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2024年5月30日 (木)

アドリミナを振り返って:その12

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アドリミナの振り返りの最終回です。

前回、2015年3月のアドリミナが終わった後に記した「司教の日記」には、アドリミナのスタイルが大きく変わり、地方教会に命令するバチカンから、補完性の原理を尊重し、地方教会を助けるバチカンに変わろうとしている雰囲気を感じたと、わたしは記しています。

今回はそれがさらに進んだと思います。教皇様の省庁改革の意図は浸透しつつあり、各省庁は、宣教地の教区を管轄する上部組織ではなく、地域教会を支援する組織体に変わってきています。それはバチカンの諸官庁の性格が、教会を治めるところから、教皇様の牧者としての務めを支える組織に変わりつつあるからで、そうなるとひとり一人の司教は教皇様から直接一定の地域を任されているのですから、教皇様を支える組織は、教皇様から任命された地域教会の牧者を同じように支える組織となるのは必然です。

そうなると、現在でもその位置づけが曖昧な、司教協議会の意味づけが今後どのように変化していくのかが注目されます。

現在の司教協議会というのは、その国の全国のカトリック教会を統轄する機関ではありません。つまり、それぞれの教区や教区司教の、上部機関ではありません。日本に15ある教区は、その他の世界中の教区と同じく、一つ一つが独立していて、教皇様に直接つながっています。ですから現行の制度では、司教協議会の会長は教区司教の上司ではありません。どちらかというと、司教協議会は独立した司教たちの相互扶助組織です。同じ国や文化圏の中で共通する課題(典礼書の翻訳や国家法や行政機関との関わり)に対処するための組織です。仮に教皇様が、バチカンの諸官庁がローマ司教の使徒としての働きを支え、普遍教会への共通の課題に対処するサービス機関と位置づけようとしているのであれば、教区司教たちとその地域の司教協議会との関係も同じようにしていくのかもしれません。

シノドス的な教会のあり方を教皇様が推し進めているのは、まさしく、下部組織があって上部組織がそれを管轄するような、この世の普通の組織としての教会ではなく、キリストを中心とした神の民としての教会を目指しておられるのですから当然の流れです。これまでのようなピラミッド的な組織として、上から下へ向かって管理する教会ではなく、キリストを中心として皆で聖霊の導きを識別する教会を目指すというイメージを、教皇様は実現されようとしているのは明白ですが、具体的にそれをどのような形で作り上げていくのかは、昨年10月に開かれたシノドス第一会期に参加して体感したことも相まって、まだ明確にそのイメージが固まり浸透してはおらず、ですから改革が進んでいるというバチカンの省庁でも、単に、耳を傾ける優しさが前面に出てしまっているだけと感じてしまいました。その次にどう発展させていくのかの道筋は、まだ、皆が模索中であることを肌で感じました。教会は変わろうとしていますが、どう変わろうとしているのかのイメージを、描き切れていないし、ですから教会全体で共有することもできていません。しばらくの間、試行錯誤が続くものと思います。

教会の伝統として、定期的に司教たちが聖座を訪れることには、確かに巡礼として、司教個人の霊的な発展のためには意味があると思います。しかし実務的には、徐々にその意味を失っているのではないでしょうか。ある地域の司教が全員そろってローマに一週間以上滞在することの持つ意義が、時代の変化とともに変わってきているようにも感じます。確かに各省庁の責任者を個人的に知っていることには意味がありますが、必ずしも司教全員が出かけていって時間と場所を共有することが必要不可欠かどうかには疑問が残ります。実務的な課題は、今やメールでとまでは言いませんが、オンライン会議でも済ませることができます。実際に集まることの意義は確かにあるので、すべてを否定するつもりはありませんが、もう少し効率化を図ることはできるようにも思います。とはいえ、わたしたちを教区司教として任命してくださっている教皇様に定期的に会い、報告をし、アドバイスをいただくことは、教会の歴史を振り返っても実務的にも霊的にも必要であるとは思いますので、何らかの形で、例えば全員で省庁訪問を繰り返すことなどは廃して(実務的なことは個別の機会にして)、教皇様と出会うことを中心とした信徒や司祭修道者の方々と一緒の巡礼と位置づけても良いのかもしれません。

言葉の問題もありますし、時間の制約もありますから、今回のアドリミナで、具体的に聖座が地域教会に何を求めているのかの優先事項は明確にはなりませんでした。ただ教皇様が求めているシノドス的な教会共同体のあり方が、これから長期にわたっての最優先事項であることは肌で感じました。したがって今回のアドリミナの一番の収穫は、神の民としてともに耳を傾けあい、支え合いながら、ともに聖霊の導きを識別する教会共同体を実現するために、様々な視点から、長期的に継続して取り組まなくては成らないことを自覚した点にあります。それは同時に、教会が現実社会の中で抱える様々な課題に、牧者である教区の司教が責任を持って、共同体全体がその課題から目を背けることなく、積極的に関わるような共同責任を果たす共同体となるように、数多ある課題を乗り越えて実現していくことでもあります。教会は、一人教皇様のものでもなく、司教のものでも聖職者のものでもありません。教会はキリストの体です。わたしたちひとり一人はその体の部分として一致しているはずです。

アドリミナの期間中に、司教のためにお祈りくださった皆さん、教皇様のためにお祈りくださった皆さん、ありがとうございます。これからも互いに祈り合うことで支え合い、互いに耳を傾け合いながら、聖霊の導きに信頼しつつ、一緒に歩んで参りましょう。

(アドリミナの振り返りは、今回で終了です)

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アドリミナを振り返って:その11

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アドリミナの振り返りも終わりに近づきました。4月8日月曜日から始まり、公式行事としては12日の金曜日の教皇謁見までの5日間、その翌日には13日土曜日朝の聖パウロ教会でのミサまでの一週間の訪問でした。

金曜日の朝です。福音宣教省の担当者から、必須となっている聖ペトロの墓前でのミサを、教皇謁見の前にするべきだと指導され(これまでは他の日に設定していました)、教皇謁見は司教正装の黒のスータンが不可欠ですから、早朝一番で皆黒のスータンに着替え、宿舎のロビーに集まりました。早朝、朝6時過ぎです。そこから歩いてサンピエトロ大聖堂まで。サンピエトロ大聖堂での朝のミサは7時15分に設定されていますので、参加してくださるローマ在住の方々の姿も、大聖堂前の広場には見受けられます。サンピエトロ大聖堂が光輝く、素晴らしい天気の朝でした。

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大聖堂でミサをするためには、まず左手の香部屋へ行かなくては成りませんが、この香部屋自体が日本の小教区教会くらいの大きさがあります。ここに至るまで二カ所の検問を通過。香部屋棟の二階の奥まったところにある別室に、事前にお願いしてあった日本の司教さんたちの人数分の赤の祭服が用意してあります。一体この大聖堂香部屋には、何枚の祭服があるのでしょう。シノドスの時などにも、何百枚もの同じ祭服が用意されているのを見ましたから(そういうときは、大聖堂の一部を仕切って臨時の香部屋にします)、ものすごい数の祭服をキープしているものと思います。

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ここで着替えて、大聖堂に出ると、すでに観光客が聖堂内に。そのまま地下への階段へと進み、大聖堂地下の教皇墓所にあるペトロの墓所(大聖堂の教皇祭壇の真下)前の祭壇で、ミサを捧げました。(上の写真、大聖堂の教皇祭壇の前です。現在その天蓋を修復工事中)

ミサ終了後、そのまま地下墓所の前方に進み出て、司教たち全員でペトロの墓前に立ち、信仰宣言を行い、使徒の後継者としての使命に忠実に生きる決意を新たにしました。

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さて、ここからです。今の時代ですから、教皇謁見の招待状(これがないと教皇宮殿に入れてくれない)はメールに添付で送られてきますが、それによると、午前9時15分に教皇執務室(書斎)に来るようにと書いてあります(上の写真がその一部)。ミサが終わったのが8時過ぎ。ここから宿舎に戻って朝食では間に合わなくなるので、このまま大聖堂内を見学し、8時45分にピエタ像前に集合、そのまま大聖堂入り口を横に移動して、いくつかの関門を通過して、教皇宮殿へ向かうことにしました。

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長い階段を上り、屋上庭園・中庭的な聖ダマソ広場に出て、広場を横切り、教皇宮殿や国務省に行くエレベーター前に到着。ここでいったん、警備が上に確認する間に待たされ、その後、エレベーターに分乗して教皇宮殿へ。(上の写真、聖ダマソ広場で成井司教様と)

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到着すると、待ち構えていたスイス衛兵に、前の予定が長引いているのと、急な賓客が入ったので、しばらく待ってほしいとのことで、枢機卿会などを行うための広間にて待機することに。待つこと一時間、10時過ぎに、やっと執務室の前の前の部屋まで呼ばれ、ここで教皇様の秘書官から、執務室の中に入ったら何があるか、どう行動するかの説明をいただきました。入り口で教皇様が待っておられ、挨拶をするときに公式な写真を撮影されます。

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それからしばらくして、執務室へ入るように呼ばれ、前田枢機卿様を先頭にして、一人づつ順番に入室し、そこに立って待っておられる教皇様に挨拶をしながら、部屋の一番奥に設えられた会見の場に向かいます。二番目に入室した私は、東京教区のメディア司牧の成果を収めたDVDを差し上げ、さらに水曜日の一般謁見での聖書の献呈について感想を伺いました。すでに記したように、聖書の翻訳事業の重要性を改めて確認する言葉を頂戴しました。

ここから先は、冒頭での写真撮影以外、訪問している司教たちと、通訳の和田神父様、そして同席する司教協議会の川口事務局長と教皇様だけになります。教皇様の椅子には仕掛けがあって、あるところにボタンがついていて、それを押すと、待機していた関係者が入室してきます。終わりの合図です。それが押されるまでは、訪問している司教たちと教皇様だけの時間となり、公式な記録も残されません。(ですから、以下の記録は非公式なメモに基づいた、私的な報告です)

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以前は、冒頭で、読むか配布するかは別にして、教皇様のメッセージがあり、それに対して司教協議会会長が答礼のメッセージを読み上げていました。触れたように教皇様との謁見それ自体は公式な記録を残さないので、外に発表する際には、その教皇メッセージを元にすることになっていました。前回2015年の時も、教皇様は読まれませんでしたが、文章が公表されたので、それを元にして謁見内容を公表していました。

ところが今回は、冒頭から教皇様がぐいぐい押してきます。「私のメッセージはないから。そちらも公式なメッセージはいらないから。十分な時間をとって、日本の教会について話してほしい。必要ならそこに水もあるし、トイレはその後ろにあるから。じゃ、会長、司会して」とおっしゃるのです。これには面食らいました。こちらも、報告を用意していたのですが、すべて吹き飛びました。

そこで、用意していた報告の項目に沿って、それぞれの関係する司教様に振って話してもらうことを思いつき、まず2019年の訪日への感謝の言葉から始めました。それに対して、教皇様は、ご自分が若い頃に日本に行きたかった話や、後に管区長時代に会員をアルゼンチンから日本に派遣した話などに触れ、日本訪問が良い記憶として残っていることを話されました。

以下、概ね次のように話を進めました。まず、能登半島での地震発生時のお見舞いへの感謝を述べ、松浦司教様から復興の現状について説明していただきました。さらに日本の教会に「ラウダート・シ」デスクを設置し、エコロジーの課題に積極的に取り組むべく体制を整備していることを説明し、具体的に成井司教様から説明していただきました。続いて、訪日の際に、長崎と広島での核兵器廃絶と平和への誓いの言葉に感謝申し上げ、これに関して、シアトルやサンタフェの大司教たちと、広島、長崎の大司教たちが中心になって、核兵器廃絶の運動を進めていることを報告し、白浜司教様と中村司教様に具体的な説明をお願いしました。教皇様は、核兵器を使うことだけでなくその保有自体が倫理に反していると、ここで改めて強調されました。

さらに、日本におけるシノドスへの取り組みについて、私から説明しました。特に今回のシノドスの期間が感染症の真っ最中であったために、なかなか具体的な取り組みが難しかったが、長期的な視点からこれからも慌てずに取り組んでいくことを伝えました。そして、高山右近など殉教者の列聖運動を進めていることに触れ、大塚司教様に具体的な取り組みについての説明をお願いしました。興味深げに列聖運動について話を聞かれていた教皇様は、さらに進めるようにと励ましの言葉を述べられた後、教皇様特有のジョークで、「話を早く進めようとして、賄賂を使っちゃだめですよ」と一言。このジョークで場が和みました。

ここで教皇様から、日本における召命と司祭養成についての問いかけがあり、神学院常任委員長である大塚司教様から、二つの神学院が一つになった経緯や、養成のプログラムなどについて、具体的に説明していただきました。教皇様は、「それで、一体神学生は何人くらいいるのだ」と問いかけられ、「大体20名以上は常におります」と答えたところ、教皇様は、「そんなにたくさんいるのか」と、驚いて見せ、「イタリアでは、もっと神学生が少ない神学校もある」と、これまた教皇様特有のユーモアたっぷりに話され、司祭養成の重要性を語られました。

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これ以外に、大阪万博に対する教皇庁の協力へのお願い、日本語版ミサ典書が予想よりも早く認可されたことに対するお礼、世界青年大会(WYD)での経験の分かち合い、外国籍信徒が増えていることに伴う日本の教会の課題についての分かち合い、修道者召命の減少の課題などを日本の司教からお話ししました。

