東京教区司祭の集い:司祭叙階ダイアモンド・金・銀祝のお祝い
6月最後の月曜日は、恒例となっている司祭の集いのミサの中で、司祭叙階ダイアモンド・金・銀祝の皆さんのお祝いをいたしました。
東京教区におられる教区司祭や修道会司祭で、参加いただいてミサの共同司式をしていただいた神父様方には、その場でお祝いと花束をお渡ししています。またミサ後には、ケルンホールで昼食を一緒にし、長年の貢献に御礼申し上げると共に、これからも健康で過ごされるようにと、お祝いの一時といたしました。
本日一緒に参加してくださったお祝いを迎えられた司祭は、司祭叙階60周年ダイアモンド祝が、イエズス会の安藤勇師とハビエル・ガラルダ師。司祭叙階金祝が、東京教区の小林祥二師、グアダルペ宣教会のマルコ・アントニオ・マルティネス師、司祭叙階銀祝が、グアダルペ宣教会のアントニオ・カマチョ師、東京教区の石脇秀俊師、サレジオ会の飯田徹師、サレジオ会の濱崎敦師です。
おめでとうございます。これまでのお働きに、神様が豊かな報いを与えてくださいますように。またこれからも健康に留意されて、ご活躍くださることを願っています。
以下、本日のミサの時に手元にあった、説教の原稿です。
東京教区司祭の集いミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年6月24日毎年、8月が近づくにつれ、平和という言葉が繰り返されるようになります。教会でも、8月を中心として平和について語り祈る機会が増えますし、社会にあっても、特に6月23日の沖縄での戦争終結の日から8月15日までの期間、平和について様々な側面から語られる機会が増加します。
昨日6月23日は、沖縄慰霊の日でありました。1945年6月23日に沖縄地上戦での日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日であり、沖縄県が条例で定めている慰霊の日です。
那覇教区のウェイン司教様の今年の沖縄慰霊の日の平和メッセージにこう記されています。
「平和・共生・協調の理念は、すべての人の共通の普遍的な願いであるはずなのに、同じ理念を目指しながらも、一方は他者の存在を必要とする立場から『対話』を選びますが、他方では同じ平和を理由にして、自己防衛のためにと『武力』を選択しています」
ウェイン司教様は、「自分達の安心・安全」だけを中心に平和を考える利己的な姿勢が、現代社会の混乱を巻き起こし、平和を守るために闘う現実を生み出していると指摘されています。
今年4月に行われたアドリミナでの教皇謁見の際にウェイン司教様は、外国の軍隊がほぼ恒久的に他国内に軍事基地を設置することの倫理性を教皇様に問いかけられました。沖縄の現実であります。教皇様はこれに対して、外国の軍隊の駐留の倫理性については考えたことはなかった、是非これから研究してみたいと答えておられました。その意味で、あの悲惨な戦争の現実から79年が経過しても、今なお、防衛を口実に、平和は実現していません。
もちろんわたしたちは、ヨハネ23世の地上の平和の冒頭を持ち出すまでもなく、「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることも」ないと知っています。
神の秩序がこの世界を支配するように働くことは、平和のために働くことであり、わたしたちにとっては、この夏の間だけではなく、一年を通じて働きかけなくてはならない使命であります。もちろん、一年の中に、この夏の期間のように、平和の尊さを思い起こさせてくれる出来事があるのは大切です。同時に、わたしたちにとって、それは一年を通じて、単に戦争がないことだけを訴えるのではなくて、神の秩序の支配を妨げるありとあらゆることに対して、立ち向かうことの重要さを改めて心に刻む機会でもあります。
わたしは、いま、司教協議会の会長を務めさせていただいていますので、この時期になると、平和旬間に向けて、会長談話を作成しなくてはなりません。自分で書くんです。来年は戦後80年の節目ですから、司教団全体のメッセージが出ることになろうかと思いますので、それは複数の方が原案を書かれますが、他の年には、会長談話という形をとっています。会長談話だから好き勝手に書いて良いわけではなくて、結局、7月に開催される司教総会で、他の司教様たちの承諾を得なくてはなりません。
どんなテーマを書こうかと考え始めました。皆さん、平和を阻害している現実は、この世界にどれほどありますか。神の秩序が世界を支配することを阻んでいる現実は、一体どれほど頭に浮かばれますか。
ウクライナの戦争、ガザの武力対立、南スーダン、シリア、ミャンマーなどなど、こういった武力による平和の阻害が多々頭に浮かんできます。
同時に、神の秩序を乱す現実は武力の行使だけではありませんから、そう考えれば、環境破壊、地球温暖化がそこには思い浮かびます。そして神が最も求められていることは、ご自分が愛を込めて創造され賜物として与えられたいのちが、その尊厳を守られることですから、難民、移住者、経済的困窮者、病者、様々な状況で人間の尊厳をないがしろにされている人々。様々な社会の現実が思い浮かびます。
先日バンコクで行われたカリタスアジアの総会で、地球温暖化や環境破壊に関連した活動について、いくつかの国の報告を伺いました。バングラデシュで、小さな島に長年住んでいる人たちが、海面が上昇し、気候変動で嵐に襲われることが増えたたため、その小さな島がどんどん浸食され、居住することに困難を感じている事例が報告されました。客観的に見るならば、いくつもの解決策が思い浮かびますが、しかし心を打つのは、そこに長年住んできた老人の、「一体これからどうしろというのだ」という心からの嘆きと心配の言葉であります。数字や政策ではない、ひとりのいのちがその尊厳を奪われようとしている現実であります。
すべての出来事は複雑に関係しており、社会の現実は複雑さを極め、いのちの危機はシングルイシューでは解決することができなくなっています。総合的な視点が不可欠です。
ともすると、いのちを守るための活動を進めるときに、目の前の課題に集中するがあまり、その総合的な視点が欠如していることがあります。時には、ある一つの分野で人間のいのちを守ることを主張する一方で、他の分野でいのちを守ることには興味を全く示さないことすら見受けられます。神の賜物であるいのちは、事情に応じて、その価値が変わるのでしょうか。そんなはずはありません。
教皇様は、2017年に、それまであった難民移住移動者評議会や開発援助評議会、正義と平和評議会など、社会の諸課題に取り組む部署を統合し、人間開発の部署を創立され、近年それは人間開発省に昇格しました。
この人間開発省という名称の前には、インテグラルと言う言葉がつけられています。総合的人間開発省です。
教皇様が「ラウダート・シ」を2015年に発表されたとき、第四章のタイトルを「インテグラル・エコロジー」と記されました。それ以来しばしば使われるようになる「インテグラル」と言う言葉が、回勅に登場しました。
教皇様は、こう書いておられます。
「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸課題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することのできる展望を求めています(137)」
いまの世界で神の秩序が尊重され世界を支配することを目指しているわたしたちは、総合的な視点から様々な課題に目を向け、福音を証ししていく宣教者であり続けたいと思います。
| 固定リンク | 9
「説教原稿」カテゴリの記事
- 80年目の沖縄慰霊の日(2025.06.25)
- 司教団による教皇レオ14世就任記念ミサ(2025.06.20)
- 2025年聖香油ミサ@東京カテドラル(2025.04.17)
- 新垣壬敏先生追悼ミサ@東京カテドラル(2025.03.16)
- 今井神学生、朗読奉仕者に@一粒会総会(2025.03.16)