年間第14主日B:関口教会ミサ
7月7日の年間第14主日、関口教会の10時のミサの司式をいたしました。
ちょうど今週の火曜と水曜に広島で開催される、人工知能(AI)と倫理に関する国際的なイベントのために来日中の、教皇庁生命アカデミー会長であるヴィンチェンツォ・パリア大司教様と、その他関係者の司祭たちが、ミサの共同司式に参加してくださいました。
「平和のためのAI倫理:ローマからの呼びかけにコミットする世界の宗教」と題されたそのイベントは、教皇庁生命アカデミーと世界宗教者平和会議(WCRP)の共催で広島で行われ、東アジアの主要な宗教の指導者たちが集まり、「AI倫理のためのローマからの呼びかけ」に署名します。これは、人工知能(AI)の開発を倫理的な原則に基づいて導くことが、人類の善のために重要であることを強調するものであり、宗教者だけでなく、教育機関やビジネス界にも署名が呼びかけられています。
この「呼びかけ」が最初に署名されたのは、2020年2月28日のことです。ローマにおいて、教皇庁生命アカデミー、マイクロソフト、IBM、国連食糧農業機関(FAO)、およびイタリア政府のイノベーション関連の省が、まず最初に署名し、その後、世界中の政府関係者、国際機関、教育関係者、ビジネス関係者に、署名を呼びかけていいるとのことです。
この「呼びかけ」を、教皇庁生命アカデミーの正会員である秋葉悦子先生(富山大学教授)が邦訳してくださっており、こちらのリンクから邦訳をご覧いただけます。またこの呼びかけ活動全体については、英語ですが、こちらのホームページに詳しく掲載されています。
また日本側の共催者である世界宗教者平和会議日本委員会のホームページには、今回の二日間のプログラムの詳細が掲載されています。一日目と二日目のはじめは、事前登録の必要なウェビナーですが、二日目の後半は、Youtubeで、中継があります。そのリンクも、こちらのページに掲載されています。なお、WCRPによると、今回のイベントは、「教皇庁生命アカデミー、(公財)WCRP日本委員会、アブダビ平和フォーラム、イスラエル諸宗教関係首席ラビ委員会」の共催であるということです。
なお、パリア大司教様は、司祭時代は、トラステベレの聖マリア教会の主任司祭を務めておられました。この聖堂は国際カリタスの本部などがあるカリスト宮殿に隣接していますが、同時に聖エジディオ共同体の拠点の一つとして知られ、すぐ近くにその本部もあることから、パリア大司教様は聖エジディオ共同体の霊的指導者も長年勤めておいででした。その関係で、わたしも以前に何回か、聖エジディオ共同体関係のミサでご一緒したことがありました。
聖エジディオ共同体の本部のすぐ隣には「Trattoria de Gli Amici」というレストランがあります。聖エジディオ共同体が支援事業として運営するレストランで、障害などを持つ方々が一緒に働く場です。とても温かな雰囲気です。トラステベレには、無数のレストランがありますし、素晴らしくおいしいレストランも多くありますが、でも機会があれば是非ご利用ください。
以下、パリア大司教様ほか、生命アカデミー関係者と一緒に捧げた主日ミサの、説教原稿です。
年間第14主日ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年7月7日「わたしは弱いときにこそ強いからです」
コリントの教会への手紙に記されたこの言葉は、聖書に記された様々な教えが、この世の常識とは全く対極にあることを象徴するような言葉であります。「弱いときに強い」というのはどう見ても矛盾しているようにしか聞こえませんし、加えて、「弱いときにこそ」と強調までされています。
この言葉は、この世界の常識の枠にとどまっていたのでは、神の思いを理解することは困難であることをわたしたちに教えています。もちろんわたしたちはこの世界の現実の中で生きていますし、様々な価値観を持った方々と共に生きていますので、この世界の常識を全く無視して生きていくことには困難があります。
しかし同時に、本日のパウロの言葉や福音の物語を耳にするとき、わたしたちは信仰者として、常に心にかけておかなくてはならない真理が存在していることを忘れるわけにはいきません。
コリントの教会の手紙でパウロは、人間の思い描く理想とは異なる、いわば逆説の中に、神の真理が存在している事を指摘します。人間の常識が優先されるとき、神の真理はその働きを妨げられてしまいます。わたしたちの強さが、神の働きを妨げてしまいます。
人間の強さには限界があり、人間の知恵と知識だけで世界をコントロールすることはできない事実を、わたしたちは、例えば巨大な自然災害に直面したときや、多くの人の願いを無視して戦争が続けられ、いのちが無残にも奪われ続ける現実を目の当たりにするとき、思い知らされます。わたしたちの力には、限界があります。
