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2024年4月27日 (土)

週刊大司教第164回:復活節第五主日B

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桜の季節はあっという間に終わり、季節は夏に向けて歩みを進めています。教会の典礼も、5月19日の聖霊降臨祭に向けて、復活の神秘を思い起こしながら、初代教会の発展の歴史にも心を留め、主の復活によって力強い宣教者へと変えられた弟子たちに倣い、自らの毎日の信仰生活を深めるためにともに歩みを進めます。

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先日、4月21日の日曜日には、午前中に下井草教会の創立75周年ミサが行われました。サレジオ会に司牧が委託されている教会です。下井草教会の皆様、サレジオ会の皆様、おめでとうございます。下井草教会の歴史については、教区のホームページのこちらをご覧ください

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青少年司牧に力を入れているサレジオ会だけあって、侍者をはじめたくさんの若者が集まっていました。ちょうど午前中は天気に恵まれ、聖堂と信徒会館の間の中庭で、祝賀会も行われました。現在の主任司祭はサレジオ会の並木神父様です。

教区ホームページには創立の経緯がこう記されています。

「1948年、時の東京教区長・土井大司教は下井草の地に教会建設を依頼され、サレジオ会に対し3000ドルを寄贈された。サレジオ会はマンテガッツア神父を主任司祭に任命し、新聖堂の建設に着手することとなる。戦後、育英学院付属の小さな聖堂を使用していた経緯もあって、1949年4月17日の復活祭には、東京教区第18番目の教会として認可された。下井草教会は、この日をもって教会創立の日としている。マンテガッツア師が夢に抱いていた願いどおり、新聖堂は「扶助者聖母マリア」に捧げられ(た)」

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また同日午後2時半からは、アンドレア司教様司式で、世界召命祈願の日のミサがカテドラルで捧げられ、コロナ以前のように多くの方が集まってくださり、当日参加した男女の修道者や教区の神学生とともに、召命のための祈りをささげてくださいました。また数年ぶりに、ミサ後の懇親会も復活し、養成を受けている方々など、修道会や神学院の紹介も行われました。司祭・修道者の召命のためにお祈りください。またキリスト者一人一人に与えられている召命を、自覚し、ふさわしく生きていくことができるように、互いに祈りあいましょう。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第164回、復活節第五主日のメッセージ原稿です。

復活節第5主日B
週刊大司教第164回
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日本の司教団は先日、アドリミナの訪問のために、全員でローマに出かけてきました。定期的にローマを訪れ、教皇様を始め聖座に、それぞれの教会についての定期的な報告をすることや、聖座の省庁から指導を受けることもありますが、もう一つ大事なことは、使徒の後継者として、聖ペトロと聖パウロの墓前でミサを捧げ、司教としての務めを果たすことを改めて心に誓うことがあります。

司教にとってそれは、自分たちがどこにつながっているのかを確認することであり、また同時に司教たちを通じて、それぞれの地方教会が、どこにつながっているのかを再確認することでもあります。イスラエルなどの聖地巡礼は、私たちの信仰の原点を思い起こさせますが、アドリミナでのローマ訪問は、教会が普遍教会として世界に広がり、また同時に一つにつながっていることを思い起こさせます。

私たちは、ローマの司教であり聖ペトロの後継者である教皇様につながることで、主イエスによって呼び集められた弟子たちにつながり、今もまた聖霊によって導かれている教会共同体の一員であることを、再確認します。

使徒言行録は、回心したパウロが、当初は彼を迫害の手先として恐れていた弟子たちから受け入れられ、その出来事を通じて教会が、「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えて」言った様を記しています。

神の救いの計画は、人知をはるかに超えた方法をとりながら、成就する道をたどることを、あらためてわたしたちに認識させます。教会は、その始まりから、聖霊に導かれ、人間の知恵を遙かに超える道を歩み続けてきました。教会は、聖霊によって導かれています。。

ヨハネ福音は、主ご自身が、「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」と指摘された話を記しています。