那覇のウェイン司教様は、沖縄の米軍基地に関する報告をされ、その中で、外国の軍隊が他国に基地を常設することの倫理性に関する問いかけをされました。教皇様からは、その問題はこれまで注目されたことがなかったが、確かに大きな課題であるので、これから検討するに値するとの答えがありました。

さらに教皇様からは、現在進めているシノドスの道のりについてのお話がありました。いま進めていることは何か新しいことを思いついたのではなくて、第二バチカン公会議が目指してこれまで60年以上も続けてきた神の民のあり方を実現しようとしていることである、新しい教会を作ろうとしているのではなく、聖霊に導かれている教会のあり方を見いだそうとしている。シノドス性はイデオロギーではない。民主主義でもない。皆が一つに成って教会を作りあげていることが大切だ、という旨のお話でした。

最後に、教皇様から、「喜びを失わないように。ユーモアの感覚も失わないように。喜びに満ちていないキリスト者は悲しいキリスト者だと言われる。私のために祈ってください。私も皆さんのために祈ります。どうか前進を続けて下さい」との言葉があり、教皇様はボタンを押されました。

最後に全員で教皇様を囲んで写真を撮影し、それぞれ教皇様にお別れを述べ、執務室を後にしました。

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この日は、朝から食事をしていないのは当然として水も飲んでいなかったので(さすがに教皇執務室で、水を飲めません)、そして教皇様と出会う緊張もあり、この週で一番気疲れをした午前中でした。

宿舎に戻り、急遽この日の昼食に同席してくださることになった福音宣教省のタグレ枢機卿様を迎えました。

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タグレ枢機卿様からは、食事の終わりに、概要次のような挨拶がありました。「福音宣教省は宣教地の司教のボスではない。司教を助けるためにある。宣教地での喜びや成果、苦労や問題を、福音宣教省と分かち合ってほしい。またそういった課題にどのように取り組んでいるかも、教えてほしい。先日ヨーロッパのある司教たちとあったが、彼らは自分の国で今やカトリックは少数派になりつつあるので、福音宣教について教えてもらわないといけないと言っていた。日本の司教たちは、すでにマイノリティーとしてそのことを知っているのだから、これからは世界の教会に向けて体験を教える立場になってほしい」

(この項、あと一回続きます。「アドリミナを振り返って:その12」へ

 

 

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2024年5月29日 (水)

アドリミナを振り返って:その10

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2024年4月8日から13日まで行われた、日本の司教たちのアドリミナ聖座訪問の振り返り、その10回目です。あと残るのは木曜日と金曜日。(上の写真は、正面に見えるサンタ・マリア・マジョーレ聖堂に向かう道で)

繰り返しになりますが、アドリミナの義務は個々の司教にあり、それぞれが裁治権を与えられている地域(教区)について報告する義務は個々の司教にあります。そのため、司教たちは数か月前に(今回は昨年末12月)、それぞれの教区の報告書(前回のアドリミナ以降の統計や行事や課題)を福音宣教省のガイドラインに沿って聖座に提出しており、それは福音宣教省から各省庁に配布され、各省庁はすでに個々の教区の事情を把握していることを前提として、省庁訪問は行われます。省庁訪問は既述の通り、こちらは日本語で話し通訳を入れて行う形になりますので、例えば二時間あったとしても実質は45分程度です。ですから、その場で、個々の事情を説明して細かく話し合い、何かを決めるようなことはなく、どうしても省庁側の教示をいただく形になってしまいます。今回は、これも既述ですが、教皇様の指示もあり、できる限り地域教会の現状に対して省庁側が耳を傾けて、省庁側も一緒に解決の道を探るような形に変わりつつあり、今後、その方向で定着していくことが期待されます。もっとも事前にそのようなレクチャーがあったわけではないので、以前のようなアドリミナの省庁訪問を想定して出かけて行ったこちらとしては、準備が異なっているので、対応が十分でなかったっことも多かったと思います。いずれにしろ、アドリミナの報告は、それぞれの個別の司教様方がそれぞれのアドリミナについて責任を持って語るものであって、私の振り返りも、東京の大司教としての振り返りです。

さて訪問の四日目、4月11日木曜日は、朝8時半から福宣教省のもう一つの部署、すなわち以前の新福音化推進評議会であった、現在の世界宣教部門を訪問しました。こちらの事務所は、スペイン広場近くのプロパガンダ・フィデ宮殿ではなく、サンピエトロの近くにあります。

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こちらの責任者は、リノ・フィッジケラ大司教様。ローマ教区の補佐司教からラテラン大学の院長や生命アカデミーの責任者を経て、2010年から新福音化推進評議会の議長、2022年6月から現在の福音宣教省世界宣教部門の責任者になられています。(上の写真、向かって右端がフィジケラ大司教)

この部署は、2025年の聖年、大阪万博、世界青年大会(WYD)などを担当しています。日本からは前田枢機卿様が、大阪万博への取り組みや計画、そして福音宣教省への協力を要請されました。

フィッジケラ大司教からは、すでにアドリミナ後にバチカンから記者発表されましたが、大阪万博のためにカラバッジョの絵をバチカン美術館から出展することや、そのほかの美術品も持っていく予定であること、さらにイタリア館内に設けられるバチカンのセクションは、そのテーマを「美は希望をもたらす」として、それに関するウェブサイトも現在準備中であることが告げられました。

また激しい世俗化が進み、宗教的な無関心が広まっている伝統的キリスト教国にあって、どのように福音を告知するかは同省一番の課題であり、同時にデジタル世界に生まれ育った若者たちにどのように福音を伝えるのか、またAIの普及する中で倫理的な問題、特に生命倫理についてどのように取り組むのかを重要な課題としているという旨のお話がありました。

さらに青年たちに向けてカテケージスを充実させる必要は、初聖体や堅信のためではなく、キリスト者としてのアイデンティティを確立し、共同体としての意識を確立するために、必要不可欠であること、そのためにもそれぞれの教区でカテキスタを養成することの重要を強調されました。

また2025年の聖年にかかわる様々な企画の説明もあり、とくにそれぞれの教区でも巡礼教会を設けることやゆるしの秘跡を提供することの大切さを強調され、それに伴い「いつくしみの特別聖年」の時に設けられた「いつくしみの宣教師」を日本の教会でも取り入れることを検討してはどうかという問いかけがありました。

その後、それぞれの教区から、福音宣教の現実について、情報交換となり、大阪の万博会場でのフィッジケラ大司教との再会を願いながら、訪問は終了しました。

この後、10時からは、すぐ近くにある列聖省の訪問です。

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列聖省は、聖人や殉教者の認定をするための部署で、長官はマルチェロ・セメラロ枢機卿(上の写真の真ん中)。イタリアのアルバーノの司教と同時に教皇様の枢機卿会の秘書をしておられましたが、2020年から同省の長官になられています。日本の教会にとっても高山右近やペトロ岐部と187殉教者など、近年多くの福者の認定作業をしていただき、現在はその殉教者の列聖を進めていますので、頻繁にやり取りのある省庁の一つでもあります。

日本からは列聖委員会を担当する大塚司教様から、現在の列福列聖運動の進捗状況などについて報告がありました。福者ユスト高山右近、福者ペトロ岐部と187殉教者、日本205福者殉教者(これについては先日典礼秘跡省で内諾を受けたように、今後手続きを踏んでセバスチャン木村司祭と204殉教者に変更する)の列聖運動を進めていること、広島教区の津和野の証し人、チマッチ神父様、北原怜子さん、永井隆夫妻、などの列福運動が、それぞれの教区や修道会、グループによって進められていること、さらに元和の大殉教400年にあたり、各地でミサなど行事を行ったことが報告されました。

同省からは、伝統的な命をささげた殉教者に加えて、生涯のすべてをささげて福音を証しした人たちも殉教者として認める方向に進んでいること、そういった信仰の証人のリストを更新中であり、聖年にはそれに関する行事をローマ・コロセオで行いたい、また現代の殉教者、すなわち直接信仰を捨てることを強要されたのでなくても、愛と真理の証しの中でいのちを失った方々も、殉教者として十分に注目していきたい、といった旨のお話があり、また加えて、誰かを聖人にしたいので運動するというのは間違いで、聖人かどうかがその人物が天国に入った証明でもない。それは神が決めることであって、教会にとって重要なのは、その人物が多くの人の信仰生活の模範であるかどうかであるとの指摘もありました。その後、それぞれの教区などで取り組んでいる顕彰活動や列福列聖運動についての分かち合いとなりました。

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列聖省での訪問を終了後、タクシーに分乗して、ローマ市内にある教皇庁未成年保護委員会に向かいました。この日の12時半から、同委員会のメンバーと意見交換となりました。

私自身は、国際カリタスの総裁として各国のカリタス関連の未成年者への加害問題への対応の関連で、前任の次官の司祭とは以前から連絡がありましたが、この3月に次官が交代となり、新しい次官にはこの日初めてお会いすることに。

2013年末に同委員会が設立されてから責任者はボストンのオマリー枢機卿様で、もちろんボストンにお住まいですから、今回の面談にはお出でになっていません。この3月15日に次官に任命されたばかりのルイス・マニュエル・アリ・エレラ司教様はコロンビアのボゴタの補佐司教を務めておられた方です。集まってくださった委員の方々は世界各地域から任命され来られた方々で、大多数が女性です。(委員の方々のプライバシーのため、写真はありません)

次官からは、教皇様の省庁改革によって現在のような常設委員会として設置されたこと、主な目的は、地域教会がこの課題に真摯に取り組むように助力すること、実際にケースがあった場合に教区や修道会から報告を受ける窓口となること、それを毎年、教皇様に報告することだとの説明がありました。

日本からはこれまでの事例についてすでに報告書を送っているので、まずわたしから対応する中での様々な課題について分かち合いました。特に強調させていただいたのは、教区司教と修道会上長の教会法上の立場による連携の難しさと、ほかの言語圏では共通で設けられている研修施設を日本単独でどのように設置できるかの課題です。

教区司教にとっては、教区司祭の問題を直接取り扱うことは当然として、修道会や宣教会の会員の問題に勝手に入り込むことはできません。結局、修道会や宣教会からの対応と報告を、司教は待つしかないのが現状です。教会の制度上、修道会と教区は並立する同等の立場であるためです。信徒の方々や外部の方々からは、同じカトリック教会なのだからどうして司教が直接取り扱わないのかという批判を頂戴しますが、今の教会の制度では、それはできません。そのため、教区司教は時に、対応の難しさに困惑することすらあります。

これについて同委員会からは、同じような意見が世界各国の司教から届いており、同委員会では現在、司教協議会とその国の修道会の上長協議会、そして同委員会との三者で事前に協定を結び、被害を受けた方の善益を一番に尊重して迅速に対応できるように制度を整えようとしているとの回答がありました。今後、日本でも、同委員会と連携と取りながら、教区司教と修道会上長協議会と同委員会の協定を結ぶように、内容を含め検討してほしいとの要望がありました。

また、被害者と加害者にどう対応するかの問題だけでなく、そもそも加害者が生まれない教会を生み出すことが重要で、そのための霊的、医療的、精神的ケアをどのような形で進めるのか検討するのも、同委員会の重要な役割であるとの説明があり、そのためにも、司祭養成と司祭の生涯養成のなかで、セクシャリティの問題を含め、自らを知るための養成を充実させるなど、抜本的な見直しが、世界中で不可欠であるとの指摘も委員の方からありました。

なお、聖職者による性的加害に対応する部署は、未成年が被害者の場合はこの委員会が窓口ですが、それ以外の方が被害者の場合は、教理省が窓口になっており、この窓口が二つあってその二つの性格が異なっているのも、地方の司教からはわかりにくいことであることも、同委員会には伝えました。

未成年者保護委員会の訪問を終え、宿舎に戻り昼食後、午後3時に、大塚司教様、中村大司教様、そして私と、三つの管区を代表して、ローマ市内にある使徒座署名院(最高裁判所)に向かいました。同時間に、前田枢機卿様はアンドレア司教様を伴って、バチカン美術館に向かい、大阪万博への協力を依頼しに行かれました。(下の写真は、使徒座署名院の玄関に立つ大塚司教様)

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使徒座署名院では、大塚司教様から、日本の三教会管区に設置されている教会裁判所での活動について報告がなされ、これに対して、特に結婚問題についての裁判がほとんどである日本の教会に、法的な対応のアドバイスをいただきました。また、裁判にかかわる有資格者も高齢化しているので、司祭や修道者でなくとも、信徒の男性でも女性でも、基本的な神学の学位を持っている人を教会法の資格取得のために留学させるようにとの強い勧めをいただきました。確かに今回のアドリミナの省庁訪問でも、女性信徒の役職者の中には、教会法の修士号や博士号を取得されている方もおられ、さらにいくつかの国の教区裁判所では、男女の信徒で教会法有資格者が裁判の実務にあたっている例もあることから、日本の教会でも差し迫った検討課題です。

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これで木曜日の予定は終わり、明日金曜は、いよいよ教皇様との謁見です。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その11」へ

 

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2024年5月28日 (火)

アドリミナを振り返って:その9

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アドリミナの振り返りの第9回目、訪問の週の第三日目、4月10日(水)の午後です。

