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2024年1月 1日 (月)

神の母聖マリア:世界平和の日

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新年1月1日は、教会にとって神の母聖マリアの祝日であると共に、世界平和の日でもあります。

一年の初めにあって、聖母マリアの取り次ぎのうちに、神の平和が実現するように、祈り続けたいと思います。

以下、1月1日午前10時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げたミサの、説教原稿です

神の母聖マリア(配信ミサ説教)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年1月1日

お集まりの皆さん、新年明けましておめでとうございます。

主イエスの降誕の出来事を喜びのうちに記念する私たちは、それから一週間がたったこの日、1月1日に、神の母である聖マリアを記念します。

闇にさまよう人間を救いの道へと連れ戻そうとされた神の計画。それが実現するためには、「お言葉通りにこの身になりますように」という、聖マリアの人生をかけた決断が必要でした。その言葉こそは、神の計画に対する聖マリアの絶対的な信頼を象徴し、神の御手に身をすべて任せる、聖マリアの完全な謙遜を現すものでもありました。

もちろん神の計画にすべてを委ねる人生は、単に栄光ある道なのではなく、大きな困難を伴う茨の道を歩むことでもありました。聖マリアの人生は、救い主であるイエスの苦しみととともに歩んだ人生でありました。ともに歩むことは決して楽なことではなく、決断と忍耐を要することであると、イエスの十字架での受難に至る苦しみの道をともに歩まれた聖母の人生がわたしたちに教えています。

教会はいま、シノドスの道を歩むことの重要さを強調しています。聖霊の導きを識別し続けながらともに歩むこの道のりは、簡単な道ではありません。時間と手間のかかることでもあり、まずもって忍耐を必要とします。同時にそこで見いだされる神の計画の道は、常に安楽の道であるとも限りません。なぜならば、神の救いの計画の中心には常に十字架の苦しみが存在しているからです。シノドスの道をともに歩むことで、わたしたちは様々な困難に直面することでしょう。様々な意見の対立に翻弄されるでしょう。常識の壁が立ちはだかることでしょう。決断の及ぼす影響を考え、たじろいでしまうのかもしれません。そのときこそ、わたしたちは聖母マリアの人生を振り返り、主イエスとともに歩まれた聖母の信仰の深さと謙遜の強さに倣い、支え合いながらともに歩む道で前進を続けたいと思います。

主の降誕を祝うこの季節に、主が誕生した聖なる地では、賜物として与えられたいのちが暴力的に奪われる事態が続いてきました。わたしたちはあらためて、いのちが神からの賜物であり、その尊厳は徹底的に守られなくてはならないことを強調し、いのちを暴力を持って奪うことは許されないことだと主張し続けたいと思います。平和がこの世界を支配するように、祈り続け、声を上げ続けたいと思います。聖地における混乱と暴力的行動が収まり、いのちの尊厳が守られることを心から祈ります。

またコロナ禍の中ではじまって、未だ終わりの見えないウクライナでの戦争が、何らかの解決の道を見いだすことができるように心から祈ります。東京教区の姉妹教会であるミャンマーの方々は、いまこのときも、自分たちの存在を忘れてくれるなと、わたしたちに呼びかけます。ミャンマーの平和の確立のためにも心から祈り続けます。

イエスが背負われた十字架、イエスがそのいのちをささげられた十字架、それは、私たち人類が、神からの愛に背いて犯し続ける数限りない罪の結果です。私たちは、まるで主の十字架における苦しみと自己犠牲が、2000年前のあの日に終わってしまい、すべてが許されたかのような傲慢さで、今日もまた罪を犯し続けています。その中でも、賜物として神が与えてくださったいのち、神の似姿としての尊厳を与えられたいのちを、人間自身の暴力を持って奪うことほど大きな罪はありません。

十字架の上で私たちの罪を背負い苦しまれた主イエスの傍らで、御子の苦しみをともにしながら立ち尽くす聖母マリアとともに、教会は、現代社会の直中にあって、人類が犯し続ける数々の罪を悲しみのうちに見つめながら、祈りのうちに立ち尽くしています。ゆるしを求めて立ち尽くしています。平和を求めて立ち尽くしています。

神の平和を実現するためには、単にきれいな言葉を並べ立てるだけでは足りません。そこには必ずや困難や苦しみが伴います。イエスの背負われる十字架の重さを、聖母とともにわたしたちも背負わない限り、神の秩序は完成に至ることがないからです。

教皇パウロ6世は、「平和の女王を通じて」、平和を神に祈り求める日として、この日を世界平和の日と定められています。新しい年、2024年がはじまった今日、わたしたちはあらためて信仰のうちに、平和の実現を求めて声を上げましょう。平和の実現のために苦労をしましょう。わたしたちの信仰の実践が、神の秩序の実現、すなわち神の平和の確立につながるように、務めていきましょう。

東京教区ニュースの冒頭に司牧書簡を掲載いたしました。東京の大司教として、皆さんと一緒に、この一年をどのように生きるのかの呼びかけです。

東京教区の大司教として2017年12月に着座してから6年が過ぎましたが、このあいだ、わたしは「つながり」、あるいは「交わり」を大切にしようと、様々な形を持って呼びかけてきました。それは2015年に教皇フランシスコが発表された回勅「ラウダート・シ」に触発されてのことです。

この文書はいわゆる環境問題や気候変動について語っている文書と片付けられるきらいがありますが、実際にはわたしたちに信仰における回心と具体的な生活における回心を呼びかける文書でもあります。

この文書には、よく読んでみると「つながっている」という表現が何度も登場します。回勅「ラウダート・シ」は、わたしたちが生きている現代社会が忘れてしまった「つながり」をもう一度回復しようと呼びかけます。具体的な回心の呼びかけです。

わたしたちが洗礼の時にいただいた恵みをさらに豊かにするため、「つながり」という視点からわたしたちの生き方と生活を見直す必要があります。そのつながりを具体的に表す言葉として、教会で近頃よく聴かれるのは、「ケア」という言葉であります。兄弟姉妹として、お世話し、気づかい、配慮し、寄り添うという意味での「ケア」です。「ケア」はお互いを大切にし、お互いに耳を傾け、向き合い、対話することを目指します。言い換えれば「ともに歩む」ことです。すなわち、シノドスの道を歩むこととは、互いを大切にすること、支え合うことですから、「ケア」の文化を深めていくことでもあります。

教会はケアの場所です。人と人との「つながり」を大切にするからです。誰も排除されず、相手の言葉を聞きとり、違う立場の人と向き合い、対話を重ね、そして一緒になって神様を賛美し感謝します。聖母マリアの人生も、まさしく寄り添って歩む「ケア」の文化を生きた人生です

世界中に暴力が満ちあふれているいま、必要なのは、「ケア」の文化を確立することです。そのためにも教会はその働きを具体化する場として役割を果たしていきたいと思います。互いへの思いやり、いたわり、迎え入れる態度、耳を傾ける態度は、ですから福音宣教の態度です。

世界に神の平和が確立するために、まず足もとから、自分のいる教会共同体から、互いに助け合う「ケア」の共同体を生み出し、聖母マリアと共にこの一年、福音をあかしして歩みましょう。

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