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2023年8月13日 (日)

2023年平和旬間行事@東京カテドラル

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8月6日から15日までの、毎年の平和旬間にあたり、以前はそのための特別な委員会を設置して企画に当たってきました。この委員会は、現在、他の社会系の委員会とともにカリタス東京(東京教区の神の愛の活動を統括する組織)の管轄となり、今年の平和旬間はカリタス東京が企画運営しました。

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これまではイグナチオ教会で講演会を行い、その後、関口まで平和行進を行って、締めくくりに平和を祈るミサとしていました。その後、この3年間は感染症の状況のため、こういった活動はすべて一時停止となっていました。今年は、8月12日の土曜日、まず11時の平和を祈るミサから始まり、その後、昼休みを挟んで、午後からは松元ヒロさんのトークショー、そして宮台真司さんの講演会と続き、夕方5時には終了となりました。

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多くの方に参加いただき感謝いたします。なおミサの様子(一番下に貼り付けます)と、宮台真司さんの講演(こちらのリンクです)は、関口教会のYoutubeチャンネルから、ご覧いただけます。

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聖歌隊を務めたイエスのカリタス会のみなさん、手話通訳や要約筆記にあたってくださったみなさん、会場設営の手伝いや当日の受付・案内をしてくださったみなさん、配信をしてくださったみなさん、そのほか、今回の企画のためにお手伝いいただいたみなさんに心から感謝します。またトークショーの松元ヒロさん、講演の宮台真司さん、ありがとうございました。

以下、平和を祈るミサの説教の原稿です。

平和を願うミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2023年8月12日

8月5日の午後、広島教区のカテドラルである世界平和記念聖堂で、毎年恒例となっている平和祈願ミサに参加してきました。今年は、アメリカ合衆国から二人の大司教が参加され、なかでも、原子爆弾の研究が行われたロスアラモス研究所を抱えるサンタ・フェ教区のウェスター大司教は、「核兵器を最初に使用したわたしたちだからこそ、核兵器を解体し、二度と使用されないようにしなければならない」と、核抑止力による平和の可能性を否定し、核兵器廃絶を力強く呼びかけられました。核兵器大国の一つであるアメリカ合衆国の教会から、核兵器の廃絶による平和を呼びかける声が上がり、その思いを広島の地で祈りのうちに連帯しながら確認し合うことができたのは、平和の確立に向けて大きな前進の一歩でありました。

広島と長崎の司教様方が中心になって、核なき世界基金を創設し、核兵器の廃絶のための活動を続けておられますが、その意味でも、合衆国の教会と連帯することには重要な意味があると思います。

あらためて教皇フランシスコの長崎における言葉を思い起こします。

「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられているにもかかわらず、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは天に対する絶え間のないテロ行為です」

さらに教皇は広島で、「紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。・・・真の平和とは、非武装の平和以外にありえません」と力強く呼びかけられました。

さて、広島の平和行事の二日目、今年の8月6日は、教皇大使に同行して、平和記念公園で行われた広島市主催の平和記念式典に参加する機会に恵まれました。広島市長の平和宣言は核抑止論を否定し、核兵器禁止条約に日本も参加するように呼びかける力強いものでした。

市長の宣言に続いて、小学生二人の子ども代表が、「平和への誓い」を読み上げました。力強い誓いの言葉でありました。その誓いの言葉は、こうはじまっていました。

「みなさんにとって「平和」とは何ですか。争いや戦争がないこと。差別をせず、違いを認め合うこと。悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔になれること。身近なところにも、たくさんの平和があります」

「みなさんにとって「平和」とは何ですか」。この問いかけは、わたしたちひとり一人への問いかけです。わたしにとって、平和とは一体何なのでしょう。わたしは、何を持って平和と考えているのでしょう。そしてその平和は、いま実現しているでしょうか。

この数年間、世界は未知の感染症の脅威にさらされ、多くのいのちが危機にさらされる中で、互いに連帯し支え合うことでしかわたしたちはいのちをつなぐことができないと納得させられたはずでした。連帯こそがいのちを守り、いのちを生かします。

