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2025年6月21日 (土)

週刊大司教第213回:キリストの聖体の主日C

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本日の主日はキリストの聖体の主日です。

キリスト教が日本よりも社会認知されている国や伝統的なキリスト教国では、この日に合わせて、ご聖体を顕示しながら行列をして、聖体に現存する主を称え礼拝する聖体行列が行われます。わたしが昔若い頃に主任司祭をしていたアフリカのガーナの村でも、大がかりな聖体行列をしていました。

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日本でも聖体行列が出来ればそれに越したことはありませんが、同時にキリスト教が社会的に認知されず秘跡の意味合いが理解されていない地で、御聖体がご神体であったり、極論すれば見世物のように見なされる事態は避けなければなりません。御聖体はキリストの実存であり、ふさわしい敬意のうちに礼拝され、共にいてくださる主に感謝と祈りがささげられるのですから、持って回ればそれで良いというものではありません。つまりわたしたちの満足のためにするものではありません。

キリスト教が今以上に認知され、ご聖体の意味が広く知られるようになる、そういったふさわしい宗教的環境を整えていく必要も、常日頃から感じています。

同時にご聖体を通じてわたしたちと共におられる主キリストの聖体の主日にあたり、信仰やそれに伴う公の行動が制限され、信教の自由が侵害されている国で、またいのちを生きる危機を肌で感じながら信仰を守っている国や地域で、ご聖体のうちに現存される主が、常に共にいてくださり、兄弟姉妹を護ってくださることを信じ、また祈りたいと思います。

月曜日、6月23日は、沖縄慰霊の日です。太平洋戦争末期の沖縄戦で、陸軍の現地司令官だった牛島満中将が、昭和20年6月23日未明に、糸満の摩文仁で自決したとされており、沖縄県では1974年に「慰霊の日を定める条例」を制定し、戦没者の追悼と平和を祈る日とされています。

沖縄県の「慰霊の日を定める条例」の第一条には、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める」とその目的が記されています。

この日には沖縄全戦没者追悼式が行われますが、カトリック教会も那覇教区が、毎年この日に慰霊のミサと祈りをささげる行事や、平和行進を行っており、80周年にあたる今年は、日本の多くの司教も参加する予定となっており、朝6時から小禄教会でわたしが司式して平和祈願ミサが行われます。当日の予定と、バーント司教様の平和メッセージは、こちらのリンクから那覇教区のホームページをご覧ください。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第213回、キリストの聖体の主日メッセージです。

キリストの聖体の主日C(ビデオ配信メッセージ)
週刊大司教第213回
2025年6月22日

映画「教皇選挙」の上映と時期が重なったこともあって、キリスト教国ではない例えば日本においても、本当の教皇選挙が大きな注目を浴びました。わたしも教会やキリスト教について、マスコミで語る機会を多く与えられたことに感謝しています。映画は選挙の情景描写にあって非常に良くリサーチされており、実際の教皇選挙とほとんど変わらない様子が映し出されていました。もっとも実際の人間関係においては、そこまで激しい駆け引きがある権力闘争というよりも、祈りのうちに聖霊の導きを真摯に求める一時であったと実際に現場にいて感じました。

その教皇選挙の前に行われた枢機卿総会では、教会の現状と新しい教皇への期待が参加した枢機卿たちから表明されましたが、その中で、「一致の重要性」が多くの枢機卿から語られました。それは裏を返せば、教会全体の一致が揺らいでいるということへの不安の表明でもあったと思います。

教会のシノドス性を問うたシノドスの終わり、2024年10月末に発表された最終文書は、そのままの形でいまを生きる神の民の声を反映した教皇ご自身の文書ということになりました。後日教皇フランシスコはその冒頭に序文を加えられました。

そこには、「もちろん教会には、教義と実践の一致が必要です。けれどもそれは、教義のいくつかの側面や、そこから帰結される何らかの結論の、解釈の多様性を排除するものではありません」という一文があり、その解釈の多様性が一致を阻害すると感じる人たちがいることは事実でしょう。

もっとも教皇フランシスコ自身が、この共同体としての聖霊の導きがどこへ向かっているのかを明確に知ることは難しいことを自覚していたのは間違いがなく、そのために、即座に結論を求めるのではなく、時間をかけて共同の識別を続けることの重要性を説いておられました。とはいえ、わたしたちは辛抱強く待ち続けることに不安を覚えるものでもあります。