三日目の午後は、福音宣教省から戻り、宿舎で昼食をとった後に、午後3時から、宿舎のすぐ近くにある広報省へ向かいました。広報省は、前田枢機卿様が、枢機卿としての役割である委員(メンバー)を務めておられます。長官はパオロ・ルフィーニ博士(下の写真、向かって右から4人目)。2018年に機構改革で広報局から広報省になった時から責任者を務めておられる信徒の方です。次官はアルゼンチン出身のルチオ・ルイス神父(下の写真、向かって一番右)。

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同省の会議室へ向かうと、司教たちの反対側には、毎日の記者会見を取り仕切っているジャーナリストの女性など、信徒女性が大勢おられます。昨年10月に開催されたシノドスの時に、毎日午後に行われた記者会見を取り仕切っていた女性ジャーナリストも来ておられました。

同省との面談は、まず委員である前田枢機卿様の報告から始まりました。前田枢機卿様は、2019年の教皇訪日を契機に日本の司教協議会にも広報担当司教が任命され、酒井司教がその任に当たっていること、今後、酒井司教を中心に、司教協議会の広報や出版を、デジタル化を中心に集約し充実させる方向で検討していること、そして大阪万博においてイタリア館のスペースを使いバチカンも出展することになっているので全世界に向けてバチカンからもよく広報してほしい、などを話されました。

同省からは、万博についての広報を強化することへの前向きな回答があったほか、紙媒体からデジタル媒体に移行するとしても、教会の広報活動にとっては神の愛を伝えることが最優先なので、バチカンと地域教会との連携を深めて、広報を充実させたい旨の発言がありました。また現在様々な言語で発信するために、デジタルで容易にコミュニケーションを図ることができるので、バチカンと地域教会で連携協力して発信している事例がいくつかあるが、日本語でもそれは可能だろうか。教会のコミュニケーションは一部のプロのものではなく、洗礼を受けたすべての人が情報を発信するように招かれている。互いに助け合いながら、様々な方法で情報を発信していきたい。また情報発信こそが、福音宣教につながる。などの発言がありました。

また若者たちを中心にデジタルのネットワークを築きたいと考えているので、プロジェクトチームから呼びかける際には、日本からも積極的な参加を促してほしいという要望もありました。

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広報省で情報交換ののち、今度は少し歩いて、全員ですぐ近くにあるバチカン放送局へ向かい(宿舎の裏側)、様々な言語での発信をしている現場を説明していただきました。放送局といっても、現在の主な発信源はインターネットです。

この日の省庁訪問は、この広報省とバチカン放送局への訪問で、夕方に終わりました。この日はこの後、ローマ在住の司祭やシスター方をお招きして、司教団と夕食を一緒にしていただきました。

あと残るは木曜日と、そして金曜日の教皇様との謁見です。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その10」へ

 

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アドリミナを振り返って:その8

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アドリミナの振り返りの続き、八回めです。アドリミナの週、三日目の午前中の続きです。(上の写真。福音宣教省玄関にあるヨハネ23世胸像)

朝一番の典礼秘跡省に続いて、福音宣教省へ移動しました。教会的に日本の教会は宣教地ですので、日本の司教たちは、すべて司教省ではなくて福音宣教省の管轄下にあります。アジアで司教省が管轄している司教は、フィリピンの一部を除いた司教たちだけです。

アドリミナの説明をしていて一番難しいのは、聖座を訪問しているのは、教皇からある一定の地域の裁治権を与えられている個々の司教であって、司教団の訪問というのはありません。ですから、アドリミナの訪問は、司教協議会として同じ日程で一緒に来るように言われていますが、基本的にはそれぞれの司教の訪問であって、司教団のアドリミナではありません。それぞれの司教が任されている宣教または司牧の地域について、自らの責任で報告するのが、アドリミナです。もちろん、個別の課題について話し合うために、司教団が、またはその代表が、聖座を訪問することはありますが、そういった司教団の活動と、アドリミナは異なっています。それぞれの教区司教(とその補佐)の報告訪問であって、便宜上、日程が一緒になっているものです。100名を超える司教がいる国などでは、いくつものグループに分かれてアドリミナ訪問をしますが、そういったケースでは、司教団の訪問ではないことが明確にわかるかと思います。

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さて福音宣教省です。福音宣教省は現在、二か所に事務所を構えています。一か所はスペイン広場の近くに昔からある、いわゆるプロパガンダ・フィデと呼ばれる役所。ここは1622年の創設です。もう一か所は、以前は新福音化推進評議会と呼ばれていた部署。こちらは2010年の創設で、サンピエトロの近くにあります。これが数年前、2022年の省庁再編で一緒になり、現在の長官は教皇様ご自身です。古くからある部署を、初期宣教部門と呼び、責任者はタグレ枢機卿様。新しい部署を世界宣教部門と呼び、フィッジケラ大司教が責任者です。

この日訪問したのは、福音宣教省の初期宣教部門で、こちらは日本における司教の選任から教会活動の様々な点、そして日本の司教たちにとってはバチカンのコンタクト窓口になる部署です。

サンピエトロからスペイン広場まで、一方通行の複雑な経路を、タクシーに分乗して向かいました。

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残念ながら、タグレ枢機卿様は、所要のため海外に出かけており、ちょうどこの時間にローマにもどってくるところとのことで、この日はお会いできず、次官のフォルトゥナートゥス・ヌワチュク大司教様が対応してくださいました。(上の写真、中央)。ナイジェリア出身のヌワチュク大司教様は、教皇大使やジュネーブの国連代表部などに努めた外交官出身ですが、非常に落ち着いた穏やかな笑顔の方で、快く日本の司教たちを迎え、話に耳を傾けてくださいました。

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福音宣教省初期宣教部門では、まず日本の司教を代表して、私から主に以下の諸点について、現状報告をさせていただきました。

社会全体の少子高齢化は激しく進み、教会活動にも影響を及ぼし、特に召命の著しい減少の一つの大きな要因になっていること。日本の社会の現実が、いわば神不在の相対的な価値観に支配され、宗教は従来のままの在り方ではその存在意義を失ってしまうこと。その中で、大規模災害の被災地での長期的な復興支援活動は、愛の業の具体的な実践による福音の証しとして大きな意味を持っていること。大阪高松教区が創設されたが、この件を決め進められた福音宣教省の意図が、日本の教会に十分に伝わったとは言い難いこと。福岡と東京の二つの神学院を合併し、東京での一つの神学院としたこと。教会内の様々な新旧の運動体と、それにかかわるもろもろの課題について。

これに対して次官からは、様々な課題について、福音宣教省としては、地域教会の神の民の善益を最優先にして、補完性の原理を守りながら、対話のうちに物事進めていきたいという決意が語られました。さらに、2018年にアジアのための神学院を同省が東京に設立しようと試み、それに伴って内外で混乱を招いたことへの謝罪の言葉がのべられました。

また海外から日本に来られている多くの宣教師の働きに、感謝の言葉がのべられました。また同次官は、各教区からの報告書に目を通すと、日本に滞在する外国籍の方が増えている中で、教会も外国籍信徒の司牧に力を入れている様子がうかがわれ、そのことを高く評価したいと述べ、加えて、イエスご自身も聖家族とともに、エジプトで移民であったし、イスラエルの民もエジプトへ、またバビロンへと移り住んだ移民であったことを考えれば、移民や難民の方々のための司牧活動は、教会にとって重要だと力説されました。さらに教皇庁宣教事業への献金をはじめ、それぞれの教区がほかの国の教会を支援していることが報告書に記されているが、困難の中にあってもさらに困難を抱える兄弟姉妹に手を差し伸べてくださる日本の教会に、感謝したい。

このあと、それぞれの教区の現状などに基づいて、友好的な雰囲気で情報交換が行われ、昼過ぎには福音宣教省初期宣教部門への訪問は終わりました。

三日目の午前中は、これで終了です。なおタグレ枢機卿様は、金曜日の昼に司教たちの宿舎までおいでくださり、昼食をともにしながら、いろいろと情報交換をする機会を作ってくださいました。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その9」へ

 

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2024年5月27日 (月)

アドリミナを振り返って:その7

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アドリミナの振り返りの7回目、訪問時の三日目の出来事です。

三日目となる4月10日(水)は、水曜日ですから、本来は一般謁見がある日です。これまた従来ですと、この日の午前中には予定を入れないで、アドリミナ訪問中の司教は一般謁見に参加していました。ここでも教皇様に直接個人的にご挨拶できる機会だからです。しかし今回は、すでに触れたように福音宣教省が予定を組んでくださったため、無慈悲にも、この日も朝8時半から、省庁訪問が組み込まれていました。

実はこの日の一般謁見では、日本聖書協会が、教皇様に聖書を献呈(こちらのリンク)することになっており、当初は私も立ち会う予定でした。献上する聖書は、聖書協会共同訳の大型の講壇用聖書です。日本ではすでにこういった大型本の装丁ができなくなっており、国内で販売しているものについてもオランダの専門家にお願いしていますが、教皇様への献呈聖書はその専門家による特別装丁です。その制作過程はビデオになっています。(下のビデオです)。

私がこれに関わる理由は、日本聖書協会の理事会には長年にわたりカトリック教会から司教が理事として参加させていただいており、現在私が理事として加わり、同時に聖書協会の副理事長を拝命しています。そこで今回のアドリミナに合わせて、日本聖書協会では総主事の具志堅師がローマに渡り、一般謁見の際に私と一緒に教皇様にこの聖書を献呈しようと計画しておりました。

ところが司教たちはその日の朝から他の省庁訪問が入ってしまい、私も一般謁見に同行できなくなったため、急遽、聖書協会の評議員でもある司教協議会の川口事務局長に同行していただくことにして、教皇庁の担当部署にお願いの手紙を出しました。その結果、一般謁見の際に一番前の列に座って、教皇様と数分面談することを許す旨を記した入場券が届き、無事に聖書を献呈することができました。

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ケースに入った聖書をお渡しするだけのつもりでしたが、教皇様が開いて手渡すように求められ、さらにじっくりと中まで目を通されたとのことです。後で触れますが、この週の金曜日に教皇様とお会いした際に、この聖書について尋ねたところ、聖書の翻訳は大切な仕事だから力を入れるようにとの言葉をいただきました。(上の写真は聖書協会プレスリリースから)

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さて、この水曜日の省庁訪問は、朝8時半からの典礼秘跡省で始まりました。宿舎から、サンピエトロ広場の左手にある典礼秘跡省まで歩いて行く朝の道には、一般謁見に入るための人で、長大な列ができていました。(写真上は典礼秘跡省の入り口)

典礼秘跡省は、長官がアーサー・ローチェ枢機卿。前回2015年の時には、同省の次官だった方です。

典礼秘跡省では、典礼委員長の白浜司教様が、日本での典礼書の翻訳について、同省の迅速な対応への感謝とともに、進捗状況を報告し、新しく出版された日本語のミサ典書をローチェ枢機卿様に献呈しました。(下の写真)

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その後意見交換となりました。どれもお互いの考えを述べるのみで、この場で結論の出るような内容ではありませんが、例えば以下のような話題でした。デジタルでの典礼書や時課の典礼(教会の祈り)の出版について、デジタルが良いのか印刷物が良いのかについての互いの考え。世界の多くの教区で司祭不在の教会が増える中で、集会祭儀と聖体拝領の関係についてどう考えるか。第二バチカン公会議が望んだ典礼刷新を、地域教会で具体的にどう実現していくのか。

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またこの中で、司教団が望んでいる「日本205福者殉教者」の名称を、殉教者の中に含まれている日本人で最初の司祭であるセバスチャン木村を筆頭にして、「セバスチャン木村と同志殉教者」に変更することに関して、意見を交換した結果、典礼秘跡省としては問題はないので、しかるべく関係省庁に諮ることで同意しました。

前回や前々回のアドリミナの際には、典礼書の翻訳について今以上に絶大な権限を典礼秘跡省が与えられていたため、ラテン語原文から日本語への翻訳について、日本側の翻訳原案に対して訂正を求めてかなり細かい指摘を、それも厳しく受けたことを思うと、今回の訪問は、お互いの考えを十分に述べる機会として、まだまだこれから当面の間継続する典礼書などの日本語への翻訳作業に関して、明るい見通しを抱かせる面談となりました。

典礼については、日本語への翻訳が常に重要な課題として存在しています。それぞれの地域の教会と、典礼秘跡省がしっかりと連携して作業を迅速に進めるためにも、このように関係者が定期的に出会い意見を交換することは不可欠であることを、改めて確認しました。メールや手紙のやり取りだけでは、物事はなかなか進みません。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その8」へ

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三位一体の主日ミサ:東京カテドラル聖マリア大聖堂

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昨日5月26日は、三位一体の祭日でした。東京カテドラル聖マリア大聖堂の10時から行われた関口教会のミサを司式させていただきました。

アンドレア補佐司教様が誕生してから、小教区などの訪問を分担することが可能となり、関口教会でミサを司式させていただく機会も、増えてはいませんが、毎月一度ほどはあるようになってきました。カテドラル(司教座)聖堂とはいえ、主任の小池神父様はじめ、侍者や聖歌隊、オルガンや司会担当他、小教区の皆さんに、司教ミサということで普段とは異なる対応をいただき、感謝申し上げます。また手話通訳の皆さんには、いつも原稿なしで、難しい話を通訳してくださり、感謝いたします。

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以下、三位一体の主日ミサの説教の、手元にあった原稿です。

三位一体の主日ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年5月26日

教会は、その誕生の日とも言える聖霊降臨の出来事を先週の日曜日に祝い、教会共同体が常に聖霊によって導かれていることを改めて心に刻みました。わたしたちの信仰は復活の出来事から生まれ、教会共同体は聖霊降臨によって誕生しました。