ぶどうの木である主イエスにつながっている限り、枝である私たちは「豊かに実を結ぶ」ことが可能となります。私たちはぶどうの木の枝として、世界に広がりつながっている教会です。

しかし同時に、その豊かな実の中身がどのようなみのりであるのかは、枝が自由に決めることはできません。すなわち、わたしたちが幹である主イエスに枝としてつながっているのであれば、それは私たちが好ましいと考えるみのりを生み出すためではなくて、主ご自身が望まれるみのりを、主の思いのままに実らせることであります。聖霊の導きのままに、みのりを生み出すことです。

豊かな実りは、主の実りであって、わたしたちの実りではありません。仮に、自分の理想の実現を実りだと考えるのであれば、それは教会に働く聖霊の導きを否定することにつながります。教会が今歩んでいるシノドスの道こそは、わたしたちが一つの幹に連なっている枝であり続けることを、明確に思い起こさせています。わたしたちは、自分の実りではなく、主の実りを生み出す枝でありたいと思います。

 

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2024年4月20日 (土)

アドリミナも終わり、ケルンを経由して帰国

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9年ぶりのアドリミナの訪問は4月13日に無事終わりました。4月12日金曜日は、朝7時15分から聖ペトロ大聖堂の地下にある聖ペトロの墓所の前で、司教団全員でミサを捧げました。朝早いミサでしたが、ローマ在住のシスター方をはじめ、多数の方が参加してくださいました。ミサ後には司教団全員で聖ペトロの墓所の前に赴き、信仰宣言をいたしました。(教皇謁見の写真はヴァチカンニュースの著作物です)

その後、しばらく聖ペトロ大聖堂内で、それぞれが、各所にある脇祭壇に歴代の教皇様が葬られていますので、そこで祈りを捧げた後、再び全員でスイス衛兵の「関所」をいくつか通過し、長大な階段を上りきって聖ダマソの中庭に出て、さらに国務省などもある教皇宮殿の歴史を感じさせる木造のエレベーターで上に上がり、教皇様との謁見に出かけました。

教皇公邸管理室からメールで送付されてきた(いまはメールできます)招待状によれば、9時15分から教皇執務室(書斎)での謁見となっていましたが、我々の前のいくつかの予定が長引いているようで、結局一時間待機した後に、教皇公邸の方々に呼ばれ、執務室の前で待機。

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執務室の扉が開くと、そこに教皇様が立って待っておられ、前田枢機卿様から始まって順番に一人づつ中に入り、教皇様にご挨拶。(このあたりは、バチカンのニュースサービスにある写真アーカイブに、この日撮影されたすべての公式な写真が掲載されています。興味のある方は、バチカンのサイトからNews serviceを探され、そこにあるphoto archiveをクリックし、さらにその先にある教皇様の写真をクリックすると、月ごとのイベントリストに到達することが可能です。面倒ですね。このリンクをクリックすると、多分日本の司教団の最初のページに到達するはずです。)

教皇様からは、「公式なスピーチはいらないから、じっくりと話を聞かせてください」との言葉があり、「必要であれば、そこに水もありますし、トイレもありますよ」とまで。準備していった司教協議会のスピーチは、ここでは読まずじまいでしたし、以前は必ずあった教皇様からのメッセージもありませんでした。

しかしそれから1時間以上をかけて、日本の教会の様々な出来事について、司教たちが順番に教皇様に報告し、教皇様からもいくつかの質問があり、非常にリラックスした雰囲気の中で、共に分かち合う時間をとることができたと思います。内容について記すことはできませんが、教皇様は日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されており、具体的な質問がいくつもありました。あれだけ激務の中で、どうやって準備をされているのか、教皇様のその配慮に感銘いたしました。

謁見の終わりに教皇様から使徒的祝福をいただきました。この祝福は、わたしたち司教団を通じて、日本の教会すべてに向けられた祝福です。

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この日は、福音宣教省のタグレ枢機卿様が、わたしたちの宿舎においでくださり、昼食を一緒にしてくださいました。数日前の水曜日に福音宣教省を訪問したときには、タグレ枢機卿様は海外出張からローマにちょうど戻られたところで、お会いすることができませんでした。それでも日本の司教たちと会いたいとのことで、ご自分で連絡してこられ、この日の昼食を一緒にすることになりました。いつもの笑顔で優しく語りかけるタグレ枢機卿でありました。