その不安を払拭するのは、ご聖体の秘跡であります。なぜならば、聖体は一致の秘跡であるからに他なりません。

第二バチカン公会議の教会憲章には、「聖体のパンの秘跡によって、キリストにおいて一つのからだを構成する信者の一致が表され、実現される(3)」と記されています。

聖体は、わたしたちを分裂させ分断させるのではなく、キリストにおいて一致するようにと招く秘跡です。なぜならば、それこそがキリストご自身のわたしたちへの心であり、あふれ出る神のいつくしみそのものの具体化だからであります。

ルカ福音は、五つのパンと二匹の魚が、五千人を超える群衆の空腹を満たした奇跡物語を記します。イエスは奇跡を行う前に弟子たちに対して、「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」と命じることで、人々を共同体において常に一致させることの大切さを指摘しています。神の民としてともに旅をするわたしたちを一致させるのは、主イエスのわたしたち一人ひとりへの思いです。それは聖体に凝縮されたイエスのみこころであり、まさしく聖体のうちに現存する主は、聖体を通じてわたしたちをその絆で結び、一致へと招いています。主とともに歩み続けましょう。わたしたちはご聖体の秘跡によって一致している神の民であります。

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2025年6月20日 (金)

司教団による教皇レオ14世就任記念ミサ

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6月16日から19日まで、日本のカトリック司教団は、定例の総会を行いました。詳しいことはカトリック中央協議会のウェブサイトやカトリックジャパンニュースで報道されますので、ご参照ください。

また今年は戦後80周年にあたることから、司教団としての平和メッセージと、それに伴う核兵器廃絶宣言2025を採択しました。平和メッセージについては、来週、6月23日が沖縄の平和祈念の日であり、わたしを始め多くの司教が沖縄に赴いて祈りの時を一緒にするため、この日より前に公開することを目指して、検討を続けてきたものです。

6月23日には沖縄での朝6時の平和ミサを、私が司式させていただくことになっています。

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司教総会の間、6月18日の水曜日の夕方、カトリック麹町聖イグナチオ教会において、司教団としての教皇レオ14世就任記念ミサを捧げました。

ミサはわたしが司式と説教を担当し、教皇大使にもご一緒いただき、ミサの終わりにはスペイン語でご挨拶をいただきました。教皇大使は、ちょうどその前の週に、バチカンでの教皇大使の聖年の集まりに参加し、教皇レオ14世と謁見してきたばかりとのことでした。

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以下、当日のミサの説教の原稿です。他の所でも繰り返し話している内容ですが、一応記録のために記します。

教皇レオ十四世就任記念ミサ
2025年6月18日(水)18:00
カトリック麹町聖イグナチオ教会

5月8日夕刻、バチカンのシスティーナ聖堂に集まった133名の枢機卿団は、前日7日の夕刻に始まった教皇選挙における第4回目の投票で、兄弟であるロバート・フランシス・プレボスト枢機卿を、第267代目の教皇に選出しました。前田枢機卿様とわたしも、この教皇選挙に参加するという歴史的な体験をさせていただきました。

プレボスト枢機卿は枢機卿団の前で、教皇選挙における首席枢機卿代理のピエトロ・パロリン枢機卿からの問いかけに答えて選挙の結果を受諾し、「レオ」と名乗ることを宣言されました。教皇レオ14世の誕生です。

教会は、2013年3月から12年間、教皇フランシスコによって導かれてきました。教皇フランシスコへの評価は、それこそ多様性に満ちあふれた様々な評価がありますが、しかしたぐいまれな指導力と霊性を持って、聖霊に導かれた教会のあるべき姿を具体化することに力を尽くし、そのための道を残してくださいました。改めて教皇フランシスコの残された遺産を振り返り、その貢献に感謝したいと思います。

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教皇フランシスコは2019年11月、コロナの感染症ですべてが停止する直前に、日本を訪れてくださいました。わたしは東京の大司教として、東京でのプログラムで教皇様の先導役を務めましたが、特に東京ドームの中を一緒にオープンカーに乗って回ったとき、本当に心から喜びの笑顔で、集まった皆さんに手を振り、子どもたちに祝福を与えられる姿に、愛といつくしみに満ちあふれた牧者の姿を見ました。少しでもその姿に倣いたいと思いました。