わたしたち自身の思い上がりに気づき、人間の力の限界、つまり弱さを認めたときに初めて、それまで働きを阻んできた「キリストの力がわたしのうちに宿」り、その本来の力を発揮するのだと、パウロは指摘します。思い上がり、思い込み、常識、自己保身、利己心、虚栄、などなど、神の力が働くことを妨げるわたしたちの利己的な心の動きは、いくつでも見いだすことが出来ます。
マルコ福音に記されたイエスの物語は、この事実を明確に示します。目の前に神ご自身がいるにもかかわらず、人々の心の目は、人間の常識によって閉ざされ、神の働きを妨げます。閉ざされた心の目は、自分たちが見たいものしか見ようとしません。人間の思い上がりは、簡単に心の目を閉ざし、自分たちが正しいと思い込んで選択した行動が、実際には神に逆らう結果を招いていることにさえ気がつかせません。
災害などが起こったときにしばしば耳にする「正常性バイアス」という言葉があります。命に関わるような出来事に遭遇しても、いつもの生活の延長上で物事を判断し、都合の悪い情報を無視することで、根拠のないにもかかわらず、「自分は大丈夫」、「まだまだ大丈夫」などと思い込んで、積極的に行動することをやめてしまう。それが、災害時の被害を大きくすることだといわれます。
多くの場合わたしたちは、毎日の生活の中での大きな変化を避けようと努めます。そのような中で次の展開を予測できない出来事に遭遇したとき、その出来事がこれまでの経験に基づいた自分の判断能力を超えてしまうため、冷静に客観的に、実像を把握することができません。そのために、これまでの体験の枠組みの中に、起こっている出来事を押し込めてしまい、無理をして理解をし、安心してしまう。実際に起こっていることを客観的に見ていないがために、正しい対応をすることができません。
同様に、わたしたちの経験に基づく判断の枠組みを遙かに超える神の働きを正しく把握するためには、人間の常識の枠にそれを押し込めようとするとき、実像を把握することはできないことを、マルコ福音書の物語が教えています。
「この人は、このようなことをどこから得たのだろう」
イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と語り、人間の常識の枠組みが、神の業を冷静にそして客観的に見ることを妨げている事実を指摘されています。目の前に神ご自身がいるにもかかわらず、人々の心の目は、人間の常識によって閉ざされ、神の働きを直視することができません。
いまの世界で、思い上がりのうちに生きている人間は、簡単に過去の常識の枠にがんじがらめにされ、自分たちが正しいと思い込んで選択した行動が、実際には神に逆らう結果を招いていることにさえ気がつかせません。
わたしたちは、主イエスの言葉と行いを、この世界の経験と常識の枠組みの中で理解しようとしてはいないでしょうか。神の常識は、パウロに、「わたしは弱いときにこそ強いからです」と言わせるほど、わたしたちの想像を超えて存在します。
今年の新年の世界平和の日のメッセージで、教皇フランシスコは、「人工知能(AI)と平和」をテーマとして掲げ、こう記しています。
「昨今、わたしたちを取り巻いている世界に目を向ければ、軍需産業にまつわる深刻な倫理問題は避けて通れません。遠隔操作システムによる軍事作戦が可能になったことで、それらが引き起こす破壊やその使用責任に対する意識が薄れ、戦争という重い悲劇に対し、冷淡で人ごとのような姿勢が生じています」
世界中でいのちに対する暴力が横行しているにもかかわらず、無関心のグローバル化は激しさを増し、すべてはスクリーンの先にある「人ごと」のように取り扱われています。教皇様が指摘されるように、人工知能の出現によって、その「人ごと」感が強まっています。これまでの経験に基づく枠組みでは理解できないことが起こっているために、自分とは関係のないことだと目をつむってしまうためです。
本日のこのミサに、教皇庁の生命アカデミーの会長であるヴィンチェンツォ・パリア大司教様をお迎えしています。大司教様は、火曜日から広島で開催される人工知能(AI)と倫理に関する国際会議に参加するために訪日されています。
7月9日と10日、「平和のためのAI倫理:ローマからの呼びかけにコミットする世界の宗教」と題されたイベントが広島で行われ、世界の主要な宗教の指導者たちが集まり、「AI倫理のためのローマからの呼びかけ」に署名します。これは、人工知能(AI)の開発を倫理的な原則に基づいて導くことが、人類の善のために重要であることを強調するものだということです。
科学は進歩し続け、それに伴って人間の万能感と傲慢さは増し加わります。結果として人間は常識の枠組みにさらに縛り付けられ、そこに収まらない事柄に関心を向けません。神の働きがどこにあるのか、神がわたしたちに何を示そうとしているのか。わたしたちは鎧を脱ぎ捨て、目の前に掲げる枠を捨て、自分たちの弱さを認め、神の力がわたしたちのうちに働いてくださるように、務めていきたいと思います。
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