週刊大司教第136回:主の変容の主日
8月6日は主の変容の主日です。
また広島の原爆の出来事を記憶するこの日から、8月9日の長崎の日を経て、8月15日までは、平和旬間です。毎年のように、わたしたちは平和を考え、平和を黙想し、平和を求めて祈り続けていますが、残念ながら、世界はいのちに対する暴力に満ちあふれています。くじけることなく、神の平和の実現を叫び続けていきたいと思います。
8月5日の午後には、広島教区が主催する平和行事に参加し、ともにミサの中で平和を祈りました。これについては別途記載します。
司教協議会会長としての今年の平和旬間の談話は、こちらのリンクからご覧ください。
また東京大司教としての呼びかけは、別途掲載します。
以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第136回目のメッセージ原稿です。
主の変容の主日A
週刊大司教第136回
2023年8月6日主の変容の主日にあたり、マタイ福音はイエスがペトロ、ヤコブ、その兄弟ヨハネの眼前で栄光を示された出来事を記します。神の栄光に包み込まれたペトロは、あまりの驚きに何を言っているのか分からないまま、そこに仮小屋を三つ建てることを提案したと福音は伝えます。ペトロはその栄光の中にとどまり続けたかったのでしょう。しかしイエスは、さらなる困難に向けて前進を続けます。
モーセとエリヤは律法と預言書、すなわち旧約聖書を象徴する存在です。それは神とイスラエルの民との契約であり、神に選ばれた民の生きる規範でありました。しかし響き渡る神の声は、「これはわたしの愛する子。これに聞け」と告げます。つまり、イエスは旧約を凌駕する新しい契約であり、イエスに従う者にとっての生きる規範であることを、神ご自身が明確に宣言されました。
ペトロはその手紙の中で、「わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません」と強調し、キリストの栄光に触れたときにどれほど心を動かされたのかを強調します。ペトロが伝えたいことの原点は、変容を目の当たりにしたときに彼の心を揺さぶった驚きでありました。
わたしたちは主イエスとの出会いに、心を揺さぶられたことがあるでしょうか。この人生の中で、どのような出会いに心を揺さぶられたことでしょうか。
教会は今日から10日間を、平和を想い、平和を願い、平和の実現のために行動するように呼びかける平和旬間と定めています。広島と長崎の日にはじまり終戦の日まで続く10日間は、抽象的な出来事ではなく、そこにひとり一人の人間の心が揺さぶられた実体験の積み重ねの10日間です。そしてその10日間にとどまるのではなく、そこに至るまでの沖縄や南太平洋や中国や朝鮮半島を含めた人間の争いが生んだ悲劇の積み重ねと、いまに至るまで平和を確立することができずにいる中での多くの人の心の思いという、具体的な出来事の積み重ねでもあります。わたしたちは抽象的に平和を語るのではなく、神が愛してやまない賜物であるひとり一人のいのちが、いま危機に直面している事実を心に刻み、そのひとり一人の体験に心を揺さぶられながら、平和を語らずにはいられません。
平和を語ることは、戦争につながる様々な動きに抗う姿勢をとり続けることでもあり、同時に人間の尊厳を危機にさらし、いのちを暴力的に奪おうとするすべての行動に抗うことでもあります。
平和旬間にあたり、いのちの創造主が愛といつくしみそのものであることに思いを馳せ、わたしたちもその愛といつくしみを社会の中に実現することができるように、祈り、行動していきましょう。
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