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2024年12月22日 (日)

枢機卿親任感謝ミサ@東京カテドラル

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12月7日の枢機卿会において、教皇様から枢機卿に親任(公式の教会法の用語では「叙任」)いただいた後、公式に最初に自分の司教座聖堂に入堂する儀式を、12月21日の枢機卿就任感謝ミサ(正式には枢機卿親任祝賀ミサ)の冒頭で行わせていただきました。わたしもアンドレア補佐司教様も、「アビト・コラーレ」と呼ばれる格好をしています。直訳すると「聖歌隊服」ですが、別に歌を歌うのではなく、典礼儀式などの際に着用するものです。枢機卿の場合は、枢機卿会などで教皇様とともに集まる場合にも、着用するように指定されます。

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入堂の際には、司祭と信徒の代表に迎えられ、十字架に接吻の表敬をし、灌水をすることになっています。その後、中央の祭壇前で、しばらくお祈りをいたしました。その間、聖歌隊(イエスのカリタス会のシスター方にお願いしました。「Christus Vincit 」をラテン語で歌ってくださいました。

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ちなみにミサ中に、わたしがその昔、神学生時代に作詞作曲した歌を二つ歌っていただきました。ありがとうございます。一つはよく使っていただいている「主とともに」(聖公会の聖歌集に収録されています)。もう一つは聖体拝領で歌われた「いま、わかつ」。

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ミサには日本の司教団のほぼ全員と、引退されている仙台の平賀司教様もご参加くださり、司教団は二つに分けて司教座側に東京教会管区の司教様たちと前田枢機卿様、反対側に大阪高松、長崎の教会管区の司教様方と、東京教区の司祭評議会評議員の司祭が代表として座りました。それ以外の共同司式の神父様方は、会衆席前方右に集まられました。

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クリスマス前の忙しいときに出席くださった来賓のみなさまには感謝申し上げます。諸宗教関係のみなさま、そして在東京外交団からもご出席いただきました。ありがとうございます。その昔、宣教師として働かせていただいたアフリカのガーナからは、大統領がメッセージをくださいました(上の写真)。これも感謝です。

そして何よりも、教区内外から、多くの信徒・修道者のみなさまにご参加いただいたこと、みなさまの心強いお支えのしるしとして、心より感謝申し上げます。またさらに多くの方がYoutubeの配信でご一緒いただいたり、その後ご覧いただいて、多くのメッセージをいただいております。感謝いたします。

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ミサでは、冒頭で、教皇庁臨時代理大使のモンセニョール・ファブリスが、教皇様からの信任状をラテン語で朗読してくださいました。上の写真は朗読後に、皆さんに、本当に教皇様の書簡があるのだと示しているところです。この書簡の用紙が特別で、多分アイロンでもかけないとまっすぐにならないのかもしれないほど硬質ですが、なんとか押さえて撮影したのが下の写真です。

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すでに何度かお伝えしましたが、ここに私の名義教会名が記されています。San Giovanni Leonardi教会です。今のところ、来年の10月9日に、同教会で着座式を行う予定にして調整中です。最終的に日時が決定したときに、またお知らせいたします。同教会の主任司祭によれば、10月9日は、保護の聖人の記念日なのだそうです。思いのほかローマの中心部から離れているので、訪問するのは簡単ではありませんが、他の枢機卿さんのお話によれば、名義教会は年に一度くらいは訪問することになろうかと思います。新しい住宅地で、子どもが多い教会だと、すでに訪れてくださった日本の巡礼グループの方に伺いました。

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ミサの終わりには、男女修道会代表、司祭団代表、信徒代表など多くのみなさまのご祝辞や花束をいただきました。ありがとうございます。こういうときは司教協議会の会長が司教団を代表して挨拶するのですが、それはいまわたしが務めているので、副会長の梅村司教様にお願いしました。しかも前晩に急にお願いしたにもかかわらず、喜んでお話ししてくださいました。感謝です。その中に、枢機卿の三つの段階のお話があり、わたしも初めて知りました。

