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2024年11月30日 (土)

週刊大司教第187回:待降節第一主日C

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典礼の暦では新しい一年が始まり、今年の12月1日は待降節第一主日です。

2025年1月1日に統合される千葉寺教会と西千葉教会は、典礼暦が新しくなる今日から、一緒に典礼に与ることになり、新しい出発への感謝ミサが捧げられます。

小教区の統合は簡単に決めることでもなく、簡単に実現すべきことでもありません。それぞれの小教区共同体には、その創設から現在に至る歴史があり、そこには多くの方が関わってこられ、共同体を生み出し育て上げるために尽力された事実が残っています。千葉県においては、特にコロンバン会の宣教師の皆さんと、協力された信徒の方々の多大な労苦と挑戦の結果として、現在の小教区教会が存在しています。

今回の統合にあたって、尽力された多くの方々の様々な形での捧げに、心から感謝したいと思います。またこれまで、特に千葉寺教会の維持管理発展のために貢献してくださった多くの方々のご苦労に、心から敬意を表し、感謝申し上げます。

小教区共同体は単なる組織体ではなくて、神の民の集まりとして生きた共同体です。キリストにおける共同体は「二人三人が、わたしの名の下に集まるとき、わたしはそこにいる」と約束された主の言葉に従い、二人のキリスト者がいるところから始まるからに他なりません。その意味で、小教区教会という拠点の建物にだけキリスト者の共同体は存在するわけではなく、様々なところに様々な形で共同体は存在しています。その意味で、このたび一つの拠点がなくなるという事実を踏まえ、小教区という包括する共同体に様々な理由から加わることのできない方々の存在に、心を向けたいと思います。新しい小教区の誕生が、忘れられるキリスト者を生み出すことのないように、心配りたいと思います。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第187回、待降節第一主日のメッセージです。

待降節第一主日C
週刊大司教第187回
2024年12月1日

教会の典礼の暦は、待降節から新たに始まります。典礼の暦のはじめは、降誕祭に向けた準備のときである待降節です。待降節はその名の通り、降誕を待つときであり、特に信仰における「待つ」ということの意味を考えさせられる季節でもあります。この待降節の前半は、私たちの救いの完成の時、すなわち世の終わりに焦点があてられ、後半は救い主の誕生を黙想するように私たちを招きます。どちらの部分でも、その黙想を通じて、いまをどのように生きるべきなのかを信仰の視点から考えるときとなっています。

ルカ福音において、「放蕩や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい」と弟子たちに語られる主イエスは、「いつも目を覚まして祈りなさい」と促します。すなわちわたしたちの信仰生活の姿勢において「待つ」ことは、ただ欲望に身を任せてだらけていることではなくて、何かに注意を向け続け、常に即応体制にあることを意味しています。

「目を覚まして祈りなさい」という言葉は、単に覚醒状態であり続けることを促しているのではなく、祈りのうちに「時のしるし」を読み取り、主が命じられた生き方を続ける努力を求める言葉です。時のしるしを読み解くことは、一人でできることではありません。先日も触れましたが、現代世界憲章によれば、それは教会共同体全体の使命であり、まさしく教会が現代社会に預言者として存在することを意味しています。まさしくシノドスの道が、一人で孤独に歩む道ではなく、皆で支え合い耳を傾け合いながら、能動的に歩む道であり、さらにそれは祈りのうちに共同で聖霊の導きを識別することへと繋がります。わたしたちは、ただ座して何かが起こるのをじっと待っているのではなく、常に前進を続け、共に祈りのうちに識別を続けながら、行動的に主の時を待たなくてはなりません。

様々な困難な現実が展開し続ける世界の現実にあって、わたしたちはどのように行動するべきなのでしょう。「ときのしるし」を読み取るために、まさしくシノドス的な教会であり続けることが不可欠です。「神に喜ばれる」生き方を見出すのは、ひとり個人の務めではなくて、教会共同体に与えられた使命でもあります。

