本郷教会初聖体など
2025年の日本における「被造物を大切にする世界祈願日」にあたる9月7日、東京都内の本郷教会で主日ミサを捧げ、またそのミサの中で四名のお子さん方が初聖体を受けられました。
本郷教会は、現在は関口教会の主任である小池神父様が兼任されています。
またその前の週末、9月6日の土曜日には、午前中、下井草教会において、礼拝会(聖体と愛徳のはしため礼拝修道女会)のシスター・マリア・グエン・ティ・トゥイ・ハンさんが終生誓願式が行われました。東京教区内におられる様々な修道女会のベトナム出身のシスター方を始め、多くの方が参加されました。おめでとうございます。
さらにその土曜日の夕方には、東京カテドラル聖マリア大聖堂において、聖年の行事として国際ミサが捧げられました。ミサは基本的に英語で行いわたしが司式、説教をアンドレア司教様が担当、さらに教皇大使と、折から来日中のオロリッシュ枢機卿様も参加されました。
大聖堂は、折りたたみの椅子も使って千人近い人が集まっていたと思います。様々な国や文化を背景とする人たちが集まり、最後の派遣の祝福後には全員で、いろいろな言葉で聖年のテーマソングを合唱して、この日のミサを終わりました。集まってくださった見さんありがとうございます。
以下、日曜の本郷教会でのミサ説教を録音から文字にしたものです。
カトリック本郷教会
被造物を大切にする世界祈願日ミサ
2025/09/07教皇フランシスコが、2015年に「ラウダート・シ」という文書を出されたのは、ご存じだと思います。教皇様の文書というのは、想像していただければ判る通り、自分で全部書くわけではありません。あれだけの文書を、次から、次から教皇様がひとりで書くのは無理ですから、基本的に教皇様のオリジナルのアイディアを受け取った人が原案を書き、それを教皇様が手を加え、また書き直す。そうした作業を繰り返し続けることによって、出来上がって行きます。
この文書に書かれていることの大半は、いわゆる環境問題への取り組みです。気候変動、温暖化などに関連する環境問題に、教会と世界がどう取り組むべきかが書かれていますが、留意すべきことは、なぜ教皇フランシスコがそういった文書を出そうと考えたのかであります。
2013年に教皇に選出されて、教皇フランシスコが最初にしたことは、地中海のアフリカに近いところに浮かんでいる、ランペドゥーザという島へ出かけ、そこに辿り着いたアフリカからの難民の人たちと会って、ミサを捧げたことです。そこで、無関心のグローバル化がいのちを奪っていると訴えました。
多くの人の利己的な無関心が、ここでいのちを奪っているのだと。忘れ去られている人たちが、これだけ多くいるんだと。いのちをこのように粗末に扱われるのは、許されないことなのだと。なぜならば、いのちは神からの賜物として私たちに与えられた、恵みなのだから。その恵みを、無視して危険に晒すようなことを、わたしたちはしてはならないと強調されたのです。
いのちを守るというと、まず思い浮かぶのは、平和の問題ですね。戦争をやめましょう。または、経済的な問題。世界経済のシズテムの中で格差が広がり、いのちを奪われて行く貧しい人たちがいるのだと。特に教皇フランシスコは、南米出身の方ですから、南米の様々な現実の中から、そういう思いを深めて行ったのは当然です。そういったことを突き詰めていけば、当然ですが、すべてのいのちを守ることの大切さに行き着きます。
神が作られた被造物の中の一番最高の賜物であるいのちを大切にするのであれば、それ以外のすべての被造物、つまりいのちが生きるために、この神が賜物として与えられたいのちが、より良く生きるような状況を作り出すために生み出されたすべての被造物も、大切にしていかなくてはならない。
わたしたちは、何もない真空状態の中で、いのちを生きているわけではなくて、すべての被造物に囲まれている中で、賜物であるいのちを生きているのですから、当然の帰結として、いのちの大切さを訴えるのであれば、この世界のすべて、すべての被造物、教皇様は「わたしたちの共通の家」という言い方をされましたけれども、この「共通の家」を大切にするということが、とても重要なのだ。ですから当然の帰結として行き着いたのが、あの「ラウダート・シ」であります。
すでに東方教会では、9月1日を被造物を大切にする日として、以前から祝っていました。東方教会からの呼び掛けに応えて、教皇フランシスコは、カトリック教会も東方教会と共に、9月を被造物を大切にすることを祈り行動するときにしようと決意されました。
その時期のことを「被造物の季節」という言い方をしますけれども、9月1日から、まさしく「ラウダート・シ」という言葉を発したアッシジの聖フランシスコの記念日である10月4日までの期間を、被造物を大切にする祈りの時としましょうと教皇フランシスコは呼びかけられました。
9月1日を被造物を大切にするための世界祈願日と定められましたが、日本の教会では、その次の日曜日に、被造物を大切にするための世界祈願日を祝います。お祝いをするというよりも、私たちに与えられている、この大切な、神が与えてくださった恵みを、どのように護り活かしていくのかを考える日です。それが今日ですね。
ですから、その「ラウダート・シ」という文書やそれに込められた教皇フランシスコの思いは、みなが環境活動家になれということではないのです。もちろん活動かも必要です。声をあげて権力を動かしていくような、そういう環境のための政治的活動をしていく人たちも必要ですし、実際に、地道に自分の生活の周辺で様々に、環境を良くするための活動に取り組む人も必要です。ですが、実際に教皇フランシスコが一番、大切なこととして求めていたのは、わたしたちの回心です。
