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2024年5月10日 (金)

アドリミナを振り返って:その3

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今の時期は円安ですし、そもそもヨーロッパのホテルはお安くはありませんし、バチカンの近くとなるとなおさらです。そこで、バチカンに近いところにある、かつてはバチカンで働く聖職者の宿舎として建てられた施設に、司教団全員で泊めてもらいました。サンタンジェロ城(上の写真)の近くにあるこの聖職者の宿舎は、ホテルとまでは言わないものの、現在では空いている部屋を利用して、巡礼者や、わたしたちのように会議や訪問でバチカンを訪れるグループを、市内のホテルより比較的に安く泊める施設として運営されています。

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もともとバチカンで働く聖職者のための宿舎ですから、立派な聖堂がありミサを捧げることができますし、事前にお願いすれば、もちろんそれぞれ有料ですが、朝食だけでなく昼食や夕食を取ることもできます。以前2015年のアドリミナでもこの施設に泊まったことがありますが、その当時に比べて、インターネットのつながりが格段に良くなっていたことだけは、大きな変化として気がつきましたし、昼食や夕食のお願いも部屋にあるQRコードを読み込んでスマホからできるようになっていました。(上の写真は宿舎の聖堂で朝ミサを司式する中野司教様)

さて、それでは省庁訪問ではどんな話がされたのでしょう。

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第一日目、月曜日の最初は、午前9時から、聖職者省へ出かけました。聖職者省の長官は、韓国出身のラザロ・ユ枢機卿様で、日本の司教の多くは、以前からの知り合いです。(上の写真、右がラザロ枢機卿様)

宣教地(日本のような)の司祭養成のための神学校は、いくつかの省庁の管轄下にあります。まず全体の設置や運営の許認可は福音宣教省です。そして、司祭の養成に関しては聖職者省が管轄します。さらに司祭の養成の知的側面に関しては文化教育省になります。全くもって、大変複雑です。

聖職者省では、神学院司教委員会の委員長である大塚司教様が、4月1日に始まった二つの神学院を統合した日本カトリック神学院について、説明をいたしました。その上で、それに伴う様々な規約の改正について、また、現在司教団が整備し、また実際に始めた、司祭の生涯養成のプログラムなどについても説明をしました。

聖職者省からは、特に司祭の生涯養成(神学院での初期養成からはじまり、叙階後の生涯にわたる養成まで)の重要さについて、お話があり、新しく開校した日本カトリック神学校の発展とさらなる召命の発掘についての期待が表明されました。

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続いて10時45分から、今度は文化教育省を訪れました。文化教育省の長官は、ホセ・メンドーサ枢機卿様。ポルトガルの出身です。(上の写真は司教たちと握手して回るメンドーサ枢機卿)

聖職者省に続いて、文化教育省でも神学院についての話題になりました。神学院は日本の法律上の学校ではありませんから、学位を取ることはできません。しかし神学院での初期養成の間に、日本で言えば学士にあたる教会上の資格を取得しておかないと、その先にどこかに留学することが難しくなります。また教会内のいくつかの役職のためには、教会上のそういった教育の資格を持っていることが必要になる場合もあります。そこで、世界中の神学院では、特に自らが大学ではない神学院では、教皇庁立の神学部と提携関係を結び、その神学部から教会上のいわゆる学士などの資格を与えてもらうようにしています。東京カトリック神学院では、これまでローマにあるウルバノ大学と提携していましたが、新しい日本カトリック神学院となることで、この提携関係をあらためる必要があります。そのための具体的な情報交換が行われました。

さらに学校教育委員会の委員長である前田枢機卿様から、日本におけるカトリック学校の実情についての説明があり、司祭や修道者の減少に伴って、学校の現場から司祭修道者が見えなくなっている現実の中で、カトリックとしてのアイデンティティをどのように保っていくのかについて、意見の交換をしました。もちろんこれは長期的課題ですし、日本だけの問題ではなく、すでにかつてキリスト教国であった国でも今やカトリックとしてのアイデンティティをどのように保つかは大きな課題となっているというような内容でした。

また文化教育省からは、大阪万博について日本ではどのような取り組みがなされているのかについての質問がありました。前田枢機卿様から、大阪で取り組んでいる内容について説明をしましたが、すでに文化教育省が承知して進めていることがいくつかあることも確認されました。なお大阪万博への対応についても、バチカンの複数の省庁が関係しており、窓口は一つではないことが、私個人的には複雑な感じがいたしました。

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第一日目のお昼12時から、今度は国務省へ向かいました。同じ時間に奉献使徒的生活省も入ってしまっていたため、そちらには山野内司教様やアベイヤ司教様など数名が回りました。(上の写真は、国務省の会議室で、ギャラガー大司教の到着を待つ司教たち)

国務省は、他の省庁と違って、教皇宮殿の中にあるので、そこまでたどり着くのが容易ではありません。スイス衛兵によるいくつかのチェックポイントを通過して、やっと国務省へつながるエレベーターまでたどり着きます。もちろん事前に通知してあるので、スイス衛兵の手元には、誰が何時にどこへ行くのかがすべて記した一覧があり、その一覧を見てのパスです。

パロリン枢機卿は海外出張中で不在のため、国務次官のギャラガー大司教とお会いすることになりました。そのギャラガー大司教も、報道されているとおり、ヴェトナムを公式に訪問されるため、ローマを出発する直前でしたが、じっくりと時間をとってくださいました。ギャラガー大司教は国務省のNO.3で、外務局長となっていますが、いわゆる他の政府で言えば外務大臣です。

ギャラガー大司教との面談では、まず私が司教協議会会長として、能登半島地震への国務長官を通じた教皇様のお見舞いへの御礼を伝え、2019年の教皇訪日の時に様々な尽力してくださった国務省の方々への御礼を伝え、さらに日本における移住者や難民の方々の現状と直面する困難についてお話しし、それに対する日本の教会の対応について説明し、さらに広島教区と長崎教区が中心となって進めている核兵器廃絶への運動について説明をしました。またそれぞれ関係する司教様方から、これらの話題について詳しく説明をいたしました。

ギャラガー大司教からは、特に核兵器禁止条約に国連の場で自ら署名し、バチカンが一番最初に批准した国の一つとなったことについてのお話があり、教皇様が核兵器の保有は倫理に反していると指摘されていることを繰り返され、司教団の核兵器廃絶への取り組みを進めるようにとの励ましがありました。

またギャラガー大司教からは、日本の憲法を巡る現在の政治と社会の情勢について、説明を求められました。

さらに、死刑廃止問題に関連して、特にえん罪によって死刑が執行されることへの懸念についての話となり、司教団からは袴田さんの再審についての状況を説明させていただきました。ギャラガー大司教からは、教皇様がカテキズムを書き直させて死刑廃止を強調されていることに触れて、一朝一夕で実現はできないだろうが、地道な運動が必要だという指摘がありました。

第一日目の午前中は、国務省のこの訪問で、おおよそ午後1時半頃に終了しました。この後午後に二つの訪問がありますが、それはまた後日。(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その4」へ

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