« 2024年ガーナへの旅:その1 | トップページ | 2024年ガーナへの旅:その3 »

2024年8月22日 (木)

2024年ガーナへの旅:その2

1724312443261

空港を出てまず最初に驚いたのは、道路上の車の量が半端ないことと、車がピカピカの新しい車(トヨタが大勢を占めています)でひしめいて、すさまじい渋滞になっていることでした。30数年前にも道路は混んでましたが、その頃は道も細く、車の中古のさらに中古のようなボロボロでした。14年前にもかなりの渋滞でしたが、今回は、道路は片側二車線の大きな道路に変わり、それでもすさまじい渋滞です。交差点の多くはロータリーですが、一応、信号機があって、それも動いているものとないものと。

新しい道路もできたこともあり、昔の記憶をたどってもどこを走っているのか分からないまま、そのうちアクラ教区のカテドラルが見えてきました。この後ろに、神言会のガーナ・リベリア管区のゲストハウスがあります。無事に到着。

Img_20240808_141646226_hdr

ゲストハウスは、30年以上前と同じたたずまいの4階建て。2階以上に20を超える部屋があり、地方の宣教地から所用のためアクラに出てきた宣教師などの宿泊所でした。いまはアクラ市内に様々なグレードのホテルが林立しているので、だんだんとその意義も薄れてきているのでしょうが、昔は他に泊まる場所もなかったので、わたしも所用でしばしば泊まったり、時には病気からの回復のために一週間くらい滞在したものでした。

以前はここに、管区長の事務所がありましたが、現在は事務所は移動しています。

Img_20240807_152031139

到着するとすぐに、ゲストハウスの責任者であるフィリピン出身のディオニシオ神父に歓迎されました。実は彼は、1993年から一年間、わたしが主任をしていたオソンソン教会で助任を務め、その後1994年5月以降、わたしから主任を受け継いだ方で、かつて一緒に生活していた仲間です。久しぶりの再会です。

彼に促されて、わたしたち9人は、ゲストハウスの食堂でガーナ最初の食事に。ご飯を中心においしくいただきました。当初はここに全員で宿泊の予定でしたが、ディオニシオ師によると、建物が完成してもうすぐ50年近くになるが、初めて大規模な改修をすることになり、まもなくその工事に入るため、宿泊を断っているとのこと。確かに、部屋はかなり古くなっています。そこで皆さんは海に近いオス地区のホテルに泊まることになり、わたしは同じくオス地区にある管区長館に泊めていただくことに。

オス地区は、独立門や独立広場、初代大統領であるクワメ・エンクルマ廟やアクラ・スポーツ・スタディアムなどがある地区で、管区長館はその昔は大統領官邸であったオスキャッスルに通じる道路沿いにあり、近くには在任中に亡くなった6代目のジョン・アタ・ミルズ大統領の墓所もあります。

Img_20240807_142846746_hdr

昼食後にホテルのチェックインまでまだ時間があったので、表通り側に皆で歩いて、アクラ大司教区のカテドラルを訪問しました。カテドラルは聖霊に捧げられています。アクラの宣教を託された神言会が、初代のアドルフ・ノーザー司教の時から計画を始め、二代目のジョゼフ・オリバー・バウワーズ司教の時、1957年に献堂された大聖堂です。バウワーズ司教はカリブ海出身の方で、1971年にはカリブの教区へ転任となり、ガーナ人のドミニク・アンドウ司教(後に大司教)にその座を譲るのですが、引退後にガーナに戻り、2012年に102歳で亡くなりました。わたしが働いていたオソンソンなどの地域の宣教のパイオニアです。わたしは彼が引退してガーナに戻ってきてから、一度お会いしたことがありました。

1724312453739

そして、ドミニク・アンドウ司教は、わたしがオソンソンで働いていた頃の司教様です。当時はオソンソンあたりもアクラ教区の一部でした。オソンソン村まで、一週間、堅信式のために泊まり込みできてくださり、一緒に4カ所くらいの村を回って、800人くらいに堅信を授けた思い出があります。お世話になった方です。

Img_20240807_1425287792-1

この二人が、揃って、カテドラルの中に埋葬されています。そこまで出かけて、お二人に感謝しながら祈りを捧げることができました。

ゲストハウスに戻ると、懐かしい面々が待っていました。30数年前、オソンソンの教会で侍者をしていた、その頃の中学生たちです。勉強ができて高校に入学できることになっても、当時は全寮制でしたので、かなりお金がかかります。そのため進学を諦める子どもたちも多くいました。当時、日本からちょっと寄付をくださる方がおられたので、奨学金を設立して、そういった子たちは何名か、親御さんと話し合った上で、高校に進学させて、ある程度の学資支援をしました。その当時教育を受けた子たちが、いまや立派な大人になって、警察官やビジネスマンになっていました。その代表が歓迎のために会いに来てくれました。

Img_20240807_151417905_hdr

彼らはその後、オソンソンの後輩たちを進学させようと、自分たちで奨学金を設立し、小規模ながらも教育支援活動を続けていてくれます。

わたしはそのままその夜は、アクラ大司教区のジョン・ボナベンチャー大司教様を自宅に訪ね、訪問の挨拶に。ボナベンチャー大司教はわたしと同じ1958年生まれで、聖霊会(男子修道会)の会員。2019年に、最初の教区であったセコンディ・タコラディ教区から移籍となり、その年の3月1日にアクラ大司教に着座されています。

カテドラルからちょっと離れ、その昔はアクラ教区の会計担当司祭の住居であった建物を改装して、大司教館とされています。わたしもその昔、よく、時間外に会計の神父様(当時はドイツ人の神言会会員)を捕まえていろいろ説得するために、夜に訪れた家でした。

大司教館には、二人いる補佐司教のうちの一人、アントニー・アサリ司教様も待っていてくださいました。彼は、わたしが働いていた部族の出身の司教です。(お二人の写真がないのが申し訳ない)

その晩は、神言会の管区長も同行して、司教様たちと一緒に夕食をいただきながら、いろいろとガーナの教会の現状について、お話を聞くことができました。

続く

| |

« 2024年ガーナへの旅:その1 | トップページ | 2024年ガーナへの旅:その3 »

ガーナの旅」カテゴリの記事