2020年以降の世界的な感染症によるいのちの危機や、ミャンマー、ウクライナやガザなどと頻発する戦争や武力紛争は、人々から寛容さを奪い去り、排除と暴力と絶望が力を持つ世界を生み出してしまいました。その現実に対して教皇フランシスコは、2025年聖年のテーマとして「希望の巡礼者」を掲げ、ともに助け合いながら歩むことで教会が世界に対して、キリストにおける希望をあかしする存在となるように求められました。聖霊の導きを祈りのうちに識別する教会、すなわちシノドス的な教会は、互いに助け合い支え合って歩む姿を通じて、キリストの希望をあかしする宣教する教会であります。

教皇選挙は、「選挙」とは言うものの、いわゆる政治的な駆け引きの場ではありません。教皇選挙を前にして連日行われた枢機卿の総会で表明された多くの枢機卿の意見から、教皇選挙とは、希望の巡礼者となるようにと教会を導いた教皇フランシスコのコピーのような人物を後継者として選ぶ作業なのではなく、イエスが最初の牧者として神の民を託した使徒ペトロの後継者を選ぶ祈りの時なのだと、多くの枢機卿が感じていました。

枢機卿たちは聖霊の導きがあるようにと真摯に祈りましたが、それは賢明で良い選択ができるようにと導きを願っていたのではなくて、すでに主ご自身が選ばれているはずのペトロの後継者を、わたしたちの間から見いだすために、ふさわしい識別の賜物を願って祈っていました。

枢機卿総会を終えて、133名の枢機卿がシスティナ聖堂に入ったとき、自分たちの間の誰が一体ペトロの後継者としてすでに選ばれているのかを知っていた枢機卿は誰もいませんでした。しかし、二日目の午後の最初の投票で三分の二超える得票でプレボスト枢機卿が選出されたとき、わたしを始め多くの枢機卿が、確かに聖霊が働いていたと実感したはずであります。

枢機卿総会での多くの意見表明の中では、教会の現状に対する評価とともに、次の教皇にはどのような人物がふさわしいか、何を期待するのかについての意見も多く聞かれました。その様々な意見を積み重ねてみると、次の教皇には、福音宣教の現場、つまり司牧の現実に精通し、同時に規模の大きい組織の運営に長けていることが求められていました。さらには深い霊性を持っていること、はっきりとした神学の見識を持っている人物がふさわしいという意見も多く聞かれました。 残念ながらそのすべてを兼ね備えた人物など、簡単には見つからないというのが、教皇選挙前の雰囲気でありました。

ところが、実際に選出された教皇レオ14世のこれまでの歩みを見れば、司祭としてペルーで長年にわたり司牧の現場で働き、修道会の総長として世界に広がる修道会を12年にわたって束ね、その上で司教としてペルーの司牧の現場で教会を導き、さらにはバチカンで司教省の長官を務め、その上アウグスチノ会の霊性にも深く通じています。これほど完璧に、多くの枢機卿が願った次の教皇のプロフィールを満たしている人物はおらず、なぜ彼にたどり着いたのか、わたしたちには分かりません。主は自ら選ばれ、聖霊を通じてわたしたちがプレボスト枢機卿に到達するように導いてくださいました。わたしたちは、聖霊に導かれて、教皇レオ14世にたどり着きました。

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教皇フランシスコは、シノドスの道を開きました。その道こそが希望の巡礼者として歩むべき道であることを示されました。いま問われているのは、教会が聖霊に導かれた教会であるためにはどのような道を歩むかを識別することです。しかしその道のりは決して平坦ではありません。なぜならば教皇フランシスコ自身が指摘するように、識別を繰り返す中で即座にゴールが見えてくることはなく、シノドス的な教会のイメージも文化や歴史的背景に基づいて様々な多様性があり、この歩みは一朝一夕で終わらせることができない模索の旅路でもあるからに他なりません。

枢機卿総会でも多くの枢機卿が、多様性を尊重しつつも、信仰における明白性を持って、教会が一致することの重要性を強調されました。一致は一つのキーワードになっていると感じています。教皇レオ14世の治世は始まったばかりであり、これからどのような方向に進むのかはまだ分かりません。しかしすでにその最初の日から、一致と平和は教皇レオ14世にとって大きな課題の一つとなっています。

6月1日の聖年にあたっての家庭・子ども・祖父母・高齢者の祝祭のミサ説教で、次のように一致と平和について語られました。

「わたしたちは、家族として、そして、自分たちが生き、働き、学ぶ場で、主がわたしたちが「一つ」となることを望まれたように「一つ」となるために、ここにいます。わたしたちはさまざまですが、一つです。多くの者がいますが、にもかかわらず一つです。あらゆる状況においても、人生のあらゆる段階においても、つねにそうです」

