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2024年9月30日 (月)

シノドス第二会期が始まります

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教会のシノドス性について分かち合っているシノドスの第二会期が、10月2日からバチカンで始まります。その開会前、本日9月30日の朝から、バチカン構内のシノドスホールを会場に、事前の二日間の黙想会が始まりました。

前回はローマ郊外の黙想の家で行われましたが、移動時間などを考慮して(渋滞がすごいことになっていますので)、今回は黙想会もバチカンで行うことになりました。昨年は直前に新しい枢機卿の任命があり、開会日と枢機卿親任式が重なったため、直前になって急にバチカン周辺の宿舎が使えなくなり、結構遠くから皆通うことになりました。わたしもパンテオンのすぐ隣の宿舎でしたので、歩いて30分から40分近くかかるところです。これが大変でした。というのも宿舎は食事の提供も兼ねており、朝は8時半の開会に間に合うように出かけ、12時半に午前が終わると宿舎に歩いて戻り昼食。そしてまた4時に午後の部が再開なので歩いてバチカンへ。終わるのは夜の7時半頃で、それから宿舎に戻って夕食ですので、良い運動にはなりましたが。

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今年はできる限りバチカン周辺の宿舎にまとめて宿が取られ、わたしは、4月にアドリミナで宿泊したサンピエトロの前にある宿舎に泊めてもらうことになりました。宿から会議場まで歩いて10分もかかりません。今年は昨年より若干涼しいローマです。

今現在、黙想会一日目の昼休み中です。イタリアですから、3時間半の昼休みも仕方がありません。

黙想会は昨年同様、ドミニコ会の前の総長であったティモシー・ラドクリフ師とベネディクト会のシスターアンジェリーニのお二人の講話で進み、午後は小グループでの霊における会話、そしてサンピエトロでのミサが予定されています。

参加者は、一部交代した司教協議会(司教協議会の参加者は選挙で選ばれ、そのときに代理も選ばれます)もあったり、教皇様の新たな指名で新たに参加した人もあったりですが、ほぼ昨年と同じメンバーが再び集まりました。

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事前によく準備したつもりだったのですが、わたしは司教正装に伴う肝心なものを二つ忘れ、幸いどちらもローマで十分に販売しているものですので、先ほど近くの専門店に買いに走りました。あの司教正装は一式そろえると、ローマで買っても結構な値段ですが、それでも日本でオーダーメイドするよりも遙かに安い、とはいえ、忘れるとは軽率でした。

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今回は、まもなく始まる聖年のために準備されたバッグなどが配布され、昨年のものを持ってくるようにとのことで昨年配布された水筒を持てきたら新しい聖年のものが配布されていたりと、いかにもバチカンらしいです。

出発前に公開した呼びかけビデを下にリンクします。

一ヶ月間の長丁場です。お祈りのうちに覚えておいていただけたら幸いです。

なお前回も同様ですが、事前に配布された今回のシノドスのための規則には、参加者の自由な発言を保証するために、小グループや全体会での発言については外部に公表することが禁じられ、参加者にはその秘密保持義務がシノドス後にも残ります。当然発表などを録音したり録画することも禁止です。総会の内容については、随時行われる記者会見がすべてであり、また一部の会議の模様はビデオで放送され、さらにシノドスの終わりに採択される最終文書で公開されます。

なお今朝の黙想会の部分はバチカン放送で公開されていますので、もう一つ下に添付します。

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2024年9月23日 (月)

2024年秋田の聖母の日

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2024年の秋田の聖母の日の行事、「インターナショナル・マリアンデイ・イン・秋田2024」が、9月22日日曜日、秋田市の聖体奉仕会聖堂を会場に行われました。

当日は、当地の司教である新潟の成井司教様はじめ、秋田地区の司祭団を中心に多くの司祭、信徒が集まりました。また全国各地からたくさんの方が集まり、500名を超える方で聖堂は一杯になりました。

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今回は「インターナショナル」と銘打っているだけあって、国際的な催しとなり、正確な数字は分かりませんが、ブラジル出身の方が一番多くで200名以上おられたと思います。その次に主に地元秋田にいるベトナム人青年たち。そして各地からやってきたフィリピンの信徒やインドネシアの信徒。その他にもこの日のために来日した方などもおられ、歌も祈りも、インターナショナルでした。

あいにくの雨模様で、庭園での聖母行列はできませんでしたが、雨が降った分気温が下がり、聖堂に一杯の人がいたにもかかわらず、快適に過ごすことができました。(翌月曜日の今日は、写真のように晴天となりましたが、その分、気温が上がっておりました)

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成井司教様が開会の聖体礼拝とお話を担当され、わたしは締めくくりの午後のミサを司式致しました。その間には、聖母行列とロザリオの祈りや、各国の歌の披露などもありました。わたしにとっては新潟司教時代にしばしば訪れた祈りの場ですし、今回は司教叙階の20周年の感謝もこめての巡礼でした。

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聖体奉仕会も会員が相次いで帰天され、修道院に居住する会員も少なくなってきました。そんな中で、秋田の信徒の方々が大勢で手伝ってくださり、特にベトナム人の青年たちを中心に若い力で支えてくださっていることに感謝です。これからも皆で支え、皆でともに歩み、皆で祈る秋田の聖母の巡礼地であり続けてほしいと思います。今回の祈りの時を準備してくださった聖体奉仕会の皆さん、秋田の信徒の皆さん、ありがとうございました。

以下、当日のミサ説教の原稿です。

秋田の聖母マリアンデー2024
聖体奉仕会
2024年9月22日

闇にさまよう人類を救いの道へと連れ戻そうとされた神の計画。それを実現するためには、「お言葉通りにこの身になりますように」という、聖マリアの生涯をかけた決断の言葉が必要でした。その言葉こそは、神の救いの計画に対する聖マリアの絶対的な信頼を象徴し、神の御手に人生のすべて任せようとする、人間として完全な謙遜を具体的に生きる姿でもありました。

もちろん神の計画にすべてを委ねる人生は、救い主の母となるという栄光に彩られた道なのではなく、大きな困難を伴う茨の道を歩むことを意味していました。まさしく聖マリアの人生は、母として、救い主であるイエスの苦しみととともに歩む道でありました。主とともに歩むことは、決して楽な道ではなく、常に決断と忍耐と祈りを必要とすると言うことを、イエスの十字架での受難に至る苦しみの道をともに歩まれた聖母マリアの人生がわたしたちに教えています。

教会はいま、シノドスの道を歩むことの重要さを強調しています。まもなく10月には、今回のシノドスの第二会期が始まり、わたしも日本の司教団を代表して参加してきます。これまでのシノドスは、特定の具体的な課題について、世界中の教会の意見をまとめ、教皇様に提言をする会議でありました。しかし今回は違います。