「エコロジカルな回心」という言葉を教皇フランシスコは使いますけれど、「エコロジカルな回心」、つまり、このすべての被造物の調和の中で、人間のいのちはありとあらゆる被造物に取り囲まれている。この多様性における調和の中で、いのちを生きる一人ひとりがいのちの与え主に心をまっすぐ向けなくてはならない。それを「エコロジカルな回心」と呼びました。
何を回心するのかといえば、それは、先ほど朗読された福音にあったように、神と富と両方に仕えることができないんだと。だから、神に仕えなさい。富ではなくて神に仕えなさい。その二つの選択のうち、中間はないよと。どちらかを選択しなければならない。そのときに、神を選択するために、自分の心を神に向かって回しなさい。回心しなさい。一体どこを見ているのだ、見ている方向を、神に向けなさい。
あの分厚い「ラウダート・シ」という本を読んでいると、最後の方は、ずっとそういう温暖化や環境問題や気候変動について書かれているので、興味がないと途中でやめてしまうのですが、その終盤で、「エコロジカルな回心」の話が始まるんですね。その信仰的な側面が、教皇フランシスコがわたしたちに伝えたかったことなのです。
そして、そこからさらに道は切り開かれ、「ラウダート・シ」からの当然の続きとして、その精神を深めて、「シノドス的な教会」という概念へと繋がっていきました。
「エコロジカルな回心」は、個人的な問題ではないのです。それは、みんなで一緒になって支え合いながら、ふさわしい道を、祈りのうちに識別をしながら歩んで行く、そういう道のりなのです。だからそのこと自体がシノドス的な教会に繋がるのです。
一人ひとりの個人的な責任に期待していたのでは、この環境を、この神が与えてくださった「共通の家」を守ることはできない。みんなが共になって守っていかなければならない。そうしなければ、環境も、そしてひいては人間のいのちも、守ることはできない。だから「シノドス的な教会」になることが大切なのだと繋がって行きます。
ですから、「シノドス性」というのは、教会の組織改革をしようだとか、民主主義的な教会にしようとかという話では、ありません。そうではなくて、教皇フランシスコの、最初に難民の人たちと出会って、いのちを大切にするところから始まり、被造物、私たちが住む「共通の家」を大切にし、さらにそのためには、一緒になって歩んで行かなければならない、だからシノドス的な教会なのだという、一本の線がずっと繋がっているんです。
教皇フランシスコご自身に言わせると、それは自分が考えたことではなくて、第二バチカン公会議が考えたことだと。自分は、第二バチカン公会議の考えたこと、目指したことを実現しようとしているだけなんだ、ということもおっしゃいました。
そして、教皇フランシスコが亡くなられて、教皇レオ14世が新しく選ばれました。数日前に、カステル・ガンドルフォに、夏の休暇などに行く教皇様の離宮があるんですけれども、そこにエコロジーを実践するラウダト・シ・庭園を新しく作って、そこで被造物を大切にする意向でミサを捧げられました。今日わたしたちが使っているのと同じ祈りです。教皇フランシスコの敷いた道を引き継いで、同じように、私たちの「共通の家」を大切にして行くのだと、教会の中で大切なものとして、引き継いで行こうと、宣言されました。
日本の教会にとっては、それとはまた別に、2019年に教皇フランシスコが日本に来てくださったことを記念し、9月1日から10月4日までを、訪日のテーマにちなんで「すべてのいのちを守るため」の月間と定めています。
いのち守る話になると、すぐに平和の問題となってしまいますが、平和問題というのは戦争のことに始まって、環境問題も含め、すべてのいのちを守ること、つまり総合的なことであります。
総合的、インテグラルという言葉が教皇フランシスコは大好きで、全てを包み込んだ、すべてを含めた、この「共通の家」、私たちの「共通の家」の中で、すべてのいのちを大切にするんだ、被造物を大切にするんだ、というところに、一本の線で繋がって行くテーマです。
今年はこの世界祈願日のための新しい典礼もできあがり、日本語の翻訳もなんとか間に合って、こうして一緒に被造物を大切にするための特別なミサを捧げることができるようになりました。これからも私たち一人ひとりが、環境問題はもちろん大切なことなので取り組んでいただきたいですが、それ以上に、イエスからの問いかけ、つまり「選ぶのはどっちなんですか?神ですか?この世の富ですか?」という問いかけに自信を持って、「神様です」と答えることができるように、心を整えて行きたいと思います。
今日、四人の方が一番前に座っておられて、初聖体を受けられます。
初聖体を受けるというのは、「神様ですか?この世の富ですか?」という問い掛けに対して、「神様です」自信を持って皆さんの前で応えることでもあります。私にとって、神様が大切なんです、神様が私にとって一番なんですと、今日ご聖体を受けることによって、皆さんの前で宣言する。ですからどうか、これを、これから先もずっと、自分の心にしっかりと留めて、守って行っていただきたいと思います。
イエス様ご自身が、神様ご自身が、ご聖体を通じてそれぞれの皆さんの心の中にしっかりと来てくださる。ご聖体は最後の晩餐の時に、イエス様が弟子たちと、明日はもう別れて行くという、もうこれでこの弟子たちと一緒に食事をすることはない、「私のことを忘れないでくれ、私が語ったことを忘れないでくれ、私がしたことを忘れないでくれ」という、そのすべての思いを込めたものです。
このパンはわたしなのだ。このパンを食べるたび、この盃を飲むたびに、私のことを思い起こしなさい、告げ知らせなさいと、弟子たちに命じて残して行かれた、それがご聖体です。
ご聖体はイエス様ご自身です。イエス様ご自身をいただいて、このイエス様の思い、私を忘れるなという思いを、しっかりと心に刻んで、常に神様の方を選んで、歩んで行くことができるようにしたいと思います。
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