その上で教皇様は、「愛する皆様。「アルファであり、オメガである」方、「初めであり、終わりである」(黙22・13参照)方であるキリストに基づいて、わたしたちが互いに愛し合うなら、わたしたちは社会と世界の中で、すべての人にとって平和のしるしとなります」と呼びかけておられます。

戦後80周年となる今年、日本各地では改めて平和に思いを馳せる祈りの時がもたれます。教皇ヨハネパウロ二世と教皇フランシスコは広島長崎の地から平和と、そのための核兵器廃絶について力強く発進してくださいました。平和は分裂をもたらすものではなく、家族としての一致をもたらすものです。平和と一致を見出す要因は、武力だけに限らず、人間の尊厳をないがしろにするあらゆる行為があります。教皇レオ14世とともに、人間の尊厳を守り、一致のうちに平和を打ち立てる世界の実現のために、働き続けたいと思います。

 

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2025年6月14日 (土)

週刊大司教第212回:三位一体の主日C

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聖霊降臨の次の主日は、三位一体の主日です。

前の記事にも投稿しましたが、先日、国際カリタスが南山大学から人間の尊厳賞をいただきました。下の写真が、その際にいただいた記念の盾です。記念の盾に刻まれているのは、キャンパス内に実際にある上の写真の十字架です。ありがとうございます。

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6月8日の聖霊降臨の主日には、午後2時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、教区合同堅信式が行われました。

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今年は52名の方が堅信の秘跡を、わたしとアンドレア補佐司教様から受けられました。復活徹夜祭や復活祭に行われる成人洗礼の場合は、特段の理由がない限り、洗礼と聖体と堅信の三つの秘跡を同じ日に受けていただくようにしています。幼児洗礼の場合は、年齢の歩みとともに、洗礼から始まり、初聖体、そしてある程度の年齢になってからの堅信と続きます。

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そのようなわけで、今年の堅信を受けた皆さんの多数は、小学校高学年から中学生や高校生が多く見られました。堅信を受けたみなさん、おめでとうございます。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第212回目、三位一体の主日のメッセージです。

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週刊大司教第212回
2025年6月15日

教皇レオ14世は、5月18日にサンピエトロ広場で行われた就任のミサの説教で、「愛と一致」こそが、ペトロの後継者として主ご自身から自分に託された使命の二つの次元である述べられました。

その上で教皇は、「ローマ司教は、キリスト教信仰の豊かな遺産を守ると同時に、現代の問い、不安、課題に立ち向かうために、遠くを見ることができなければなりません。皆様の祈りに伴われて、わたしたちは聖霊の働きを感じました。聖霊はさまざまな楽器を調律し、わたしたちの心が一つの旋律をかなでることができるようにしてくださいました」と、コンクラーベに集まった133名の枢機卿たちに、確実に聖霊の導きがあり、その実りは、愛と一致に神の民を導くのだと指摘されています。

教皇選挙に先立つ枢機卿会で、多くの枢機卿が教皇に求められる役割として、信仰の遺産を確実に明確に伝える霊性の深さと、現代社会の要請に応えるために司牧の豊かな経験と、さらにはこの世の組織を運営するに長けた能力を持つことを求めました。教皇宣教が始まる時点で、誰もそのすべてを兼ね備えた枢機卿は存在しないと思っていましたが、聖霊はしかりと働き、四回目の投票で選ばれたレオ14世こそは、そのような資質をすべて兼ね備えた人部でした。

わたし達は御父によっていのちを与えられ、救いの道をイエスによって与えられ、この世界で聖霊によって導かれて歩みを共にします。わたし達の信仰は、三位一体の神に基づいた共同体の信仰です。ですからわたしたちは、「父と子と聖霊のみ名によって」洗礼を受けます。

わたしたちを「導いて真理をことごとく悟らせる」聖霊が、「わたしのものを受けて、あなた方に告げる」と、ヨハネ福音は主イエスの言葉を記します。その「わたしのもの」とは、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」と主ご自身が言われるのですから、わたしたちは、三位一体の神の交わりの中で、聖霊に導かれて御子に倣い、御父へと結びあわされています。

カテキズムはそれを、「御父の栄光をたたえる者は、御子によって聖霊のうちにそうするのであり、キリストに従う者は、その人を御父が引き寄せ、聖霊が動かされるので、そうするのです」と記します(259)。