今回のシノドスは、シノドス性そのものを取り上げ、教会がシノドス的な教会であるためにどのような道を歩むべきかを一緒に識別するためのプロセスです。ですから、多くの人が期待しているような、具体的な事柄はなにも決まらないかもしれません。またこの10月の会議ですべてが終了するものでもありません。いま進められているプロセスは、終わりに向かっているのではなく、始まりに過ぎません。教会はこれから常に、シノドス的な教会であるために努力を続けていきます。なぜならば、神の民である教会は、その本性からしてシノドス的であり、ともに歩み続ける存在だからであります。そしてその原点には、主イエスと共に人生の道を歩まれた聖母の生き方そのものがあります。聖母マリアは、シノドス的教会の歩みを具体的に生きられた最初の模範です。

教会に民主主義を持ち込むのではないかとか、新しい政治的イデオロギーではないかとか、この会期が終わるまでに日本では何もしないのかとか、いろいろな意見が飛び交っているのは事実です。しかしそういったことではなくて、聖母マリアと主イエスとの歩み、主イエスと弟子たちとの歩み、そういった教会誕生の原点にある姿を、確実に具体化して生きていこうとするのが、いまのシノドスの目的です。これからも長い目で見ながら、その具体化に努めていきたいと思います。

聖霊の導きを識別し続けながらともに歩むこのシノドスの道のりは、簡単な道ではありません。時間と手間のかかることでもあり、まずもって忍耐を必要とします。同時にそこで見いだされる神の計画の道は、常に安楽の道であるとも限りません。なぜならば、神の救いの計画の中心には常に十字架の苦しみが存在しているからです。シノドスの道をともに歩むことで、わたしたちは様々な困難に直面することでしょう。様々な意見の対立に翻弄されるでしょう。常識の壁が立ちはだかることでしょう。決断の及ぼす影響を考え、たじろいでしまうのかもしれません。そのときこそ、わたしたちは聖母マリアの人生を振り返り、主イエスとともに歩まれた聖母の信仰の深さと謙遜の強さに倣い、支え合いながらともに歩む道で前進を続けたいと思います。

世界の教会は教皇様の回勅「ラウダート・シ」に触発された「被造物の季節」を、そして日本の教会は「すべてのいのちを守る月間」を、9月1日から10月4日まで過ごしております。教皇様の今年のテーマは、「被造物とともにあって、希望し行動しよう」とされています。

教皇様はメッセージで、「キリスト者の生き方とは、栄光のうちに主が再臨されるのを待ち望みつつ、愛のわざに励む、希望に満ちあふれた信仰生活です」と記します。

神がその愛を込めて創造されたすべての被造物を、いのちを賜物としていただいている人類は、守り耕すようにと命じられています。被造物を守りながら生きることは、単にわたしたちの生活のためではなくて、神が愛するものを同じように愛し大切にすることを通じて、いのちを生きる喜びと希望を世界に示そうとする福音的な営みです。

人類は常になんらかの発展を指向し、与えられた資源を活用することで、より良い生活を、そして社会を手に入れようと努めてきました。もとより生活が便利になり、健康や安全が保証される社会を実現することは、より共通善に近づくことであるとも考え、研鑽を重ね、努力を積み上げてきました。残念なことに、教皇様が回勅「ラウダート・」シの冒頭で指摘するように、その努力の過程でわたしたち人類は、自分たちこそが「地球をほしいままにしても良い支配者や所有者と見なすように」なり、「神から賜ったよきものをわたしたち人間が無責任に使用したり乱用し」てきました。その結果、共通の家である地球を深く傷つけてしまったと教皇様は指摘されます。

その上で、「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸問題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することの出来る展望を」(137)必要とすると教皇様は指摘され、密接に結びあわされている森羅万象を俯瞰するような、総合的視点、インテグラルな視点が不可欠であると強調されます。

人類は自らの利己的欲望に促されて、世界に君臨する支配者の幻想に酔いしれてきました。神からいのちを与えられているという謙遜さを失いました。

しかし「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と述べられた主は、わたしたちに奉仕する支配者となることを求められます。それこそは、主イエスご自身が自らの人生の歩みを通じて、十字架に至るまで常に示された生き方であります。

使徒ヤコブは、ねたみや利己心が、混乱やあらゆる悪い行いの源であると指摘します。正しい動機、すなわち神が与える知恵に基づく価値観によらない限り、神の望まれる世界は実現せず、いのちを奪うような混乱が支配すると、使徒は指摘します。

使徒は、「得られないのは願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で求めるからです」と記します。「間違った動機」とは、すなわち時空を超えたすべての人との繋がりに目を向けず、今の自分のことだけを考える利己心がもたらす動機です。その利己的な動機による行動の選択が、被造界を破壊してきたのだと教皇様は指摘します。

受難と死へと至るイエスの生涯そのものが、人間の常識をはるかに超えた人生です。その人生にこそ、自らが創造された人類に対する、神の愛といつくしみが具現化しています。イエスの受難への道は、神の愛のあかしであります。十字架は、神の愛の目に見える証しであり、十字架における受難と死こそ、具体的な行いによる神の愛のあかしです。神の常識は、救いへの希望は、人間がもっとも忌み嫌う、苦しみと死の結果としてあることを強調します。この世が常識的だとする価値観で信仰を理解しようとするとき、わたしたちは神の愛といつくしみを、そしてその心を、理解できない者で留まってしまいます。信仰は、常識をはるかに超えたところにあります。

信仰の道を、主とともに歩み続けましょう。聖母マリアもその道を、主とともに、そしてわたしたちと共に、常に、ともに、歩んでくださいます。

 

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2024年9月21日 (土)

週刊大司教第184回:年間第25主日B

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9月も終わりに近づきました。

来週末には、シノドスの第二会期に参加するために、ローマに出かけます。9月30日と10月1日に黙想会が行われ、その後、10月2日からシノドスの第二会期が始まります。

東京教区のYoutubeチャンネルで土曜の夕方6時に配信している「週刊大司教」ですが、来週9月28日の夜はシノドス前の特別版を配信します。その後、10月5日から10月末までは、通常の「週刊大司教」はお休みとさせていただきます。ただし昨年同様、シノドスの現場からのレポートをお送りすることができればと思います。

会期前の二日間の黙想会の終わり、10月1日の午後6時(日本時間翌日午前1時)、聖ペトロ大聖堂で、教皇様司式で回心の儀が行われます。ともに歩む教会は常に回心を続ける教会でもあると教皇様は呼びかけ、そのためにも教会は、自らの罪を掲げ、その痛みと時に恥を身に受けることによって、ゆるしは復活のように再び立ち上がることを許されると言われます。

回心の儀では、虐待の罪、戦争の罪、世界中での移民を無視した罪の三つの体験者が分かち合いを行い、その後に怠りも含めて教会が関わった次のような罪が告白されます。

平和に反する罪、被造物や先住民族や移住者に対する罪、虐待の罪、女性、家族、青年に対する罪、教義を石を投げるために利用した罪、貧困への罪、シノドス性に反し、耳を傾けず、交わりを拒否し、皆が参加することを拒んだ罪。

