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2025年12月28日 (日)

2025聖年閉幕ミサ@東京カテドラル

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世界中の各教区で、本日、聖家族の主日に、聖年閉幕ミサが捧げられています。

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東京教区では、本日12月28日午後3時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、閉幕ミサを捧げました。

以下、本日ミサの説教原稿です。

2025年聖年閉幕ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2025年12月28日

教皇フランシスコによって、昨年12月24日にバチカンの聖ペトロ大聖堂入り口右手にある聖年の扉が開かれ、2025年聖年が始まりました。そのテーマは、「希望の巡礼者」であります。

それから一年、世界中の各教区の司教座聖堂では、本日聖家族の主日にミサを捧げ、聖年の閉幕に感謝を捧げるように求められています。その後、年明けの2026年1月6日に、聖ペトロ大聖堂の聖年の扉が教皇レオ14世によって閉じられることで閉幕となります。

教皇フランシスコは聖年開幕を告げる文書の中に、「キリスト者の希望の光が、すべての人に向けられた神の愛のメッセージとして、一人ひとりに届けられますように。教会が、世界のあらゆる場所でこの知らせを忠実にあかしすることができますように」と、この一年の聖年への期待を記されていました。果たしてこの一年、わたしたちは希望の光をすべての人に届けることができたでしょうか。

教皇フランシスコは、同じ文書の冒頭で、教会は「希望を神の恵みからくみ取ることに加え、主がわたしたちに差し出す、時のしるしの中にも希望を再発見するよう招かれて」いると強調されました。その上で教皇様は、「聖年の間にわたしたちは、苦しい境遇のもとで生きる大勢の兄弟姉妹にとっての、確かな希望のしるしとなるよう求められます」と、教会全体がいのちの危機に直面する多くの兄弟姉妹に手を差し伸べともに歩む教会であるようにと招かれていました。

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聖年のロゴには四人の人物が描かれています。それは地球の四方から集まってきたことを象徴し、全人類を表現しているといわれます。全人類を代表する四人が抱き合う姿は、すべての民を結びつける連帯と友愛を象徴しています。さらに先頭の人物は十字架にしっかりと捉まっています。皆の足元には人生の旅に立ち向かう困難の波が押し寄せていますが、長く伸びた十字架の先は船の「いかり」となり、信仰の旅を続ける四人が流されてしまうことのないように支えています。人生の道をともに歩むわたしたちに、十字架の主が常に共にいてくださり、荒波に飲み込まれ流されることのないように支えてくださっていることを象徴するこのロゴマークは、まさしくいま教会が追い求めているシノドス的な教会のあり方を象徴しています。シノドス的な教会は、わたしひとりが希望の光を届ける者となるのではなく、教会共同体全体が希望をもたらす巡礼者として、この世界を共に旅する者となることを求めています。

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バチカンの聖ペトロ大聖堂前の広場左手に、大きなブロンズの群衆像が設置されています。何人もの人が固まって立ち尽くす姿は、ボートに乗って避難する人々の姿だと言われています。その群衆像のタイトルは英語で、「Angels Unawares」と呼ばれています。その意味するところは、ヘブライ人への手紙13章2節に記されている次の言葉です。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」

 「気づかずに天使たちを」というのがその群衆像の名称です。ボートの上に立ち尽くす様々な人たちの真ん中に、天使の羽が見えています。よく見るとボートの右側側面には、大工道具を持った男性が幼子を抱えた女性と一緒に立っている姿が見えます。それが聖家族だと言われています。

本日は聖家族の主日でしたが、本日の主日の福音は、幼子が誕生した馬小屋での希望と平和に満ちた情景ではなく、父ヨセフが、「子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」と天使からのお告げを受けて、いのちを守るために必死に行動した様子を記しておりました。広場におかれたこの群衆像は、安全を求めて避難する多くの人たちの姿を描き、その人たちへの心配りを忘れてはならないことを明示するために制作されています。