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枢機卿には司教枢機卿、司祭枢機卿、助祭枢機卿があり、わたしは司祭枢機卿に任じられています。多くのバチカンの役所で働く枢機卿様や教区を持たない枢機卿様は助祭枢機卿であることは知っていましたが、梅村司教様が語られた歴史的背景によれば、最初はローマ教皇(ペトロの後継者)を周りで助ける助祭が枢機卿になり、その後、ローマの教会の主任司祭が枢機卿に任ぜられるようになり、さらに教会が発展して、ローマ以外の教区の司教が顧問として枢機卿に任ぜられるようになったということです。

以下、感謝ミサでの説教の原稿です。要約筆記をしてくださったみなさん、ありがとうございます。また下にリンクを張りますが、久しぶりに中継をしてくださった関口教会の皆さん、ありがとうございます。そして準備に関わり、当日もスタッフとして働いてくださった多くの方々に、心から感謝申し上げます。

枢機卿親任感謝ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024年12月21日

シノドスの第二会期の第一週が終わった10月6日の日曜日、ローマの日本人会のミサが神言会の総本部小聖堂で行われ、司式するために出かけてきました。ミサ後の交流会も終わり、宿舎のあるバチカンのサンピエトロ広場の近くでタクシーを降りると、日曜日の昼の教皇様によるアンジェルスのお祈りが終わり、人の波が広場の外へ向けて移動していました。その波にのまれながら歩いていると、顔見知りの聖年から声をかけられました。「東京の大司教が枢機卿に任命された。おめでとう」

それがすべての始まりでした。その瞬間は信じられませんでしたが、宿に着くとコロンビアの枢機卿さんがロビーにおられ、即座にスマホで映像を見せてくださいました。本当でした。そのときからわたしの人生は大きく変わり、今でもまだその変化に自分自身がついて行くことができずにいます。

人間の人生には、それほど豊かな時間が与えられているわけではありませんが、そこにはそれぞれの喜びがあり、希望があり、涙があり、苦しみがあり、いわばそれぞれのドラマがあります。時に予期しなかったこと、自分では考えてもいなかったことに遭遇することもあります。時に自分が予定したとおりに、また準備したとおりに道が開けることもあれば、全く逆にすべての門が閉ざされることすらあり得ます。自分の人生のために努力をすることは不可欠ですが、同時にそこには自分ではどうしようもないハプニングもつきものです。そのハプニングに、わたし達キリスト者は、しばしば神のみ手がどこにわたし達を導こうとしているのか、識別するためのきっかけを見いだそうとします。

そして今、わたしは、自分の人生の中で今のところ一番のハプニングであるこの任命に、いったいどのような神様の計画があるのか、識別するためのきっかけを必死になって探しています。

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枢機卿への任命が発表された翌日、シノドスの会場にいたわたしの手元に、大きな封筒が届きました。何だろうと思って開けてみると、教皇様からの書簡でした。教皇フランシスコの手紙の特徴は、一番最後のご自分の署名が虫眼鏡でも使わないと読めないくらい小さいことです。教皇様御自身の生きる姿勢を、その小さな署名が表していると言われます。

その書簡は、新しく任命された枢機卿をローマの教会の聖職者として迎え入れる歓迎の内容ですが、その中心には、次のように記されています。少し長いですが、翻訳したものを朗読します。

「かつてアルゼンチンの詩人(フランシスコ・ルイス・ベルナルデス)が十字架の聖ヨハネを特徴づけた三つ姿勢、すなわち「目を上げ、手を合わせ、裸足でいる」を自ら体現するために、あなたが枢機卿としてあらゆる努力をされることを強く勧めます。

