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2025年8月15日 (金)

2025年聖母マリアの被昇天

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8月15日は、聖母マリアの被昇天の祝日です。そして、日本では終戦記念日でもあります。さらには、元々はローマの殉教者である聖タルチシオの祝日でもあります。わたしの霊名でもあり、お祝いの言葉や霊的花束を多くの方からいただきました。みなさまのお心に、感謝いたします。(上の写真はローマ某所の祭壇下にある聖タルチシオの像。下は板橋教会の聖タルチシオ像の前です)

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中央協議会のホームページので解説には、「マリアが霊魂も肉体もともに天に上げられたという教義で、1950年11月1日に、教皇ピオ十二世(在位1939~1958)が全世界に向かって、処女聖マリアの被昇天の教義を荘厳に公布しました」と記されています。全文はこちらのリンクから。なお8月15日が聖母の祝日になったことから、現在の暦では、聖タルチシオは8月12日に記念されていますが、それも近年のことですので、基本的にはもともとの8月15日をお祝いの日としています。また聖タルチシオは、3世紀頃の迫害の中で、とらわれた信徒へ運ぶご聖体を護って殉教したことから、侍者の保護の聖人となっています。

80年目の終戦記念日にあたり、戦争の犠牲となり亡くなられた数多の方々の永遠の安息のために、心から祈ります。あらためて戦争のない世界の実現のために祈り、今まさに世界の各地でおきているいのちへの暴力をやめるように呼びかけます。そして、すべての人間の尊厳が尊重される世界の実現のために祈り、語り、行動していく誓いを新たにしたいと思います。

8月6日から続いたカトリック教会の平和旬間は、今日、8月15日で終わりますが、平和への呼びかけは一年を通じて続けていかなくてはなりません。なぜなら神の望まれる世界は、いまだ実現する気配すらないからです。

以下、本日8月15日午後6時に、東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられた聖母マリアの被昇天の祝日ミサの説教原稿です。

聖母マリアの被昇天
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2025年8月15日

「神の母は、希望の最も偉大なあかし人です」

教皇フランシスコは、いままさしく行われている聖年の開催を告知する大勅書「希望は欺かない」で、そう宣言されています。

教皇は続けて、「この方を見ると、希望は中身のない楽観主義ではなく、生の現実の中の恵みの賜物であることが分かります」と記しています。聖母マリアは人生の中の出会いや体験の中で、苦しみもがきながらも神の意志に常に従い、それによって大きな恵みに到達されました。

天使ガブリエルによる救い主の母となるという驚くべきお告げの出来事に始まって、ベトレヘムへの旅路、そして宿すら見つからない中での出産。その後、成長するイエスとともに歩む人生の旅路における様々な出来事、さらにはイエスの十字架上での苦しみに最後まで寄り添うことで、「すさまじい苦しみにありながらも、主に対する希望と信頼を失うことなく、『はい』と言い続けた」聖母マリアは、地上でのいのちが終わった後に、身体も魂も、ともに天の国に引き上げられたことで、わたしたち人類すべての希望の星となりました。わたしたちひとり一人に、神の栄光に達するためには、どのように生きるべきなのかという道を指し示しているのは、聖母マリアです。その生き方に、神の前における謙遜に、そして主イエスとともに歩み続ける姿勢に、わたしたちのいのちを生きる希望の模範があります。

聖年の大勅書「希望は欺かない」で教皇フランシスコは、「民間の信心の中で、聖なるおとめマリアが「海の星(ステラ・マリス)」と呼ばれているのは偶然ではありません。この称号は、人生の荒波の中にあるわたしたちを、神の母は助けに来てくださり、支えてくださり、信頼をもって希望し続けるよう招いてくださるという、確かな希望を表しています」と記しておられます。人生の荒波を生き抜こうとしているわたしたちにとって、聖母マリアは希望の光で照らし続ける海の星であります。

聖母マリアは平和の元后でもあります。エリザベトを訪問したときに高らかに歌い上げた讃歌には、「主はその腕で力を振るい、思い上がるものを打ち散らし、権力あるものをその座から引き下ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良いもので満たし、富めるものを空腹のまま追い返されます」と、神の計画が実現された様が記されています。そこでは、この世界の常識や価値観は覆され、社会の中心ではなく周辺部に追いやられ、忘れ去られた人にこそ、神の目が注がれ、祝福が向けられていることが記されています。神の計画が実現し、神の定めた秩序が存在している世界こそ平和な世界でありますが、その平和な世界の実現を、すでに聖母マリアはマグニフィカトの中で高らかに歌い上げています。ですから聖母マリアは平和の元后であります。