シノドス期間中はバチカンのyoutubeサイトなどで、映像配信もあると思いますので、映像を通じて是非ご一緒いただければと思います。

また度々繰り返していることですが、第二会期でシノドスが終わるのではなくて、シノドス的な教会となるための道は、今回のシノドスを通じて明確になるのですから、終わってからこそが教会全体の取り組みの始まりです。あらためて、司教協議会の会長としてのメッセージにも目を通していただければ幸いです。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第184回、年間第25主日のメッセージです。

年間第25主日B
週刊大司教第184回
2024年9月22日

マルコ福音は、誰が一番偉いのかと弟子たちが議論していた話を記します。誰が一番偉いのかというよりも、自分が一番になりたい、皆の上に立ちたいというのは、人間社会につきものの、避けて通ることのできない欲望の一つです。

その弟子たちに対して、イエスは、「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者となりなさい」と教えます。これは弟子たちに対する回答と言うよりも、この世に対する警告の言葉でもあります。この世界が価値があると定めるはかりではなく、神は、皆に使えるものとなるところに価値を見いだされる。神が良しとされる価値観は、弟子たちが捕らわれているような、この世の価値観とは全く異なっているのだと言うことを悟らせようとする言葉です。

受難と死へと至るイエスの生涯そのものが、人間の常識をはるかに超えた人生です。その人生にこそ、自らが創造された人類への愛といつくしみが具現化しています。神の常識は、人間がもっとも忌み嫌う、苦しみと死の自己犠牲の道にこそ、神の栄光と愛といつくしみがあるとするのです。信仰の道は、わたしたちの常識をはるかに超えたところにあります。

その意味で、教皇がいま、教会全体に根付かせようとしているシノドスの道も、わたしたちの常識を遙かに超えた神の価値観の道のりです。まもなく10月には、今回のシノドスの第二会期が始まります。ローマでの会議は、それぞれの国を代表してレポートを発表する場ではなく、歩むべき道を見極めるための具体手な作業をする場となっています。

今回のシノドスは、シノドス性そのものを取り上げ、シノドス的な教会が宣教する教会であるためにどのような道を歩むべきかを一緒に識別するためのプロセスです。ですから、多くの人が期待しているような、具体的な事柄はなにも決まらないかもしれません。またこの10月の会議ですべてが終了するものでもありません。いま進められているプロセスは、終わりに向かっているのではなく、始まりに過ぎません。教会はこれから常に、シノドス的な教会であるために努力を続けていきます。なぜならば、神の民である教会は、その本性からしてシノドス的であり、ともに歩み続ける存在だからであります

教会に民主主義を持ち込むのではないかとか、新しい政治的イデオロギーではないかとか、この会期が終わるまでに日本では何もしないのかとか、いろいろな意見が飛び交っているのは事実です。しかしそういったことではなくて、聖母マリアと主イエスとの歩み、主イエスと弟子たちとの歩み、そういった教会誕生の原点にある姿を、確実に具体化して生きていこうとするのが、いまのシノドスの目的です。これからも長い目で見ながら、その具体化に努めていきたいと思います。

聖霊の導きを識別し続けながらともに歩むこのシノドスの道のりは、簡単な道ではありません。時間と手間のかかることでもあり、まずもって忍耐を必要とします。同時にそこで見いだされる神の計画の道は、常に安楽の道であるとも限りません。なぜならば、神の救いの計画の中心には常に十字架の苦しみが存在しているからです。シノドスの道をともに歩むことで、わたしたちは様々な困難に直面することでしょう。様々な意見の対立に翻弄されるでしょう。常識の壁が立ちはだかることでしょう。決断の及ぼす影響を考え、たじろいでしまうのかもしれませんそのときにこそ、苦しみと自己犠牲の道にこそ、神は価値を見いだされることを思い起こしましょう。

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2024年9月20日 (金)

この20年に感謝します

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2004年9月20日。いまからちょうど20年前に、わたしは岡田大司教様の按手によって司教に叙階していただきました。

この20年間、新潟の司教としての13年間と、その間に札幌教区の使徒座管理者を4年間、それに続けて東京の大司教と、司教としての務めをなんとか果たすことができたのは、いつくしみ深い神様のあわれみと、それをもたらしてくださったみなさまの祈りと支えのおかげです。みなさまお一人お一人に、心から感謝申し上げます。みなさまのお祈りと支えなくして、司教職は成り立ちません。これからも謙遜に耳を傾け、共に歩む司教でありたいと思いますが、人間は弱い存在です。常に傲慢さが心の内に頭をもたげます。どうか祈りのうちに支えてくださることを、あらためてお願いいたします。

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20年前の9月20日の新潟は、非常に暑い日でした。新潟市郊外にある新潟清心高校の体育館に一杯の皆さんが集まってくださり、祈りと感謝の時を一緒にしてくださいました。

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ちょうど、手術後から体調を崩されていた前任者の佐藤敬一司教様も、車椅子を使って会場に駆けつけてくださり、写真にあるとおり、前任者としてしっかりと按手をしてくださいました。

あれから20年。当時の新潟教区の司祭団のメンバーから、すでに何名も御父の元へと旅立って行かれました。2020年9月24日からわたしを継いで新潟の司教に叙階された成井大介司教様には、様々な困難があることと思います。特に新潟教区において、司祭や修道者の召命が極めて少ないことは大きな挑戦であると思います。新潟教区のために、また成井司教様のためにもお祈りください。

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幸いにこの20周年の記念にあわせるかのように、次の日曜日には秋田の聖体奉仕会を訪れ秋田の聖母の日のミサを司式する機会をいただきました。聖母マリアの取り次ぎによって、多くの方がその子である主イエスの元に導かれるように、日本の社会において福音をあかしして生きる決意を新たにしたいと思います。

みなさまに、感謝を込めて。

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2024年9月18日 (水)

イエズス会叙階式・ラテン語ミサ・神田教会150周年

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9月14日の土曜日、イエズス会では司祭叙階式が行われ、麹町教会で、パウロ山内豊神父様が誕生しました。(写真上中央。向かって左はイエズス会日本管区の佐久間管区長様)

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同じ叙階年クラスでコンゴ出身の会員がイエズス会にはおられますが、そちらは、8月初めに、コンゴのルブンバシで、同じくイエズス会員でかつて上智大学で働いていたルクセンブルグのオロリッシュ枢機卿様が叙階式を司式されたと伺いました。

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山内新司祭はイグナチオ教会で土曜学校のリーダーを務めているとのことで、叙階式ミサには聖堂の一番前に子どもたちが座り、長い叙階式でしたが、最後までしっかりと参加して山内神父様の誕生をお祝いしていたのが印象的でした。

山内豊神父様、イエズス会の皆さん、おめでとうございます。これからの活躍を期待しています。

翌9月15日の午後、聖心女子大学の聖堂を会場に、ラテン語でのミサを司式いたしました。これは、日頃からグレゴリオ聖歌を学んでおられるいくつかの聖歌隊グループが、毎年イエスのみこころの意向ミサを捧げているとのことで、以前からご依頼をいただいていましたが、わたしのスケジュールの関係で、この日の午後となりました。