わたしたちの歩みは、漠然とした旅路ではありません。教皇様は聖年の開始を告知する大勅書「希望は欺かない」にこう記しています。

「キリスト者の人生は、目的地である主キリストとの出会いを垣間見せてくれるかけがえのない伴侶、すなわち希望を養い強める絶好の機会をも必要とする旅路だということです(5)」

わたしたちが目指すのは、ひとり自分だけが品行方正に正しく生きることではなく、共に旅路を歩みながら、希望を高く掲げ、それを言葉と行いで証しし続ける希望の巡礼者の旅路を歩むことです。

 

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2024年11月23日 (土)

週刊大司教第186回:王であるキリストの主日

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典礼の暦における最後の主日は「王であるキリスト」の主日です。また週刊大司教のメッセージでも触れていますが、教皇様はこの日を世界青年の日と定めておられます。

教皇様の今年の世界青年の日のメッセージは、テーマを「主に望みをおく人は、歩いても疲れない」(イザヤ40・31参照)としており、日本語の翻訳はこちらの中央協議会のリンクでご覧いただけます。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第186回目のメッセージ原稿です。

王であるキリストの主日B
週刊大司教第186回
2024年11月24日

ヨハネ福音は、ピラトとイエスの問答を記しています。ピラトが象徴するのは、国家を支配するこの世の権威です。それに対してイエスは、神の国、すなわち神の支配について語ります。そしてこの問答が全くかみ合わない事実が、この世の支配と神の支配が全く異なる実体であることを物語っています。

神の支配とは神の秩序が確立していることであり、それはイエスご自身が、「真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と言われるように、人間の欲望や知識に根ざしたこの世の権力が支配する国家とは異なる、真理による支配であることを、イエスはピラトに向かって宣言されます。

教会のカテキズムは、「罪と苦しみと死に対する勝利」こそが神の支配の実現によって到来すると指摘しています(カテキズム要約314)。

その上でカテキズムは、「キリストのみ国は教会のうちにすでに現存しているとはいえ、まだ、王であるキリストが地上に来臨し、『大いなる力と栄光』とを持って完成されるには至っていません。・・・ですから、キリスト者は、特に感謝の祭儀の中で、キリストの来臨を早めるために、『主よ、来てください』と祈るのです」として、教会こそが、この世の権威の支配する現実に対して声を上げ、真理に基づいた神の支配を自らの言葉と行いを持って示し続けることを求めます(671)。

わたしたちがしばしば目にするのは、自分ではなく他の誰かのいのちの犠牲や誰かの苦しみを踏み台にして、自らの野望を成し遂げようとするこの世の権力の姿です。しかし真理の王は、自ら進んで他者の救いのために苦しみを背負い、自らの言葉と行いで愛といつくしみを具体的にあかしされる方であります。人類の犯すおろかで傲慢な罪を糾弾するのではなく、そのすべてを赦すために、自らを生け贄として犠牲にされる方であります。

神がすべての支配者だと信じるわたしたちは、神が望まれる世界の構築を目指して行かなくてはなりません。神の真理が支配する国、すなわち神の秩序が完全に実現している世界、神の愛といつくしみに満ちあふれた世界、すべてのいのちが尊重される世界を目指して、言葉を語り行いを持って証ししたいと思います。

本日は世界青年の日でもあります。教皇様は、イザヤ書から「主に望みをおく人は、歩いても疲れない」を引用され、今年のテーマとされました(イザヤ40・31参照)。

メッセージの中で教皇様は、「戦争の悲劇、社会的不正義、格差、飢餓、人間の搾取と被造物の搾取――。・・・(青年たちは)将来に不安を覚え、夢を具体的に描けないため、希望をもてずに、倦怠と憂鬱から抜け出せず、時には犯罪や破壊行為への幻想に引き込まれかねません」と指摘されます。