教皇フランシスコは2017年4月19日の一般謁見で復活について語られ、「わたしたちが神を探し求めるのではなくて、神がわたしたちを探してくださいます。イエスはわたしたちをつかみ、とらえ、魅了し、決してわたしたちを見捨てません」と述べておられます。

わたしたちを決して見捨てることのない主は、聖霊を送り、教会をその恵みによって満たし、いまに至るまで教会の歩みを導いてくださいます。ともにいてくださる主は、聖霊を持って教会を力づけ、真理への道に導いてくださいます。

教皇様は、昨年10月に開催されたシノドスの第一会期中に、しばしば会場においでになり、一つのことを繰り返されました。それは、「皆さんが主役ではありません。聖霊が主役です」という言葉でありました。教会を生かしているのは聖霊であって、人間の知恵ではありません。教会は人間が作り出す組織ではありません。教会は、聖霊が豊かに与えてくださる多様な賜物に彩られて、主イエスとともに歩み育てられています。わたしたちを「つかみ、とらえ、魅了する」主御自身を、わたしたちは言葉と行いであかしし、告げ知らせています。皆さんひとり一人が、聖霊の賜物を受け、それぞれの異なる方法で、そしてご自分の生活する現実の中で、イエスをあかしし続けていかなければなりません。

そして聖霊降臨祭の翌週、本日の主日は、三位一体の主日です。三位一体の秘儀の中心にあるのは、多様性における一致であります。

三位一体の主日のミサのはじめに唱えられた集会祈願は、「聖なる父よ、あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました」と始まっていました。

神のいのちの神秘は、どうしたら示されるのか。それは父と子と聖霊のいずれかだけによって示されるのではなく、父と子と聖霊の三位によって示されるとこの祈りは教えます。その上でこの祈りは、「唯一の神を礼拝するわたしたちが、三位の栄光を称えることができますように」と続け、三位の神が唯一の神であることを明らかに示しています。

神のいのちの神秘は、三位一体の神秘のうちにこそ現されます。だからこそわたしたちは、父と子と聖霊の御名によって、洗礼を授けられます。わたしたちキリスト者の信仰が、三位一体の神秘に基づいているからに他なりません。

カテキズムには、「至聖なる三位一体の神秘は、キリスト者の信仰と生活の中心的な神秘です。・・・信仰の他のすべての神秘の源、それらを照らす光なのです」と記されています。(234)

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御父は、人間からかけ離れた遠い存在ではなく、また厳しく裁きを与え罰する存在ではないことを、パウロはローマの教会への手紙に、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と記して教えます。わたしたちは聖霊の導きによって、御父をこの上なく親しいと感じる者とされます。それは御子イエスご自身が、「アッバ、父よ」と叫ばれたように、御子も御父をこの上なく親しい者と感じていました。ですからわたしたちは洗礼によって、御子と同じように御父をこの上なく親しく感じる者とされ、御父の一部ではなくすべてを受け継ぐ者と見なされるということをパウロは、「キリストと共同の相続人」という言葉を使って強調しています。

マタイ福音は、三位一体の交わりのうちに生かされているわたしたちに、主は、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ」るようにと命じたと記します。すなわちわたしたちは、全世界の人を三位一体の神秘における交わりに招くように、遣わされています。わたしたちは自分の心の思いや自分の信仰理解を告知する者ではありません。わたしたちは、わたしたちを「つかみ、とらえ、魅了する」主御自身、すなわち三位一体の神を告げる使者であります。

三位一体の神は、共同体の交わりのうちにある神です。御父と御子と聖霊は、それぞれの多様な役割を果たし、それぞれ独立して存在しているのではなく、唯一の神としてともに働きながらわたしたちを導かれます。共同体における多様性の交わりのうちにある三位の神は、唯一の神であるので、当然共同体における一致のうちにあります。

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教皇フランシスコは、「福音の喜び」に、次のように記しています。

「適切に理解されれば、文化の多様性が教会の一致を脅かすことはありません。御父と御子から遣わされる聖霊がわたしたちの心を造り変え、すべてのものの一致の源である三位一体の完全な交わりに加われるようにします。聖霊は、神の民に一致と調和をもたらします。・・・聖霊は、たまものの多種多様な豊かさを生み出すと同時に一致を築きます。(117)」

わたしたちの信仰がこの多様性における一致にある三位一体に基づいているからこそ、わたしたちには教会共同体が必要であり、信仰を一人孤独のうちに生きることもできません。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けた瞬間に、わたしたちは三位一体の神の交わりの中で、教会共同体の絆に結びあわされるのです。わたしたちの信仰は、本性的に共同体の信仰です。多様性のうちに一致へと招かれる信仰です。

シノドスの道を歩んでいる教会において、一番大切なことは、互いの声に耳を傾けあい、互いの違いを認識しあい、互いに支え合って歩むことです。多様性に満ちあふれた教会共同体は、聖霊によって導かれているので、なんとなく騒々しい落ち着かない共同体であるはずです。様々な文化的背景をもた人が一つに集う神の民は、その多様性のために落ち着かないところであり、ともすると、対立と分裂を生み出しやすい存在でもあります。昨今の社会全体における不寛容と排他的な雰囲気は、教会共同体にも暗い影を落としています。

しかし聖霊は、その落ち着かない多様性に満ちた共同体を、必ずや一致へと導かれます。互いの存在を認め合い、耳を傾けあい、支え合うところに、多様性の一致は実現します。

福音宣教は、相手を屈服させ従わせることではなく、「尊敬と敬愛を持って」互いに耳を傾けるところにあります。自分の主張を受け入れさせることではなく、互いの違いを認めながら、共通の道を見いだそうと聖霊の導きを識別する道です。言葉と行いによる証しを通じて、父と子と聖霊の神のいのちの神秘に、一人でも多くの人が招き入れられるように、主とともに歩んで参りましょう。

 

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2024年5月25日 (土)

週刊大司教第168回:三位一体の主日B

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聖霊降臨祭の次の主日は、三位一体の主日です。

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東京教区司祭使徒ヨハネ小宇佐敬二神父様が、長年の癌との闘いを経て、5月20日に桜町病院のホスピスで帰天されました。76歳でした。葬儀は5月23日午後、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われ、司祭叙階の同級である関町教会主任の稲川保明神父様が、追悼の説教をしてくださいました。

小宇佐神父様は、岡田大司教様からの依頼で、長年にわたって心のケアを重要な使徒職とされ、心に重荷を抱え社会から疎外された人、様々な理由で社会から疎外されている人への寄り添いに取り組んでこられました。また、東京カリタスの家常務理事として理事長であった岡田大司教様を支え、その発展に大きく貢献されました。

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わたしが東京に任命された6年前には、すでに食道癌との闘いのため、ペトロの家に居住されていましたが、手術や化学療法を経て、車いすから杖を使っての歩行へと回復されているようにお見受けしていました。体調の悪い時にも、車いすで、または杖をつかって、ペトロの家からカテドラルの反対側にある東京カリタスの家まで毎日出かけておいででした。

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写真は一年前、2023年3月の誕生日のものです。今年は誕生日の夕食会をペトロの家で行い、みなに故郷宮崎から取り寄せたステーキをふるまい、その翌日に桜町病院のホスピスに入院されました。

小宇佐神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

わたしたちは、「父と子と聖霊の御名によって」洗礼を受けますから、わたしたちの信仰は三位一体の神秘の上に成り立ってます。その意味で重要な神秘であると同時に、様々な説明が試みられていますが、唯一の神の三つのペルソナは、それぞれの働きをするとともに等しく唯一の神であるということは、簡単には理解することのできない、それこそ神のいのちの神秘でもあります。

カテキズムには、「三位は一体です。三つの神々ではなく、三者として唯一の神、すなわち、実体として一つである三位の神を、わたしたちは信じています。・・・三つのペルソナのそれぞれが、神的実体、神的本質ないし本性という、同じ状態なのです」と記されています(253)。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第168回、三位一体の主日のメッセージです。

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週刊大司教第168回
2024年5月26日

三位一体の主日のミサのはじめに唱えられる集会祈願は、「聖なる父よ、あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました」と始まります。

すなわち、神のいのちの神秘は、父と子と聖霊の三位のいずれかのみにあるのではなく、父と子と聖霊に等しくあり、それぞれ等しく唯一の神であることが明らかに示されています。神のいのちの神秘は、三位一体の神秘のうちに現されます。だからこそわたしたちは、父と子と聖霊の御名によって、洗礼を授けられます。わたしたちキリスト者の信仰が、三位一体の神秘に基づいているからに他なりません。

「至聖なる三位一体の神秘は、キリスト者の信仰と生活の中心的な神秘です。・・・信仰の他のすべての神秘の源、それらを照らす光なのです」と教会のカテキズムには記されています。(234)

御父は、人間からかけ離れた遠い存在ではなく、また厳しく裁きを与え罰する存在ではないことを、パウロはローマの教会への手紙に、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と記して教えます。わたしたちは聖霊の導きによって、御子と同じように御父をこの上なく親しく感じる者とされ、その一部ではなくすべてを受け継ぐ者と見なされるのだと、「キリストと共同の相続人」という言葉を使ってパウロは強調しています。

マタイ福音は、三位一体の交わりのうちに生かされているわたしたちに、主は、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ」るようにと命じたと記します。すなわちわたしたちは、全世界の人を三位一体の神秘における交わりに招くように、遣わされています。わたしたちは自分の心の思いや自分の信仰理解を告知する者ではなくて、三位一体の神を告げる使者であります。

わたしたちは、日本だけ単独で生きているのではなく、世界の人々と共にあり、また特に近隣であるアジアの兄弟姉妹と共に生きています。

1998年に開催されたアジアシノドスを受けて発表された教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「アジアにおける教会」に、教会の派遣の使命について、次のような指摘があります。

「教会は、聖霊の促しに従うときだけ自らの使命を果たすことができることをよく知っています。教会は、アジアの複雑な現実において、聖霊の働きの純粋なしるしと道具となって、アジアのあらゆる異なった環境の中で、新しく効果的な方法を用いて救い主イエスをあかしするよう招く聖霊の促しを識別しなければなりません(18)」

その上で教皇ヨハネパウロ二世は、「アジアにおいては非常に異なった状況が複雑に絡み合っていることを深く意識し、『愛に根ざして真理を語り』つつ、教会は、聞き手への尊敬と敬愛を持って福音を告げしらせます。(20)」と記しています。

シノドスの道を歩んでいる教会において、一番大切なことは、互いの声に耳を傾けあい、互いの違いを認識しあい、互いに支え合って歩むことです。アジアの現実における福音宣教は、相手を屈服させ従わせることではなく、「尊敬と敬愛を持って」互いに耳を傾けるところにあります。言葉と行いによる証しを通じて、父と子と聖霊の神のいのちの神秘に、一人でも多くの人が招き入れられるように、耳を傾けあい、支え合いながら、歩んで参りましょう。

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2024年5月24日 (金)

アドリミナを振り返って:その6

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アドリミナの振り返りの続きです。まだ二日目のことです。

二日目、4月9日の午前中は、総合人間開発省を終えて、トラステヴェレ地区からジャニコロの丘を越えてバチカンまで戻り、12時半に教理省まで向かいました。教理省の建物は、サンピエトロに向かって左手、シノドスや一般謁見の行われるパウロ六世ホールの手前にあり、入るためには司教団みんな揃ってスイス衛兵立っているゲートを通過しなくてはなりません。海外から来た司教団は入構許可証を持っていないので、事前に登録していないと通してはくれません。

もちろん福音宣教省が手配をしてくださっているので、日本の司教団は訪問者リストに掲載されており、「全部で何人ですか」などと問われながら、ぞろぞろと左手の教理省に向かいました。

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さすがかつては異端審問などをした検邪聖省であったこともあり、歴史のある建物(通称サント・ウフィチオ)は、重々しい雰囲気でした。その重々しい雰囲気の建物の二階にある、さらに重々しい雰囲気の会議室に通されて、長官の登場を待つことに。長官は教皇様と同じアルゼンチン出身の神学者で、教皇様のいくつかの回勅などの原案作成者ともいわれているビクター・フェルナンデス枢機卿。

待つことしばしすると長官他が現れ、予定されていた通り、日本の司教団が用意したレポートを読み上げ始めると、もうレポートの内容は知っているから読まなくてもよいとの指示があり、それから、一時間近く、長官や次官からのお話をいただくことになりました。

長官からは、信仰の伝達についての要点のお話のあと、ヨーロッパとは文化的背景の異なる日本における信仰の伝達について、教理省は興味をもって見ているとの話があり、どのようにキリストを伝えているのかについて質問がありました。

司教団からは、日本の教会の現状を説明し、特にこの十数年は、東日本大震災後の復興支援への長期的な関わりの中で、具体的に目に見える形で信仰を証しする機会を得ていることを説明しました。またそういった活動を通じて、地域の共同体との交わりも深まっていることを説明しました。また社会福祉や教育を通じて、社会に深く浸透してきた背景についても説明しました。

さらに、司教団からは事前に死刑廃止への取り組みに関連して、袴田さんのケースについても報告していましたが、長官からは死刑廃止への取り組みの重要さが改めて強調され、そのためにも前日発表された人間の尊厳についての宣言をよく研究してほしいとの言葉がありました。