さて翌日4月13日の土曜日に、わたしはローマからミュンヘン経由でケルンに飛び、ケルン教区を訪問して参りました。(ケルンの写真は、ケルン教区のホームページからの転載です)

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これは、東京教区とケルン教区がパートナーシップ関係を結んで今年で70年を迎えることから、当初は巡礼団を組んで、ケルンに御礼に出かける予定でしたが、昨今の円安も影響し、航空運賃が円ベースで高騰しているために、十分な参加者を得ることができずに、巡礼はキャンセルとなってしまいました。

しかし事前にケルン教区には、アドリミナ後の4月14日に私が出かけ、ケルン大聖堂で枢機卿様と共に感謝のミサを捧げたいと申し入れて、それを受けて準備が進んでいたこともあり、行かない訳にはいきません。一人で行くのも何ですから、司祭団を代表して、前司教総代理の稲川保明神父様と、若手司祭を代表して熊坂師の二人に同行していただきました。このお二人が、訪問の記録を東京教区ニュースに書かれると聞いていますので、詳細はそちらに譲ります。

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4月13日の夕方、ウェルキ枢機卿様や、先般東京にも来られた司教総代理のアスマン師などと共に、夕食を一緒にし、その翌日はケルン大聖堂で10時のミサを一緒にしました。カテドラル参事会の司祭団や、大聖堂の聖歌隊も参加して、荘厳なミサを捧げていただきました。この模様は、こちらのリンクからドイツ語の記事ですが、写真を見ることができます。またfacebookですが、こちらのリンクからはビデオも見ることができます。

またこの日曜の午後にはデュッセルドルフを訪問し、聖フランシスコ・ザビエル教会で、定期的に集まっている日本人会の皆さんと、日本語のミサを捧げました。イエスのカリタス会のシスター方の修道院が隣接しています。

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さらに月曜日にはケルンとボンの間にあるケルンとボンの間にあるブリュールという町にある聖ウルスラ高校というカトリック学校を訪問しました。もともとはウルスラ会が経営していた学校でしたが、現在は教区の運営に代わっているとのこと。東京のカトリック学校とのパートナーシップ関係を期待している学校です。10年生のみなさんに、学校の紹介と、日本についていろいろと質問をいただきました。

東京都ケルンのパートナーシップは、二つの教区の関係にとどまってはいません。25周年を記念して始まったミャンマーの教会支援は、いまも続いていますし、今後も、東京都ケルンとでできる限りの力を合わせ、ミャンマーの教会を支援し続けたいと思います。

この二つの教区の関係を始められた当時のケルン大司教、フリングス枢機卿の言葉を、今一度心に刻みたいと思います。

「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません。」

 

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週刊大司教第163回:復活節第四主日B

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アドリミナで、わたしもアンドレア司教様もローマに滞在中の4月11日、東京教区司祭団の最長老である澤田和夫神父様が帰天されたとの連絡を受けました。104歳と高齢であり、この数年は介護施設で暮らしておられたものの、教区での様々な機会には車椅子で出席されたり、もう危ないと言われながら何度も神父様特有の自然体でそれを乗り越えてこられた澤田神父様でした。

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わたしがわざわざ語ることもないほど、多くの方に霊的な影響を与え、人生の友となり、語り尽くせぬほどの様々なエピソードを残された偉大な司祭が、一世紀を超える人生の歩みを終え、御父の元へ戻られました。

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葬儀は、わたしが帰国した翌日、4月18日の午後1時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂をいっぱいに埋めた多くの方の参列の中で、執り行いました。アドリミナ後にふるさとに戻られていたアンドレア司教様も、当日の朝に帰国され、葬儀ミサに出席されました。ミサの説教は、洗足教会の山根神父様が、様々な思い出を語りながら担当してくださいました。