わたしたちは共同体で生きる教会であるからこそ、教会共同体は、三位一体の神をこの世に具体的に顕す共同体であるよう務めなくてはなりません。それを実現しようとしたのが、教皇フランシスコが力強く導かれたシノドスの道です。わたし達は共に支え合い、耳を傾けたい、共に祈り、聖霊の導きを識別することで、この世界の現実の中で、三位一体の神の存在を具体的にあかしする共同体となります。

そもそもわたしたちの信仰が三位一体に基づいているからこそ、わたしたちには教会共同体が必要であり、信仰を一人孤独のうちに生きることはできません。父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受けた瞬間に、わたしたちは三位一体の神の交わりの中で、教会共同体の絆に結びあわされるのです。わたしたちの信仰は、共同体の交わりにおける絆によって生かされる信仰です。

主イエスご自身に倣い、御父の願いを具体的に実現するために、聖霊の導きに身を委ね、共同体の交わりの中で、信仰を生きていきましょう。この世界に「愛と一致」をもたらすものとなりましょう。 

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2025年6月 8日 (日)

国際カリタス、南山大学から人間の尊厳賞受賞

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わたしの母校でもある名古屋のカトリック大学「南山大学」は、その教育のモットーを「Hominis Dignitati(人間の尊厳のために)」と定めています。このモットーは南山大学にとどまらず、南山学園全体のモットーでもあり、わたし自身も、名古屋の南山中学から始まって南山大学大学院を卒業するまで、一貫した南山教育を受けてきましたので、「人間の尊厳のために」を、心にたたき込まれてきました。

南山学園のホームページにはこう記されています。

「このモットーは学園創立20周年を機に制定され、当時南山大学教授であったドイツ人宣教師、アルベルト・ボルト師(第7代南山学園理事長)により、自身の経験と第2次世界大戦の痛みの中から、南山教育が掲げる最も大切な理念として生まれ、今日まで脈々と受け継いでいます。」

南山大学では、現在の学長であるロバート・キサラ神父が、大学の創立75周年にあたり、この建学の理念に立ち返るために、人間の尊厳賞を設立されました。キサラ学長は、ホームページのメッセージにこう記されています

「一私立大学のささやかな試みですが、営利組織ではできない、高等教育機関たる大学ならではの試みだと考えています。「人間の尊厳のために」という理念の実現に多大な貢献を果たしている人物、組織等を表彰することにより、本学の理念をあらためて広く社会に理解して頂き、学内外の人々とこれを共有したいと考えています」

このたび、第四回目の人間の尊厳賞の受賞者として、国際カリタスを選定していただきました。選定の理由には次のように記されています。

「カトリックの信仰に基づき、世界中の困難に対し各現場で的確な支援を継続的に実施出来る枠組みを展開」

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この名誉な賞を国際カリタスが受賞することになり、国際カリタスを代表してわたしが、6月7日午後に名古屋の南山大学で行われた表彰式に出席し、賞をいただいて参りました。また表彰式後には一時間ほどの時間をいただいて、国際カリタスの活動やカトリック教会の援助への考え方などについて、講演をさせていただきました。

本来こういった受賞に際しては、実務を担当する事務局長が出席することが通例なのですが、今回は、場所が日本であり、日本語での講演会ということで、わたしが出席することになりました。国際カリタスの連盟に属する162の国・地域のカリタスの皆さん、実際に現場で働いてくださる多くのボランティアの皆さん、またカリタスを様々形で支えてくださる多くの皆さんを代表して、受賞して参りました。当日いただいた記念の盾は、後日手元に届いてから写真を公開します。

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なお当日は、名古屋の教会関係者の方や、旧知の皆さん、中学高校の同級生をはじめ、高校時代の恩師まで来てくださり、懐かしい皆さんにお会いできたことにも感謝で一杯です。

国際カリタスの活動を高く評価し顕彰してくださった南山大学の関係者のみなさまに感謝申しあげるとともに、カリタスの活動を支えてくださる多くの方に感謝申し上げます。

以下、南山大学がYoutubeに掲載している当日の映像です。

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2025年6月 7日 (土)

週刊大司教第211回:聖霊降臨の主日C

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聖霊降臨の主日となりました。

主日の午後には、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、合同堅信式が行われます。堅信の秘跡を受けられる53名の皆さん、おめでとうございます。

堅信式の様子などは、また別途記します。

6月は「みこころの月」と言われます。「みこころ」は、主イエスの心のことで、以前は「聖心」と書いて「みこころ」と読んでいました。イエスのみこころは、わたしたちへのあふれんばかりの神の愛そのものです。十字架上で刺し貫かれたイエスの脇腹からは、血と水が流れ出たと記されています。血は、イエスのみこころからあふれでて、人類の罪をあがなう血です。また水が、いのちの泉であり新しい命を与える聖霊でもあります。キリストの聖体の主日後の金曜日に、毎年「イエスのみこころ」の祭日が設けられ、今年は月末の6月27日となっています。