あなたの教会への奉仕は、より遠くを見渡し、より広く、より熱烈に愛に生きるために、遙か彼方へと目を向け、心を大きく開くことを必要とするので、「目を上げ」なくてはなりません。十字架の聖ヨハネとともに、キリストの刺し貫かれた脇腹を仰ぎ見て学ぶためです。

教会が最も必要としているのは、福音を告げ知らせることと共に、キリストに従う群れをよりよく牧するためのあなたの祈りですから、「手を合わせ」なくてはなりません。祈りは、私たちの民に対する神の御旨を求め見いだし、それに従うための識別そのものです。

戦争、差別、迫害、飢餓、さまざまな形態の貧困による痛みや苦しみに打ちひしがれている世界のすべての地域の厳しい現実に触れるため、「裸足でいる」ことが必要です。これらの世界の現実は、あなたの大いなる思いやりといつくしみを必要としています。」

このように記された後教皇様は締めくくりとして、「あなたの寛大さに感謝するとともに、「仕えるもの」の称号が 「猊下」の称号を凌駕するようになることを祈ります」と書簡を締めくくっておられます。

教会が宣教するシノドス的な教会であることを求められる教皇フランシスコは、共に支え合い、助け合いながら、力を合わせて祈り続けることで、聖霊の導きを共に識別し、進むべき方向性を見いだす必要性をしばしば強調されています。教皇様の貧しい人や困難に直面する人への配慮は、単に個人的に優しい人だからという性格の問題ではなくて、教会が神の愛といつくしみを具体的に体現する存在であるからに他なりません。従って、教会がともに歩む教会であるのであれば、それは当然、神の愛といつくしみを具体的に示しながらともに歩む教会であって、そこに排除や差別、そして利己主義や無関心が入り込む余地はありません。

教皇フランシスコの前任であるベネディクト16世は、御自身の最初の回勅「神は愛」において、教会における愛(カリタス)の業を重要視され、それが単に人間の優しさに基づくのではなく、信仰者にとって不可欠な行動であり、教会を形作る重要な要素の一つであることを明確にされました。

回勅「神は愛」には明確にこう記されています。

教会の本質はその三つの務めによって表されます。すなわち、神のことばを告げしらせること、秘跡を祝うこと、そして愛の奉仕を行うことです。これら三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです(25)」

教会は愛である神を具体的に示すものでなくてはなりません。その愛は、単なる慈善活動にとどまらないことは、回勅において、「愛の奉仕」が「神の言葉を告げ知らせること」と「秘跡を祝うこと」とともに、互いに互いを必要とする教会の本質の一部であるという指摘から分かります。つまり、教会の愛の奉仕のわざは、神の福音の実現であり神への賛美の礼拝でもあります。ですから、愛の奉仕のわざは、それを必要とするような社会の現実を変革し、神が望まれる社会を生み出すことへとつながっていかなくてはなりません。そのためにも、聖霊の導きを識別することは重要ですし、その識別の結果として見いだされた方向へ、神の民を導く牧者の存在も不可欠です。

教皇フランシスコは、この度の新しい枢機卿への書簡の中で、その識別に基づいて、神の愛といつくしみを実現し、神の望まれる世界の実現のために、神の民を導く牧者であれと呼びかけておられます。そのよびかけに、忠実に生きるものでありたいと思います。

わたし達は人間の知恵と欲望だけに従って、富と繁栄の世界を築きあげることはできません。わたし達にいのちを賜物として与えてくださった神が望まれる世界を、実現することこそが、本当の意味での、富と繁栄の世界です。世界はハプニングに満ちあふれていますが、その中にこそ、神の望まれる計画への道がしばしば隠されています。共に祈りのうちに神の導きを識別し、互いに支え合いながら、歩みを続けて参りましょう。

あらためて多くの皆様のお祈りと励ましの言葉に感謝し、これからわたしが与えられた役割をふさわしく果たしていくことができるように、皆様のより一層のお祈りをお願い申し上げます。

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