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2024年1月31日 (水)

ケルン教区とのパートナーシップが70周年です。

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東京教区とドイツのケルン教区の協力関係が、今年で70年となります。

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ケルン・デーミサ

1月最後の主日は、東京教区では「ケルン・デー」、ケルン教区では「トーキョー・デー」とされ、互いの教区のために祈りを捧げています。今年の東京カテドラルのミサには、折から東京を訪問されているアフリカはアンゴラのフアンボ教区のゼフェリーノ・マルティンス大司教様が一緒に参加してくださいました。

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また、東京教区のケルンとのパートナーシップの窓口を務める古市神父様も参加。さらにはケルン教区から訪日中のマリアンヌ・バウアーさん(ケルン大司教区青少年カテケージス・霊的指導担当 )が、ケルンのヴェルキ枢機卿様のメッセージを代読してくださいました。さらにこのミサには、ドイツ語共同体の代表や、ミャンマー共同体の代表も参加して、インターナショナルな雰囲気のミサとなりました。

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パートナーシップ70周年にあたっての巡礼

この70年を記念して、ローマとケルンへの巡礼旅行を企画しています。取り扱いは巡礼には定評のある阪急交通社。日程はこちらから、阪急交通社のサイトにつながります。円安のため、現時点では料金が以前と比較して高くなってしまっているのが残念です。もし参加を考えてくださる方がおられましたら、お早めに阪急交通社の担当にお問い合わせください。

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カトリック・スカウトのケルン派遣

なお、東京からはこの巡礼団の他に、カトリック・スカウトの代表団が、5月にケルンを訪問し、「アルテンベルグの光」の行事に参加することになっています。カトリック・スカウトの面々も、ケルン・デーのミサに参加してくださいました。「アルテンベルグの光」については、こちらのリンクから、東京教区ニュースの記事をご覧ください。

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以下、ケルン・デーミサの説教の原稿です。

年間第四主日ミサ説教
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年1月28日

1月の最終主日は、「世界こども助け合いの日」と定められています。今年は本日の日曜日が、「世界子ども助け合いの日」とされています。

以前は、「カトリック児童福祉の日」とも呼ばれ、ともすると大人が子どもたちの福祉について考える日であるかのように理解されていました。

しかしこの特別な祈願日は、「子どもたちが使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定」され、「子どもたちが自分たちの幸せだけでなく世界中の子どもたちの幸せを願い、そのために祈り、犠牲や献金を」ささげる日であります。日本の教皇庁宣教事業の担当者である東京教区の門間神父様のメッセージによれば、「子どもは子どものために祈り、子どもは子どもに福音宣教し、子どもは子どもを助ける」というのがこの活動のモットーであり、今年の世界子ども助け合いの日のテーマは、「あなたはわたしのあいするこども」(マルコ1・11参照)とされています。イエスご自身に対して御父は「あなたはわたしの愛する子」と宣言されましたが、同じように神から愛されているすべての子どもたちが、主イエスに倣って、福音に学び、福音を告げ、互いに助け合う世界を生み出すものとなるように、今日祈りましょう。

さて東京教区にとって、1月最後の主日は「ケルン・デー」です。

東京教区にとって、ドイツのケルン教区との繋がりには歴史的な意味があり、また物質的な援助の関係にとどまらず、互いの霊的な成長のためにも重要なパートナーとして、ともに歩む関係になろうとしています。どうしても資金を援助する側と援助される側という関係にばかり目が行ってしまいますが、2022年9月末に来日されたケルン教区の司教総代理グィド・アスマン師をはじめとした代表団の方々と話し合ったとき、これからは単に金銭的な支援の関係だけでなく、互いの霊的な成長を目指してともに歩んでいきたいとの意向が示されました。ちょうどいま教会でしばしば聞かれる、シノドス的な歩みを共にする関係を構築しようという呼びかけです。

この二つの教会の歩みは、1954年、当時のケルン大司教区のフリングス枢機卿様が、戦後の霊的な復興を念頭においてケルン教区内の信徒に、苦しいときだからこそ積極的に困難の中にある隣人へ手を差し伸べようと呼びかけたことに始まります。自ら大きな犠牲をささげることこそが、苦しみから立ち上がり霊的に大きく成長する力を生み出すと考えたフリングス枢機卿様は、個人的に知り合いであった東京の土井枢機卿様と話し合い、具体的な行動として東京教区と友好関係を結び、東京の宣教活動と教会の戦後の復興のために援助を始められました。