みこころの信心は、初金曜日の信心につながっています。それは17世紀後半の聖女マルガリータ・マリア・アラコクの出来事にもとづく伝統であります。聖体の前で祈る聖女に対して主イエスが出現され、自らの心臓を指し示して、その満ちあふれる愛をないがしろにする人々への悲しみを表明され、人々への回心を呼びかけた出来事があり、主はご自分の心に倣うようにと呼びかけられました。そしてみこころの信心を行うものには恵みが与えられると告げ、その一つが、9ヶ月の間、初金に聖体拝領を受ける人には特別なめぐみがあるとされています。イエスは聖女に、「罪の償いのために、9か月間続けて、毎月の最初の金曜日に、ミサにあずかり聖体拝領をすれば、罪の中に死ぬことはなく、イエスの聖心に受け入れられるであろう」と告げたと言われます。

1856年に教皇ピオ9世が「イエスのみこころ」の祭日を定められました。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第211回、聖霊降臨の主日のメッセージです。

聖霊降臨の主日C(ビデオ配信メッセージ)
週刊大司教第211回
2025年6月8日

先日行われた教皇選挙、コンクラーベに参加し、新しい教皇レオ14世を選出した133名の枢機卿たちは、システィナ聖堂で投票を続ける中で、聖霊の働きを実感していました。

教皇選挙は、「選挙」とは言うものの、いわゆる政治的な駆け引きの場ではありません。教皇選挙を前にして連日行われた枢機卿の総会で、教皇選挙とは、たぐいまれな才能と霊性を持って力強く教会を導いた教皇フランシスコの後継者を選ぶ作業なのではなく、イエスが最初の牧者として神の民を託した使徒ペトロの後継者を選ぶ祈りの時なのだと、多くの枢機卿が感じていました。すなわち、枢機卿たちは良い選挙ができるように聖霊の導きを祈っていたのではなく、すでに主ご自身が選ばれているはずのペトロの後継者を、わたしたちの間から見いだすための識別の賜物を願って祈っていました。

枢機卿の総会を終えて、133名の有権枢機卿がシスティナ聖堂に入ったとき、一体その中の誰が本当にペトロの後継者として選ばれているのかを分かっていた枢機卿は誰もいませんでした。しかし聖霊に導かれて投票を続ける中で、最後に3分の二を超えて選出されたプレボスト枢機卿のこれまでの人生を見たとき、わたしを含めて多くの枢機卿が、確かに聖霊に導かれた彼にたどり着いたと感じたはずです。

というのも、事前の枢機卿の総会では、次の教皇には、司牧の現場に精通し、同時に組織の運営に長けており、さらには深い霊性を持った人物がふさわしいという意見で多くが一致している中、そのような資質を持った人物などいないという諦めも感じていました。しかし教皇レオ14世こそは、ペルーでの長年の宣教師としての働き、修道会の総長や司教としての働き、さらにはバチカンでの働きと、必要だと言われた経験を十分に持ち、アウグスチノ会という修道会の霊性にも通じています。主は自ら選ばれ、聖霊を通じてわたしたちがプレボスト枢機卿に到達するように導いてくださいました。

「聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください」

聖霊降臨の主日に、福音の前に歌われる聖霊の続唱は、この言葉で始まります。教会は聖霊によって誕生し、聖霊の働きによって育まれ、聖霊の導きによって歩み続けています。

「聖霊は教会の中に、また信者たちの心の中に、あたかも神殿の中にいるかのように」住んでいると指摘する第二バチカン公会議の「教会憲章」は、聖霊は「教会をあらゆる真理に導き、交わりと奉仕において一致させ、種々の位階的たまものやカリスマ的たまものをもって教会を教え導き、霊の実りによって教会を飾る」と教えています。その上で、「聖霊は福音の力をもって教会を若返らせ、たえず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く」とも記し(4)、教会は、「キリストを全世界の救いの源泉と定めた神の計画を実現するために協力するよう」、聖霊から迫られているとまで記します(17)。

聖霊の導きに信頼し、神の道をともに歩むことができるように、祈りのうちに身を任せましょう。

常にわたしたちの間で働かれる聖霊の導きに、心から信頼する共同体でありましょう。

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