長年、他の彫刻がおかれることのなかった聖ペトロ広場にこの群衆像を設置するように命じたのは、教皇フランシスコです。絶望の淵にあって希望を求めて旅を続ける人々の中には、天使も、そして聖家族も、すなわち主ご自身がおられるのだということを、あらためてわたしたちに自覚させるためでありました。救いを求め、安全を求め、不安の内に旅を続ける人々に、手を差し伸べるようにと促す教皇フランシスコの思いでありました。

2023年10月19日、シノドス第16回総会の第一会期中に、教皇フランシスコは参加者全員をこの群衆像の前に集め、祈りの集いを行われました。その祈りの集いで、教皇フランシスコはこう述べておられます。

「よきサマリア人のように、私たちはこの時代のすべての旅人にとっての「隣人」となるよう、彼らの命を救い、傷を癒し、痛みを和らげるよう呼ばれています。悲劇的なことに、多くの人々にとっては手遅れであり、私たちは彼らの墓、もし墓があるとしても、その前で泣くことしかできません。あるいは、地中海が彼らの墓となってしまいます。しかし、主は彼ら一人ひとりの顔を知っておられ、それを忘れることはありません」

その上で教皇フランシスコは、難民の保護に関してご自身が何度も繰り返された四つの行動、すなわち「受け入れ、保護し、推進し、統合する」を繰り返し、教会はそれを実行する存在でなければならないと強調されました。

今日、聖家族は、共に歩く誰かを必要としています。主ご自身がその中で、誰かの心が向けられること、そして手が差し伸べられることを待っています。人と人との心からのかかわりこそが、希望を生み出すために不可欠です。

暴力が支配し、いのちを危機にさらす世界は、絶望を生み出す暗闇であります。わたしたちの世界は、いま、暗闇を打ち破り絶望を取り去る希望を必要としています。わたしたちはこの聖年が終わったからと言って、希望をもたらす巡礼者であることをやめるわけではありません。いまの世界には希望が必要です。多くの人の心に、希望をもたらす業を続けていきましょう。

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教皇フランシスコは、聖年開幕の文書の最後に、次のように記されています。

「今より、希望に引き寄せられていきましょう。希望が、わたしたちを通して、それを望む人たちに浸透していきますように。わたしたちの生き方が、彼らに「主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(詩編27・14)と語りかけるものとなりますように。主イエス・キリストの再臨を信頼のうちに待ちながら、わたしたちの今が希望の力で満たされますように」

わたしたちは希望の巡礼者です。わたしたちはこれからも希望の巡礼者として、歩みを続けて参りましょう。

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2025年12月27日 (土)

週刊大司教第238回:聖家族の主日A

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暦の上での今年最後の主日は聖家族の主日です。

そして今日、世界中の教区で、聖年の閉幕ミサが行われます。希望の巡礼者としてのわたしたちの歩みは終わることはありません。これからもいのちを生きる希望を多くの人に証ししていくたび日であり続けたいと思います。

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今日の週刊大司教のメッセージの中で、バチカンにおかれている群衆像について触れています。ボートの上に乗って避難する多くの人を守るように、その中に天使の羽が見えています。そして真ん中あたりには、大工道具を持った男性と子どもを抱えた女性の姿があります。聖家族です。

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メッセージでも触れましたが、2023年10月のシノドスの最中に、教皇フランシスコは、シノドス参加者を招いてここで夕べの祈りを捧げ、いのちを守るために旅を続ける人に手を差し伸べる様にと呼びかけられました。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第238回、聖家族の主日のメッセージです。なお週刊大司教は、来週はお休みで、1月11日から再開です。

聖家族の主日A
週刊大司教第238回
2025年12月28日

バチカンの聖ペトロ大聖堂前の広場左手に、大きなブロンズの群衆像が設置されています。そのタイトルは英語で、「Angels Unawares」と呼ばれています。その意味するところは、ヘブライ人への手紙13章2節に記されている次の言葉です。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」