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40年ほど前、まだわたしが神学生であった頃、名古屋の神言会の神学院でも、霊性神学の講義を担当していただいておりました。夜行の高速バスで東京からおいでになり、あのいつもの姿に長靴で、早朝に神学院の中をそろそろと歩かれているのを見て、澤田神父様を存じ上げない若い神学生が、不審者が侵入したと勘違いして大騒ぎになったことを懐かしく思いだしました。常に主の現存の前に身をかがめ、ご自分のスタイルを貫き、名声を求めず、淡々と語られる偉大な司祭でした。澤田神父様のこれまでのお働きに感謝しながら、御父が豊かに報いを与え、その御許で永遠の安息を与えてくださることを祈ります。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第163回、復活節第四主日のメッセージ原稿です。

復活節第四主日B
週刊大司教第163回
2024年4月21日

復活節第四主日は、善き牧者の主日です。ヨハネ福音には、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」という主イエスの言葉が記されています。

主が羊飼いなのですから、彼に従っているわたしたちはその羊飼いに導かれる羊の群れであります。羊飼いと羊の関係というと、羊飼いが先頭に立って羊の群れを導いている姿を想像しますが、実際の羊飼いは、群れの先頭に立つと言うよりも、少し離れた場所から、時には後ろから、常に見守り、時には正しい方向へ進むようにと追い立てる存在です。

教会における牧者のイメージも、ともすると先頭に立って、「私についてこい」と群れを導く姿を想起しますが、主イエスの語る牧者は、ご自分が賜物としていのちを与えられたわたしたちを、ご自分の羊、ご自分の一部として心にかけ、傍らから見守る存在です。しかもご自分の羊たちを愛するがあまり、その羊のために命をかけるとまで宣言されます。その上で、イエスは、「ひとりの羊飼いに導かれ、一つの群れになる」ことが最終的な目的であるとして、誰ひとり排除することなく、賜物としていのちを与えたすべての人を、自らの群れに取り込むことが神の望みであることを明示します。

良い羊飼いである主イエスは、「私は自分の羊を知っている」といわれ、同時に「羊も私を知っている」と断言されています。果たしてわたしたちは、主を知っているでしょうか。どこで主と出会ったでしょうか。日々の生活の中で出会う人、とりわけいのちの危機に直面している人、人間の尊厳をないがしろにされている人、忘れ去られている人のうちにこそ、主はおられます。

教会はこの復活節第四主日を、世界召命祈願日と定めており、司祭や修道者への召命のために特に祈りを捧げる日としています。東京教区では、この主日の午後、教区の一粒会が主催して、東京カテドラル聖マリア大聖堂で召命祈願ミサが捧げられます。

召命を語ることは、ひとり司祭・修道者の召命を語ることにとどまりません。キリスト者すべての召命についても考える必要があります。司祭・修道者の召命のために祈ることは重要ですが、同時に信徒の召命が生かされるように祈ることも重要です。

わたしたちは就職活動や求職活動のように、召命を人間が生み出すことはできません。それは神からの賜物です。召命は、神からの呼びかけです。あの日、ガリラヤ湖の湖畔で、イエスご自身が声をかけられたように、徹頭徹尾、神からの一方的な呼びかけです。主イエスは、常に呼びかけておられます。私たちに必要なのは、その呼びかけに耳を傾け、前向きに応える勇気を、多くの人が持つことができるよう、祈りをもって励ますことであります。ですから祈りましょう。召命が増えるようにではなくて、主からの呼びかけに応える勇気を持つ人が増えるように祈りましょう。

呼びかけておられる善き牧者、主イエスと出会いましょう。わたしたちは教会共同体の中で、ミサにともに集う中で、告げられる御言葉のうちで、生け贄として捧げられる御聖体のうちに、そこにおられる主と出会います。困難に直面する人、忘れられた人、助けを必要とする人との関わりの中で、小さな人々の一人一人のうちにおられる主と、出会います。主はいつも呼びかけておられます。