アクション同志会の主催するラテン語のミサも一年に一度カテドラルで捧げられますが、そちらは今年はこれから11月9日の土曜日ですが、それとはまた別の意向ミサです。わたしがラテン語ミサを歌えるということでご依頼をいただきましたが、実はコロナ感染以降、その後遺症なのか喉が本調子ではなく、折に触れてはボイストレーニングなどしているのですが、だんだんと高い音が出なく成ってきました。高い音で歌い続けるのはだんだんと難しくなりつつありますが、グレゴリアンのミサは、基本的に無伴奏ですので、喉の調子に合わせて少し低めに始めてもなんとか皆さんに繋がるところもあります。せっかく身につけたことですから、生かし続けていきたいと思っています。当日は、聖堂に一杯の方々に集まっていただきました。

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築地教会と並んで東京教区の最初の小教区の一つである神田教会も、今年で150周年を迎え、9月16日午前中に、記念感謝ミサを捧げました。当日は、歴代の主任司祭経験司祭を始め、近隣の麹町や築地の司祭、またすぐ近くにあって長年の協力関係にある暁星学園のマリア会司祭など多くの司祭が共同司式に集まりました。天気が心配されましたが、ちょうどミサのはじめ頃から雨は上がり、ミサ後に中庭で行われた祝賀会も天気に恵まれました。準備を進めてくださった現在の主任司祭である立花神父様はじめ、神田教会のみなさまに心からお祝いと感謝を申し上げます。

以下、神田教会150周年記念感謝ミサの説教の原稿です。同時期に創設された築地教会と重なるところもあるのは、歩んだ歴史背景が同じですので、ご容赦ください。

カトリック神田教会創立150周年感謝ミサ
2024年9月16日

日本における再宣教のために、宣教師たちが福音をあかしする活動を再開してから150年以上が経過しました。大浦天主堂での、潜伏キリシタンの方々による「サンタマリアの御像はどこ」というプティジャン神父への問いかけによって、日本のキリスト教が息を吹き返したのが1865年3月17日。159年前の出来事です。

聖母の導きで信徒の存在が明らかになったそのときは、まだ明治にもなっていません。その後、あらためて起こった厳しい迫害の出来事を経て、キリシタン禁制の高札が撤去されたのは、1873年であって、神田教会が誕生した時代の背景は、キリスト教にとって希望と不安と絶望が入り交じった、困難な時代でありました。

それから150年がたったいま、現代社会の視点からその当時の状況を推し量り、現代の価値観でその評価をすることは適切ではありません。時代の背景や、キリスト教に対する評価、外国人を取り巻く社会環境などなど、今の時代からは考えられないような困難があったことでしょう。福音を生きそれを具体的にあかしして伝えることは宣教師の使命ですが、それを果たすにあたっての当時の困難はわたしたちの想像を絶するものであったと思います。東京に福音の種を再びまいた当時の宣教使たちの活躍に、心から敬意を表したいと思います。

また神田教会誕生の時代、宣教師とともに福音をあかしし、多くの人を神の救いに与らせるために招いた多くの信仰の先達の働きに心から感謝したいと思います。

150周年を迎えたいま、東京教区のパイオニアとも言うべき神田教会の、現代社会にあって果たしていく使命は一体なんでしょうか。

この数年間、世界は歴史に残るようないのちの危機に直面してきました。例えば戦争のように、人間自身が始めたことであれば、それが可能かどうかは別として、人間はそれを止める方法を知っています。しかし今回の危機の原因である感染症はそうではない。暗闇が深まった結果は何でしょうか。それは自分の身を守りたいという欲求に基づく利己主義の蔓延と、先行きが見通せない絶望の広まりであって、絶望は世界から希望を奪い去りました。

わたしたちのいのちは、創世記に記されているように、「互いに助けるもの」となるようにと創造されました。すなわち、互いに支え合うところにいのちを生きる希望は生まれます。いのちの危機という闇に落とし込まれたときにこそ、互いに支え合い、助け合わなければなりません。しかし、ミャンマーのクーデターやウクライナでの戦争、そしてガザでの紛争などなど、世界の闇がさらに深まるような出来事が続き、わたしたちは、自分の身を守りたいと、利己主義を深め、同時に希望を失っています。

いま世界に必要なのは、この暗闇を打ち破る光であります。希望の光です。いのちを生きる希望の光です。互いに助け合う連帯の心です。

教皇様が、今年のクリスマスから一年間にわたって行われる聖年のテーマを、「希望の巡礼者」とされたのは、いまの世界の現実を見たときに必然でもありました。まさしくこの絶望の闇を打ち破る希望を生み出すために、教会こそが、世界に希望を告知する存在として巡礼者であるべきだと考えられたからではないでしょうか。

災害や紛争など緊急事態が発生したとき、例えば教会ではカリタスジャパンなどが支援のために募金をします。必要な物資を集めます。災害直後に、または紛争の中でいのちの危機に直面している人たちに、今日を生きるために必要な物資を提供することには大きな意味があります。物質的援助によって、具体的に人間の命を救うことが可能です。

しかし希望はそうはいきません。いのちを生きる希望を、誰かがどこからか持ってきて、絶望に打ちひしがれている人に提供することなんてできません。希望は「もの」ではないからです。希望は、人の心の中から生み出されます。絶望している人が、心に希望を生み出すことができるのは、それを促し助けてくれる人との出会いです。ともに歩んでくれる兄弟姉妹との出会いが不可欠です。出会いと支え合いは、人の心に希望を生み出す触媒の役割を果たします。

現代社会にあって、教会共同体に与えられた重要な使命の一つは、出会いと支え合いによって、心に希望を生み出す源となることであります。

わたしたちひとり一人には、イエスとの出会いの中で生まれるいのちを生きる希望を、多くの人に分け与える務めがあります。そのためには、わたしたち自身がイエスとの個人的な出会いの中で希望を心に抱き、共同体に生きることで互いに支え合い、連帯のうちにその希望を燃え輝かせることが不可欠です。自分が希望を抱いていなければ、他者の心に希望は生まれません。

教会は今、シノドスの道を歩み続けています。今回のシノドスはシノドス性について話し合っています。つまり教会とは一体何であるのか、教会が教会であるためにはどうしたらよいのか、聖霊は教会をどこに導いているのか、などについて、話し合っています。話し合っているだけでなく、祈りのうちに分かち合っています。どうしてそうするのかと言えば、それを通じて、教会に働き続けている聖霊の導きを知りたいと考えているからです。教会の言葉でそれを、識別すると言います。いま必要なのは、多数決でものを決めていくことではなくて、共に耳を傾け、分かち合い、祈り会う中で、聖霊の導きを識別することであります。

教会の進むべき道を一人で識別することはできません。「わたし」の進む方向ではないからです。それは「わたしたち」が一緒に進む方向ですから、皆で知らなくてはなりません。だから教皇様は、そういう、皆で祈りのうちに方向性を見極める教会へと、全体が変化して、それがこれから先まで教会のあり方としてこれから定着することを望んでおられます。