そして教理省が性虐待問題を担当していることもあり、それらについて手引書を作成している最中であるので、協力しながら、こういった問題に対処していきたいので、こまめに相談をしてほしいとの要請が、次官からありました。

2時近くになって宿舎へ戻り、昼食をとった後、今度は夕方5時に、シノドス事務局へ出かけました。シノドス事務局は、サンピエトロにつながるコンチリアツィオーネ通りに面していますので、宿舎から歩いてすぐです。

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シノドス事務局では、長官(事務局長)のマリオ・グレック枢機卿、次官のシスター・ナタリー・ベカード、同じくルイス・サンマルティン大司教他が迎えてくださいました。

日本からはわたしが、シノドスへの取り組みと、特に3月に開催された日本におけるシノドスの集いについてパワーポイントを使って説明し、特にコロナ禍の中、教会で集まったり、大きな大会をすることができない状況であったことや、矢継ぎ早に送られてくる大量の文書の翻訳には時間がかかることなどを説明し、同時にシノドスの中心的な手法である霊における会話を、これから長い時間をかけてでも、じっくりと全国に広めていく計画であり、そのために特別チームを創設したこと、また日本での集いを行ったことで、すべての司教がこれを体験し、その重要さに目覚めたことなどを報告しました。

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シノドス事務局からは、各教区での体験を聞きたいとのリクエストもあり、それぞれの司教様が、ご自分の教区での体験をやご自分がシノドスのプロセスに感じていることなどを分かち合いました。

事務局からは、これは一過性のイベントではなく長いプロセスであること、小教区の皆に参加してもらうことの大切さ、インターネットをもっと活用することの重要性についての指摘があり、また翻訳の困難さへの理解と、理論を学ぶことではなくて実践こそが重要であることなどが指摘されました。また長官からは、あらためてシノドスの道は民主主義ではなく、教会はあくまでも位階的組織であることを忘れてはならない。司教の権威なしにシノドスの道は存在しえないことが強調されました。また聖体祭儀において私たちは一致を体験するのだから、シノドスの道の中心にはエウカリスティアがあることを強調してほしいとの言葉があり、非常に和やかな雰囲気のうちに、訪問を終え、アドリミナの二日目は夜7時過ぎに終わりました。

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(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その7」へ

 

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アドリミナを振り返って:その5

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アドリミナの振り返りの続きです。

アドリミナの二日目、4月9日の火曜日です。皆がイタリア語ができるわけではないので、朝7時の宿舎共同体のミサに参加するのではなく、別な時間に日本語でミサをしようと画策しました。前回までは、スケジュールに余裕があったので、日中にバチカンのどこかの聖堂などで、自分たちのミサを入れる余裕があったのですが、今回はスケジュールを福音宣教省が用意され、みっちりと詰まっていたため、残念ながら、別の時間にミサというわけにはいきませんでした。それでも、数名はイタリア語でミサを司式できる司教さんがいますので、この週は、お手伝いとして、宿舎共同体の朝7時のミサに参加して、日本の司教の誰かが司式させていただくことにしました。

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二日目の訪問は、朝9時からいのち・信徒・家庭省から。前回2015年のアドリミナ後、2016年に信徒評議会と家庭評議会を統合してできた省で、米国出身のケヴィン・ファレル枢機卿が長官です。すでに最初のころの記事で触れましたが、次官は男性信徒、その次の局長(Under Secretary)がお二人の女性信徒です。(上の写真)

ここでは、山野内司教様が、移住者が増加して教会のメンバーの大多数が外国籍信徒であるさいたま教区の事例を報告し、それにともなう結婚と家庭の抱えるさまざまな課題について報告されました。また中野司教様からは、特にプロライフなど生命を最優先にして守る活動についての日本における取組と課題の報告がありました。

これに対していのち・信徒・家庭省からは、様々な立場からこういった課題に取り組んでいる多種多様なグループが教会内にある現実を踏まえ、教会内の対立ではなく耳を傾けあってともに歩むことが重要であるとの指摘や、その前日に教理省から発表された人間の尊厳に関する宣言「Dignitas Infinita」についての言及がありました。この文書の作成には同省も関わり、5年の時間をかけて出来上がったもので、いのちに対する重要な指摘があるのでよく目を通してほしい旨のお話がありました。また結婚については、教会法上の問題や国内法上の問題に立ち入ることは同省としてはできないが、しかし、結婚は単なる契約ではなく、実際には神からの召命であることを結婚しようとしている二人に理解してもらうための十分な準備コースが必要だと考えているとの指摘がありました。

また2027年の韓国での世界青年大会への取り組みや、7月から日本では9月に移動した「祖父母と高齢者のための祈願日」への取り組みについても、同省から質問があり、それぞれの日本での取り組みやその可能性について意見を交換しました。

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その後、10時20分に、総合人間開発省へ移動しました。いのち・信徒・家庭省と総合人間開発省は、トラステヴェレ地区にあるバチカンの飛び地、聖カリスト宮殿にあります。ちなみにここには国際カリタスの本部事務局もある、巨大な建物です。(上の写真、聖カリスト宮殿の中庭駐車場で)

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総合人間開発省は、2017年に開発援助評議会(Cor Unum)、正義と平和評議会、難民移住移動者評議会、保健従事者評議会のすべての業務を引き継いで設立されました。現在の長官はマイケル・チェルニー枢機卿。カナダ出身の方です。次官はシスター・アレッサンドラ・スメリ、局長がモンセニョール・アントニー・エポ。シスター・アレッサンドラはサレジアンシスターで、モンセニョール・アントニーは国務省で長く働いてきたナイジェリア出身の方です。また特に難民問題担当の局長として、スカラブリーニ会のファビオ・バッジョ師も、長年こちらで働かれています。上の写真の向かって一番左がバッジョ師、一番右が、アントニー師。ちなみに国際カリタスは同省の管轄下にあるので、立場上、わたしはしばしばお会いしている方々です。

同省ではまず、チェルニー枢機卿から総合人間開発という用語はいったい何を含んで、何を意味しているのかのお話がありました。キリストがもたらした豊かな命にすべての人が与ることができるように、経済的な発展だけではなく、十字架に根差した自己奉献による人間の発展を目指している。環境破壊、失業、搾取、人道的危機、貧困、人権の阻害、暴力、戦争などなど、人間の発展を妨げる要素を取り除くためのそれぞれの教区での取り組みを、同省では支援していきたい、という旨のお話でした。

司教団からは、まずわたしが代表して概要以下のような報告をしました。

司教協議会は社会の中にあって時のしるしをもみ取り教会の預言者的役割を果たすため、社会司教委員会を設置している。そこには難民移住移動者委員会、カリタスジャパン、正義と平和協議会、部落差別人権委員会、こどもと女性の権利擁護デスク、HIV/AIDSデスク、「ラウダート・シ」デスクが設けられ、それぞれの課題に取り組んでいる。今般、聖座ではこういった委員会が一つになったが、個別の課題への取り組みはどういう風に考えられ、また地域教会の諸委員会との関係はどうなっているのか知りたい。

これに対して同省からは、日本の教会の様々な社会的課題への取り組みを評価する言葉と、同時にそれぞれの地域教会にはそれぞれユニークな社会的課題があるのだから、司教協議会の社会系諸委員会はバチカンの出先機関ではないので、バチカンのようにそれぞれの委員会を消滅させて同省のように一つにする必要はないこと、また以前と同じようにそれぞれの課題の担当者が同省にはおり、以前の諸評議会が取り組んできた課題には同省が全体として取り組んでいるので、問題があれば遠慮せずに同省に相談してほしい旨の回答がありました。

また加えて那覇教区のウェイン司教様からは、沖縄の基地問題を取り上げて、外国軍隊が恒久的な基地を設けてほかの国の中に存在し続けていることの倫理性についての問いかけがあり、同省としても今後の検討課題とすることを承知してくださいました。

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聖カリスト宮殿がどんなところか、二つ上の写真では分かりにくいので、同じ地点から反対側を撮影した写真が上です。アドリミナ期間中ではなく、先週の国際カリタスの会議の時の写真です。はっきりと映ってませんが某国の大統領夫人が、某省を訪問しに訪れた時の模様です。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その6」へ

 

 

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2024年5月18日 (土)

週刊大司教第167回:聖霊降臨の主日B

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聖霊降臨の主日です。この日は、聖母マリアと共にいた弟子たちに聖霊が降り、様々な国のことばで福音がのべ伝えられるようになったと使徒言行録に記されていることから、教会の誕生日とも言われます。

東京教区では、午後からカテドラルで、合同堅信式が行われます。堅信の準備をされてきたみなさん、おめでとうございます。聖霊の豊かな照らしを受けて、成熟した大人の信徒として、共同体においてそれぞれの務めを果たして行かれますように。また主から与えられた、福音宣教の務めを、忠実に果たすものでありますように。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第167回め、聖霊降臨の主日のメッセージ原稿です。

聖霊降臨の主日B
週刊大司教第167回
2021年5月19日

使徒言行録に記されている聖霊降臨の出来事の特徴はいったいなんでしょうか。

まず、聖霊は、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっている」ところで働いています。すなわち、聖霊は単独でひとり一人に他者と無関係に働くのではなく、共同体が一致しているところに働いています。そして、そのときには、「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが集まっていた家中に響いた」と記されています。激しい音は周囲にも響き渡り、「この物音に大勢の人が集まってきた」とも記されています。すなわち、聖霊が働いているところには静寂が支配しているのではなく、騒々しさが支配しています。

第二バチカン公会議の教会憲章は、教会に聖霊が与えられたことによって、「聖霊は教会の中に、また信者たちの心の中に、あたかも神殿の中にいるかのように住み、・・・福音の力を持って教会を若返らせ、たえず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く(4)」と記します。

重要なのは、聖霊によって生かされ常に刷新されている教会は、聖霊が働いているのですから、決して落ち着いた静かな教会ではあり得ません。騒々しい、落ち着かない教会です。一人でそんなところに取り残されたのなら、耐えきれない騒々しさかもしれません。だからこそ、聖霊は一致して集っている共同体に働くのです。互いに支え合い、助け合い、共に歩む兄弟姉妹がいるところに働くのです。聖霊は教会共同体に、多様性における一致をもたらします。

現代世界憲章は、「神の民は、世界を満たす主の霊によって自分が導かれていることを信じ、この信仰に基づいて、現代の人々と分かち合っている出来事、欲求、願望の中に、神の現存あるいは神の計画の真のしるしを見分けようとつとめる(11)」と記します。すなわち、教会は社会の現実から切り離された隠れ家となるのではなく、積極的に社会の現実を識別し、神の計画を見極めるために出向いていく存在であります。出向いていき、様々な困難な現実と対峙し、そこに神の秩序をもたらそうとするからこそ、常に落ち着かない騒々しさがあるのです。何もせず、平穏無事が支配する静的な共同体は、一見何も問題がなくて好ましく思われますが、もしかしたらそこには聖霊が働いていないがために静けさが支配しているのかもしれません。聖霊の働きと照らしを祈ることは大切です。

昨年10月に開かれたシノドスの第一会期の最終文書は、次のような文章で始まっています。

「一つの霊によって、わたしたちは、……皆一つのからだとなるために洗礼を受け(一コリント12・13)ました。これが、・・・わたしたちが味わった喜びと感謝に満ちた体験です。背景、言語、文化の多様性にもかかわらず、洗礼という共通の恵みによって、わたしたちは、心を一つにしてこの日々をともに過ごすことができました。・・・聖霊がわたしたちに与えてくれたのは、聖霊だけが生み出す方法を知る調和を体験することであり、それは引き裂かれ、分裂した世界におけるたまものであり、あかしです」

シノドスは、霊における会話を通じて互いに耳を傾けることで、妥協による一致ではなく、互いの違いを認識しての一致へと道を歩むよう求めます。教会に働く聖霊は、一部のカリスマのある人にだけ働いているのではなく、皆に違う形で働き、騒々しい常に動きのある共同体を生み出し、同時に共同体のすべての人を等しく一致へと導きます。わたしたちの教会共同体は、どのような共同体でしょうか。

 

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2024年5月17日 (金)

先週末から今日にかけて:カノッサ修道会、そして国際カリタス

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先週末の土曜日、11日の午後2時から、東京都世田谷区にあるカノッサ会の日本での本部修道院で、カノッサ会の創立者である聖マダレナ・カノッサの生誕250年を祝う感謝ミサを捧げました。カノッサ修道会のみなさん、おめでとうございます。

カノッサ会は東京ではこの本部修道院の隣接地で、マダレナ・カノッサ幼稚園を運営されていますが、国内で知られているのは福岡教区の大牟田市にある明光学園中学高校かと思います。日本での活動や修道会の歴史は修道会のホームページをご覧ください

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貧しい人のために尽くす人生に自らの使命を見いだした聖マダレナによって、1808年にイタリアで創立された修道女会です。スーダン出身で奴隷生活から脱してカノッサ修道女会の会員となった聖ジョゼッピーナ・バキタの存在もよく知られています。

わたしにとっては、司教になる以前に名古屋にいた当時、名古屋にカノッサ会の養成の家があり、しばしば青年たちの集まりなどで訪ねたことがありました。残念ながら、その後、この名古屋の養成の家は閉鎖となったそうです。

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当日は、本部修道院の聖堂に入りきれないほどの人が、東京だけでなく、全国から集まり、感謝ミサに参加してくださいました。近くにある赤堤教会の信徒の方もおいでになり、主任司祭のガブリ神父様が共同司式してくださいました。

