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2023年9月12日 (火)

セバスチャン西川哲彌師葬儀ミサ@東京カテドラル

Nishikawa

東京教区司祭セバスチャン西川哲彌神父様は、9月8日、聖マリアの誕生の祝日の早朝に帰天され、本日9月12日午後1時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、葬儀ミサを執り行いました。西川神父様の永遠の安息のために、お祈りくださったみなさん、ありがとうございます。

西川神父様は、ご存じの方は多いと思いますが、なかなかユニークな方で、面倒見が良く優しい反面、時には厳しく叱りつけることもありました。その評価は、それぞれの体験によって様々に分かれるところですが、以下の説教でも触れたように、病人訪問に足繁く通うなど、困難と孤独のうちにある人に徹底的に寄り添う方でもありました。

わたし自身はカリタスジャパンの委員会を通じて、司祭時代に知り合いましたが、その後、新潟の司教になってからは、西川神父様がしばしば秋田の聖体奉仕会を訪れマリア様に祈って行かれたことを存じ上げていました。祈るだけでなく、得意の大工仕事を披露されたり、様々なものを寄付して行かれました。

さらに東京の大司教になってからは、しばらく関口で一緒に生活をしていましたが、わたしが関口教会でミサをしたときには、必ず説教を褒めてくださる。褒めて育ててくださる方でありました。

1年半ほど前、司祭館で階段からの転落事故で一命を取り留めたものの意識が回復せず、1年半にわたる闘病生活の後に、帰天されました。

以下、葬儀ミサの説教原稿です。

セバスチャン西川哲彌師葬儀ミサ
2023年9月12日
東京カテドラル聖マリア大聖堂

西川神父様、人生の最後の最後に、苦しみのうちにじっと耐え忍び、よく頑張りました。御父の元で、すべての苦しみから解き放たれて、愛といつくしみの光に包まれて、休まれますように。

2022年2月26日の早朝、清瀬教会の朝ミサに出てこられないことから、司祭館を訪ねた信徒の方によって、倒れているのを発見されました。朝、新聞を取りに行った帰りに、階段で転落したものとみられます。即座に病院に運ばれ、手術を受け一命は取り留めたものの、意識は戻りませんでした。その後、ベトレヘムの園病院に転院され、シスター方を始め医療スタッフの手厚い看護の中、一時は意識が戻るのではないかという期待もありましたが、それもかなわず、9月8日、聖マリアの誕生の祝日の早朝、80歳の人生を終えられました。

感染症の状況の中、病院では面会もままならず、わたしも7月11日に、許可をいただき、15分だけ面会し、病者の塗油を授けることができました。手を握ると、確かに目が動いて、誰かが来ているとわかっているのではないかと感じました。しかし残念ながら最後の日まで意識は回復することなく、1年半に及ぶ闘病の末、御父の元へ旅立って行かれました。西川神父様。本当によく頑張りました。

司祭は叙階式の時に、司教からいくつかの質問を受けます。「福音をのべ伝え、カトリックの信仰を表すことによって、神のことばに奉仕する務めを誠実に果たしますか」と問われて、「はい、果たします」と力強く応えます。また、「教会共同体の助けのもとに、貧しい人、苦しむ人、助けを必要とするすべての人に、主の名において、神のいつくしみを示しますか」と問われて、「はい、示します」と約束いたします。

1976年11月3日に、このカテドラルで司祭叙階を受けた西川哲彌神父様も、その日同じように力強く約束されたことだと思います。そしてそれから50年近くにわたる西川神父様の司祭人生は、まさしくその約束を具体的に生きる人生であったと思います。

今日、西川神父様とのお別れのためにお集まりの皆様は、わたし以上にたくさんの思い出をお持ちだと思います。司祭に叙階された後に、高円寺教会の助任にはじまり、清瀬教会に至るまで、10近い小教区で司牧にあたられましたので、そこで、その「とき」に出会い、時間をともにし、様々な交わりのあった方々は大勢おられることと思います。限りなく優しく、思いやりにあふれる司祭である反面、時に厳しく叱りつけることなどもありましたから、その思いではそれぞれユニークでバラエティに富んでいることと思います。

わたし自身は司教になる前、もう20数年以上前にカリタスジャパンの援助秘書をしていた時代、東京教区のカリタス担当者であった西川神父様と、会議の席で初めてお会いしました。独特の雰囲気に圧倒されましたが、その頃からよく声をかけていただくようになりました。

東京に来てからは、西川神父様は関口の主任でしたので、毎日の朝食にはじまって、生活を一緒にする機会がありました。様々な思い出がある中で、心に残っていることは、説教を必ず褒めてくださったことと、どんな遠くであっても、病人を訪問することを大切にされていたことでありました。時に、車に乗って何時間もかかる遠方まで、病人訪問に出かけておいででした。

マタイの福音にある、あの羊と山羊を分ける話の、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。・・・わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という主の言葉にあるように、人生を終えて、主の御前に立つ西川神父様に、主御自身がその労をねぎらっておられることだと確信します。

司祭としての人生の中で、西川神父様は、困難に直面する人たち、孤独にある人たちのもとを訪ね、そこで主御自身と出会った来られてのだと思います。

わたしたちは信じています。イエスはキリストです。すべての人をその懐における安息と永遠のいのちに招かれる救い主です。わたしたちは、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉を信じています。イエスをキリストと信じるわたしたちには、すべての人がその救いに与ることができるように、神の愛といつくしみ、あわれみを、ひとりでも多くの人に伝え分け与える使命があります。そのために、わたしたち自身の言葉と行いを持って、主との出会いの機会を生み出していかなくてはなりません。

2019年11月に東京で、東北の大震災の被災者とお会いになった教皇様は、「町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」と、人と人との交わりの重要性を強調されました。

暗闇に輝く希望の光は、互いに助け合う人との出会いから生まれ、連帯を通じて強められます。しかし残念ながら、実際の世界ではその連帯は実現せず、かえって孤立と孤独が激しくすすみ、この歴史に残る困難の中で、暴力がいのちを危機にさらしています。今わたしたちの社会は、不安の暗闇の中に置き去りにされている恐怖から、他者に対する配慮をする余裕を心から奪い、不寛容な心は利己的になり、自分を守ることにばかり集中して、助けを必要として叫びを上げている人の存在を見えないものにしています。わたしたちには互いに助け合うものとして、多くの人との出会いが必要です。その出会いの中での支え合いが必要です。西川神父様は、司祭としての人生を歩みながら、その人と人との出会いの機会を生み出し続けてこられました。それを通じて、多くの人が、主イエスご自身と出会う機会を生み出してこられました。

2013年11月の教区ニュースでのインタビューに、西川神父様のこういう言葉が記されていました。
 「司祭叙階までの歩みを振り返ると、ダメな自分ばかりです。ダメな自分の根は、意固地さだったり、コンプレックスだったり、照れ隠しだったりするわけです。自分自身だけを見るとどうしようもない存在です。しかし、そんな自分がイエスを背負っている、自分の背中にイエスがいる、背中にいるイエスがダメな自分を生かしてくれるという、叙階の秘跡の持つ偉大な神秘を噛みしめました」

西川神父様は、毎日、その背中にいつくしみそのものであるイエスを背負って生き続けてこられました。いま御父の御許で、その背中におられるイエスが、西川神父様を後ろから抱きかかえ、すべての苦しみから解き放ってくださっていると、信じます。西川神父様が永遠の安息に与ることができますように。

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