週刊大司教第148回:待降節第四主日B
まもなく降誕祭です。
今年は待降節第四主日が12月24日のため、待降節第四週は一日しかありません。典礼の暦上、日没後は翌日ですから、24日の夜に主の降誕をお祝いします。
寒い毎日が続いており、わたしも司教叙階式あたりから喉の調子を崩し、今週は体調不良が続いていました。明日、24日の東京カテドラル聖マリア大聖堂は、午後5時がアンドレア・レンボ司教様司式、午後7時が天本神父様司式、午後9時が大司教司式ミサとなります。なおこの日、カテドラル構内は駐車ができませんので、公共交通機関でおいでください。有楽町線江戸川橋、または護国寺、山手線目白駅からバスで椿山荘前まで15分ほどです。
毎年、この時期になると、フィリピンではSimbang Gabiと呼ばれる、クリスマスに向けたノベナ(9日間の祈り)のミサが捧げられると言います。フィリピンでは早朝に行われているのだそうです。東京でもこのミサが、フィリピン出身お方が多い地域で捧げられています。日本の社会事情を考慮して、このミサは夕方に行われるところが多いと聞いています。わたしも毎年、そのうちの一つである目黒教会捧げられるミサの一回を担当させていただいています。例年は最初の日のミサを司式することが多かったのですが、今年は補佐司教の叙階式日程などもあり、12月20日の夜7時からのミサを司式いたしました(冒頭の写真)。ミサは英語です。音楽担当の奉仕者の方も素晴らしい歌を聴かせてくださり、そのほか司会、朗読や侍者など、多くの奉仕者の方の協力でミサは成り立っています。これからも続けられることを願うと共に、日本の教会でも同じように、降誕祭前の9日間の祈りのミサを、日本なりに捧げることができれば良いと思います。
以下、本日午後6時配信、週刊大司教第148回、待降節第四主日のメッセージ原稿です。
待降節第四主日B
週刊大司教第148回
2023年12月24日まもなく主の降誕のお祝いです。今年は24日が日曜となったため、待降節第四週は一日で終わってしまいます。今日の福音は、天使によるお告げの部分ですが、神の一人子が人となりわたしたちと共にいてくださるためには、聖母の強い信仰と謙遜さが不可欠であったことを教え、またわたしたちがそれに倣うようにと勧めています。
マリアは「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」という言葉を持って、神の母となりました。天使ガブリエルからのお告げに対して、マリアは「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」と言う、強い否定の言葉を口にします。そこにはこの理不尽な出来事に対するマリアの困惑の度合いが感じられます。しかしマリアは、「神に出来ないことはなに一つない」と言う天使の言葉に信頼を置き、神の計画にその人生をゆだねることを決意します。
聖母マリアの決断は、この世界を支配しているのは人間ではなくて、世界を創造された神であるという、明確な謙遜の態度と信仰における確信に基づいています。
この世界を支配しているのは一体誰なのか。現代社会は大きな思い違いをしています。世界を支配するのは人間の知恵と知識ではなく、創造主である神であり、わたしたちは常にその計画の中で生かされているのだという事実を忘れ、あたかもこの世界のオーナーであるかのように振る舞っています。その結末が環境の破壊であり、いのちへの暴力的な攻撃です。聖母マリアがお告げを受けたその地、聖地は、いま暴力によって支配され、神の賜物であるいのちが暴力的に奪われる不正義が横行しています。その世界に対して、聖母マリアはご自分の人生を通じて、この世界を支配するのは創造主である神であることを明確に宣言しています。
聖母マリアに倣い、神の計画の実現のために身を委ね、その実現のために行動することが、わたしたちには求められています。それはわたしたちも聖母マリアのように、「神に出来ないことは何一つない」という信仰に生きているからに他なりません。平和を諦めてはなりません。
聖母マリアがその胎にイエスを宿したように、教会も、主ご自身が「世の終わりまでいつもあなた方と共にいる」と言われた約束を信じ、教会にキリストが共におられ、歩みを共にしておられることを信じています。
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