アドリミナを振り返って:その11
アドリミナの振り返りも終わりに近づきました。4月8日月曜日から始まり、公式行事としては12日の金曜日の教皇謁見までの5日間、その翌日には13日土曜日朝の聖パウロ教会でのミサまでの一週間の訪問でした。
金曜日の朝です。福音宣教省の担当者から、必須となっている聖ペトロの墓前でのミサを、教皇謁見の前にするべきだと指導され(これまでは他の日に設定していました)、教皇謁見は司教正装の黒のスータンが不可欠ですから、早朝一番で皆黒のスータンに着替え、宿舎のロビーに集まりました。早朝、朝6時過ぎです。そこから歩いてサンピエトロ大聖堂まで。サンピエトロ大聖堂での朝のミサは7時15分に設定されていますので、参加してくださるローマ在住の方々の姿も、大聖堂前の広場には見受けられます。サンピエトロ大聖堂が光輝く、素晴らしい天気の朝でした。
大聖堂でミサをするためには、まず左手の香部屋へ行かなくては成りませんが、この香部屋自体が日本の小教区教会くらいの大きさがあります。ここに至るまで二カ所の検問を通過。香部屋棟の二階の奥まったところにある別室に、事前にお願いしてあった日本の司教さんたちの人数分の赤の祭服が用意してあります。一体この大聖堂香部屋には、何枚の祭服があるのでしょう。シノドスの時などにも、何百枚もの同じ祭服が用意されているのを見ましたから(そういうときは、大聖堂の一部を仕切って臨時の香部屋にします)、ものすごい数の祭服をキープしているものと思います。
ここで着替えて、大聖堂に出ると、すでに観光客が聖堂内に。そのまま地下への階段へと進み、大聖堂地下の教皇墓所にあるペトロの墓所(大聖堂の教皇祭壇の真下)前の祭壇で、ミサを捧げました。(上の写真、大聖堂の教皇祭壇の前です。現在その天蓋を修復工事中)
ミサ終了後、そのまま地下墓所の前方に進み出て、司教たち全員でペトロの墓前に立ち、信仰宣言を行い、使徒の後継者としての使命に忠実に生きる決意を新たにしました。
さて、ここからです。今の時代ですから、教皇謁見の招待状(これがないと教皇宮殿に入れてくれない)はメールに添付で送られてきますが、それによると、午前9時15分に教皇執務室(書斎)に来るようにと書いてあります(上の写真がその一部)。ミサが終わったのが8時過ぎ。ここから宿舎に戻って朝食では間に合わなくなるので、このまま大聖堂内を見学し、8時45分にピエタ像前に集合、そのまま大聖堂入り口を横に移動して、いくつかの関門を通過して、教皇宮殿へ向かうことにしました。
長い階段を上り、屋上庭園・中庭的な聖ダマソ広場に出て、広場を横切り、教皇宮殿や国務省に行くエレベーター前に到着。ここでいったん、警備が上に確認する間に待たされ、その後、エレベーターに分乗して教皇宮殿へ。(上の写真、聖ダマソ広場で成井司教様と)
到着すると、待ち構えていたスイス衛兵に、前の予定が長引いているのと、急な賓客が入ったので、しばらく待ってほしいとのことで、枢機卿会などを行うための広間にて待機することに。待つこと一時間、10時過ぎに、やっと執務室の前の前の部屋まで呼ばれ、ここで教皇様の秘書官から、執務室の中に入ったら何があるか、どう行動するかの説明をいただきました。入り口で教皇様が待っておられ、挨拶をするときに公式な写真を撮影されます。
それからしばらくして、執務室へ入るように呼ばれ、前田枢機卿様を先頭にして、一人づつ順番に入室し、そこに立って待っておられる教皇様に挨拶をしながら、部屋の一番奥に設えられた会見の場に向かいます。二番目に入室した私は、東京教区のメディア司牧の成果を収めたDVDを差し上げ、さらに水曜日の一般謁見での聖書の献呈について感想を伺いました。すでに記したように、聖書の翻訳事業の重要性を改めて確認する言葉を頂戴しました。
ここから先は、冒頭での写真撮影以外、訪問している司教たちと、通訳の和田神父様、そして同席する司教協議会の川口事務局長と教皇様だけになります。教皇様の椅子には仕掛けがあって、あるところにボタンがついていて、それを押すと、待機していた関係者が入室してきます。終わりの合図です。それが押されるまでは、訪問している司教たちと教皇様だけの時間となり、公式な記録も残されません。(ですから、以下の記録は非公式なメモに基づいた、私的な報告です)
以前は、冒頭で、読むか配布するかは別にして、教皇様のメッセージがあり、それに対して司教協議会会長が答礼のメッセージを読み上げていました。触れたように教皇様との謁見それ自体は公式な記録を残さないので、外に発表する際には、その教皇メッセージを元にすることになっていました。前回2015年の時も、教皇様は読まれませんでしたが、文章が公表されたので、それを元にして謁見内容を公表していました。
ところが今回は、冒頭から教皇様がぐいぐい押してきます。「私のメッセージはないから。そちらも公式なメッセージはいらないから。十分な時間をとって、日本の教会について話してほしい。必要ならそこに水もあるし、トイレはその後ろにあるから。じゃ、会長、司会して」とおっしゃるのです。これには面食らいました。こちらも、報告を用意していたのですが、すべて吹き飛びました。
