三位一体の主日ミサ:東京カテドラル聖マリア大聖堂
昨日5月26日は、三位一体の祭日でした。東京カテドラル聖マリア大聖堂の10時から行われた関口教会のミサを司式させていただきました。
アンドレア補佐司教様が誕生してから、小教区などの訪問を分担することが可能となり、関口教会でミサを司式させていただく機会も、増えてはいませんが、毎月一度ほどはあるようになってきました。カテドラル(司教座)聖堂とはいえ、主任の小池神父様はじめ、侍者や聖歌隊、オルガンや司会担当他、小教区の皆さんに、司教ミサということで普段とは異なる対応をいただき、感謝申し上げます。また手話通訳の皆さんには、いつも原稿なしで、難しい話を通訳してくださり、感謝いたします。
以下、三位一体の主日ミサの説教の、手元にあった原稿です。
三位一体の主日ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年5月26日教会は、その誕生の日とも言える聖霊降臨の出来事を先週の日曜日に祝い、教会共同体が常に聖霊によって導かれていることを改めて心に刻みました。わたしたちの信仰は復活の出来事から生まれ、教会共同体は聖霊降臨によって誕生しました。
教皇フランシスコは2017年4月19日の一般謁見で復活について語られ、「わたしたちが神を探し求めるのではなくて、神がわたしたちを探してくださいます。イエスはわたしたちをつかみ、とらえ、魅了し、決してわたしたちを見捨てません」と述べておられます。
わたしたちを決して見捨てることのない主は、聖霊を送り、教会をその恵みによって満たし、いまに至るまで教会の歩みを導いてくださいます。ともにいてくださる主は、聖霊を持って教会を力づけ、真理への道に導いてくださいます。
教皇様は、昨年10月に開催されたシノドスの第一会期中に、しばしば会場においでになり、一つのことを繰り返されました。それは、「皆さんが主役ではありません。聖霊が主役です」という言葉でありました。教会を生かしているのは聖霊であって、人間の知恵ではありません。教会は人間が作り出す組織ではありません。教会は、聖霊が豊かに与えてくださる多様な賜物に彩られて、主イエスとともに歩み育てられています。わたしたちを「つかみ、とらえ、魅了する」主御自身を、わたしたちは言葉と行いであかしし、告げ知らせています。皆さんひとり一人が、聖霊の賜物を受け、それぞれの異なる方法で、そしてご自分の生活する現実の中で、イエスをあかしし続けていかなければなりません。
そして聖霊降臨祭の翌週、本日の主日は、三位一体の主日です。三位一体の秘儀の中心にあるのは、多様性における一致であります。
三位一体の主日のミサのはじめに唱えられた集会祈願は、「聖なる父よ、あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました」と始まっていました。
神のいのちの神秘は、どうしたら示されるのか。それは父と子と聖霊のいずれかだけによって示されるのではなく、父と子と聖霊の三位によって示されるとこの祈りは教えます。その上でこの祈りは、「唯一の神を礼拝するわたしたちが、三位の栄光を称えることができますように」と続け、三位の神が唯一の神であることを明らかに示しています。
神のいのちの神秘は、三位一体の神秘のうちにこそ現されます。だからこそわたしたちは、父と子と聖霊の御名によって、洗礼を授けられます。わたしたちキリスト者の信仰が、三位一体の神秘に基づいているからに他なりません。
カテキズムには、「至聖なる三位一体の神秘は、キリスト者の信仰と生活の中心的な神秘です。・・・信仰の他のすべての神秘の源、それらを照らす光なのです」と記されています。(234)
御父は、人間からかけ離れた遠い存在ではなく、また厳しく裁きを与え罰する存在ではないことを、パウロはローマの教会への手紙に、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と記して教えます。わたしたちは聖霊の導きによって、御父をこの上なく親しいと感じる者とされます。それは御子イエスご自身が、「アッバ、父よ」と叫ばれたように、御子も御父をこの上なく親しい者と感じていました。ですからわたしたちは洗礼によって、御子と同じように御父をこの上なく親しく感じる者とされ、御父の一部ではなくすべてを受け継ぐ者と見なされるということをパウロは、「キリストと共同の相続人」という言葉を使って強調しています。
マタイ福音は、三位一体の交わりのうちに生かされているわたしたちに、主は、「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ」るようにと命じたと記します。すなわちわたしたちは、全世界の人を三位一体の神秘における交わりに招くように、遣わされています。わたしたちは自分の心の思いや自分の信仰理解を告知する者ではありません。わたしたちは、わたしたちを「つかみ、とらえ、魅了する」主御自身、すなわち三位一体の神を告げる使者であります。
三位一体の神は、共同体の交わりのうちにある神です。御父と御子と聖霊は、それぞれの多様な役割を果たし、それぞれ独立して存在しているのではなく、唯一の神としてともに働きながらわたしたちを導かれます。共同体における多様性の交わりのうちにある三位の神は、唯一の神であるので、当然共同体における一致のうちにあります。
教皇フランシスコは、「福音の喜び」に、次のように記しています。
「適切に理解されれば、文化の多様性が教会の一致を脅かすことはありません。御父と御子から遣わされる聖霊がわたしたちの心を造り変え、すべてのものの一致の源である三位一体の完全な交わりに加われるようにします。聖霊は、神の民に一致と調和をもたらします。・・・聖霊は、たまものの多種多様な豊かさを生み出すと同時に一致を築きます。(117)」
わたしたちの信仰がこの多様性における一致にある三位一体に基づいているからこそ、わたしたちには教会共同体が必要であり、信仰を一人孤独のうちに生きることもできません。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けた瞬間に、わたしたちは三位一体の神の交わりの中で、教会共同体の絆に結びあわされるのです。わたしたちの信仰は、本性的に共同体の信仰です。多様性のうちに一致へと招かれる信仰です。
シノドスの道を歩んでいる教会において、一番大切なことは、互いの声に耳を傾けあい、互いの違いを認識しあい、互いに支え合って歩むことです。多様性に満ちあふれた教会共同体は、聖霊によって導かれているので、なんとなく騒々しい落ち着かない共同体であるはずです。様々な文化的背景をもた人が一つに集う神の民は、その多様性のために落ち着かないところであり、ともすると、対立と分裂を生み出しやすい存在でもあります。昨今の社会全体における不寛容と排他的な雰囲気は、教会共同体にも暗い影を落としています。
しかし聖霊は、その落ち着かない多様性に満ちた共同体を、必ずや一致へと導かれます。互いの存在を認め合い、耳を傾けあい、支え合うところに、多様性の一致は実現します。
福音宣教は、相手を屈服させ従わせることではなく、「尊敬と敬愛を持って」互いに耳を傾けるところにあります。自分の主張を受け入れさせることではなく、互いの違いを認めながら、共通の道を見いだそうと聖霊の導きを識別する道です。言葉と行いによる証しを通じて、父と子と聖霊の神のいのちの神秘に、一人でも多くの人が招き入れられるように、主とともに歩んで参りましょう。
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