その上で教皇様は、希望を持って人生の旅路を歩み続ける巡礼者となるようにと呼びかけて、「希望とはまさに、神がわたしたちに吹き込んでくださる新たな力であり、それがあるからレースを続けることができ、「先を見つめる目」をもてるので、その時々の困難を乗り越えて確かなゴール、すなわち神との交わりと永遠のいのちの充満へと導かれるのです」と呼びかけておられます。

神の真理が支配する国は絶望ではなく希望に満ちあふれた国であるはずです。わたしたちも常に福音における希望を心に抱き、それを伝えながら、歩み続けたいと思います。

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2024年11月17日 (日)

2024年東京教区ミャンマーデー

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11月の第三主日は、東京教区において「ミャンマーデー」とされています。ケルン教区とのパートナーシップ関係から発展して、シノドス的教会を具体的に生きるあかしとして、ミャンマーの教会への支援が続けられています。

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今日のミサにはロイコー教区のセルソ・バシュウェ司教とフィリップ神父様を迎え、都内のミャンマー共同体の方々も加わり、共にミャンマーの平和と安定のために祈りを捧げました。

セルソ司教様は、政治的混乱と武力対立が続くなかでカテドラルや教区本部の建物から追い出され、現在は国内避難民の方々と共に生活をされています。ミサの終わりに挨拶をいただきましたが、東京教区からの支援も含めてロイコー教区のための小さな小屋を建て、そこに司教様も住んでおられます。カテドラルを奪われた司教様です。

以下、配信ミサの説教原稿です。

年間第33主日
ミャンマーデー
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年11月17日

今日はミャンマーデーであり、ミャンマーロイコー教区のセルソ・バシュウェ司教とフィリップ神父様を迎え、東京在住のミャンマー共同体のみなさまと共に、ミャンマーのために祈りを捧げています。ミャンマーの教会は東京教区にとって長年の姉妹教会・パートナー教会ですが、そのパートナーシップの原点は、東京教区が第二次世界大戦後、ドイツのケルン教区によって支援を受けたことに遡ります。

2004年2月、東京教区とケルン教区のパートナーシップ発足50周年を迎え、当時の岡田大司教はメッセージにこう記されました。

「1979年、両教区の友好25周年にあたり、当時の白柳誠一東京大司教は「ケルン精神」を学び、ケルン教区の召命のために祈るよう教区の信者に呼びかけました。そして、来日した当時のケルン教区長ヘフナー枢機卿と白柳大司教はケルン精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせてミャンマーの教会を支援することに合意しました。こうして東京大司教区では、毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになった」と記されています。

ケルン精神というのは、戦後のドイツの復興期にあって、ケルン教区が掲げた自己犠牲と他者への愛の精神を意味しています。ドイツも敗戦国であり、1954年当時は復興のさなかにあって、決して教会に余裕があったわけではありません。にもかかわらず海外の教会を援助する必要性を問われた当時のケルンのフリングス枢機卿は、「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」と応えたと記録されています。この自らの身を削ってでも必要としている他者を助けようとする精神は、当時のケルン教区の多くの人の心を動かし、ケルン教区の建て直しにも大きく貢献したと伝えられています。

その「ケルン精神」に倣い、今度は東京の教会が具体的にその精神に生きるためにと始まったのが、ミャンマーへの支援でした。

そう考えてみると、まさしくいま教会がその必要性を説いているシノドス性は、すでに1954年にケルンが東京を支援し始めたとき、そして1979年に両教区が協力しながらミャンマー支援を始めたときに、ケルンと東京とミャンマーの教会の間に存在していたということができると思います。わたしたちはすでに長年にわたって、互いに支え合うことで、シノドス的な教会、すなわちともに歩む教会であろうとしてきました。いまそのシノドス性の重要性が説かれ、教会がシノドス的であることが求められているからこそ、わたしたちはその先駆者として、率先して教会のシノドス性を深め、その重要性を説いていかなくてはなりません。