「気づかずに天使たちを」というのがその群衆像の名称です。それはボートの上に立ち尽くす様々な人たちの姿で、その真ん中に天使の羽が見えています。よく見ると真ん中に、大工道具を持った男性が幼子を抱えた女性と一緒に立っている姿が見えます。そう、聖家族です。

本日の福音は、幼子が誕生した後、父ヨセフが、「子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」と天使からのお告げを受けて行動した様子が記されていました。広場におかれたこの群衆像は、安全を求めて避難する多くの人たちの姿を描き、その人たちへの心配りを忘れてはならないことを明示するために制作され、教皇フランシスコによってそこに置かれています。絶望の淵にあって希望を求めて旅を続ける人々の中には、天使も、そして聖家族も、すなわち主ご自身がおられるのだということを、あらためて自覚させる群衆像です。

2023年10月19日、シノドス第16回総会の第一会期中に、教皇フランシスコは参加者全員をこの群衆像の前に集め、祈りの集いを行われました。その祈りの集いで、教皇フランシスコはこう述べておられます。

「よきサマリア人のように、私たちはこの時代のすべての旅人にとっての「隣人」となるよう、彼らの命を救い、傷を癒し、痛みを和らげるよう呼ばれています。悲劇的なことに、多くの人々にとっては手遅れであり、私たちは彼らの墓、もし墓があるとしても、その前で泣くことしかできません。あるいは、地中海が彼らの墓となってしまいます。しかし、主は彼ら一人ひとりの顔を知っておられ、それを忘れることはありません」

その上で教皇フランシスコは、「受け入れ、保護し、推進し、統合する:これが私たちが実行しなければならない働きです」と呼びかけられました。

今日、聖家族は、共に歩く誰かを必要としています。主ご自身がその中で、誰かの心が向けられること、そして手が差し伸べられることを待っています。

神のことばである幼子イエスは、家族のうちに誕生しました。幼子イエスは、聖ヨセフと聖母マリアによって大切に育てられ成長していきました。聖なる家族が救いの歴史において重要な役割を果たしたという事実が、家族という存在の持つ役割の大切さを教えています。現代ではさまざまな形態の家族が存在するとは言え、人と人との繋がりの中で、互いに支え合い助け合う連帯の心を育む場として、家族という共同体は重要な意味を持っています。

同時に、いのちの危機に直面し、助けを求めている家族も多く存在しています。その危機は紛争や政治や経済に起因する暴力によってもたらされ、家族を崩壊の危機に追い込みます。

神からの賜物であるいのちが、当然のように守られる世界を目指したいと思います。

 

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2025年12月24日 (水)

主の降誕、おめでとうございます

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降誕祭にあたり、みなさまにお喜びを申し上げます。

みなさまにとって、またみなさまのご家族や友人のみなさまにとって、希望の光が心にともされるクリスマスとなりますように。

以下、本日午後7時半、東京カテドラル聖マリア大聖堂での主の降誕夜半ミサの説教原稿です。

主の降誕(夜半のミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2025年12月24日

暗闇に輝く小さな光は、わたしたちの希望の源です。闇が深ければ深いほど、たとえどんなに小さな光でも、わたしたちの心には安心が芽生えます。心の安心は不安と絶望からわたしたちを解放し、心に希望が生まれます。暗闇に輝く小さな光は、わたしたちの希望の光です。

暗闇がもたらす絶望は、わたしたちが前に進もうと一歩を踏み出す勇気を心から奪い去ります。絶望は不安を恐怖に変えてしまいます。恐怖にとらわれた心は、未知の世界へと歩みを進めるよりも、勝手知ったる過去の体験へと戻ることを促します。

幼子イエスの誕生を記す福音には、暗闇の中で羊飼いたちに希望と喜びのメッセージを伝える天使たちの言葉を記しています。天使は「恐れるな」と、闇の中で絶望にとりつかれ、前に進む勇気を失った世界に対して、恐れを取り除く希望の光が与えられたことを告げています。