先ほど朗読された福音で、イエスは神殿の境内に入り、そこにいる人たちを「ご覧になった」と記されています。そしてその有り様が御父の思いとあまりにもかけ離れているために、鞭を振るって羊や牛や両替商を追い出したとあります。神殿の光景を目の当たりにして、それこそ悲しみと怒りの思いをいだき、そのような過激な行動に出たのかもしれません。

いま主イエスが、150年を迎えた神田教会に入ってこられ、わたしたちの有様を見て、どのように感じられるのでしょう。わたしたちの共同体を見つめる主イエスの目を意識したいと思います。

神田教会が150年を祝うこの年、教会は大きな体質改善を目指しています。一緒になって歩み続ける教会でありましょう。互いの声に耳を傾け、互いをその違いのままに尊重し、一緒になって助け合いながら、祈りのうちに歩む共同体になっていきましょう。助け合い支え合う希望を生み出す教会共同体であり続けましょう。

 

 

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2024年9月14日 (土)

週刊大司教第183回:年間第24主日B

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教皇様のアジア歴訪は無事に終わりました。わたしも9月12日にシンガポールで行われた教皇ミサに参加するようにと招かれたので、シンガポールまで出かけて参りました。教皇様は三日間シンガポールに滞在されましたが、わたしは二日目の午前中の、国立大学における政府関係者や外交官を招いての、大統領と教皇様の演説と(写真上)、午後から夕方にかけて国立競技場に5万人を集めて捧げられた教皇ミサにご一緒させていただきました。アジア各地から39名ほどの枢機卿や司教が集まりました(写真下)。

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教皇様は2週間近い長旅の最終盤であるにもかかわらずお元気でしたが、立ち上がって数歩歩かれる以外は車椅子のですので、他のミサと同様に、教皇ミサの途中、感謝の典礼から先は、シンガポールのウィリアム・ゴ枢機卿様が祭壇に立たれ、共同司式者として、マレーシアのジュリアン大司教様(クアラルンプール)とセバスチャン枢機卿様(ペナン)が両サイドにつかれました。シンガポール大司教区は国に一つだけの教区ですので、ブルネイと共に、マレーシアの司教協議会の一員となっています。

教皇様はこの後、10月のシノドスの前、9月の末に、ルクセンブルグやベルギーを訪問されることになっています。教皇様の健康のためにお祈りください。

本日の土曜日、イエズス会では新しい司祭が誕生しました。午後2時からイグナチオ教会で行われたパウロ山内豊新司祭の叙階式を、司式させていただきました。彼と同級のコンゴ出身のイエズス会員は、8月の初め頃に、今後のルブンバシで、ルクセンブルグのオロリッシュ枢機卿によって叙階されていると伺いました。おめでとうございます。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第183回、年間第24主日のメッセージ原稿です。

年間第24主日B
週刊大司教第183回
2024年9月15日

マルコ福音は、イエスが求める信仰における自己決断の話を記します。

イエスは弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と尋ねます。それに対して弟子たちは、先生が多くの人から褒め称えられている現実に誇らしい思いもあったのでしょう。口々に、方々で耳にしてきたイエスについての評価を語ります。「洗礼者ヨハネだ。エリヤだ。預言者のひとりだ」

考えてみればそれらの評価は、伝聞、つまり「うわさ話」にすぎません。それに対してイエスは、「それでは、あなた方はわたしを何者だというのか」と弟子たちの自分の判断を求めます。自己決断を迫ります。

信仰を生きているわたしたちは、常に、主によって自らの回答を迫られています。わたしたち一人ひとりは、一体何と応えるのでしょう。わたしにとって、主イエスとは何者なのでしょうか。誰かがそう言っていたイエスではなくて、わたしが知っているイエスは何者なのでしょう。

わたしたちは、いのちを与えられた神から愛されている存在です。守られている存在です。その神のいつくしみを、愛を、具体的にわたしたちに示されるのは、共にいてくださる主イエスであります。主こそわたしたちの救い主、メシアだと、ペトロと一緒に応えるのだとすれば、その応えに見合った生き方をしなくてはなりません。わたしたちには主が生きたように、語ったように、生きていく務めがあります。それは信仰を具体的に行動に表すことであり、すべてのいのちが誰ひとりとして見捨てられることなく、常に神に愛される存在であることを、具体的に示すことであります。

教会は7月の第四日曜日を、祖父母と高齢者のための世界祈願日と定めていますが、日本の教会では、敬老の日が国民の休日として定められている9月にこの祈願日を移行することについて聖座に申請し許可を得ています。今年は本日が祖父母と高齢者のための世界祈願日となります。

少子高齢化が多くの国で激しく進み、伝統的な家庭のあり方が崩壊する中で、かつては知恵に満ちた長老として社会の中に重要な立場を持っていた高齢者が、周辺部に追いやられ、忘れ去られていく状況が出現しました。高齢者にはそれまでに豊かに蓄えた知識を持って、次の世代につなげる大切な努めがあることを教皇は強調し、若い世代と高齢の世代の交わりを勧めておられます。

この祈願日にあたり、教皇はメッセージを発表されています。今年のテーマは、詩編71の言葉から、「老いの日にもわたしを捨て去らないでください」とされています。

メッセージの中で教皇は、「神は決してご自分の子らを見捨てません。齢(よわい)を重ね力が衰えようとも、髪が白くなって社会での役割が少なくなろうとも、活動の生産性が下がって無駄として見られかねないとしても、そうなのです」と述べ、社会に広がりつつある「高齢者が若者から未来を奪う」という考え方が、人間の尊厳の立場から誤っていることを指摘されます。

その上で教皇は、ルツ記の話を引用しながら、「高齢者に寄り添うこと、彼らの、家庭、社会、教会でのかけがえのない役割を認めることで、わたしたち自身も多くのたまもの、多くの恵み、多くの祝福を受ける」と指摘されます。誰も見捨てることのない神の愛を、実践するのはわたしたちの務めです。

 

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2024年9月 8日 (日)

2024年ガーナへの旅:その9(最終回)

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8月初めのガーナ訪問の最終回です。

7日目となる8月12日は、早朝にホテルをチェックアウトし、アゴメニャ教会の朝7時のミサに出かけました。平日の朝であり、しかも普段は月曜の朝ミサはないにもかかわらず、多くの人が集まり、さらには侍者もたくさんついて香炉も使って荘厳なミサとなりました。

この敷地内には、もともとアクラ教区立として1957年に創立された女子修道会HDR(Handmaids of the Divine Redeemer)の最初の本拠地と修練院、そしてクリニックがあったのですが、いまでは本部や修練院は移転し、クリニックが病院に昇格して運営されています。その修道院に所属するシスター方もミサに来てくださいました。現在この地域はコフォリデュア司教区の中です。