白柳枢機卿の時代に始まり、岡田大司教の時代を経て今に至るミャンマーデーです。東京の教会は特に、ミャンマーにおける神学生養成の援助に力を注ぎ、具体的に神学校の建物の建設も行ってきました。さらにこの数年は、コロナ禍の混乱の中で起こったクーデターの後、混乱するミャンマーの安定と平和を祈ることも、大事な意向となっています。

ミャンマーでは未だに政治状況は安定しておらず、セルソ司教様はご自分のカテドラルを追い出され、国内避難民と共に生活をされています。平和を呼びかける教会は、暴力にさらされているのが現実です。

マルコ福音は、世の終わりを示唆する様々な困難を記しています。ミャンマーでの不安定な状況、ウクライナでの戦争、ガザでの紛争など、各地での頻発する武力行使を伴ういのちへの暴力、政治や経済の混乱と国際関係の混乱は、現代社会がまさしくこの世の終わりの状況に直面していると思わせます。しかし同時に、そういった今すぐに世の終わりが来るというような危機感は、歴史を通じてしばしば起こったことでもあり、そのときの社会の状況に一喜一憂するよりも、その中に示されている「時のしるし」を読み取ることの大切さを福音は説いています。

「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と始まる第二バチカン公会議の現代世界憲章は、全人類との対話のうちに神の福音をあかしするために、「教会は、つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務が」あると指摘しています。目の前で起きている出来事に翻弄されるのではなく、福音的視点からそこに示される「時のしるし」を読み取ることは、教会の務めです。

わたしたちの眼前で、神が賜物として与えてくださったいのちが暴力的に奪われる状況が続いている中で、わたしたちが読み取る「時のしるし」は一体なんでしょうか。賜物であるいのちは、その始めから終わりまで例外なく尊厳が護られなくてはならないとわたしたちは信じています。社会の現状はこの信仰への挑戦です。その現実からわたしたちはどのようなときのしるしを読み取るのでしょうか。

人類はさまざまな苦難に直面するものの、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と語ることで、愛に満ちあふれた神はご自分の民を決して見捨てることはないと、主イエスは断言されます。わたしたちは神からに捨てられることはないという事実は、わたしたちの信仰において大前提です。どのような困難な時代に合っても、神の言葉は滅びることはありません。神の言葉は常にわたしたちと共にあります。神の言葉は主イエスご自身であります。

わたしたち神の民にとって時のしるしを読み取るために歩むべき道は、今回のシノドスの中で示されています。シノドスは、神によって集められたわたしたち神の民が、ともに耳を傾けあい、支え合い、祈り合い、ともに歩むことによって、聖霊の導きを一緒に識別することの重要性を説いています。まさしく時のしるしを読み取るのは、特別な才能を持った予言者の務めではなく、共に識別する神の民の務めであり、その意味で、教会は現代に生きる預言者であります。

教皇様は、シノドスの最終日に採択された最終文書を受け取られて、この最終文書をご自分の文書とされることを公表されました。これまでの通例であったシノドス後の使徒的勧告は、あらためて書くことをしないと宣言されました。

その上で教皇様は、「(具体的な目に見える)あかしを伴わない文書は価値を失ってしまう」と指摘され、「暴力、貧困、無関心など」が蔓延する世界に生きるわたしたちは、「失望させることのない希望をもって、それぞれの心に授けられた神の愛のもとに一致し、平和をただ夢見るだけでなく、そのために全力を尽くさなければならない」と、シノドス参加者に求められました。

わたしたちは希望をどこかから持ってくることはできません。希望は心の中から生み出されます。教会は、希望を生み出す共同体でありたいと思います。そのためにも互いに支え合い、耳を傾け合い、ともに歩む教会でありたいと思います。長年のケルンとミャンマーと東京のパートナーシップは、シノドス的な教会の模範として、多くの人の心に希望を生み出してきました。混迷を極める現代社会に預言者として存在する教会は、「時のしるし」を共に識別し、福音を具体的に明かしする存在であり続けたいと思います。