自らの身を削ってでも必要としている他者を助けようとする福音に基づく行動は、多くの人の心を動かし、東京にあってもその後、白柳枢機卿様の時代、1979年の友好25周年を契機として、ケルンと東京の両教区によるミャンマーの教会支援へと発展していきました。それ以来、わたしたちは毎年の「ケルン・デー」に、ケルン教区からいただいた豊かないつくしみに感謝を捧げ、その愛の心に倣い、今度は率先して自らも愛の奉仕に身をささげることを心に誓います。またケルン教区のために、特に司祭・修道者の召命のために、祈りをささげてきました。

わたしたちも、余裕があるから善意の行動をとるのではなく、苦しいからこそ、積極的に他者と連帯し支えるものであり続けたいと思います。またその行動を通じて、私たちと共におられる神の言葉を具体的にあかしするものであり続けたいと思います。

本日のマルコ福音は、イエスの言葉には、権威を感じさせる力があったと伝えています。「律法学者のようにではなく」と福音は記していますが、この言葉は何を象徴しているのでしょう。神の掟について学んだ知識を教える律法学者は、自らの権威ではなく神の権威によって解釈を教え指導する立場です。教え指導するという人間関係にあって、人間の弱さから解放されない律法学者は、いわばわたしたち人間の弱さと限界を象徴しています。時に自らの限界を認めず、謙遜さを失い、独断と偏見で判断し、あたかもすべての権威を持っているかのように他者に語り、行動するのがわたしたち人間です。律法学者は、時にすべての権威を自分が握っているかのような錯覚に基づく行動、すなわち、他者を裁く権能など持ち合わせていないはずなのに、罪を犯した人たちを裁いてしまい排除する行動をとってしまいます。わたしたちも、同じことです。簡単に他者を裁き、排除するのが弱いわたしたちたちです。しかしこのいのちを創造したわけでもないわたしたちには、他者を裁く権威はありません。

しかしイエスの言葉には力がありました。イエスの言葉によって汚れた霊が出て行くという事実を目の当たりにして、人々はイエスの教えは「権威ある新しい教えだ」と驚いたと福音に記されていました。イエスの言葉に力があったのは、それは神の真理の言葉であり、そしてイエスご自身が真理そのものであったからに他なりません。すべての権威は神にあります。完全完璧な立場からものを語り行動されるのが、神の子であるイエスです。だから人々は「権威ある新しい教え」とイエスの言葉に驚いたのです。

本日の第一朗読の申命記には、神の命じていない言葉を語る預言者は死に値すると、モーセが語ります。真理を身に帯びていない者の言葉には、権威はありません。

わたしたちは、どのような言葉を語っているでしょうか。自分勝手な思いや欲望を充足させる言葉ではなく、神によって生かされているという謙遜さのうちに自らの限界を認め、イエスが権威を持って示された真理を身に帯びた言葉を語るものでありたいと思います。

命を奪う暴力的な言葉ではなく、命を生きる希望を生み出す言葉を語りたいと思います。暗闇を生み出す言葉ではなく、光を掲げる言葉を語りたいと思います。他者を裁き、排除する言葉ではなく、受け入れともに歩む言葉を語るものでありたいと思います。攻撃する言葉ではなく、思いやりのうちにケアする言葉を語るものでありたいと思います。

シノドスの道を歩み続ける教会は、互いの声に謙遜に耳を傾けるところからすべてを始めようとしています。聖霊の導きを一緒になって見いだすためには、自分の思いを主張するだけでなく、互いに心に響き合う神の声を反映に、真摯に耳を傾けることが必要です。その耳を傾けることには、実際に話を聞くことに始まり、お互いに思いやりケアし合うこと、すなわち互いのいのちを大切にしあうことも含まれています。わたしたちはひとりだけで生きていくことはできません。

本日、「ケルン・デー」と「世界子ども助け合いの日」を迎えているいま、わたしたちは福音の真理に基づいて語り行動された権威あるイエスの言葉に従い、苦しみのうちにあっても互いに助け合い、支え合って、共に道を歩み続ける、シノドス的な教会であることを心に誓いましょう。

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