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懐かしい顔がたくさん。この日のために、わざわざ遠くから出てきてくださった方までいて、ミサ後には懐かしい顔をたくさん見つけ、昔を思い出す感謝の一時を過ごしました。昔と変わらない若々しい人も、この30年の時をしっかりと顔に刻んだ人も。でもみんな、若かった頃の思い出を懐かしく語ってくれました。1986年8月15日に、アクラの空港に初めて到着し、誰も迎えがいなくて困っていたときに、助けてくれたシスターとも再会しました。

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この地域にいるコロボ族の人たちは、かつて植民者であるイギリスと闘い、近くの平原にそびえるコロボマウンテンに籠城したりした歴史があります。いまでも、秋のお祭りの時期には、このコロボマウンテンに登り、祈りを捧げる習慣が残っています。また基本的にこのコロボマウンテンに近いオドゥマシやソマニャ地域が本当の故郷で、親族一同の真の家はこの地域にあり、オソンソン村のような奥地は、農作業をするための仮の住まいという考え方がありました。ですからオソンソンのような奥地の村で誰かが亡くなると、埋葬のためにご遺体をわざわざオドゥマシやソマニャまで運んできたり、葬儀は後日、この本当の故郷の家で行うなどの風習がありました。いまでも残っています。葬儀には、かなりのお金を使っていると思われます。このあたり、かつて神言会会員で人類学者の故フーゴ・フーバー師(Hugo Huber)が、その名も「The Krobo」という研究書を著しておられ、そこに詳しく記されています。

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この日は、ミサ後にしばらくアゴメニャで過ごし、そのまま昼頃にアクラへ戻りました。テマの港からアクラへ伸びる高速道路モーターウェイは健在でした。ガーナで一番最初にできた高速道路は、全線コンクリート舗装ですから、重量のあるトレーラーが通過しても大丈夫。立派に役目を果たしていました。交通量が増えたので、拡張する計画があると耳にしました。

午後には訪問団の皆さんは、アクラ市内の最大の市場であるマコラマーケットへ出かけたそうです。わたしは、ちょっとくたびれて管区長館で休憩。夜に合流して、素敵な野外レストランで、今回の旅を皆で振り返りました。

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最終日、8月13日。アクラ市内のMary Mother of Good Counsel(善き助言者である聖母マリア)教会で、朝ミサを捧げました。この敷地のとなりに、HDR修道会の本部があるため、総長や副総長を始めとしてシスター方が参加。また今回の旅行の手配を助けてくださった前駐日ガーナ大使のご家族などが集まり、亡くなられた方の追悼を感謝のミサとしました。その後、出発までの一時、本部修道院でシスター方と一緒に昼食の一時を過ごし、最終的に空港へ。

エミレーツ航空は一時間遅れて出発となり、ドバイでの乗り継ぎが、スケジュール通りでも一時間半ほどしかないために、どうなることかと心配しましたが、遅れている乗り継ぎ客は我々だけではないようで、ドバイの出発が40分遅くなっただけでなく、アクラからの便が到着したらドバイの係員が待っており、その誘導で入ったことのない通路を通り、セキュリティーチェックもしっかりと受けた上で、あっという間に東京行きのゲートに、これまでの生涯で、一番短くすんだ乗り継ぎだったと思います。要した時間がほぼ20分程度。無事帰国となりました。ご一緒いただいた皆さん、お祈りいただいた皆さん。ありがとうございます。

オソンソン村には電気が来ていました。皆、スマホを手にして写真を撮りまくっていました。当たり前です。日本であろうとヨーロッパであろうとアフリカであろうと、わたしたちは同じ時間を生きているからです。経済の安定と発展によって得たものはたくさんあると思います。きっとそれに伴って失ったものも大きいでしょう。しかしそれを、アウトサイダーであるわたしが嘆いても仕方がありません。アウトサイダーは常にアウトサイダーである自覚を持たなくてはならないことは、ガーナにいた頃から、そしてその後にカリタスの業務で様々な国の様々な現場に出かけて、常に心に刻んでおいた思いです。

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ガーナははやり懐かしい故郷でした。カトリック教会は、少しばかり勢いを失っているとご本人たちは言いますが、教会は活気にあふれ、ミサは喜びに満ちあふれ、司祭召命も修道者召命も豊かにある。生き生きとした教会でした。社会にはいろいろと難しい状況はあるけれど、昔と変わらず笑顔の満ちあふれた国でした。オソンソンでの説教の最中に、思わず、司教叙階25周年になる5年後に、また来るからねと約束してしまったのも、その思いの結果です。

いろいろな人が同じことを言いますが、アフリカの水を飲んだものは、また飲みに帰りたくなるものです。

終わり

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2024年9月 7日 (土)

週刊大司教第182回:年間第23主日B

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9月になり、少しづつ秋の気配も感じるようになりましたが、まだまだ暑い毎日が続きそうです。

教皇様はインドネシアに始まり、パプアニューギニア、東ティモール、シンガポールを歴訪中です。教皇様の健康のためにお祈りください。わたしも司教協議会の会長として呼ばれたので、12日のシンガポールでのミサに参加させていただく予定です。

シノドスの第二会期がまもなく始まります。第二会期のための討議要項の日本語翻訳ができあがりましたので、中央協議会のホームページで公開されています。また昨日開催された臨時の司教総会で司教様方に報告ができたので、第二会期に備えた様々な準備の記事や呼びかけなどの記事をシノドス特別チームで作成して、中央協議会の特設サイトに掲載いたしました。どうぞご覧ください。冒頭に、わたしからの呼びかけがあり、さらにそのほかの記事へのリンクも張ってあります。そのほかの記事としては、まず5月に行われた小教区で働く司祭の会合について参加した高山徹神父様の報告、8月に行われたアジアのシノドス参加者の会合について参加した西村桃子さんの報告。そして8月末に行われたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの司教協議会連盟の会合の報告をわたしが記しました。

さらには、討議要項(第二会期のための公式な手引き書)はかなり長い文書ですので、その要約も特別チームで作成し、さらにそこから読み取れる今後期待される展開について、チームの小西広志神父様(フランシスコ会)に記事を書いていただきました。ご覧いただけましたら幸いです。(なお、シノドス第二会期の準備のために構成されたシノドス特別チームは、わたしと、神学顧問の小西広志神父様、奉献生活者の西村桃子さん、教区司祭の高山徹神父様、信徒の辻明美さんで構成されています。)

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第182回、年間第23主日のメッセージ原稿です

年間第23主日B
週刊大司教第182回
2024年9月08日

マルコ福音書に記された「エッファタ」の物語が、「すべてのいのちを守るための月間」を過ごしているいま朗読されることは、意義深いものがあります。なぜなら、「ラウダート・シ」で教皇フランシスコが呼びかけていることを理解するためには、現実に対して閉ざされているわたしたちの心の耳と目が開かれる必要があるからです。

現実の世界におけるしがらみは、わたしたちの思考を制約し、聞こえるはずの叫びに耳を塞がせ、見えるはずの世界から目を背けさせてしまいます。教皇フランシスコは、そういったしがらみによる縛りをすべてうち捨て、いのちが育まれるこの共通の家をどうしたら神が望まれるように育み護ることが出来るのか、目を開き、耳を開くようにと呼びかけます

