麹町教会で堅信式@23年6月25日
6月25日の日曜日、二つの堅信式を行いました。
まず午前中は日野市にあるカトリック豊田教会で、8名の方の堅信式。かなり狭い敷地に三階建ての建物が建っている豊田教会です。一階が信徒会館、二階が聖堂、三階が司祭館で、外階段で結ばれています。主任司祭は五十嵐神父様。小さく家庭的な共同体です。
そして午後からは四谷にある麹町聖イグナチオ教会で104名の堅信式。主任司祭が高祖神父様に交代してからの初めての堅信式でした。
みなさんおめでとうございます。
以下は、麹町教会の堅信式での説教を文字起こしした原稿です。
カトリック麹町教会堅信式 @2023年、年間第12主日
「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」と、いま、朗読をされた福音書に、主イエスの言葉が記されていました。
暗闇の中で言う、耳打ちをする。それは、小さな声で、一人にしか聞こえない小さな声でということですね。それを明るみで、大きな声で、屋根の上で、多くの人たちに告げ知らせなさい。イエスの福音を宣べ伝えなさいという命令が、この短い言葉に込められています。
最初に聖霊降臨があった時、あの五旬祭の日、11人の弟子たちは恐れて、聖母マリアと共に家の中に隠れて静かにしていました。そこに聖霊が降り、色々な国の言葉で話を始めた。色々な国の言葉で話を始めたので、そこに集まってきた人たちが驚いたと、どうしてこの人たちは、わたしの理解できる言葉で神のわざについて語っているんだろうと驚いたと、記されています。
でも、どうしてあの大勢の人たちはそこにやってきたんでしょう。弟子たちは隠れていたんですよね。弟子たちは、聖母マリアと共に家の中に隠れていたのに、どうしてこの多くの人たちがそこにやってきたのか。それは、ものすごい物音がしたからだと、使徒言行録に書いてあります。大きな音がしたと。騒々しかったんです。騒がしい出来事が起こったので、いったい何事だと思って人々が見に来た。そうしたら、そこで、大きな声でイエスの福音が述べ伝えられていた。その様子が、あの聖霊降臨の日の出来事として記されています。
つまり、聖霊降臨の出来事、聖霊が降ってきている、または聖霊によって満たされているというのは、どういう状態なのか。それは、静かに隠れてボソボソ語るのではなく、大きな声で、イエスについて、神について語っている。そして、居心地が悪いくらいに騒々しくワサワサとしている。それが、聖霊が降っている状態なんですよね。
聖霊に満たされた教会と、よく言いますよね。聖霊に満たされた教会とは、どういう教会なんでしょう。それは、みんなが静かにして、ニコニコしながら聖堂の中でお祈りをしている、落ち着いた教会……、ではないんですよ。
聖霊によって満たされている教会は、ワサワサしていて、居心地が悪いんです。あっちでもこっちでもいろんなことが起こって、あっちでもこっちでもいろんなことを語る人たちがいて、落ち着かないのが、聖霊が実際に働いている教会です。
なので、教会が、とっても静かで、みんなが一致していて、楽しく、にこやかにしている時には、もしかしたら聖霊は働いていないのかもしれません。
いま教皇様は、シノドスの道をともに歩もうと呼びかけておられます。
残念ながら、特に日本やアジアの多くの国では、新型コロナ感染症の蔓延と重なってしまったので、あまりできていないのですけれども、それでも様々なところで、このシノドスについて耳にされることがあると思います。
教皇様が目指しているシノドス的な教会というのは、まさしくそれなんですよ。あっちでもこっちでもワサワサいろんなことを言っていて、落ち着かないけれど、それでも一致している。いろんなことをいろんなところで、聖霊に導かれている通りに、それぞれ自由に発言をして、そしてワサワサして、大騒ぎをして、なかなか落ち着かない。けれども一致しているんです。身勝手に分裂しないのです。なぜ分裂しないかというと、それは聖霊によって導かれているからです。もしも落ち着きがない上に、さらに分裂するのならば、それは聖霊による導きではないです。
騒々しく落ち着きのない共同体が、聖霊によって導かれているのか、そうではないのかの最終的な判断、それは同じ目的に向かって一致しているか、分裂しているかです。その聖霊の導きを一緒に識別しながら、でも、皆が皆、同じことを考え同じことをするためのシノドスの歩みではなく、聖霊の導きに委ね、それぞれが与えられた賜物を豊かに、忠実に生きている、落ち着きのないワサワサとした教会共同体。でも同じ目的で一致している。聖霊によって一致している教会共同体を作り上げることを、このシノドスは目指しているのだと、わたしは思っています。
水による洗礼、ご聖体、そして聖霊による堅信という、この3つの秘跡を通じてキリスト教入信の秘跡が完成します。完成するので、今日、堅信を受けられる方々は、完成したキリスト者になるはずですよね。昔は、キリストの兵士になると言いました。それくらいの思いで、キリストにすべてを捧げて、完成したキリスト者として、今日ここに誕生するはずです。
多くの恵みをいただきます。聖霊による多くの助けをいただきます。でも多くの恵みを受ければ受けるほど、責任が伴うわけですよね。その恵みに対する責任が生じます。わたしたちの責任って、いったいなんでしょう。わたしたちの責任、それは、小さくささやかれた言葉を屋根の上から大きな声で告げ知らせることです。
自分の生活の中でイエスの言葉を語り、自分の生活の中での行いを通じて、イエスの福音を証しする。言葉と行いをもって福音を証しするということが、完成した、成熟したキリスト者一人ひとりの務めです。
堅信を受けられる方々には、毎日の生活の中で、自らの言葉と行いを通じて、このイエスの福音を証しをしていく責任が、今日から発生します。
でもそれは、簡単なことではないと、今日の第一の朗読にも記されていました。
エレミヤの預言に記されています。みんなから非難されると。「多くの人の非難」「恐怖が四方から迫る」「共に彼を弾劾しよう」と、迫害を受けると。多くの人に簡単に受け入れてもらえる、神の言葉ではありません。
妥協したくなりますよね。でも恐れずに、神の言葉を告げなさいということが、今日のイエスの福音の言葉にも記されていました。「恐れるな」と。
なぜならば聖霊が、福音を証ししようと思う、その熱意を、心を、決意を、必ずや後ろから後押しをしてくださるからです。聖霊の恵みは、人を急にスーパーマンに変えてくれるということではないです。福音を証ししていこうと思う、その決意を、神の息吹として後ろからブワーッと吹きつけて支えてくださるのです。前に進むことができるように、支えてくれる力です。
聖霊の導きに信頼しながら、そしてイエス様が、いつも共にいてくださることを信じながら、御父に向かって、勇気をもって、イエスキリストの福音を証ししてゆくことができますように。言葉と行いを持って証ししていくことができますように。
今日、堅信を受ける時に決意を新たにし、そしてその決意を神様が支えてくださるように、祈り続けたいと思います。
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