なお、ミサの最後にはセルソ司教様からの英語での挨拶もありますので、是非ビデオをご覧ください。

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2024年11月16日 (土)

週刊大司教第185回:年間第33主日B

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シノドス期間中にお休みをいただいておりました「週刊大司教」を、今週から再開いたします。

このたび枢機卿に任命されたことで、このプログラムのタイトルも「週刊枢機卿」に変更となるのかとのお尋ねを複数いただいています。タイトルは変わりません。今後とも「週刊大司教」として続けます。

と言いますのも、教会において助祭、司祭、司教は、叙階の秘跡によるものですが、「枢機卿」は秘跡的な叙階ではありません。カテキズムによれば、「洗礼、堅信、叙階の三つの秘跡は、恵みのほかに、秘跡的な霊印つまり「しるし」をあたえ・・・霊印はいつまでも残り、消えることはありません(1121)」と記されています。枢機卿というのは、特定の役割を果たす立場を教皇様から与えられることによって生じるので、枢機卿になったとしても、叙階の秘跡でわたしに霊印として刻み込まれた司教であるということに変わりはありません。したがって、今後も、枢機卿であっても司教であることに変わりはありません。ですから「週刊大司教」で続けたいと思います。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第185回、年間第33主日メッセージ原稿です。

なお明日は東京教区にとってミャンマーデーであり、パートナーとして長年支援しているミャンマーの教会のために祈り、献金する日でもあります。今年はセルソ・バシュウェ司教様がミャンマーのロイコー教区から訪問してくださっています。明日の関口教会10時のミサは、わたしの司式です、セルソ司教様がご一緒してくださいます(ミサの配信ありの予定です)。

年間第33主日B
週刊大司教第185回
2024年11月17日

マルコ福音は、世の終わりを示唆する様々な困難を記しています。各地での戦争や紛争をはじめとして、政治や経済の混乱と国際関係の混乱が続き、さらには気候変動をはじめ災害の頻発する現代社会は、まさしくこの世の終わりの状況にあたると思わされるものがあります。しかし同時に、そういった思いは、歴史を通じてしばしば起こったことでもあり、そのときの状況に一喜一憂するよりも、時のしるしを読み取ることの大切さを福音は説いています。

「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」と始まる第二バチカン公会議の現代世界憲章は、全人類との対話のうちに神の福音をあかしするために、「教会は、つねに時のしるしについて吟味し、福音の光のもとにそれを解明する義務が」あると指摘しています。起きている出来事に翻弄されるのではなく、福音的視点からそこに示されるしるしを読み取ることは、教会の務めです。

福音は、受難の時が迫る中でイエスが語った言葉を記しています。人類はさまざまな苦難に直面するものの、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と語ることで、愛に満ちあふれた神はご自分の民を決して見捨てることはないと、主イエスは断言されます。同時にイエスは、わたしたちが「時のしるし」を識別し、つねに備えたものであるようにと教えられます。

わたしたち神の民にとって時のしるしを読み取るために歩むべき道は、今回のシノドスの中で示されています。シノドスは、神によって集められたわたしたち神の民が、とみに耳を傾けあい、支え合い、祈り合い、ともに歩むことによって、共に聖霊の導きを識別することの重要性を説いています。まさしく時のしるしを読み取るのは、カリスマ的な予言者の務めではなく、共に識別する神の民の務めであり、その意味で、教会こそは現代にある預言者であります。

教皇様は、シノドスの最終日に採択された最終文書を受け取られ、「今の時代に「共に歩む教会」になるためにはどうしたらよいかをよりよく理解するため、神の民の声に努めて耳を傾けてきた、少なくとも3年にわたる年月の実りである」と評価をされました。