カノッサ修道女会のみなさん、おめでとうございます。

そしてその晩の便で羽田を発ち、翌日曜日の午前中にローマにやってきました。国際カリタスのいくつかの会議に出席するためです。

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観光シーズンを迎えているローマでは、国際カリタスの本部があるトラステベレ地区あたりでホテルを見つけるのが至難の業になっており、今回は、参加者が30名ほどになることから、バチカンの裏手の丘を登っていったアウレリア通りにあるラサール会の総本部にある宿泊施設、Casa La Salleで、宿泊も会議も行うことになりました。

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今回の会議は、いわゆる年に二回ある理事会です。理事会は、代表委員会(Representative council)とよばれ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなどなど、全部で七つある地域の代表者とそれぞれの地域のカリタスの総裁が集まります。国際カリタスの会議は、英語、スペイン語、フランス語の三つが公用語ですので、今回の会議にも同時通訳の設備が必要です。幸いこのラサール会の施設には会議室に同時通訳用のブースがあり、後はマイクなどの設備を国際カリタスの本部事務局から持ち込みました。この代表委員会には、アジアの代表の一人として、カリタスジャパンの秘書である瀬戸神父様も参加されています。年次の活動報告や予算、そして2023年の総会で決められた活動計画に沿った様々な活動についての報告などが議題です。この代表委員会は、水曜日一日と、本日木曜日の午前中です。

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本日木曜日の午前中は、シノドス事務局から次官のシスターナタリーにおいでいただき、シノドスについてのお話と、実際に参加者を5から6名のグループに分けて、霊における会話を実践しました。やはり実際にやってみなければわかりません。初めての人もいれば、すでに何回も実践した人もいます。

昨年10月にローマで行われた第一会期にも、様々な地域のカリタス関係者が見られました。第一会期の最終文書にも、貧しい人たちを主役として歩むシノドスの道の重要性が記されていますが、まさしくカリタスが世界各地の草の根で行っていることは、困難に直面する人たちに耳を傾けともに歩むことですから、カリタスはシノドスの歩みを実践してきたともいえます。

わたしはこの代表委員会に加えて、月曜、火曜、金曜と本日木曜の午後に行われた執行委員会(Executive Board)も出席です。というか総裁なので、その主宰です。事務局の全体を総括するのは事務局長で、彼は一年前の総会で、わたしと共に選挙で選ばれています。そして全体の会計も、選挙で選ばれました。選挙で選ばれた三名のうち、総裁と会計はこの委員会のメンバーです。この二人に、副総裁と法務委員会の委員長が加わり、さらに聖座が任命した二人と代表委員会が選出した一名で、執行委員会は構成されており、連盟全体を総括する役割(ガバナンス)を担っていて、事務局長は執行委員会に報告義務があります。その会議自体は、木曜日の午後でした。(下の写真は、理事会一日目の締めくくりにサンピエトロ大聖堂に移動し、向かって左側にある聖歌隊聖堂で捧げたミサ。司式する私の向かって左はトンガのマフィ枢機卿。右隣は引退されたばかりのジブチのベルティン司教。左端は瀬戸神父)

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月曜と火曜と金曜に何をしているかというと、国際カリタスの事務局に新しい三名を雇用するためのインタビューを行っています。事務局の総務を担当するCOOと、アドボカシーやプログラムを総括する総合的人間開発担当者、そして広報やキャンペーンの担当者。雇用を仲介する会社に入ってもらい、何百人もの候補者から、それぞれ3名まで絞ってもらいました。その途中では、わたし自身もこの会社からオンラインで聞き取りをされましたし、最後の三名に絞るための面談も、執行委員会の数名がオンラインで行いました。

その最終面談をこの一週間のうちに行い、来週には雇用する方を決定して、9月くらいから新しい体制で事務局を運営できるようにする計画です。

というわけで、土曜まで海外に出ていますので、書き始めたアドリミナの振り返りは、まだ一日目が終わっただけですが、続きは来週までお待ちください。

 

 

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2024年5月11日 (土)

週刊大司教第166回:主の昇天の主日B

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復活祭も終わりに近づき、まもなく聖霊降臨を迎える季節となりました。5月12日は、主の昇天の主日です。本来は木曜日ですが、日本を始め多くの国では主日に移されて祝われています。

イタリアでもいくつかの週日に設定されている教会の祭日や祝日が日曜日に移されることがありますが、バチカン市内では元通りに週日に行われます。そのため、すぐ隣接しているにもかかわらず、バチカン市国領域とローマ市内の教会で、祭日を祝う日が異なったりすることもあります。

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さて今年の4月1日から、東京にある、東京教会管区と大阪高松教会管区が運営してきた神学院と、福岡で産スルピス会に委託して長崎教会管区が運営してきた神学院の二つが、福音宣教省の認可を受けて、「あらためて」統合され、日本カトリック神学院として再出発することになりました。

以前も一度一緒になったことがありますが、そのときは、東京キャンパスと福岡キャンパスを設ける形で、神学生や養成者、そして教員も、東京と福岡を何度も移動することになり、関係者にとっての大きな負担となり、結局、元の二つに戻ってしまっていました。今回改めて、長崎教会管区(九州と沖縄)の司教様たちが話し合い、現実的な視点から神学院統合を決断されましたので、このたび一つになり、名称も、東京カトリック神学院から日本カトリック神学院へ変更しました。

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運営の母体は、日本のすべての司教ですので、今回、初めて、神学院に日本のすべての司教17名が集まり、開講感謝ミサをともに捧げ、一晩泊まって神学生と交流し、そして今朝は午前中、神学院の運営について話し合う神学院司教会議を開催しました。

昨日夕方に行われたミサは、前田枢機卿様が司式され、冒頭で私が司教協議会会長として、福音宣教省の統合の認可宣言を読み上げ、説教は神学院司教委員会の委員長である大塚司教様が担当されました。

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新しく全国からの神学生を迎えて出発する神学院です。そこには明るい一致の雰囲気がみなぎっていました。この霊的な明るさを証しとして、一人でも多くの神学生の召命につながることを祈っています。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第166回目、主の昇天のメッセージ原稿です。

主の昇天の主日B
週刊大司教第166回
2024年5月12日

頼りにしていたリーダーを突然暴力的に奪われ、絶望に支配されていた弟子たちにとって、復活された主との再会は、新たな希望を生み出しました。使徒言行録は、使徒たちに芽生えたその希望を、「イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」という問いかけで明らかにしています。

復活されたイエスは、弟子たちの、いわば現世的な望みに答えるのではなく、復活の命に生かされ希望に生きるものへ、新たな道を指し示します。

マルコ福音は、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という、復活された主による宣教命令を記しています。同様に主の昇天の模様を詳しく伝える使徒言行録も、「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という主の弟子たちに対する言葉を記し、昇天された主が、宣教命令を残されたことを明示しています。

新たな命によって生かされる希望の道は、福音を世界の隅々にまで伝える道です。自らが想像された愛すべき命が、すべからく救いに与ることを望まれる御父は、主の復活に与るわたしたちがそのために働くことを望んでおられます。この世界にあって、キリスト者であるわたしたちには、福音を告げしらせ、命の希望の灯火をともしていく務めがあります。教会に与えられた、福音宣教の命令は、すなわちわたしたちひとり一人に与えられた使命です。

第二バチカン公会議の「教会の宣教活動に関する教令」は「教会の使命は、キリストの命令に従い、聖霊の恵みと愛に動かされて、すべての人と民族の前に完全に現存するものとなるとき、初めて遂行される」と記し、さらに「キリストが神の国の到来のしるしとして、あらゆる病気や患いをいやしながら町や村を残らず巡ったように、教会もまた、その子らを通して、どのような状況にあるとしても、人々とくに貧しい人や苦しんでいる人と結ばれ、彼らのために喜んで自分を差し出す」(12)と、福音をあかしすることの意味を教えています。

パウロは教会がキリストの一つの体において一致していることの重要性をエフェソの教会への手紙に記し、「わたしたちひとり一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています」と、その霊的な一致は賜物の多様性のうちにあることを明示しています。

教会憲章の第32項に、「聖なる教会は、神の制定によって、みごとな多様性をもって組織され統治されている。・・・教会の中では、すべての人が同じ道を進んでいるわけではないが、しかしすべての人が聖性に招かれ、神の義によって、信仰を同等に分け与えられているのである。・・・こうして、多様性の中にあって、すべての人がキリストのからだにおける優れた一致についてあかしを立てる」と記されています。

わたしが20年ほど前に、初めて新潟の司教の任命を教皇様からいただいたとき選んだ司教職のモットーは、ここからとられています。わたしは「多様性における一致」を、この20年間、司教職のモットーとしてきました。

いま教会はシノドスの道を歩んでいますが、まさしく今ほど「多様性における一致」が重要なときはありません。聖霊の導きに耳を塞いだままでいるのか、聖霊の導きに身を任せようとするのか、それぞれの決断が、福音の証し人となるために必要です。

 

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アドリミナを振り返って:その4

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アドリミナ訪問第一日目、国務省の訪問が予想外に長くなったので、宿舎に戻って遅い昼食をとり、そのまま今度は午後3時半に諸宗教対話省へ出かけました。(サンピエトロ広場前で、次への移動に備える司教たち)

諸宗教対話省は、バチカンのサンピエトロ広場につながる大通りに面しているバチカンの省庁などが入るビルの一角にあり、ミゲル・アユソ・ギクソット枢機卿様が長官です。諸宗教対話の活動は、日本の教会も長年関わっており、京都の司教は中でも深い関わりがあるため、大塚司教様も長年にわたってこの省(以前は評議会)の委員を務めておられます。

このたびは、所用のため枢機卿様は不在で、次官も海外に出張中ということで、NO.3のUnder Secretaryであるバタイルワ・クブヤ師が対応してくださいました。クブヤ師はコンゴ出身で、アジアで働いて経験をお持ちです。

ここでは担当の大塚司教様から、毎年新年の神道へのメッセージやお花祭りでの仏教へのメッセージ、さらには、毎年の比叡山宗教サミットへのメッセージなど同省の関わりについて謝辞を述べ、その後、日本の司教協議会の諸宗教部門の行う啓発活動や諸宗教との関わりなどについて報告しました。さらに旧統一教会について注目される中で、いわゆる「宗教2世」の問題がクローズアップされていることなど、日本の現状を報告しました。同省でも、ミリンゴ大司教の件などがあったこともあり、この課題を注視しているので、引き続き現状を報告してほしい旨のお話がありました。

また日本の司教たちからは、それぞれの教区での諸宗教との関わりについての現状が報告され、同省からは対話の重要性と、諸宗教者が、例えばアシジや比叡山のように、ともに集まって祈りを捧げることは素晴らしい証しになると、励ましがありました。また諸宗教の対話は、折衷主義を求めているのではなく、前の長官であった故トーラン枢機卿の言葉によれば、諸宗教対話は良い市民を生み出す源になる、なぜなら信教の自由という権利を促進するからだという趣旨の言葉もありました。また来年2025年は、第二バチカン公会議で「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(Nostra aetate)が1965年10月28日に発布されて60年の記念の年となるので、そこから学び直してさらに諸宗教対話を深めていってほしい、そのために同省は地域教会の司教たちに奉仕する用意があるとの言葉がありました。

この日はこのあと、午後5時から、キリスト教一致推進省も入り、そこには前田枢機卿様、アベイヤ司教様、アンドレア司教様がでかけられ、長官であるクルト・コッホ枢機卿様から、40分ほど、バチカンのエキュメニズムの活動についてお話をいただきました。

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これで一日目は終わりました。前回のアドリミナ(2015年)はスケジュールに余裕があったので、バチカン内の聖堂などをお借りして昼頃に日本語でミサを捧げることもできたのですが、今回はタイトなため、宿舎で捧げられている朝7時の定時ミサに参加することにして、ミサはバチカンで働くためにここに住んでいる共同体のミサですから、イタリア語で捧げられました。日本の司教団でもイタリア語でミサを捧げることのできる司教がいますので、その数名が滞在中のミサ司式を引き受けました。(上の写真は、省庁のあるビル内の象徴。長い階段。バチカンの建物は概ねどれも壮大で天井がかなり高いビルが多く、またその割に小さなエレベーターしかないため、省庁訪問は長い階段の上り降りが象徴です)

まずは、アドリミナ訪問の第一日目に何があったのかの概要です。(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その5」へ

 

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2024年5月10日 (金)

アドリミナを振り返って:その3

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今の時期は円安ですし、そもそもヨーロッパのホテルはお安くはありませんし、バチカンの近くとなるとなおさらです。そこで、バチカンに近いところにある、かつてはバチカンで働く聖職者の宿舎として建てられた施設に、司教団全員で泊めてもらいました。サンタンジェロ城(上の写真)の近くにあるこの聖職者の宿舎は、ホテルとまでは言わないものの、現在では空いている部屋を利用して、巡礼者や、わたしたちのように会議や訪問でバチカンを訪れるグループを、市内のホテルより比較的に安く泊める施設として運営されています。

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もともとバチカンで働く聖職者のための宿舎ですから、立派な聖堂がありミサを捧げることができますし、事前にお願いすれば、もちろんそれぞれ有料ですが、朝食だけでなく昼食や夕食を取ることもできます。以前2015年のアドリミナでもこの施設に泊まったことがありますが、その当時に比べて、インターネットのつながりが格段に良くなっていたことだけは、大きな変化として気がつきましたし、昼食や夕食のお願いも部屋にあるQRコードを読み込んでスマホからできるようになっていました。(上の写真は宿舎の聖堂で朝ミサを司式する中野司教様)