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2024年4月12日 (金)

アドリミナのために司教団はローマにいます

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今週、日本の司教団は全員で、ローマに滞在しています。といっても司教さんたちが一緒に旅行をしたくなったので団体旅行に出かけたとか言うわけではありません。

教会法の399条の1項に、教区司教は五年ごとに、教皇様に対して、自分に任せられている教区の状況を報告しなくてはならないと定められているからで、その報告をいつするか、どのようにするのかは、聖座が決めると定められています。

わたしにとっては2007年、2015年に続いて、三回目のアドリミナです。今回から、聖座から指示された「どのように」の部分が、大きく変わりました。現状の司教の総数では、5年ごとの訪問は不可能となり、いまは、今回が9年ぶりであるように、7年から9年くらいのインターバルになっています。

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以前は、日本の教会を管轄している福音宣教省と、教皇様との謁見へは、司教団全員で出かけましたが、今回からは、調整役となる福音宣教省の担当者が定めたスケジュールに従って、ほぼすべての省庁を、司教団全員で訪問することとされました。以前の時は、福音宣教省や教皇謁見以外では、それぞれの司教が担当している委員会などに対応する役所を、それぞれ訪問していました。ですから一人一人の司教がすべての省庁を訪問することはなく、スケジュールには余裕がありました。

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しかし今回は、朝8時半頃から始まって昼の1時過ぎまで、そして午後も3時くらいから6時くらいまで、ほぼ毎日、いくつもの省庁を、全員で訪問しなくてはなりません。ドレスコードもあります。省庁訪問はローマンカラーにダークスーツ。教皇謁見は司教正装です。おじさんたちばかりが黒ずくめの団体で、ぞろぞろ移動している姿は、特にバチカンを訪れる観光客の中にあって、目立ちます。移動するのも、宿も食事も全員一緒です。

それぞれの省庁に割り当てられた時間は、大体1時間半ほど。すべてがサンピエトロの周囲にあるのではなく、いくつかの省庁は、ローマ市内の飛び地にもあります。2025年の聖年に向けて、ローマ市内は道路やら何やらの工事中で、どこへ行っても大渋滞。移動も簡単ではありません。(なお掲載している省庁の写真は、訪問した省庁のほんの一部だけです)

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そのそれぞれの省庁の一時間半ほどで何を話すのか。当然通訳が入りますので(省庁側はイタリア語、こちらは日本語で、相互に通訳が入ります)、実際に使える時間は半分です。まずは省庁側が、自分たちの紹介や、この数年の間に(前回のアドリミナ以降)行った通達や指示などについて説明をし、その後それに対して日本の司教団からの現状の報告を行い、最後にいくつか質問をいただいて、それに答えて、それでほぼ時間は終わります。ですので、何かテーマを決めて、話し合いをするということではありません。基本的に互いの活動の報告をして、聖座側の質問に答えているという状況です。特にこの数年は、教皇様の指示による省庁の再編成が進んでいて、前回のアドリミナの時には存在していなかった省庁や(総合的人間開発省など)、合併で役割が変更になった部署もあります。ですから、その役割について初めて聞くようなこともありました。毎日いろいろと新しいことを学んでいます。そして日本の現状も伝えることができているかと思います。

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もちろん、いくつかの省庁では、日本の司教団から、様々な課題について、対応を質問されたりもしますが、基本的には情報交換です。またいくつかの省庁では、この数年間に世界中の教区に出した指示を、日本では具体的にどのように生かしているのか、様々に尋ねられたりもします。

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使徒の後継者である司教にとっては、偉大な使徒である聖ペトロと聖パウロの、それぞれの墓所である大聖堂を巡礼訪問し、ミサを捧げることは重要なアドリミナの行事です。また教皇様にお会いして、日本の教会の状況を報告することも大切です。