「恐れるな」と言う天使の言葉は、今宵、この暗闇の中、イエスの誕生を記念して集まったわたしたちにも向けられています。暗闇に輝く小さな光は、恐れを取り除き、闇に打ち勝ち、まだ知らない未来に向かって歩みを進める勇気を生み出す、希望の光であります。クリスマスは、わたしたちが生きる希望を取り戻すために恐れを打ち破る勇気を心にいだく日でもあります。

この夜、誕生したばかりの幼子は、父と母と共に旅の途上にありました。加えてその日、この聖なる家族には、安心して泊る場所さえなかったと福音は伝えています。心の安まらない暗闇の状況で不安を抱える父と母。その家族に新しいいのちが誕生します。この状況の中で、いのちの誕生という人生における重大な出来事に直面したときに、この聖なる家族が抱えた不安は、どれほどだったことでしょう。助けてくれる知り合いとて見つからない旅の途中で、どれほどの不安を抱えていたことでしょう。

その不安を打ち払うために、神が用意されたのは、宿でもなければ食事でもなく、ともに歩む兄弟姉妹との出会いでありました。それこそが、あの夜、羊飼いたちにイエスの誕生の知らせがもたらされた一番の理由です。孤独と不安を打ち破る、共に喜びを分かち合う兄弟姉妹の登場です。闇を打ち破り不安と絶望を払拭する希望は、ともに歩む兄弟姉妹との出会いの中で生まれてきます。いのちを生きる希望は、ともに歩む兄弟姉妹との出会いの中で生まれます。

教皇レオ14世は12月14日、聖年の行事の一つである受刑者の祝祭ミサで説教し、次のように強調されました。

「だれ一人として失われることがありませんように。すべての人が救われますように。これこそが神の望みです。これこそが神の国です。これこそが世における神の業の目的です。降誕祭が近づく中で、わたしたちも揺るぎない決意と信頼をもって、ますます強く神の抱く夢を抱こうではありませんか。わたしたちはどんな困難を前にしても一人きりではないことを知っているからです。主はすぐ近くにおられます。主はわたしたちとともに歩まれます。主がわたしたちのそばにおられるとき、つねに何かすばらしいこと、喜ばしいことが起こるのです」

聖母マリアと聖ヨセフ、そして誕生したばかりのイエスという聖家族は、いのちをつないでいくことに不安を感じていました。暗闇の中で光を求めていました。その光は天使たちによって、そして天使に導かれた羊飼いたちによって聖なる家族にもたらされました。

同じように不安を抱え、心細さのなかで不安を抱えながら旅を続ける家族が、いまの世界にはどれほどいることでしょう。暴力的な出来事に直面し、闇の中をさまよっているいのちが、一体どれほどあることでしょう。誰も助けてくれない。どこにも頼る人がいない。孤独の闇の中で、希望を失い、絶望に支配されているいのちがどれほどいることでしょう。

しかし神は、「だれ一人として失われることがありませんように。すべての人が救われますように」と願っています。その神の願いを実現するためには、暗闇の中で光を届ける人が必要です。ともに歩もうとする人が必要です。いのちをまもるためによりそい、手を差し伸べ、光を届ける人が必要です。

紛争の地にあって、毎日のいのちの危険から逃れるために、旅に出ざるを得なかった人。政治の対立に翻弄されて、生きる場を失った人。国際関係の波間で、人間の尊厳を奪われ、自らの意思に反して旅に出ざるを得なかった人。厳しい経済環境の中で、生きるために旅に出る選択をせざるを得なかった人。愛する家族と一緒になるため、愛する人と一緒に生きていくために、法律の枠を超えて旅に出る人。多くのいのちが、先行きの見えない暗闇の中で、さまよっています。光を求めています。希望を求めています。

自分の存在を忘れられ、孤独のうちに取り残されるとき、人はいのちを生きる希望を失います。世界各地に広がる紛争の現場や、災害の現場や、避難民キャンプや、経済的に困窮する社会の現実の中で、多くの人が「わたしたちを忘れないで」と叫んでいる、その声が耳に響いてこないでしょうか。 

