築地教会150年感謝ミサ
築地教会の創設150年を祝う感謝ミサが、6月30日昼12時半から、築地教会で捧げられました。
ミサはわたしの司式で、歴代の主任経験者や近隣の主任司祭、パリ外国宣教会の関係者、また教皇庁大使館から参事官も参加して、14名での共同司式となりました。また聖堂内にも、築地教会、近隣の教会の代表を始め、ここに定期的に集まるフランス語共同体や、ミャンマー共同体のメンバーを始め、たまたまこの日のミサに来られた海外の観光客も含めて、聖堂に入りきれないほどになりました。
教皇様の祝福のメッセージが国務省から届けられ、参事官が代読した後に、わたしがそれを受け取りました。ミサ後には、信徒会館二階で茶話会も催され、皆で築地の150年を祝いました。
東京教区の歴史は、教区ホームページのこちらにあります。日本の使徒座管理区(代牧区)は、1846年に設置されましたが、まだ禁教下であったため、実際の活動はできていません。その後、大浦天主堂において聖母像の導きのもと、潜伏していた信徒が発見されたのが1865年。そのときはまだ明治にもなっていません。明治元年は1868年です。その後、あらためて起こった厳しい迫害の出来事を経て、キリシタン禁制の高札が撤去されたのは、1873年。東京での再宣教が始まり、それに伴って1874年に築地教会が誕生するのはこのような時代です。
1876年、日本の教会は南緯代牧区、北緯代牧区の二つに分かれ、翌年北緯代牧区長のオズーフ師が司教に叙階され、司教座を築地教会に定めます。1891年には、東京教区が大司教区として設立され、オズーフ師が初代の大司教となります。1920年に司教座が関口に移るまで、築地教会は司教座聖堂でありました。
東京都心部の人口の動きにつれて、かつて中心部にあった小教区は信徒の減少が見られるところもありますが、築地教会は、国際的な共同体と成っていること、信徒の皆さんが教会を広く地域に開放することに積極的であること、海外からの観光客が訪れること、数年前の耐震補強工事などで修復され、歴史的な建造物として広く周知されるようになっていることなどから、その存在の意義を高めています。これからの発展をお祈りいたします。
以下、昨日の感謝ミサの説教原稿です。
築地教会150周年感謝ミサ
2024年6月30日
カトリック築地教会日本における再宣教のために、宣教師たちが福音をあかしする活動を再開してから150年が過ぎました。築地教会が誕生したのは、まだキリスト教が自由に活動することが難しい、挑戦的な時代です。
長い迫害の時代を経て、大浦天主堂において聖母像の導きのもと、潜伏していた信徒が発見されたのが1865年。そのときはまだ明治にもなっていません。明治元年は1868年です。その後、あらためて起こった厳しい迫害の出来事を経て、キリシタン禁制の高札が撤去されたのは、1873年。東京での再宣教が始まり、それに伴って築地教会が誕生するのはこのような時代です。
それから150年がたったいま、現代社会の視点からその当時の状況を推し量ることは簡単ではありません。150年前、宣教師たちにも、また信徒にも、現代のわたしたちからは考えられないような困難があったことでしょう。とりわけ、フランスなど海外からやってきた宣教師にとって、ただ単純に日本で生きることすら難しい時代に、福音を具体的に伝えあかしする業に取り組むことには、いまからは考えられない困難があったことだと思います。
同時にそこには、それまで存在していなかったまったく新しい教会共同体を生み出していく道がひらかれたことで、宣教師の心にも、信徒の心にも、大きな希望があふれていたことだと想像いたします。
築地教会が誕生した時代、主にフランスから来られた宣教師の数は限定的でした。多くの宣教師が超人的な働きをされたと思います。しかし同時に、宣教師だけの働きでは、教会は大きく育っていくことはなかったと思います。宣教師たちと共になって福音をあかしし、人々を神の救いに与らせるために招いた多くの信仰の先達の働きに心から感謝します。それから150年です。
今の私たちの教会はどうなっているでしょうか。150年前に宣教師たちは、福音宣教の確かな手応えの中、将来への大きな希望に満たされていたことだと思います。その希望を、わたしたちは、実現することができたでしょうか。いや、その希望を、まだ持ち続けているでしょうか。
この国の少子高齢化は激しく進み、教会もその現実の中に存在しているのですから、高齢者が中心の教会となっています。昔できていたことが、できなくなってきています。それは確かに一つの不安ですが、150年前の宣教師たちがそうであったように、私たちは不安と共に希望も持っています。