今回のアドリミナでは、明日、金曜日の午前中に教皇様とお会いして、2015年以来の日本の教会の現状を報告することになっています。

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今回省庁を訪問して感じていることは、やはりローマから見るとはるか極東にある日本の教会の現状はよく伝わっていないと感じることと、同時に、教皇様の省庁改革によって、それまでの教えてやる、指導してやる、という雰囲気は、少々和らぎ(少々です)、聖座の省庁は、それぞれの教区の手助けのために、宣教活動の支援のためにあるのだということが強調されたことでしょうか。特に、前回2015年と比較しても、いくつかの省庁では信徒の専門家や女性の役職者が見られるようになり、いくつかの部署を除いて、柔軟な雰囲気が広まりつつあると感じさせられます。

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明日の教皇様と司教団の謁見、そして聖ペトロの墓所でのミサ、さらに土曜朝の聖パウロの墓所でのミサで、今回の訪問は終了です。それぞれのバチカンの省庁のみなさんから、日本の教会のみなさん一人一人の宣教活動への貢献と協力に感謝の言葉あることをお伝えします。

 

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2024年4月 6日 (土)

週刊大司教第162回:復活節第二主日B

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復活節第二主日は神のいつくしみの主日です。

メッセージの中でも触れていますが、日本の司教団は4月8日から13日まで、定期的な聖座訪問「アドリミナ」のために、全員がローマに出かけます。もちろん様々な理由から、全員が一緒に飛ぶことはありませんが、この数日以内に、日本の現役のすべての司教はローマに集合し、バチカンの各省庁を訪問して意見交換をし、さらに教皇様と謁見して、日本の教会についての報告をしてきます。

また滞在中には、省庁訪問や教皇様との謁見だけでなく巡礼の要素もあり、特にペトロとパウロの墓前で司教団はミサを捧げます。

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私にとっては、2007年のベネディクト16世教皇、2015年の現フランシスコ教皇と、三回目のアドリミナになります。上の写真は、その2015年のアドリミナに参加した日本の司教団ですが、よく見るとそのときから9年で、現在の司教団の顔ぶれは大きく変わっていることが分かります。この写真に写っている2015年当時の日本の司教団は16名ですが、そのうち、すでに10名が引退され、そこには新しい司教様が任命されています。一口に「日本の司教団」と言ったとしても、その顔ぶれは10年くらいでガラリと変わっているものです。

アドリミナに出かけている日本の司教団のため、また教皇様のために、どうぞお祈りください。お願いいたします。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第162回、復活節第二主日のメッセージ原稿です。

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週刊大司教第162回
2024年4月7日

ヨハネ福音は、主が復活された日の夕刻、まだ何が起こったかを理解していない弟子たちが、恐れのうちに隠れてしまっている様を伝えています。もちろん自分たちのリーダーを殺害した人々の興奮への恐れもあったでしょうし、同時に、見事にイエスを裏切り見捨ててしまったことへの自責の念もあったことでしょう。

その弟子たちの真ん中に現れたイエスは、弟子たちの心の闇を打ち払うように、平和を告げます。平和は神が定められた秩序が完全に存在する状態です。神との完全な交わりのうちにある状態です。すなわちここで、イエスは神がいつくしみそのものであり、常に神との完全な交わりへと招き続け、見捨てることはないことを明白に示します。神のいつくしみに完全に包み込まれていることを知ったとき、弟子たちの心の暗闇は打ち払われました。

復活節第二主日は、「神のいつくしみの主日」です。1980年に発表された回勅「いつくしみ深い神」に、教皇ヨハネパウロ二世は、「(神の)愛を信じるとは、いつくしみを信じることです。いつくしみは愛になくてはならない広がりの中にあって、いわば愛の別名です」(7)と断言されています。

教皇フランシスコは、2015年12月8日から一年間を、「いつくしみの特別聖年」と定められ、神のいつくしみについてあらためて黙想し、それを実行に移すようにと招かれました。

その特別聖年の大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」には、「教会には、神のいつくしみを告げ知らせる使命があります。いつくしみは福音の脈打つ心臓であって、教会がすべての人の心と知性に届けなければならないものです。・・・したがって教会のあるところでは、御父のいつくしみを現さなければなりません」(12)と記されていました。

