2024年ガーナへの旅:その1
14年ぶりに、アフリカのガーナへ旅をしてきました。記憶にとどめておくために、その概要を記していきます。(上の写真は8月11日、オソンソン村で)
昨年の末頃、現在は目黒教会の助任として働いているマーティン・デュマス神父様を通じて、ガーナから連絡をいただきました。曰く、わたしがその昔働いていた村出身の青年が司祭に叙階される予定なので、2024年7月にガーナに来て叙階式を司式してくれないだろうか。残念ながら、その段階で7月の予定は詰まっていたので、「行きたいのはやまやまなれど、7月は無理なので、もし8月前半ならば可能性があるけれど」と回答しました。
実はマーティン神父様自身が、わたしが38年前に司祭としての人生を始めた、ガーナのオソンソンと言う村の出身で、14年前に彼の司祭叙階式をするために、わたしはガーナに招かれていました。38年前は、まだ小学生で、オソンソン村の教会の侍者をしてくれていたのが、いまでは司祭で日本で働いているというのも不思議な縁です。(上の写真は14年前のマーティン神父様の叙階式。下は30数年前にオソンソン教会で聖体行列の侍者で十字架を持つマーティン少年)
しばらくすると、「それでは2024年8月10日土曜日に叙階式を移すので、主司式司教として来て叙階してもらいたい。また叙階の対象の5名のうちひとりがオソンソン村の出身者なので、翌日11日はその初ミサにも参加して、説教をしてほしい」と回答が来ました。喜んでいくことにしました。
対象の5名は、神言修道会ガーナ・リベリア管区の5名です。上の写真がその一覧です。そのうちのひとり、ダニエル・ナー君(左から二番目)が、オソンソンの出身だと言います。多分、わたしが働いていた頃は小さな子どもだったのだろうと思います。マーティン神父に続いてふたりめですから、うれしい限りです。ちなみにオソンソン村の教会は、当時23カ所くらいの巡回教会を持っていて、その巡回教会の村々出身の司祭は、修道会や教区含めて複数います。しかしオソンソン自体の出身者は久しぶりでした。
ガーナまで結構な長旅ですから、ひとりで出かけるのも、ちょっと不安が残ったので、今回は神言会にお願いして、マーティン神父様をコーディネーターとして同行していただくことにしました。そのうちあわせをしていると、マーティン神父様が、何名かの信徒の方々が一緒に行きたいと言っているが可能かと言います。同行はかまわないが現地での宿や移動手段が不安だと答えると、マーティン神父様が、経験があるので、そういった手配は自分がすると言うではありませんか。それではせっかくですので、広く声がけをすることにして宣伝してみると、なんと7名の方が一緒に出かけてくれることになりました。その中には、かつて38年前に、わたしがガーナにいた頃に、日本政府の海外青年協力隊の隊員として活躍されていて、その頃から存じ上げているご夫婦も、是非ガーナに帰りたいとのことで、参加してくれることになりました。(下の写真は8月12日朝、アゴメニャ教会でミサ後)
と言うわけで、七名の信徒の方々とマーティン神父とわたし。都合9名で、8月6日の夜、エミレーツ航空便で成田空港を旅立ちました。旅はドバイ経由です。近頃はイスタンブール経由で旅することが多いので、ドバイは何年ぶりでしょう。いまの新しいターミナルになった直後以来の二度目です。
フライトは順調で、翌7日(水)の午前11時過ぎ(ガーナ時間。日本時間では7日の夜8時)、ほぼ22時間の旅路で、ガーナの首都アクラにあるコトカ空港に到着しました。ターミナルビルが新設されたと聞いていたので見たかったのですが、搭乗機の出口で待ち構えていた前駐日ガーナ大使に連れられて、あっという間に車でVIPラウンジへ。そのままそこで入国審査を受け、しばらくすると神言修道会の管区長も現れ、わたしは管区長の車で、皆さんは旅行中全日程でチャーターした11名乗りのトヨタハイエースでガーナの旅に出発です。(上の写真の2台)
以下次回。
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