マルコ福音には、イエスが「エッファタ」の言葉を持って、耳の聞こえない人の耳を開き、口がきけるようにされたと記されています。さまざまな困難を抱えていのちを生きている人に、希望と喜びを生み出した奇跡です。この物語は、具体的に困難の中で生きている多くの方への神のいつくしみの希望のメッセージであると同時に、すべての人にとっても必要な、閉ざされた心の目と耳の解放の物語でもあります。

わたしたちは、いのちを生かされている喜びに、満ちあふれているでしょうか。そもそも私たちのいのちは、希望のうちに生かされているでしょうか。喜びに満たされ、希望に満ちあふれるためには、すべての恐れを払拭する神の言葉に聞き入らなくてはなりません。「恐れるな」と呼びかける神の声に、心の耳で聞き入っているでしょうか。わたしたちは、神の言葉を心に刻むために、心の耳を、主イエスによって開いていただかなくてはなりません。「エッファタ」という言葉は、わたしたちすべてが必要とする神のいつくしみの力に満ちた言葉であります。わたしたち一人ひとりのいのちが豊かに生かされるために、神の言葉を心にいただきたい。だからこそ、わたしたち一人ひとりには今日、主ご自身の「エッファタ」という力ある言葉が必要です。

先頃日本の司教団が発表した総合的エコロジーのメッセージ「見よ、それはきわめてよかった」において、わたしち司教団は、「観る、識別する、行動する」という「三段階を通じて、環境やエコロジーについての理解を深めるよう」勧めています。第一のステップの「観る」について司教団は、「単なる事実の把握にとどまらず、神の思いに包まれながら、心を動かされつつ気づく」ことだとして、それは「出会う」ことでもあると指摘します。その上で、司教団は、「わたしたちはたくさんの思い込みや先入観、自己中心的な願望を持って生きています。また問題の状況・原因は複雑なもので、わたしたちの認識にはいつも限界があります。そのような限界を認めつつ、聖霊を通して豊かに働いてくださる主に信頼して、観る歩みを進めましょう」と呼びかけています。わたしたちの閉ざされた目と耳を開こうと、主は今日も「エファッタ」と呼びかけておられます。

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2024年9月 4日 (水)

2024年ガーナへの旅:その8

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オソンソン村でのダニエル・ナー神父様の初ミサは、定刻9時から少し遅れて始まりました。

オソンソン村の聖堂は、その昔、柱も何も立てずに土のブロックを積み上げ、モルタルを塗ってあるだけの建物で、そのため非常に細長く狭い聖堂です。ですから大きな行事のミサは、以前から、ルルドの前にある屋根がかけられたホールで行われてきました。

初ミサには普段以上の人が集まりますから、そのホールだけでは足りず、聖堂との間の空き地にテントが張られており、すべて満席でした。

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ガーナでは、1957年までイギリスの植民地出会った歴史もあり、英語が公用語ですが、普段の生活ではそれぞれの部族の言葉が使われます。そのため、部族配置にあまり影響されずに多くの人が住んでいる首都のアクラなどでは、基本的に英語で典礼が行われますが、オソンソン村のように大多数が一つの部族であるコロボであると、典礼も基本的にはコロボ語で行われます。この日のミサもコロボ語です。

わたしが働いていた頃にも当然そうでしたので、わたしもコロボ語を一年くらい習って現場に入りましたが、やっとミサが立てられるくらいで、説教は公用語の英語で行い、カテキスタが通訳してくれていました。

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この日のミサでは、わたしが説教を担当することに。結局、日本から一緒に出かけた目黒教会のマーティン神父様が、英語からコロボ語に通訳してくださいました。この日の説教は原稿なしでしたので、勢いで、司教叙階25周年となる5年後に、もう一度オソンソンを訪れると約束してしまいました。2029年にまた、ガーナ旅行を企てますので、興味のある方はいまから心づもりを。

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ミサはもちろん日本のミサと変わらないのですが、5時間かかりました。一番は、歌が長い。ダンスが入る。献金が奉納前と聖体拝領後の二回ある。献金のダンスが長い。など、部分部分で時間がかかります。それ以外では、灌水式があったり、聖書の朗読が始まる前に、聖書を荘厳に迎える式があったり。奉納では、実際に農作物をみんな並んで持ってきたり。

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聖体拝領後の二回目の献金は、男女に分けてみたり、生まれた曜日ごとに分けてみたりするので、これはダンスと共に時間がかかります。ガーナの人は、みな生まれた曜日を知っています。というか生まれた曜日に基づいた名前を持っています。それで、曜日ごとに献金をして、額を競ったりするのです。ちなみにわたしは1958年11月1日生まれで、その日は土曜日でしたから、ガーナの名前はクワメ(Kwame)です。

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5時間のミサの終わりは、新司祭による祝福で、一番最初のわたしから始まって、司祭や修道者、親族、友人、日本からの訪問団など様々な人がそれぞれ前に呼ばれて祝福を受け、その最後は、会場に来ていた各村のチーフたちでした。ガーナの社会で、チーフの存在は重要です。

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また最後に、30数年前に小教区の学費援助を受けていた高校生だった村の子どもたちが、いまや社会で働く大人となっており、今度は自分たちで持ち寄って、村の子どもの学費を援助しようという団体を立ち上げているのですが、そのメンバーから司教叙階20周年のお祝いをいただきました。この子たちには(いまや大人ですが)、感謝の思いしかありません。

ミサ後、司祭館と聖堂の裏手の丘に登りました。ここには中学校があり、わたしが主任だったころに、日本政府の小規模無償援助をいただいて、3クラスの教室棟を建設しました。教会の信徒会長だった技術の先生が、仲間と手作りでコンクリートのブロックを積み上げ、窓や屋根は、コフォリデュア近くの神言会運営の技術学校のブラザーたちに制作をお願いしました。竣工式には、当時に駐ガーナ日本大使にもオソンソンまで来ていただきました。

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その教室棟は、ボロボロになりながらもしかりと活用されていて、いまでもオソンソン村の中学校校舎であり、こういった行事の時の宿泊所にもなっていました。丘の上なので、結構風が強く、飛ばされないように屋根をしっかりと作ってもらったことを記憶しています。(上の写真が現在。下は30数年前の校舎の竣工式でテープカットする日本大使)

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その日は午後3時くらいにオソンソンを出発し、麓の町であり、コロボ族の全体のチーフが住む部族の中心地であるオドゥマシへ向かいました。その地にある、アゴメニャという地区に教会があり、翌朝、月曜の朝7時に、そのアゴメニャ教会でミサを捧げることを依頼されていたためです。その晩は、上述の学費援助グループの面々が、日本からの訪問団を歓待して、夕食会を開いてくれました。

続く

 

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2024年9月 2日 (月)

2024年ガーナへの旅:その7

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ガーナ滞在の六日目です。

8月11日の日曜日。この日は、前日に司祭叙階されたばかりのダニエル・ナー神父様の初ミサに参加するために、ダニエル・ナー神父様の故郷であり、わたし自身が1986年から1994年まで働き、主任も務めていた、オソンソン村ルルドの聖母教会へ出かける日です。