わたしたちはいま、世界の各地で、いのちの危機に直面し、暗闇の中で恐れに打ち震えています。どこへ向かって歩みを進めれば良いのか分からずに、混乱した世界で生きています。そのわたしたちに、常に共にいてくださる主イエスは、わたしたちの直中に立ち、「あなた方に平和があるように」と告げながら、わたしたちをそのいつくしみで包み込もうとされています。復活された主は、わたしたちの具体的な愛の行動を通じて、世界に向かって平和と希望を告げしらせようとしています。「教会には、神のいつくしみを告げ知らせる使命が」あります。

不安に打ち震える社会の中で教会が希望の光となるためには、キリストの体である教会共同体を形作っているわたしたち一人ひとりが、いつくしみに満ちあふれた存在となる努力をしなければなりません。

明日4月8日から13日まで、日本の司教団は全員で、アドリミナの訪問のためにローマを訪れています。アドリミナとは、世界中の司教団が、定期的に聖座を訪問し、ペトロの後継者である教皇様に謁見して教会の現勢について報告をし、聖座の各省庁を訪問して情報交換するために行われます。さらには教会の礎を築いた二人の偉大な使徒、聖ペトロと聖パウロの墓前でミサを捧げ、サンタマリアマジョーレとラテランの両大聖堂にも巡礼します。前回は2015年でした。ローマを訪問している日本の司教団のために、また教皇様のために、お祈りください。

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2024年4月 2日 (火)

2024年御復活の主日@東京カテドラル

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3月31日、復活の主日、午前10時からの東京カテドラル聖マリア大聖堂でのミサの説教原稿です。

復活の主日
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年3月31日

皆様、御復活おめでとうございます。

昨晩の復活徹夜祭で洗礼を受けられた方、堅信を受けられた方、おめでとうございます。

十字架における受難と死を通じて新しいいのちへと復活された主は、わたしたちが同じ新しいいのちのうちに生きるようにと招きながら、ともに歩んでくださいます。

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教会は、単に日曜日に集まるこの建物だけのことではありません。教会とは人の集まりのことです。御父がわたしたちに賜物としていのちを与えと信じ、復活されたイエスを救い主、新しいいのちに招かれる主と信じ、聖霊が常に守り導いていると信じている、信仰者の集まりこそが教会です。旧約においてイスラエルの民が神から選ばれ、神と契約を結んだように、主イエスの御体と御血による新しい契約の民として招かれているわたしたちは、新約における神の民であります。教会は、救いの道をともに歩む神の民であり、その中心には、ご聖体を通じて、また御言葉を通じてわたしたちと共にいてくださるイエスがおられます。そして最後の晩餐で示されたように、イエスはわたしたちに、互いに足を洗いあうように、すなわち互いに愛し合い支え合って歩むようにと命じられました。さらに復活された主は、全世界に行って福音をのべ伝えるようにと命じられました。わたしたち教会は、その命令に生きて、時の流れを旅する神の民であります。

新しい仲間を迎え入れ、互いに支え合いながら、ともに歩んでいきましょう。体が一つの部分でできていないように、そこには様々な人がいて当然です。一致は一緒ではありません。それぞれが自らに与えられたいのちを十全に生き、互いに支え合い、ともに歩むことで、主における一致を実現していきましょう。

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さて教皇様は、3月27日に、聖地で暮らすキリスト者に向けて書簡を送られました。昨晩も触れましたが、イスラエルとパレスチナの対立には長い歴史があり、この数ヶ月は、泥沼のような状況の中で、多くのいのちが危機に直面し、ガザではすでに3万人を超えるいのちをが暴力的に奪われたと報道されています。

教皇様は書簡の冒頭で、「わたしたちの信仰の中心にある御復活は、主御自身が生き、亡くなられ、そして復活したまさしくその地でこれを祝う皆さんにとって特に意味があります。あなた方が何世紀にもわたって生きてきたその地がなければ、救いの歴史は成り立ちません。・・・皆さんの信仰における証しに感謝します。皆さんの間に存在する愛に感謝します。希望のない状況で希望を持ち続ける皆さんの力に感謝します」と呼びかけられました。