その上で、教皇様はこの最終文書をご自分の文書とされることを公表され、これまでの通例であったシノドス後の使徒的勧告は、あらためて書くことをしないと宣言されました。

教皇様は、「経験に基づく証しを伴わない文書は価値を失ってしまう」と指摘され、「暴力、貧困、無関心などの特徴を持つ世界のあらゆる地域から訪れたわたしたちは、失望させることのない希望をもって、それぞれの心に授けられた神の愛のもとに一致し、平和をただ夢見るだけでなく、そのために全力を尽くさなければならない」と、シノドス参加者に求められました。

混迷を極める現代社会に預言者として存在する教会は、時のしるしを共に識別し、福音を具体的に明かしする存在であり続けたいと思います。

 

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75周年@赤羽@豊島

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今年は、教会の創立の周年行事が多くある年になっています。築地教会と神田教会は150年を迎えました。下井草、吉祥寺や赤羽、そして豊島は75周年をお祝いしています。150年前は、ちょうどキリシタン禁制の高札が撤去された頃ですし、75年前は戦後の混乱から復興へと移っていった時代です。

どの教会も、設立にあたって様々な困難の中で不安な旅立ちであったことでしょう。宣教師の方々や、協力した信徒の方々の働きには、大きなものがあったと思います。そういった不安を乗り越えて、福音を一人でも多くの人に告げ知らせようと努力をされたパイオニアである宣教師の皆さんの働きに、心から感謝したいと思います。

困難な中にも、150年を迎えた教会と75年を迎えた教会に、その当時共通していたのは、将来に対する希望であったのだと思います。これからこの日本の地で、東京の地で、福音を多くの人に伝えていきたいという宣教への熱意に支えられた将来へのいのちを生きる希望です。

果たしてそれから150年がたち、また75年が経過した教会共同体に、「希望」はあるでしょうか。それとも「不安」が支配しているのでしょうか。それよりもなによりも、「絶望」が支配しているなどということがないことを願っています。150年や75年という節目の年を迎えるにあたり、その創設期の宣教師や信徒の皆さんが心に抱いていた「希望」を、自分たちのものとしたいと思います。

希望はどこからか誰かが持ってきて与えてくれるものではありません。自らが自らの心において生み出すものです。でもそのためにはそれを働きかけてくれる何かが必要です。教皇様は、それは助けてくれる誰かとの出会いだと言われます。

教皇様が今回のシノドス性について語り合うシノドスを開催され、その直後に「希望の巡礼者」をテーマとした聖年を開催されることは、決して偶然ではありません。コロナ禍の混乱と、同時に起こったウクライナやガザでの戦争、そして例えばミャンマーの不安定な状況など、心の不安を駆り立てる状況の中でわたしたちはいのちを生きています。この不安を駆り立てる状況、とりわけ神からの賜物であるいのちを暴力的に奪うような状況が続く中で、多くの人が希望を失いました。絶望に打ちひしがれている人も少なくありません。自らを守るために、利己的な価値観をあらわにする人もいます。社会の風潮も、利己的な主張がしばしば見られるようになりました。

そのような現状を見て、教皇様はシノドスを呼びかけられました。教会がともに歩む教会であるために、どのような道を歩むべきなのかを共に識別しようと呼びかけられました。それは教会が共同体としてともに歩むことこそが、福音に基づいた希望を生み出す力となるからです。わたしたちの希望は、福音が告げ知らせるイエスがキリストであると信じる信仰によって生み出されます。そのためにもその福音は多くの人に告げられなくてはなりません。

シノドスの道は、ともに歩み、共に耳を傾けたい、共に祈り、共に聖霊の導きを識別することによって、神が望まれる進む方向性を見いだす道です。それは祈りの道として、巡礼の道でもあります。そしてそれこそが、ひとり一人の心に希望を生み出します。ですから教皇様がこの現代社会の現実を見つめながら、聖年のテーマを希望の巡礼者とされたのは、ある意味、必然であったと思います。教会は混迷する社会の中をともに歩む巡礼者として、その存在を通じて、希望を生み出す種となりたいと思います。