しかしともに一つの地球に生きている兄弟姉妹であるにもかかわらず、相互不信が争いを引き起こし、その中で実際に戦争が起こり、また各国を取り巻く地域情勢も緊張が続いています。世界的な規模で言えば、ウクライナでの戦争状態に解決の糸口はまだ見えておらず、それどころか、核兵器の使用さえもちらつかせながら、当事国相互の不信感は深まっています。またわたしたちの姉妹教会であるミャンマーの状況も、全く好転することがありません。

そういう不安定な状況が続くとき、どうしてもわたしたちの心は、暴力を制して平和を確立するために暴力を用いることを肯定しようとする思いが生み出されてしまします。多少の暴力による反撃は、平和を確立するためならば仕方がないという思いが、どうしても募ってきます。それに合わせて、日本を含む多くの国では、自衛のための武力を増強することを当たり前だと考える傾向さえ強まっています。

しかし暴力は、真の平和を生み出すことはありません。人間の尊厳は、暴力によって守られるべきものではありません。それは、いのちを創造された神への畏敬の念のうちに、互いに謙遜に耳を傾け合い、支え合う連帯によってのみ守られるものです。

繰り返しになりますが、カテキズムにも記されている通り、目的が手段を正当化することはありません(カテキズム1753)。暴力の支配が当たり前の日常になる中で、戦争のような暴力的手段を、平和の確立という目的のために肯定することはできません。言うまでもなく「戦争は死です」(ヨハネパウロ二世、広島平和メッセージ)。

まだ新潟の司教をしていた2016年7月に、パプアニューギニアの東の端、ブーゲンビル島を訪ねる機会がありました。ラバウルのすぐ隣のブーゲンビル島には、太平洋戦争中、日本軍が航空基地をいくつか開設し、そこに島の中央を割って連合国軍が上陸し、多くの兵士や地元の人も命を落とした地です。さらには日本の連合艦隊司令長官であった山本五十六海軍大将が、1943年4月、ラバウルからの視察途上で搭乗機が撃墜され戦死された地でもあります。

未だに島の各地に戦争の爪痕が残っており、旧日本軍が構築したコンクリート製の要塞も、いくつも残されていました。また山本五十六大将の搭乗した軍用機が撃墜された場所には、その残骸がいまも残されています。すべて深い熱帯ジャングルに、包み込まれていました。

そういった戦争の痕跡を訪れ、亡くなられた方々の安息と恒久の平和を祈りながら、それらすべてが取り残されたジャングルの熱帯という過酷な状況の中で、ふるさとを遠く離れて闘った多くの人の心に思いを馳せました。なぜんこんな遠くまで、しかも過酷な環境の中で、実際の戦闘よりも、病気や飢餓でなくなられた方も少なくなかったと伺いました。その中で、敵味方として戦争を闘った人々のおもい、そして目の前で起こった闘いに巻き込まれた現地の人たちのおもいに心を馳せ、尊厳ある賜物であるいのちを奪い、神が守り育むようにと与えられたこの環境を破壊する暴力の結末に、心が痛みました。「戦争は死です」。同時にそれは、偶然もたらされた災害ではなく、「戦争は人間の仕業」でもあります。ですから、それを止めるのも人間の務めであります。

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毎年のこの時期、広島や長崎での衝撃的な出来事の記憶を新たにして、平和の大切さを思い起こし、多くの人が祈りを捧げます。沖縄の出来事や各地の空襲、そして原爆で亡くなられた方々を思い起こし永遠の安息を祈ります。しかし同時に、遙か彼方の地で、過酷なジャングルの中で、敵味方として闘う中で命を落とした多くの方々、そして巻き込まれ命を奪われた地元の多くの人たちの存在も、忘れるわけにはいきません。暴力によって奪われたひとり一人のいのちには、わたし自身がそうであるように、他人からは計り知ることのできない壮大な人生の物語があります。多くの出会いがあります。多くの喜びと悲しみがあります。支える家族があります。共に生きる兄弟姉妹があります。それらを一瞬にして奪う暴力を肯定することはできません。

平和を語ることは、戦争につながる様々な動きに抗う姿勢をとり続けることでもあり、同時に人間の尊厳を危機にさらし、いのちを暴力的に奪おうとするすべての行動に抗うことでもあります。

平和旬間にあたり、いのちの創造主が愛といつくしみそのものであることに思いを馳せ、わたしたちもその愛といつくしみを社会の中に実現することができるように、祈り、行動していきましょう。

 

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