We have been going through difficult time of the history because of COVID pandemic for past 3 years. Anxiety makes us defensive, defensiveness made us selfish, and selfishness made us exclusive, and exclusiveness made us aggressive.
That is why we should go back to our very basics of the Church. According to the Lumen Gentium, Church is "a sign and instrument both of a very closely knit union with God and of the unity of the whole human race" So we want to put this definition into practice. As Pope Francis always emphasizes, only solidarity among us makes us witnesses of unity. We want to go out, as Pope encourages us to do, to be witnesses of solidarity and mercy being field hospital of mercy and love of God.
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