さて、それでは省庁訪問ではどんな話がされたのでしょう。

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第一日目、月曜日の最初は、午前9時から、聖職者省へ出かけました。聖職者省の長官は、韓国出身のラザロ・ユ枢機卿様で、日本の司教の多くは、以前からの知り合いです。(上の写真、右がラザロ枢機卿様)

宣教地(日本のような)の司祭養成のための神学校は、いくつかの省庁の管轄下にあります。まず全体の設置や運営の許認可は福音宣教省です。そして、司祭の養成に関しては聖職者省が管轄します。さらに司祭の養成の知的側面に関しては文化教育省になります。全くもって、大変複雑です。

聖職者省では、神学院司教委員会の委員長である大塚司教様が、4月1日に始まった二つの神学院を統合した日本カトリック神学院について、説明をいたしました。その上で、それに伴う様々な規約の改正について、また、現在司教団が整備し、また実際に始めた、司祭の生涯養成のプログラムなどについても説明をしました。

聖職者省からは、特に司祭の生涯養成(神学院での初期養成からはじまり、叙階後の生涯にわたる養成まで)の重要さについて、お話があり、新しく開校した日本カトリック神学校の発展とさらなる召命の発掘についての期待が表明されました。

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続いて10時45分から、今度は文化教育省を訪れました。文化教育省の長官は、ホセ・メンドーサ枢機卿様。ポルトガルの出身です。(上の写真は司教たちと握手して回るメンドーサ枢機卿)

聖職者省に続いて、文化教育省でも神学院についての話題になりました。神学院は日本の法律上の学校ではありませんから、学位を取ることはできません。しかし神学院での初期養成の間に、日本で言えば学士にあたる教会上の資格を取得しておかないと、その先にどこかに留学することが難しくなります。また教会内のいくつかの役職のためには、教会上のそういった教育の資格を持っていることが必要になる場合もあります。そこで、世界中の神学院では、特に自らが大学ではない神学院では、教皇庁立の神学部と提携関係を結び、その神学部から教会上のいわゆる学士などの資格を与えてもらうようにしています。東京カトリック神学院では、これまでローマにあるウルバノ大学と提携していましたが、新しい日本カトリック神学院となることで、この提携関係をあらためる必要があります。そのための具体的な情報交換が行われました。

さらに学校教育委員会の委員長である前田枢機卿様から、日本におけるカトリック学校の実情についての説明があり、司祭や修道者の減少に伴って、学校の現場から司祭修道者が見えなくなっている現実の中で、カトリックとしてのアイデンティティをどのように保っていくのかについて、意見の交換をしました。もちろんこれは長期的課題ですし、日本だけの問題ではなく、すでにかつてキリスト教国であった国でも今やカトリックとしてのアイデンティティをどのように保つかは大きな課題となっているというような内容でした。

また文化教育省からは、大阪万博について日本ではどのような取り組みがなされているのかについての質問がありました。前田枢機卿様から、大阪で取り組んでいる内容について説明をしましたが、すでに文化教育省が承知して進めていることがいくつかあることも確認されました。なお大阪万博への対応についても、バチカンの複数の省庁が関係しており、窓口は一つではないことが、私個人的には複雑な感じがいたしました。

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第一日目のお昼12時から、今度は国務省へ向かいました。同じ時間に奉献使徒的生活省も入ってしまっていたため、そちらには山野内司教様やアベイヤ司教様など数名が回りました。(上の写真は、国務省の会議室で、ギャラガー大司教の到着を待つ司教たち)

国務省は、他の省庁と違って、教皇宮殿の中にあるので、そこまでたどり着くのが容易ではありません。スイス衛兵によるいくつかのチェックポイントを通過して、やっと国務省へつながるエレベーターまでたどり着きます。もちろん事前に通知してあるので、スイス衛兵の手元には、誰が何時にどこへ行くのかがすべて記した一覧があり、その一覧を見てのパスです。

パロリン枢機卿は海外出張中で不在のため、国務次官のギャラガー大司教とお会いすることになりました。そのギャラガー大司教も、報道されているとおり、ヴェトナムを公式に訪問されるため、ローマを出発する直前でしたが、じっくりと時間をとってくださいました。ギャラガー大司教は国務省のNO.3で、外務局長となっていますが、いわゆる他の政府で言えば外務大臣です。

ギャラガー大司教との面談では、まず私が司教協議会会長として、能登半島地震への国務長官を通じた教皇様のお見舞いへの御礼を伝え、2019年の教皇訪日の時に様々な尽力してくださった国務省の方々への御礼を伝え、さらに日本における移住者や難民の方々の現状と直面する困難についてお話しし、それに対する日本の教会の対応について説明し、さらに広島教区と長崎教区が中心となって進めている核兵器廃絶への運動について説明をしました。またそれぞれ関係する司教様方から、これらの話題について詳しく説明をいたしました。

ギャラガー大司教からは、特に核兵器禁止条約に国連の場で自ら署名し、バチカンが一番最初に批准した国の一つとなったことについてのお話があり、教皇様が核兵器の保有は倫理に反していると指摘されていることを繰り返され、司教団の核兵器廃絶への取り組みを進めるようにとの励ましがありました。

またギャラガー大司教からは、日本の憲法を巡る現在の政治と社会の情勢について、説明を求められました。

さらに、死刑廃止問題に関連して、特にえん罪によって死刑が執行されることへの懸念についての話となり、司教団からは袴田さんの再審についての状況を説明させていただきました。ギャラガー大司教からは、教皇様がカテキズムを書き直させて死刑廃止を強調されていることに触れて、一朝一夕で実現はできないだろうが、地道な運動が必要だという指摘がありました。

第一日目の午前中は、国務省のこの訪問で、おおよそ午後1時半頃に終了しました。この後午後に二つの訪問がありますが、それはまた後日。(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その4」へ

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2024年5月 8日 (水)

アドリミナを振り返って:その2

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先般行われた日本の司教団によるアドリミナ訪問の振り返りの続きです。(上の写真は、最高裁判所玄関)

省庁訪問するときの使用言語の問題があります。通常、アジアの司教団は、どの国から来ても共通語グループは英語に分類されています。したがって、迎える省庁側も、訪問する日本の司教団も、事前に準備するレポートなどはすべて英語で準備します。

とはいえ、日本の司教全員が英語を得意とするわけでもありません。書かれた英語の文章を読むのが得意でも、それと、聞いたり話したりする能力は別です。

日本の司教協議会は、これまでローマに駐在する窓口として、カルメル会の和田神父様にお願いしてきました。和田神父様は、バチカン放送局などに長年勤められた方で、日本政府や皇室などの方々が教皇様を訪問するときにも、教皇庁側の通訳として立ち会うことがあるので、公式の写真などで教皇様の後ろに立っている和田神父様を見かけた方もおられることと思います。(下の写真。真ん中が通訳する和田神父様)

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和田神父様はすでに定年を過ぎて延長しておられるので、司教団の窓口としての職務は、今回のアドリミナが最後の仕事になるのではないかと思います。和田神父様の通訳は日本語・イタリア語です。バチカンの省庁の業務上の共通語もイタリア語です。

同時に、日本の司教団17名のうち、イタリア語が分かる方も少なくありませんが、英語と比較すると、英語の方が理解される度合いが高くなります。そこで、基本的に日本の司教団は日本語で話し、省庁側にはイタリア語で話していただいて、すべて和田神父様の通訳を間に挟むことを事前に申し合わせました。

ちなみに教皇様は、英語は、こちらの言うことをほとんど理解しておられますが、話すことがあまり得意ではありません。国際カリタスの業務でお会いするときも、国際カリタス職員のスペイン語話者を通訳として同行させています。

今回は、スケジュールの関係で和田神父様に同行いただけなかった未成年者保護委員会のときだけ、英語でやり取りをすることにして、私が臨時で通訳をしましたが、他は、ほぼイタリア語でのやり取りになりました。

さて、すでに記しましたが、以前のアドリミナでの省庁訪問は、教えられる場でありました。訪問しているこちら側の発言は、ほとんど省庁側からの質問への答えくらいで、あとはひたすら長官などの枢機卿たちの「講話」に耳を傾けたり、省庁の担当者の「教え」を拝聴することで時間が過ぎていました。具体的なことを書くのは憚られますが、省庁訪問の場で、突然に日本の教会のために決められたことを告げられることさえありました。もちろん事前の相談はありません。既述の通り、それも少しずつ変わりつつあります。

シノドス的な教会のあり方を目指した改革に加えてもう一つ大きな変化は、以前は省庁の担当者といえば、長官の枢機卿と次官の大司教、そしてその他の役職者もすべて司祭やモンセニョールで、裁判所のような雰囲気のところが大多数でしたが、今回は、様々な省庁で、信徒や特に女性の役職者が明らかに増え、それとともに、穏やかな雰囲気が強まっていたことです。

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例えば、総合人間開発省の次官は、シスターAlessandra Smerilli。(上の写真。総合人間開発省で。向かって左から二番目がシスターアレッサンドラ。三番目が長官のチェルニー枢機卿)

奉献使徒的生活省の次官は、シスターSimona Brambilla、いのち・信徒・家庭省の次官補(Under Secretary)は、Linda GhisoniさんとGabriella Gambinoさん。(下の写真はいのち・信徒・家庭省。向かって右端がギソーニさん。左から二番目がガンビーノさん。一人おいて長官のファレル枢機卿)

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シノドス事務局の次官補が、シスターNathalie Becquart。いまシノドスを進めるために重要な役割を果たしているシスターナタリーです。(下の写真。シノドス事務局で。向かって一番右がシスターナタリー。その隣が長官のグレッグ枢機卿)まだまだ少ないものの主な女性の役職者です。

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さらに広報省は長官が信徒の男性でPaolo Ruffiniさん。訪問で出かけたときに対応してくださるメンバーで、女性と信徒の割合が一番高かったのが広報省と未成年者保護委員会でした。(下の写真は広報省で。向かって右から三人目がRuffini長官)

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その他にも、今回は訪問の対象ではありませんでしたが、バチカン市国政庁の次官にシスターRaffaella Petriniもよく知られています。長いこと、福音宣教省でも働いておられたシスターです。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その3」へ

 

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2024年5月 7日 (火)

アドリミナを振り返って:その1

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4月8日から13日まで行われた日本の司教団の聖座定期訪問(アドリミナ訪問)が終わり、その後、そのままパートナーシップ70周年でケルンを訪問して帰国してから、司教と補佐司教不在の間にたまっていた様々な事柄に対処しているうちに、連休も終わってしまいました。

遅くなりましたが、少しずつ、アドリミナについて振り返りたいと思います。

すでに以前にも触れたように、このアドリミナ訪問は、日本の司教たちが勝手に決めて出かけていくようなものではなく、教会法の399条の1項に、教区司教は五年ごとに、教皇様に対して、自分に任せられている教区の状況を報告しなくてはならないと定められているから行われます。ただし、教皇様にお会いする必要があるので、その日程については、教皇様の予定が最優先され、訪問する司教団に選択の余地はありません。

私にとって三回目となるアドリミナ訪問ですが、2007年は12月、2015年は3月でした。またアドリミナの方法についても、その内容はその時々で変更されます。日本の司教たちはすべて福音宣教省の管轄下にあり、司教省の管轄下にはありませんので、どのような形でアドリミナを行うのかは、福音宣教省の担当者が定めて、教皇庁大使館を通じて通知してきます。

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前回のアドリミナ訪問で大きく変更されたのは、教皇様との個別の謁見がなくなり、司教団は全員で一度だけ、教皇様と会う形になりました。今回も教皇謁見に関しては、それを踏襲して全員で一度になりました。

しかしながら、同時に行われるバチカンの省庁訪問については、以前は、司教団側で訪ねる省庁を定め、関係する司教だけが訪問するという形でありました。今回は福音宣教省の担当者が予定を定め、それに従って司教団全員で訪問するようにと変更となりました。ですから朝から、2時間ほどの刻みで、省庁訪問が入り、しかもバチカンの省庁は同じ場所にあるわけではなく、ローマ市内に点在している省庁もあり、移動に時間を費やします。特に現在は、来年の聖年に向けてローマ市内は工事だらけで、交通渋滞は以前異常に激しくなり、移動も楽ではありません。

前回までは、省庁訪問とは、それぞれの省庁の責任者が、宣教地の司教たちに教示する時間とされて、ほとんどが、長官である枢機卿の講話で占められていました。若干、例えば典礼秘跡省などで、典礼書の翻訳の問題で具体的なやりとりになることがありましたが、それでも、ほとんどの時間が、宣教地の司教たちが教えられる場でありました。参加した過去二回のアドリミナを思い出すと、各省庁で教えの講話を受け、厳しく指導された記憶が残っています。過去の歴史的背景もあり、普段は手紙でしかやりとりのない地方の教会の司教が、指示を守って働いているのか、実際に対面して聖座が確かめる場でも会ったかと思います。

教皇フランシスコになってから進められた省庁改革で、そのあたりが大きく変わりました。少なくともそのように実感させられました。

教皇フランシスコは2022年3月19日に使徒憲章「PRAEDICATE EVANGELIUM 」を公布し、バチカンの省庁の刷新を始められました。同憲章の冒頭の序文には、「教会の宣教的回心は、キリストの愛の使命を反映するように刷新することを目的とする」と記され、教皇は「聖座の刷新は、教会の宣教的本姓に照らして進める」と強調しています。

