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2024年5月 7日 (火)

アドリミナを振り返って:その1

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4月8日から13日まで行われた日本の司教団の聖座定期訪問(アドリミナ訪問)が終わり、その後、そのままパートナーシップ70周年でケルンを訪問して帰国してから、司教と補佐司教不在の間にたまっていた様々な事柄に対処しているうちに、連休も終わってしまいました。

遅くなりましたが、少しずつ、アドリミナについて振り返りたいと思います。

すでに以前にも触れたように、このアドリミナ訪問は、日本の司教たちが勝手に決めて出かけていくようなものではなく、教会法の399条の1項に、教区司教は五年ごとに、教皇様に対して、自分に任せられている教区の状況を報告しなくてはならないと定められているから行われます。ただし、教皇様にお会いする必要があるので、その日程については、教皇様の予定が最優先され、訪問する司教団に選択の余地はありません。

私にとって三回目となるアドリミナ訪問ですが、2007年は12月、2015年は3月でした。またアドリミナの方法についても、その内容はその時々で変更されます。日本の司教たちはすべて福音宣教省の管轄下にあり、司教省の管轄下にはありませんので、どのような形でアドリミナを行うのかは、福音宣教省の担当者が定めて、教皇庁大使館を通じて通知してきます。

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前回のアドリミナ訪問で大きく変更されたのは、教皇様との個別の謁見がなくなり、司教団は全員で一度だけ、教皇様と会う形になりました。今回も教皇謁見に関しては、それを踏襲して全員で一度になりました。

しかしながら、同時に行われるバチカンの省庁訪問については、以前は、司教団側で訪ねる省庁を定め、関係する司教だけが訪問するという形でありました。今回は福音宣教省の担当者が予定を定め、それに従って司教団全員で訪問するようにと変更となりました。ですから朝から、2時間ほどの刻みで、省庁訪問が入り、しかもバチカンの省庁は同じ場所にあるわけではなく、ローマ市内に点在している省庁もあり、移動に時間を費やします。特に現在は、来年の聖年に向けてローマ市内は工事だらけで、交通渋滞は以前異常に激しくなり、移動も楽ではありません。

前回までは、省庁訪問とは、それぞれの省庁の責任者が、宣教地の司教たちに教示する時間とされて、ほとんどが、長官である枢機卿の講話で占められていました。若干、例えば典礼秘跡省などで、典礼書の翻訳の問題で具体的なやりとりになることがありましたが、それでも、ほとんどの時間が、宣教地の司教たちが教えられる場でありました。参加した過去二回のアドリミナを思い出すと、各省庁で教えの講話を受け、厳しく指導された記憶が残っています。過去の歴史的背景もあり、普段は手紙でしかやりとりのない地方の教会の司教が、指示を守って働いているのか、実際に対面して聖座が確かめる場でも会ったかと思います。

教皇フランシスコになってから進められた省庁改革で、そのあたりが大きく変わりました。少なくともそのように実感させられました。

教皇フランシスコは2022年3月19日に使徒憲章「PRAEDICATE EVANGELIUM 」を公布し、バチカンの省庁の刷新を始められました。同憲章の冒頭の序文には、「教会の宣教的回心は、キリストの愛の使命を反映するように刷新することを目的とする」と記され、教皇は「聖座の刷新は、教会の宣教的本姓に照らして進める」と強調しています。

さらに教皇は、「交わり」へとすべての人を招くことが必要で、そのためにも「聖霊が教会に何を語っているかを知るために、すべての信徒、司教団、ローマの司教、そのすべてが互いに耳を傾けあい、すべてが真理の霊である聖霊に耳を傾けなくては成らない」と記しそれによってシノドス的な教会となることが重要だと指摘されています。

その上で教皇フランシスコは、ローマ聖座の省庁は、まず教皇の宣教の使命を支える存在であり、同時に「交わり」の重要性を認識しながら、それぞれの司教の自由と責任を尊重し、さらにはそれぞれの司教の宣教の使命を支える存在となるよう改革すると明記しています。同時にそれぞれの地方教会(各教区)と司教協議会を支援することも、ローマの省庁の大切な役割であると記します。

従って、今回のアドリミナ訪問で感じたのは、まさしくこの使徒憲章の精神に則って、各省庁がその立場を変えようと努力している姿勢でありました。バチカンの諸省庁は、宣教地の教会を教え導く立場から、シノドス的な教会として、互いに耳を傾けあう立場へと変わりつつあることでありました。

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教皇フランシスコが、昨年10月に開催されたシノドスの第一会期にあたり、その前に行われた三日間の黙想会から始まって、第一会期すべてにわたって、バチカンの各省庁の長官や次官にも、すべからく出席するように命じたのもそのためだったと思います。国務長官のパロリン枢機卿でさえ、ガザでの問題が深刻化したときに多少席を外された程度で、期間中、すべてに出席され、霊における会話にも参加されていました。今回のアドリミナ訪問で感じた一番の変化は、教皇様のイニシアティブで、聖座の各省庁は、シノドス的な教会を具体的に生きようとしている姿であります。

これまでの慣例に従って、各教区は、それぞれの教区の報告書を、昨年12月頃に教皇庁大使館を通じて提出しています。司教省と福音宣教省とで、それぞれこの報告書の項目が定められており、日本の教会は、福音宣教省の用意した項目に沿って報告書を用意しました。前回までは、とても細かい質問項目が並べられていたのですが、今回からは、項目は変わらないものの、内容は自由に書いて良いことになりました。統計的な数字に始まって、教区の組織や、委員会、小教区の活動などについての報告です。

これまでは、この報告書に基づいて、各省庁が、これが足りない、ここはこうすべきだと指導するのが省庁訪問でしたが、今回は、この報告書はさておいて、まずはそれぞれの省庁が担当する事柄に関しての日本の教会の現状を聞かせてほしいというやり方に変わっていました。一応、かなり直前でしたが、訪問に出かける一ヶ月ほど前に大使館から、それぞれの省庁の訪問先では、まず日本側から数分のプレゼンをするようにとの指示があり、かなり慌てて用意をしました。私が司教協議会会長ですので、わたしと、それから事務局担当の大塚司教とで、かなり手分けをして報告書を作り、これは当日、訪問先の省庁で、まず英語で読み上げました。

(この項、続きます。「アドリミナを振り返って:その2」へ

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