前晩は、オソンソン村のある東州の州都であるコフォリデュアの教区司牧センターに日本からのグループは宿泊し、わたしは司教館に泊まりました。上の写真は、その司教館で、ジョゼフ・アフリファ・アジクム司教様と。1992年に東州がアクラから独立してコフォリデュア教区になったとき、司教は先日登場したケープコーストのバックル司教でしたが、アフリファ司教様はその司教総代理、そしてわたしは司教顧問のひとりとして、一緒に働きました。その後、バックル司教がアクラ大司教に転任して、後任としてアフリファ司教が誕生。2017年12月のわたしの東京での着座式にも、おいでくださいました。

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その昔わたしが働いていた頃に、この司教館の土地を購入してあるのは知っていましたが、その頃は何もない林の中でした。司牧センターが建っているところは、全く地理が把握できませんでした。しかもその昔、夜に移動中に泥沼の深みにはまって車が抜け出せなくなり、神言会の運営する技術学校まで延々と歩いてブラザーたちの助けを求めに行ったあの荒れ果てた未開地のような道路が、中央分離帯付きの立派な片側二車線道路に変身していたのには、感動させられました。

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町外れの丘の上に立つ聖ジョージカテドラルから見たコフォリデュアの町の風景も大きく変わり、とにかく町全体が拡大していました。

そのコフォリデュアからオソンソン村まで距離にして40キロほど。その昔はこの40キロに車で2時間かかっていましたが、いまはどうでしょう。オソンソン村から一番近い病院がコフォリデュアにしかなかったので、この道を、病人を乗せて、のろのろと穴ぼこやら何やらを避けながら走ったことを思い出しました。

今回は、なんと1時間でこの道を制覇。しかも一番懸念していた最後のオソンソン村直前の峠道付近は、なんと道を治す工事中で、四輪駆動ではない車でも、さっと通過です。治す工事と行っても、砂利をまいてグレーダーで表面を削っているだけのことですが、それでもありがたい。

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9時に初ミサと言われていましたが、8時過ぎにはオソンソン村に到着。オソンソン村の中心にある交差点で待ち構えていた、その昔侍者をしたり司祭館の手伝いをしてくれていた少年がいまや高校の校長先生になっていて、彼の運転する公用車に乗り換えて、ドラムやトランペトの若者たちと、クリスチャンマザーズ(教会の婦人会全国組織:青のユニフォームが特徴)に先導されて丘の上の教会まで。

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ここはこの地区の聖母巡礼所になっています。1950年代に宣教師が造成したルルドを、その後の司祭たちが大きく改造して、いまやルルド前には祭壇が設けられ、野外ミサができるようになっていました。わたしの前任者のオーストリア人司祭が、ルルドの前に大きなシェッド(屋根)をかけ、わたしが来てから12月8日前後のルルドの祭りを、一晩の行事から金土日の三日間の行事に変え、最初のステージを作りましたが、いまやとても大きく改変され発展していました。

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またルルドの周りの山も切り開かれて、十字架の道行きなどが設けられています。この地域の聖母巡礼地として定着してきたことは、大きな喜びです。わたしがいた当時に建設した司祭館も、きれいに改修され、新しい部屋が加えられていたり、天井が張り替えられていたりしましたが、ここで暮らした当時を思い起こし、懐かしい気持ちで一杯でした。そして30年以上たってもさらに美しく使ってくれていることに、感謝でした。

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ミサは、同じくこの教会出身で、いまは東京の目黒教会で働く神言会のマーティン・デュマス神父様が司会進行をして(写真下)、新司祭ダニエル・ナー神父様が司式。神言会の管区長や他の司祭も参加して、盛大な初ミサが始まりました。

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聖歌隊はオソンソン村だけでなく、近隣の教会からも加わり、30年以上前と変わらぬ笑顔の若々しいメンバーもちらほらいて、懐かしさに満たされました。わたしの担当は、説教です。都合5時間かかった初ミサが、9時を少し回って、始まりました。

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続く

 

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西千葉教会と千葉寺教会の統合について

9月1日付けで、以下の教会法上の公示を出しましたので、お知らせいたします。

千葉県にある西千葉教会と千葉寺教会は、2025年1月から、西千葉教会に統合されます。

なお公示文には含めることのできなかった、例えば、東京教区における小教区再編などの基本的考えや、今回の統合の経緯については、10月号の教区ニュースの巻頭に掲載いたします。基本的には、1)教区から再編を計画し指示することは、現時点で考えていません、2)今回の統合は、2011年に岡田大司教様が千葉中央宣教協力体の小教区統合を提案したときに始まり、その後の13年間にわたる両教会での検討を経て、最終的に決定されたものです。詳しくは、10月号の教区ニュースをお待ちください。

公示

カトリック東京大司教区大司教タルチシオ菊地功は、教会法515条に従い、2025年1月1日をもって、1956年12月に創設され聖コロンバンを保護者としていただくカトリック千葉寺教会を廃止し、1954年8月15日に創設され被昇天の聖母を保護者としていただくカトリック西千葉教会に統合することを宣言し、ここに公示します。

これまでカトリック千葉寺教会の司牧範囲とされていた地域は、統合の日から、カトリック西千葉教会の司牧範囲となります。それに伴って、カトリック千葉寺教会の洗礼台帳などの記録、小教区会計、その他事務的な記録はすべて、カトリック西千葉教会に移管します。
 

また統合の日をもって、カトリック千葉寺教会の土地建物は、カトリック東京大司教区本部事務局が管轄するものとし、教会活動のすべてを、カトリック西千葉教会に移管します。

カトリック千葉寺教会とカトリック西千葉教会は、2018年7月28日の両教会信徒役員と両小教区主任司祭である福島一基神父と共に、教区本部において大司教との会談を行い、それに基づいて同年8月20日に、大司教名で二つの小教区信徒に宛てた書簡で合意点を確認しました。その上で、二つの小教区には2020年末頃をめどに、「この地域におけるこれからの福音宣教にいったいどのような選択肢があるのか」、また「教会の諸施設の維持管理に関してどのような選択肢があるのか」の合意形成をお願いしたところです。

2023年9月2日付けで、千葉寺教会より、西千葉教会への統合の提案があり、二つの教会の意向確認と、司祭評議会、顧問会での検討を行いました。その結果、統合を進めることがふさわしいと判断いたしましたので、調整の結果、上記の通り決定いたしました。

2011年の岡田大司教様による千葉中央宣教協力体の小教区統合の提案に始まり、13年に及ぶ様々な方面からの検討に取り組んでくださった、カトリック千葉寺教会とカトリック西千葉教会の皆さまに、心から感謝申し上げるとともに、これからの統合された小教区のさらなる発展をお祈りします。

いつくしみ深い御父の御名において。

2024年9月1日

カトリック東京大司教区 大司教
タルチシオ 菊地功

 

 

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