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2024年4月 2日 (火)

2024年御復活の主日@東京カテドラル

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3月31日、復活の主日、午前10時からの東京カテドラル聖マリア大聖堂でのミサの説教原稿です。

復活の主日
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年3月31日

皆様、御復活おめでとうございます。

昨晩の復活徹夜祭で洗礼を受けられた方、堅信を受けられた方、おめでとうございます。

十字架における受難と死を通じて新しいいのちへと復活された主は、わたしたちが同じ新しいいのちのうちに生きるようにと招きながら、ともに歩んでくださいます。

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教会は、単に日曜日に集まるこの建物だけのことではありません。教会とは人の集まりのことです。御父がわたしたちに賜物としていのちを与えと信じ、復活されたイエスを救い主、新しいいのちに招かれる主と信じ、聖霊が常に守り導いていると信じている、信仰者の集まりこそが教会です。旧約においてイスラエルの民が神から選ばれ、神と契約を結んだように、主イエスの御体と御血による新しい契約の民として招かれているわたしたちは、新約における神の民であります。教会は、救いの道をともに歩む神の民であり、その中心には、ご聖体を通じて、また御言葉を通じてわたしたちと共にいてくださるイエスがおられます。そして最後の晩餐で示されたように、イエスはわたしたちに、互いに足を洗いあうように、すなわち互いに愛し合い支え合って歩むようにと命じられました。さらに復活された主は、全世界に行って福音をのべ伝えるようにと命じられました。わたしたち教会は、その命令に生きて、時の流れを旅する神の民であります。

新しい仲間を迎え入れ、互いに支え合いながら、ともに歩んでいきましょう。体が一つの部分でできていないように、そこには様々な人がいて当然です。一致は一緒ではありません。それぞれが自らに与えられたいのちを十全に生き、互いに支え合い、ともに歩むことで、主における一致を実現していきましょう。

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さて教皇様は、3月27日に、聖地で暮らすキリスト者に向けて書簡を送られました。昨晩も触れましたが、イスラエルとパレスチナの対立には長い歴史があり、この数ヶ月は、泥沼のような状況の中で、多くのいのちが危機に直面し、ガザではすでに3万人を超えるいのちをが暴力的に奪われたと報道されています。

教皇様は書簡の冒頭で、「わたしたちの信仰の中心にある御復活は、主御自身が生き、亡くなられ、そして復活したまさしくその地でこれを祝う皆さんにとって特に意味があります。あなた方が何世紀にもわたって生きてきたその地がなければ、救いの歴史は成り立ちません。・・・皆さんの信仰における証しに感謝します。皆さんの間に存在する愛に感謝します。希望のない状況で希望を持ち続ける皆さんの力に感謝します」と呼びかけられました。

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主の復活を今日祝うわたしたちは、その出来事を伝えるヨハネの福音を耳にしました。葬られたはずの主の体が見当たらない「空の墓」は、復活の最も最初の証拠です。その事実が起こったその地で、聖地で、いまこのときも、いのちが危機に直面し、人々は希望を奪われ続けています。教皇様の意向に合わせて、わたしたちも、聖地にとどまり続けている信仰における兄弟姉妹の勇気ある証しに感謝し、パレスチナもイスラエルも、聖地に生きているすべての人の安全と安心のため、平和が確立される道が開かれることを祈りたいと思います。

姉妹教会であるミャンマーのバモー(Banmaw)教区のレイモンド司教様から、聖週間中にメールが来ました。レイモンド司教様は、ミャンマーの司教団を代表して、アンドレア司教様の叙階式に参加してくださった方です。

レイモンド司教様からは、ミャンマー北部にあるバモーの町では、この数日、砲撃やドローンによる爆撃が相次ぎ、司祭や信徒はシェルターに避難せざるを得ず、聖週間の典礼を行うことができないというメッセージでした。果たして本日、復活の喜びを共にすることができているのかどうか、心にかかります。

聖地にしても、ミャンマーにしても、またウクライナでも、さらにはシリアやアフリカ各地。それぞれの国の名前を挙げたらきりがありません。いのちを危機にさらすような状況が、世界各地で収まることがありません。その地で生きる人たちが心に抱く恐怖はいかばかりかと想像いたします。いのちの危機に直面し、不安と絶望のうちに希望を失っている多くの方のために、復活の主がいのちの希望を与えてくださるように祈りましょう。同時に、こういった事態が長期にわたって続くと、どうしてもその存在を、安全なところにいるわたしたちは忘れてしましがちであります。忘却されることほど、危機に直面している方々からいのちを生きる希望を奪うことはありません。常に記憶にとめ、平和が訪れるまで祈り続けましょう。

暴力によって引き起こされる悲しみや恐怖は、怒りと復讐の心を引きずり出します。結局、暴力の連鎖がいつまでも続き、いのちの危機が増し加わるだけで、このような人間の状態は神の御心に適うことでは決してありません。

主イエスが復活によって死の闇を打ち破り、新しいいのちの希望が闇に輝いた喜びの日を祝うわたしたちは、あらためていま世界に必要なのは、まさしく新しいいのちに復活された勝利の主が人類にもたらした恵み、すなわち神の愛に基づくゆるしと愛と希望であって、神の平和が世界を支配するように、争いをやめいのちを守り、人間の尊厳を確立するように、祈りのうちに求めたいと思います。

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第一朗読の使徒言行録をどのように聞かれましたか。ペトロの説教です。ペトロは堂々と、「前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、ご一緒に食事をしたわたしたちに対してです」と人々に宣言します。使徒の頭であるペトロだから当然と言えば当然です。しかしそのペトロは、復活の出来事の数日前には、三度にわたって、堂々と、イエスのことを知らないと宣言していました。それが良いか悪いかではありません。つまり、復活の出来事の体験は、それほどにまでに人を変えるのです。古い生き方を脱ぎ捨て、新しいいのちとして生きるように、変えるのです。古い生き方を捨て去り、まったく新しい生き方を選択する。それこそが復活の主にあって生きる道ではないでしょうか。

世界の現実を見るとき、またわたしたちの国の現実を見るとき、時に過去のしがらみ、歴史的背景、様々な過去に基づく理由によっていのちの危機が生み出され続けています。暴力の連鎖によって、憎しみと復讐の道を歩み続けるのではなく、まったく新しいゆるしの道を選択すること。何とか今の生きる道を維持していくのではなくて、神の導きの中で、常に新しくされ、いのちを守る道を見いだそうと努めること。それがわたしたちのたどるべき道です。

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