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先日の日曜日、11月10日は、赤羽教会の75周年でした。設立からいまに至るまで、福音宣教に取り組み共同体を導かれるコンベンツアル聖フランシスコ修道会のみなさまに心から感謝申し上げます。赤羽教会では記念に、朗読台などで使われる典礼色のタペストリーを作成され、最後の文字はプロの手を借りたものの、ご自分たちできれいに刺繍をしてくださいました。ミサの終わりに祝福させていただきました。

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そして今日、11月16日の土曜日は、豊島教会の75周年でした。

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75年前、戦後の混乱期の様々な課題を乗り越えて、この地に教会を設立してくださったのはコロンバン会の皆さんでした。今日のミサにもコロンバン会の方々を始め、歴代の主任司祭や助任司祭も集まり、神に感謝を捧げました。

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またミサの中では9名の方の堅信式も行われました。豊島教会の共同体は国際色豊かな共同体です。様々な国や地域出身の方が集まるインターナショナルな教会です。今日のミサで堅信を受けられて方々のルーツも、世界中の様々な地域でした。

皆さん、おめでとうございます。そしてこれからも希望を掲げる教会共同体であり続けましょう。シノドスの道を歩み続けながら、社会の現実の中で希望の種をまくものでありましょう。

 

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2024年11月 5日 (火)

ロゴス点字図書館文化教室のお知らせ

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ロゴス点字図書館をご存じですか。

1953年に、カトリック洗足教会内に創立されたカトリック点字図書館が、潮見に移転して、2001年に社会福祉法人「ぶどうの木」として発展したものです。70年前の初代館長は塚本昇次神父様でした。詳しくはこちらのホームページをご一読ください。東京教区で誕生した施設でもあり、社会福祉法人となった際には、岡田大司教様が理事長となられました。ですから現在の法人理事長は、東京大司教のわたしが務めています。視覚に困難を持つ方々のために、様々な形で図書を提供し、さらには聖書と典礼の点訳なども手がけています。同時にカトリック教会内だけではなく、江東区潮見にある社会福祉法人として、地元の皆さんのためのサービス提供を視野に活動を続けています。

ロゴス点字図書館では、広くその活動を知っていただき、協力者や理解者を増やすためにも、様々な社会的活動を行っています。その一つが、ロゴス文化教室です。

今年のロゴス文化教室は、12月7日(土)に、以下の内容で行われます。コロナのためにお休みにしていましたので、3年ぶりの開催です。会場でも、またはオンラインでもご参加いただけます。是非ご参加ください。

・テーマ : 「教皇フランシスコが求めることと「いのちへのまなざし」について」

・講師 : 浅井(あさい)太郎(たろう)神父(日本カトリック神学院養成者、名古屋教区司祭)

・日時 : 2024年12月7日 (土) 14時~16時

・場所 : マレラホール(日本カトリック会館 2階)とZoom

・交通 : 京葉線・潮見駅 徒歩7分

・参加費 : 1,500円(資料代込・事前振込)

・申込方法 :TEL、FAX、ホームページの申込フォーム

お申し込み時に、ご住所・氏名・電話番号・資料の種類(点字、音声デイジー、墨字)をお知らせください。

TEL 03-5632-4428 FAX 03-5632-4454

HP申込フォームは、こちらのリンクです(https://logos-lib.or.jp/contact/)

・締切 : 2024年11月22日(金) 

・講師より : 

教皇フランシスコの文書で『真理の喜び』という使徒憲章(2017年12月8日)があります。これは教皇庁立大学・学部の理念・基準・使命を規定したもので、いわばカトリック学術行政の方向性を示す文書です。この理念の象徴となるのが、表題である「真理の喜び」です。これは実は元々アウグスティヌスの『告白』第10巻に由来する言葉です。この『告白』第10巻が一体どういうものであるのかを概観した上で、教皇フランシスコがカトリックの高等教育機関に何を求めているのかを一緒に確認します。他方、その求めに応じて、「いのちへのまなざし」というキーワードから、日本のカトリック神学の一つの試みを提示してみたいと考えています。

