週刊大司教第144回:年間第26主日A
シノドスに参加するために、ローマに出かけています。
10月末日までの一ヶ月間、ローマから、またシノドスの様子などを報告させていただきます。
出発前に撮影していた、週刊大司教第144回、年間第26主日のメッセージ原稿です。
年間第26主日A
週刊大司教第144回
2023年10月01日この週刊大司教をご覧いただいている本日、わたしはシノドスに参加するためにローマにおります。事前の予定では、9月30日の晩に、エキュメニカルな祈りの集いがあり、その後10月3日まで、ローマ郊外で参加者全員が集まり黙想会が行われます。その後、10月4日からバチカンで今回のシノドスの第1会期がはじまります。また来年の10月には、同じ参加者で、第二会期が行われる予定になっています。
シノドス参加者に聖霊が豊かに注がれ、識別が深められ、教会のためによりよい道を見いだすことができるように、シノドスのために皆様のお祈りをお願いいたします。
マタイ福音には、父親の命令に対する兄と弟の答えと、実際の行動についてのイエスの話が記されていました。兄は命令を拒んだものの、結局考えをあらため父親の望み通りにした。しかし弟右は、命令に従うそぶりを見せたものの、結局それに従わなかった。イエスは「どちらが父親の望み通りにしたか」と尋ねていますが、すなわち神にとって大切なのは、結果として神の望みを実現しようと行動することであって、表向きに積極的なジェスチャーをすることではないということを、明確にします。
残念ながらわたしたちは、見た目にとらわれて人を裁きます。表向きのジェスチャーに簡単にだまされます。かぶった仮面の内側を見抜くことができません。そして時に、表向きの表現や行動をよりよく見せることが、信仰心を表現することだと勘違いすらします。でもそれは、神には通用しません。人の目をごまかすことは容易でも、神の目をごまかすことはできません。
わたしたちは、神の望みをこの世界の中で実現するように、本当に努め、行動しているでしょうか。そのわたしたちの姿勢を問いかけているのが、今回のシノドスです。
今回のシノドスは、教会が教会であるための本当のあり方を再確立しようとする試みです。教会共同体が愛に満ちあふれていたり、敬虔であったり、喜びに満ちあふれているのは、福音を告げ知らせるため、それも言葉の知恵によらずに主の十字架をむなしいものとしないためであります。つまり交わりの共同体は、それ自体が福音をあかしする存在、すなわち宣教する共同体でなくてはなりません。共同体が宣教する共同体であるからこそ、誰ひとり排除されることなくすべての人がその交わりに招かれることができます。そのためにも、教会共同体は、常に聖霊の導く方向性を識別することが必要であり、その導きに身を任せることで、ジェスチャーではない信仰のあり方を具体的に生きることが可能になります。
何か雲をつかむような話をしてしまいましたが、公開されているシノドスの討議要綱などに目を通していただき、シノドス参加者とともに、みなさんそれぞれの場で、祈りと分かち合いのうちに、聖霊の導きを識別する道を歩んでいただければと思います。
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