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主の復活を今日祝うわたしたちは、その出来事を伝えるヨハネの福音を耳にしました。葬られたはずの主の体が見当たらない「空の墓」は、復活の最も最初の証拠です。その事実が起こったその地で、聖地で、いまこのときも、いのちが危機に直面し、人々は希望を奪われ続けています。教皇様の意向に合わせて、わたしたちも、聖地にとどまり続けている信仰における兄弟姉妹の勇気ある証しに感謝し、パレスチナもイスラエルも、聖地に生きているすべての人の安全と安心のため、平和が確立される道が開かれることを祈りたいと思います。

姉妹教会であるミャンマーのバモー(Banmaw)教区のレイモンド司教様から、聖週間中にメールが来ました。レイモンド司教様は、ミャンマーの司教団を代表して、アンドレア司教様の叙階式に参加してくださった方です。

レイモンド司教様からは、ミャンマー北部にあるバモーの町では、この数日、砲撃やドローンによる爆撃が相次ぎ、司祭や信徒はシェルターに避難せざるを得ず、聖週間の典礼を行うことができないというメッセージでした。果たして本日、復活の喜びを共にすることができているのかどうか、心にかかります。

聖地にしても、ミャンマーにしても、またウクライナでも、さらにはシリアやアフリカ各地。それぞれの国の名前を挙げたらきりがありません。いのちを危機にさらすような状況が、世界各地で収まることがありません。その地で生きる人たちが心に抱く恐怖はいかばかりかと想像いたします。いのちの危機に直面し、不安と絶望のうちに希望を失っている多くの方のために、復活の主がいのちの希望を与えてくださるように祈りましょう。同時に、こういった事態が長期にわたって続くと、どうしてもその存在を、安全なところにいるわたしたちは忘れてしましがちであります。忘却されることほど、危機に直面している方々からいのちを生きる希望を奪うことはありません。常に記憶にとめ、平和が訪れるまで祈り続けましょう。

暴力によって引き起こされる悲しみや恐怖は、怒りと復讐の心を引きずり出します。結局、暴力の連鎖がいつまでも続き、いのちの危機が増し加わるだけで、このような人間の状態は神の御心に適うことでは決してありません。

主イエスが復活によって死の闇を打ち破り、新しいいのちの希望が闇に輝いた喜びの日を祝うわたしたちは、あらためていま世界に必要なのは、まさしく新しいいのちに復活された勝利の主が人類にもたらした恵み、すなわち神の愛に基づくゆるしと愛と希望であって、神の平和が世界を支配するように、争いをやめいのちを守り、人間の尊厳を確立するように、祈りのうちに求めたいと思います。

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第一朗読の使徒言行録をどのように聞かれましたか。ペトロの説教です。ペトロは堂々と、「前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、ご一緒に食事をしたわたしたちに対してです」と人々に宣言します。使徒の頭であるペトロだから当然と言えば当然です。しかしそのペトロは、復活の出来事の数日前には、三度にわたって、堂々と、イエスのことを知らないと宣言していました。それが良いか悪いかではありません。つまり、復活の出来事の体験は、それほどにまでに人を変えるのです。古い生き方を脱ぎ捨て、新しいいのちとして生きるように、変えるのです。古い生き方を捨て去り、まったく新しい生き方を選択する。それこそが復活の主にあって生きる道ではないでしょうか。

世界の現実を見るとき、またわたしたちの国の現実を見るとき、時に過去のしがらみ、歴史的背景、様々な過去に基づく理由によっていのちの危機が生み出され続けています。暴力の連鎖によって、憎しみと復讐の道を歩み続けるのではなく、まったく新しいゆるしの道を選択すること。何とか今の生きる道を維持していくのではなくて、神の導きの中で、常に新しくされ、いのちを守る道を見いだそうと努めること。それがわたしたちのたどるべき道です。

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