当初はわたしも参加の予定でしたが、急にローマでの枢機卿親任式が入ったため、申し訳ありません、欠席です。後日録画で拝聴させていただきます。それではひとりでも多くの方の参加をお待ち申し上げます。

 

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2024年11月 2日 (土)

シノドス第二会期:終了と帰国報告

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今回のシノドス第二会期は、10月27日午前中の教皇ミサで終了しました。シノドスのためにお祈りいただいた多くの皆様に心から感謝申し上げます。

また昨日11月1日は、わたしの66歳の誕生日でありました。先日の枢機卿への任命とこの誕生日を合わせて、多くの皆様からメッセージ、メール、お手紙などをいただいております。皆様のお祈りと励ましのお言葉に心から感謝申し上げます。ありがとうございます。そしてこれからも、私が与えられた役目を十分に果たしていくことができるように、どうかみなさまお一人お一人のお祈りによって支えてくださいますように、心からお願い申し上げます。

シノドスの最終週は、月曜が終わるころには体調が急に悪化し、翌日検査したところ新型コロナ陽性となり、宿舎において隔離状態となりました。そのため、金曜日まで会議に参加できませんでしたが、最終日の土曜日の会議には何とか検査でも陰性となり、参加することができました。

最終週の月曜日には、それまで三週間の分かち合いの成果をまとめた最終文書の原案が提示され、よく火曜日と水曜日にそれに対する修正動議を各グループで考え提出し、それに基づいて水曜から金曜の間に起草委員会が最終文書の書き直しをするというスケジュールでした。

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最終日の土曜日には、朝、教皇様も出席の中、祈りの後に最終文書案が配布され、昼までに読み込むことが求められました。最終文書案はイタリア語です。我々の手元に来たのは機械翻訳の英語版ですが、それでも60ページ近くあります。イタリア語の文章は一つ一つが長いのですが、それを英語に機械翻訳しているので、わかりやすいものではありません。ネイティブの方々は昼頃までに読み切ったみたいですが、それ以外の者にとっては、至難の業でした。

午後4時半から、再び教皇様が出席。司教や枢機卿は正装をして集まり、最後の投票を行いました。

投票は段落ごとに、すべての段落で三分の二以上の賛成を必要とします。昨年は、段落ごとに読み上げて投票したので、夜の8時過ぎまでかかりましたが、今年は改善され、それぞれのタブレットに10段落ほどまとめて表示され、それぞれの段落にチェックを入れる方式となり、あっという間に時間通り、二時間ほどで投票は終了し、すべての段落が賛成多数で通過しました。反対が多かった段落などについては、様々に報道されているとおりです。

その後教皇様からの言葉があり、作業に対する感謝の言葉と、この最終文書は教会の神の民の声として贈り物であるという評価とともに、教皇様はこれをご自分の文書として公表することにして、これを基にした使徒的勧告は書かれないと宣言されました。したがって最終文書は、教皇様の文書としての権威を帯びることになりました。すでにイタリア語は公表されていますが、英語の公表は遅れている模様です。

教皇様は、この文書に基づいて、それぞれの地方教会でシノドス性が具体的に実現されるようにと求められています。

Synod003

このような形で今回の4年間に及んだシノドスは閉幕しました。最終週には次のシノドスに備えるための委員会メンバーの選挙もあり、アジアからはFABCの次期会長と副会長であるインドのゴアのフィリッポネリ枢機卿、フィリピンのパブロダビド被選枢機卿の二人が選ばれました。

シノドスの会期中にお祈りくださった皆様に心から感謝します。最終文書の翻訳は、中央協議会からできる限り早く公開できるように努めたいと思います。シノドスの道はこれからが本番です。

というわけで、10月末に何とか帰国しましたが、コロナの後遺症で体調がおもわしくありません。今しばらくスローにして、体調回復に努めてまいります。あらためて皆様のお祈りをお願い申し上げます。

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