聖母マリアの生きる姿勢から、教会は、社会から排除され忘れ去られて人々に目を向け、そこへと出向いていく教会であることを、つねに学び続けていると、教皇フランシスコは度々繰り返されました。

マグニフィカトの終わりには、こう記されています。

「その僕イスラエルを受け入れて、あわれみをお忘れになりません」

すなわち、神は自らが選ばれた民であるイスラエルとかつて交わした契約を忘れることなく、その業を必ずや成し遂げられると言うことです。キリストにおける新しい契約に生きている現代の神の民であるわたしたちにも、同じように、神が望まれる世界を生み出すための努力をすることが求められています。その道は、聖母マリアに倣って、神の「平和」を実現する道であります。

すべてのいのちの創造主である御父にとって、賜物として与えたすべてのいのちは、等しく愛を注ぐ対象であり、大切な存在です。賜物であるいのちは、神がそれほどの愛を注がれ、またご自分の似姿としての尊厳を与えられたからこそ、その始まりから終わりまで、すべからくその尊厳が守られ、大切にされなくてはならない存在です。わたしたちにはいのちを守り、その尊厳を守り抜く使命が与えられています。

しかし、世界全体を見れば、様々な状況の中で人間の尊厳は損なわれ、様々な方法を持っていのちに暴力が襲いかかっています。賜物であるいのちは、その始まりから終わりまで、すべての段階で、様々な暴力にさらされ続けています。社会から忘れ去られた状況の中で、かろうじていのちをつないでいる人も少なくありません。まるで価値がないものであるかのように見捨てられ、暴力的に奪われていくいのちもあります。

今この瞬間にも、例えば非人道的な攻撃にさらされているガザで、また先行きの見通せない戦争が続くウクライナで、そしてミャンマーや南スーダン、コンゴなどなど、目の前に迫るいのちの危機のただ中で、恐怖におびえながらいのちをかろうじてつないでいる多くの兄弟姉妹が存在します。あらためて、平和の元后である聖母の祝日に当たり、いのちに対する暴力を今すぐにやめ、人間の尊厳を守り抜くように、世界に向けて声を上げたいと思います。

8月6日から今日15日まで、日本の教会は、平和旬間を過ごしてきました。今年は日本が直面した最後の戦争が終わってから80年となります。この時期には、わたしたちが受けた戦争の被害に焦点が当てられますが、同時に戦争を行うことによって、多くの国、特にアジアの諸国に深い傷跡を残し、その地において多くの人のいのちを暴力的に奪ってしまったことも忘れるわけにはいきません。教皇ヨハネパウロ二世が広島でかつて言われたように、「戦争は人間の仕業です。戦争は死です」。だからこそわたしたち人間は、戦争という暴力を、再び現実としてはなりません。

どんなに時間が経過したとしても、起こった事実は変わりません。その事実を目の当たりにしたからこそ心に誓った願いは、どんなに時間が経過したとしても、変わることはないはずです。だからこそ、80年前の悲劇を記憶するこの日、わたしたちはあらためて起こった出来事の記憶を新たにし、その直後の誓いを新たにしなければなりません。過去に起こった出来事とその教訓を忘れ去ることは、時の流れを支配する神に対する不遜な行動です。

しかし近年、わたしたちは記憶が薄れることをいいことに、様々な理由をつけては、いのちに対する暴力を肯定する誘惑に駆られます。武力の行使を現実的選択だとまで言い始め、なかにはあれほどの惨禍を経験しているにもかかわらず、核武装の必要まで当たり前のことのように口にされるようになりました。

わたしたちの信仰の中心には、あの最後の晩餐の席で主イエスご自身が、「わたしの記念としてこれを行え」と命じられたように、連綿と伝え続けられている記憶があります。時間の流れの中で薄められ忘れられてはならない記憶です。記憶を伝え続けることの大切さを十分に知っているわたしたちだからこそ、教会は、平和の確立のために戦争の記憶を伝え続けることを放棄することはできません。

希望の聖年において巡礼の歩みを続けているわたしたちは、暴力による絶望をもたらす道ではなく、神の意志に従い希望を生み出す道をしっかりと見いだし、わたしたちの希望の星である聖母マリアの光に導かれながら、神の平和の実現のために力を尽くしていきたいと思います。

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