さらに教皇は、「交わり」へとすべての人を招くことが必要で、そのためにも「聖霊が教会に何を語っているかを知るために、すべての信徒、司教団、ローマの司教、そのすべてが互いに耳を傾けあい、すべてが真理の霊である聖霊に耳を傾けなくては成らない」と記しそれによってシノドス的な教会となることが重要だと指摘されています。

その上で教皇フランシスコは、ローマ聖座の省庁は、まず教皇の宣教の使命を支える存在であり、同時に「交わり」の重要性を認識しながら、それぞれの司教の自由と責任を尊重し、さらにはそれぞれの司教の宣教の使命を支える存在となるよう改革すると明記しています。同時にそれぞれの地方教会(各教区)と司教協議会を支援することも、ローマの省庁の大切な役割であると記します。

従って、今回のアドリミナ訪問で感じたのは、まさしくこの使徒憲章の精神に則って、各省庁がその立場を変えようと努力している姿勢でありました。バチカンの諸省庁は、宣教地の教会を教え導く立場から、シノドス的な教会として、互いに耳を傾けあう立場へと変わりつつあることでありました。

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教皇フランシスコが、昨年10月に開催されたシノドスの第一会期にあたり、その前に行われた三日間の黙想会から始まって、第一会期すべてにわたって、バチカンの各省庁の長官や次官にも、すべからく出席するように命じたのもそのためだったと思います。国務長官のパロリン枢機卿でさえ、ガザでの問題が深刻化したときに多少席を外された程度で、期間中、すべてに出席され、霊における会話にも参加されていました。今回のアドリミナ訪問で感じた一番の変化は、教皇様のイニシアティブで、聖座の各省庁は、シノドス的な教会を具体的に生きようとしている姿であります。

これまでの慣例に従って、各教区は、それぞれの教区の報告書を、昨年12月頃に教皇庁大使館を通じて提出しています。司教省と福音宣教省とで、それぞれこの報告書の項目が定められており、日本の教会は、福音宣教省の用意した項目に沿って報告書を用意しました。前回までは、とても細かい質問項目が並べられていたのですが、今回からは、項目は変わらないものの、内容は自由に書いて良いことになりました。統計的な数字に始まって、教区の組織や、委員会、小教区の活動などについての報告です。

これまでは、この報告書に基づいて、各省庁が、これが足りない、ここはこうすべきだと指導するのが省庁訪問でしたが、今回は、この報告書はさておいて、まずはそれぞれの省庁が担当する事柄に関しての日本の教会の現状を聞かせてほしいというやり方に変わっていました。一応、かなり直前でしたが、訪問に出かける一ヶ月ほど前に大使館から、それぞれの省庁の訪問先では、まず日本側から数分のプレゼンをするようにとの指示があり、かなり慌てて用意をしました。私が司教協議会会長ですので、わたしと、それから事務局担当の大塚司教とで、かなり手分けをして報告書を作り、これは当日、訪問先の省庁で、まず英語で読み上げました。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その2」へ

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2024年5月 6日 (月)

ガーナでの司祭叙階式参加の旅へのお誘い

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先日の記事で触れましたが、8月10日にガーナで行われる司祭叙階式の司式を依頼されました。いろいろと時間と予定を調整して、8月6日夜に東京を出発し、8月14日の夜に東京に帰国する日程で、ガーナまで出かけることにいたしました。

叙階される中に、私がかつて1986年から1994年まで働いていたOsonsonという村の出身者がいるとのことで、叙階式の翌日には、そのOsonsonの教会で初ミサが捧げられますので、それにも参加します。

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2010年にも叙階式を依頼されてガーナへ出かけましたので、14年ぶりになります。

現地の事情もあり少数の信徒の方々へのお誘いですが、日程の調整や飛行機の手配などを信徒の方が経営する旅行会社のパラダイスの村上さんに協力をお願いしています。20名までですが、一緒にガーナへ出かけませんか。円安のため旅行代金が高騰していますが、今回は往復をドバイ経由のエミレーツ航空とし、現地でもできる限り教会の黙想の家などに宿泊して、全体の料金を抑える工夫をしてくださいました。

現時点では、8月6日(火)から8月14日(水)までの9日間で、燃油サーチャージや空港税を除いて、478,000円と設定しています。

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現地では、叙階式が行われるアクラ(首都)以外にも、私が働いていたOsonson村、コフォリデユア(東州の州都)などを訪問する予定です。宿泊はすでに触れましたが、各地の黙想の家などを主に利用します。

一緒に出かけてみようと思われる方、もう少し詳しい情報を知りたいと思われた方、パラダイスさんにお問い合わせください。

お問い合わせは: (株)パラダイス tel: 045-580-0023  (営業時間月~金 9:30から18:00まで)

Fax: 045-580-0024 または email: mary@junrei.co.jp

普通の観光旅行とはひと味違う、祈りの旅です。ご参加いただけましたら、幸いです。

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2024年5月 4日 (土)

週刊大司教第165回:復活節第六主日B

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連休中ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

私はいつものように執務室で、原稿を書いております。休みのうちに書いておかないと、締め切りや行事に間に合わないものですから、休日で誰もいない教区本部の執務室は、書き物をするのに最適な空間です。

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先日、駐日ガーナ大使であるジェネヴィーブ・エドナ・アパロ大使(上の写真右)が、教区本部を訪れてくださいました。大使はカトリック信徒でもあり、様々な分野に話は及びましたが、本題は、わたしが今年の8月にガーナの神言会から司祭叙階式を依頼されており、8月10日前後に一週間ほどガーナを訪問する予定となっていますので、その訪問についての話でした。8月10日に叙階する新司祭の中に、わたしがかつて主任司祭を務めていた教会の出身者がおり、叙階式を行い、その翌日には出身教会のオソンソン、つまり私が昔いた教会での初ミサに参加することになりました。

なおもしこの機会にガーナを訪れたいという方がおられましたら、近日中に同行旅行団の募集が信徒の運営する旅行会社パラダイスさんから呼びかけられる予定です。日程は8月6日夜発、8月14日夕方帰着の予定で、現地での宿泊は主に教会関係の黙想の家などになりますので、普段の巡礼旅行のようなホテル利用ではありません。その旨ご承知おきください。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第165回、復活節第六主日のメッセージ原稿です。なおメッセージも触れている世界広報の日の教皇様のメッセージは、こちらのリンクから、中央協議会のホームページでご覧ください。

復活節第6主日B
週刊大司教第165回
2024年5月5日

「あなた方がわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだ」と述べる主イエスは、私たちが自分の知識や好みに従って信仰を築きあげるのではなく、イエス御自身が望まれることを具体的に成し遂げるようにと求めています。信仰は、私たちの都合で作り出す創作物ではなく、具体的に生きておられる主によって与えられるものです。

イエスは福音で、「あなた方が出かけていって実を結び、その実が残るように」、私たちが「互いに愛し」合うことを命じておられます。バーチャルな世界でならまだしも、現実の世界で一人で愛し合うことはできません。「愛し合いなさい」という命令は、具体的に人と関わることを私たちに求めています。ですから教会は、人と人との交わりによる共同体を基礎としているのです。

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」と呼びかける使徒ヨハネは、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしに」なったところに、神の愛が示されていると強調します。すなわち、神の愛は、御子が十字架の上でその身をささげられたほどの、命がけの愛であります。その愛によって生かされているのだから、わたしたちも、口先ではなく、「命がけ」で愛に生きるようにとヨハネは語ります。

「隣人を愛する。友を愛する」と口にするのは簡単です。ひたすら優しくなれば良いというのは、残念ながら思い違いです。単に優しくなることを意味してはいません。イエスが語る「愛」の意味は、イエス御自身が目に見える形で実行されたその行動にあります。十字架です。すべての人の罪を背負い十字架上で命を捧げる。まさしく、命がけの愛であります。それが神の愛の本質です。それは単なる優しさではありません。

さて教会は、復活節第六主日を、世界広報の日と定めています。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画、インターネットなどの広報媒体を用いて行う宣教について、教会全体で考え、振り返り、祈り、献金をささげる日です。この日にあたり教皇フランシスコは、「AIと心の知恵:真に人間らしいコミュニケーションのために」というメッセージを発表されています。今年の正月の世界平和の日のメッセージについで、教皇は一般的に広く受け入れられつつあるAIの課題について触れています。

教皇は、「技術は豊かでも人間らしさは希薄なこの時代にあっては、人間の心だけがわたしたちの考察の起点となります」と記し、機械とは無縁な人間の心の知恵の重要さを説きます。その上で教皇は、「取り上げるべきは、機械に人間らしさを要求することではありません。全能という妄想によって陥った催眠状態から人を目覚めさせることなのです。自分は完全に自律した自己言及的な主体で、社会的つながりとは無縁だとして、被造物としての己を顧みない思い込みから目を覚まさせることです」と記します。

「わたしたちは、人間性において、そして人間として、ともに成長するよう求められて」いると指摘する教皇は、神の知恵を求めながら、人間らしいコミュニケーションをとることの必要性を説いています。

私たちにとっても、「自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語り、そしてまさしくそのことばを実行した主イエスと、具体的に現実の中で出会うことが、信仰を豊かにし、また人生を豊かなものとすることでしょう。

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2024年5月 3日 (金)

あれから20年です

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今から10年前、新潟の司教だった頃の2014年5月3日に書いた「司教の日記」(リンクはこちら)から引用です。

「2004年5月3日。折から来日中の神言会副総会長ケラー師(当時)を隣に乗せて、私は名古屋から岐阜県の多治見に向かっておりました。多治見修道院の敷地内に新しく完成した建物の竣工式を執り行うためです。そのとき私は、神言会の日本管区長でありました。

連休中ですから道路は大混雑。それを避けようと、瀬戸市方面を経由して裏から多治見へ行こうと考えましたが、それでも瀬戸市内で渋滞に遭遇。

と、その瞬間を見計らったかのように私の携帯が鳴りました。ちょうど渋滞で動く気配もなかったので、即座に応答。すると、相手は英語でしゃべっているではありませんか。しかもなにやらやたらと親しげに。こんな時に誰だろうと思いつつ『どこの誰』と尋ねると、なんと電話は教皇庁大使館からでした。新潟司教への任命のお知らせでありました。

渋滞中とはいえ車は動き出すやも知れない。隣には副総会長が乗っている。しかも英会話。しどろもどろになりながら、『あとでかけ直して良いですか』と尋ねるものの、『今すぐ回答を』と迫ってくる。それでもやっとの思いで、連休明けに電話するから待ってくれと頼むことに成功。あれから10年も経ちました。その年の5月14日に、溝部司教の高松転任と一緒に発表されました。司教叙階式に届いた教皇ヨハネパウロ二世からの任命書の日付は、なんと4月29日でした」

というわけで、この司教の日記からさらに10年。司教の任命を当時の教皇大使から告知されて、2024年5月3日で20年がたちました。司教叙階式はその後、2004年9月20日に新潟で行われました。

この20年間、司教としての務めをなんとか果たすことができたのは、多くのみなさまのお祈りとご支援のおかげです。助けてくださったみなさまに心から感謝申しあげます。新潟、そして東京と、教区の司教としての務めを果たすには、教区の司祭団、修道者、信徒の方々の力が必要です。みなさまの助けと協力がなければ、この務めは果たすことが全くできませんでした。

特に、司牧の協力者である司祭団には、感謝申し上げます。教区は一人司教のものでもなく、司祭のものでもありません。その地にあってともに共同体を作り上げている皆のものです。教会は時の流れの中を旅する神の民です。私たちは、すべからく、その神の民の一員です。

どうかこれからも、司祭、修道者そして信徒の皆様の力を貸していただき、ともに教会共同体を神が望まれる方向で強めていきたいと思います。

20年前に司教に任命されたとき、モットーを選ばなくてはなりませんでした。わたしは「多様性における一致」を選択しました。

今でこそ「多様性」は、いろいろな社会的な意味合いを帯びていますが、このことばは、もちろん聖書のローマ書12章にあるとおり、「わたしたちのひとつのからだは多くの部分から成り立っていても」からとられていますが、実際には第二バチカン公会議の教会憲章からの引用です。信徒の召命を語っている32項あたりで「多様性」ということばが度々もちいられ、その項目の終わりのあたりに、「こうして、多様性の中にあって、すべての人がキリストの体における優れた一致についてあかしをたてる」と記されています。

わたしの司教モットーのラテン語は「Varietate Unitas」で、「多様性」のラテン語は教会憲章で用いられている「varietas」です。これは、最初に日本語のモットーができて、それをラテン語訳するときに相談したラテン語の先生の示唆で、英語の「diversity」からすぐに頭に浮かぶ「Diversitas」ではなくて、教会憲章で用いられている「Varietas」のほうに倣うことを採用したためです。上述の教会憲章の32項のラテン語版は、教皇庁のホームページで読むことができますのです、興味のある方はご覧ください。

いま教会はシノドスの道を歩んでいますが、まさしく今ほどVarietate Unitasが重要なときはありません。聖霊の導きに耳を塞いだままでいるのか、聖霊の導きに身を任せようとするのか、それぞれの決断が求められていると感じています。

20年がたちました。健康が許すのであれば、75歳の定年まではあと10年あります。どうかこれからも、皆様のお祈りと、ご支援、そしてご協力を、心からお願いし、また信じて、ともに歩んで参りたいと思います。感謝のうちに。

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