それは、海外の様々な国や文化をルーツとする兄弟姉妹の存在です。今や日本の教会は、日本人の信徒と共に、海外にルーツを持つ信徒が一緒になって築いていく共同体となっています。それでも総人口が多く、その分、信徒総数も多い東京教区では、そこまで顕著ではありませんが、しかし、東京教区内にあっても、様々な国や文化を背景とした多様性に満ちあふれた教会共同体が増えてきています。
教会は今、シノドスの道を歩み続けています。シノドスは昨年10月のローマでの会議と、今年10月のローマでの会議で、何かが決まって終わるような出来事ではありません。第二バチカン公会議後に開かれた多くのシノドスは、そういう風に行われてきました。しかし今回のシノドスは違います。今回のシノドスはシノドス性について話し合っています。つまり教会とは一体何であるのかについて、話し合っています。話し合っているだけでなく、祈りのうちに分かち合っています。どうしてそうするのかと言えば、それを通じて、教会に働き続けている聖霊が、いま教会をどの方向に向かって導こうとしているのかを、知りたいと考えているからです。
しかし一人で知ることはできません。わたしの進む方向ではないからです。教会が全体として進む方向ですから、皆で知らなくてはなりません。だから教皇様は、そういう、皆で祈りのうちに方向性を見極める教会へと、全体が変化して、それがこれから先まで教会のあり方として定着することを望んでおられます。
ですから、今年の10月のローマでの会議が終わっても、なにか新しいことは決まらないでしょう。ただ教会が教会であるためには、皆が一緒になって歩み、互いの声に耳を傾け合い、互いに支え合い、一緒に祈る共同体とならなくてはならないことだけは確実です。
築地教会が150年を祝うこの年、教会は大きな体質改善を目指しています。一緒になって歩み続ける教会でありましょう。互いの声に耳を傾け、互いをその違いのままに尊重し、一緒になって助け合いながら、祈りのうちに歩む共同体になっていきましょう。
150年後のいま問われているのは、大きく変革した社会の状況の中で、当時の宣教師たちの熱意と教会共同体の熱意を、いま同じように生きるためには何が必要なのかを、改めて自分に問いかけることであろうと思います。東京教区にとってパイオニアともいうべき築地教会の存在の第一の意義は、その歴史的体験に基づいて、他の教会に、宣教の熱意を見せつけ、皆の範となろうとすることであろうと思います
福音を多くの人たちに伝えていこうというのは、主ご自身から弟子たちを通じて、私たちに与えられている福音宣教の命令です。私たちの使命です。
しかし、社会全体のマイナスな現実を目の前にすると、なんとなく意欲がそがれます。少子高齢化で元気のない社会もそうですし、ウクライナやガザなど、戦争は続いている。アジアでも東京教区の姉妹教会であるミャンマーでは、クーデター後、いまだに平和が訪れていない。平和のために声を上げているミャンマーの教会に対して、武力の攻撃まである。もう世界はいのちをないがしろにする暴力に支配されているかのようであります。そんな中で、縮小傾向にある教会が一体何ができるのか。無力感を感じてしまいます。
無力感を感じると、前に向かって進むよりも、かつての栄光を思い起こして、後ろに向かって進みたくなってしまいます。しかし時の流れは、前進しかしません。後退は考えられません。
この教会を司教座とされていた時代の歴代の東京の大司教様がたをはじめ、私たちの先達である宣教師たちは、それぞれの時代に、大きな困難に直面しながらも後ろを振り返ることなく、前に向かってしっかりと、歩みを続けて来られた方たちです。
築地教会の150年に当たり、前を向いて前進することを考えましょう。希望の光を掲げる教会となりましょう。その希望の光を生み出すのは、互いに支え合っているという確信です。シノドス的な教会であるという確信です。一人ではないという確信です。兄弟姉妹がともに歩んでいるという確信です。そして何よりも、主ご自身がともに歩んでいるという確信です。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」
主ご自身のこの約束を心に刻み、希望を掲げてシノドスの道を歩みましょう。
(なお、目黒教会の信徒の方が、撮影されたミサのダイジェスト版ビデオを、こちらのリンクのYoutubeにアップされてます)
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