そこで、用意していた報告の項目に沿って、それぞれの関係する司教様に振って話してもらうことを思いつき、まず2019年の訪日への感謝の言葉から始めました。それに対して、教皇様は、ご自分が若い頃に日本に行きたかった話や、後に管区長時代に会員をアルゼンチンから日本に派遣した話などに触れ、日本訪問が良い記憶として残っていることを話されました。
以下、概ね次のように話を進めました。まず、能登半島での地震発生時のお見舞いへの感謝を述べ、松浦司教様から復興の現状について説明していただきました。さらに日本の教会に「ラウダート・シ」デスクを設置し、エコロジーの課題に積極的に取り組むべく体制を整備していることを説明し、具体的に成井司教様から説明していただきました。続いて、訪日の際に、長崎と広島での核兵器廃絶と平和への誓いの言葉に感謝申し上げ、これに関して、シアトルやサンタフェの大司教たちと、広島、長崎の大司教たちが中心になって、核兵器廃絶の運動を進めていることを報告し、白浜司教様と中村司教様に具体的な説明をお願いしました。教皇様は、核兵器を使うことだけでなくその保有自体が倫理に反していると、ここで改めて強調されました。
さらに、日本におけるシノドスへの取り組みについて、私から説明しました。特に今回のシノドスの期間が感染症の真っ最中であったために、なかなか具体的な取り組みが難しかったが、長期的な視点からこれからも慌てずに取り組んでいくことを伝えました。そして、高山右近など殉教者の列聖運動を進めていることに触れ、大塚司教様に具体的な取り組みについての説明をお願いしました。興味深げに列聖運動について話を聞かれていた教皇様は、さらに進めるようにと励ましの言葉を述べられた後、教皇様特有のジョークで、「話を早く進めようとして、賄賂を使っちゃだめですよ」と一言。このジョークで場が和みました。
ここで教皇様から、日本における召命と司祭養成についての問いかけがあり、神学院常任委員長である大塚司教様から、二つの神学院が一つになった経緯や、養成のプログラムなどについて、具体的に説明していただきました。教皇様は、「それで、一体神学生は何人くらいいるのだ」と問いかけられ、「大体20名以上は常におります」と答えたところ、教皇様は、「そんなにたくさんいるのか」と、驚いて見せ、「イタリアでは、もっと神学生が少ない神学校もある」と、これまた教皇様特有のユーモアたっぷりに話され、司祭養成の重要性を語られました。
これ以外に、大阪万博に対する教皇庁の協力へのお願い、日本語版ミサ典書が予想よりも早く認可されたことに対するお礼、世界青年大会(WYD)での経験の分かち合い、外国籍信徒が増えていることに伴う日本の教会の課題についての分かち合い、修道者召命の減少の課題などを日本の司教からお話ししました。
那覇のウェイン司教様は、沖縄の米軍基地に関する報告をされ、その中で、外国の軍隊が他国に基地を常設することの倫理性に関する問いかけをされました。教皇様からは、その問題はこれまで注目されたことがなかったが、確かに大きな課題であるので、これから検討するに値するとの答えがありました。
さらに教皇様からは、現在進めているシノドスの道のりについてのお話がありました。いま進めていることは何か新しいことを思いついたのではなくて、第二バチカン公会議が目指してこれまで60年以上も続けてきた神の民のあり方を実現しようとしていることである、新しい教会を作ろうとしているのではなく、聖霊に導かれている教会のあり方を見いだそうとしている。シノドス性はイデオロギーではない。民主主義でもない。皆が一つに成って教会を作りあげていることが大切だ、という旨のお話でした。
最後に、教皇様から、「喜びを失わないように。ユーモアの感覚も失わないように。喜びに満ちていないキリスト者は悲しいキリスト者だと言われる。私のために祈ってください。私も皆さんのために祈ります。どうか前進を続けて下さい」との言葉があり、教皇様はボタンを押されました。
最後に全員で教皇様を囲んで写真を撮影し、それぞれ教皇様にお別れを述べ、執務室を後にしました。
この日は、朝から食事をしていないのは当然として水も飲んでいなかったので(さすがに教皇執務室で、水を飲めません)、そして教皇様と出会う緊張もあり、この週で一番気疲れをした午前中でした。
宿舎に戻り、急遽この日の昼食に同席してくださることになった福音宣教省のタグレ枢機卿様を迎えました。
タグレ枢機卿様からは、食事の終わりに、概要次のような挨拶がありました。「福音宣教省は宣教地の司教のボスではない。司教を助けるためにある。宣教地での喜びや成果、苦労や問題を、福音宣教省と分かち合ってほしい。またそういった課題にどのように取り組んでいるかも、教えてほしい。先日ヨーロッパのある司教たちとあったが、彼らは自分の国で今やカトリックは少数派になりつつあるので、福音宣教について教えてもらわないといけないと言っていた。日本の司教たちは、すでにマイノリティーとしてそのことを知っているのだから、これからは世界の教会に向けて体験を教える立場になってほしい」
(この項、あと一回続きます。「アドリミナを振り返って:その12」へ)
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