クリスマスのお祝いは、明るいイルミネーションに照らされることで、なにやら明るく楽しいイベントになっていますが、その理由は、暗闇の中で輝く光が、心の不安を打ち破り希望を生み出す力となることを実感するために他なりません。喜びは、多くの人と分かち合う喜びであってほしいと思います。光は多くの人と分かち合われる光であってほしいと思います。ひとり一人の心に芽生える希望は、最大の希望、すなわち神の救いへと繋がる希望であってほしいと思います。

教会は、人間のいのちは神からの賜物であると信じています。聖書の冒頭、創世記に記された天地創造の物語から、人のいのちには神の似姿としての尊厳があり、またそれは「互いに助け合う者」として創造されたと信じています。そうであるならば教会は、神からの賜物であるいのちを守り抜く存在として、社会の中で率先して共に歩む存在でありたいと思います。暴力を持っていのちを危機にさらす紛争が勃発する社会に対して、互いの尊厳をまもり、違いを尊重し、弱い存在を支え、声なき声に耳を傾け、誰ひとりとして排除されることなく、忘れ去られることのない世界を実現するために、共に歩みを続ける教会でありたいと思います。

クリスマスおめでとうございます。この喜びを、希望を、一人でも多くの人と分かち合うことができますように。共に希望を心に抱いて、最大の希望である神に向けて、ともに歩んでいくことができるように、常に努力を続けるものでありましょう。

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2025年12月20日 (土)

週刊大司教第237回:待降節第四主日A

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待降節の最後の週に入り、まもなくクリスマスです。どうか良いクリスマスと、祝福に満ちた年末年始をお迎えください。

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目黒教会では毎年恒例の降誕祭に向けたノベナミサ、シンバンガビが行われています。本来は早朝のミサということですが、日本の社会事情を考慮して、前晩、午後7時から行われます。わたしは12月15日月曜のミサを司式。翌日は教皇大使、三日目はアンドレア司教様です、その後、いろいろな神父様につながれて。降誕祭への準備が進められています。ミサは英語でしたので、主にフィリピン出身の皆さんを中心に、聖堂には一杯の方が集まり、ミサに与られました。

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なおすでにご案内かと思いますが、聖年の閉幕ミサが、世界中の教区で、12月28日の聖家族の主日に捧げられることになっています。その後、1月6日、公現の祝日に教皇様が聖ペトロ大聖堂の聖年の扉を閉めることによって、聖年は正式に閉幕となります。このスケジュールは、聖年のはじめから決まっていたものです。

東京教区では、12月28日午後3時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、わたしが司式して閉幕ミサを行います。

12月28日から1月6日までの間、つまり年始年末に聖年は終わっているのか続いているのか、お問い合わせがありますが、一応、それぞれの教区では12月28日で閉幕です。しかしながら、教会全体としては1月6日が聖年の最後の日です。ロゴやスタンプなどは、1月6日までとされてください。なお聖年のテーマソングを歌い続けること自体には何も問題ありませんので、ミサなどで使いたい場合は、遠慮なく歌ってください。聖年が1月6日の教皇様による閉幕の後であっても、歌っていただいて何も問題はありません。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第237回、待降節第四主日のメッセージです。

待降節第四主日A
週刊大司教第237回
2025年12月21日

降誕祭を目前にした今日、典礼は霊的な準備の仕上げをするかのように、わたしたちに「神は我々と共におられる」ことを、繰り返し伝えます。

イザヤの預言はまさしく「おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と記します。マタイ福音はこのイザヤの予言を引用しながら、イエスの誕生の次第を記しています。

神は、わたしたちと共におられます。神がわたしたちひとり一人と歩みを共にしてくださるのですから、当然神を信じるわたしたちは兄弟姉妹として、ともに歩みます。シノドス的教会です。ともに歩む神の民です。その中心には、インマヌエル、神が共におられます。

救い主の母となることを天使に告げられた聖母マリアが、その事実を冷静に受け止め、謙遜のうちにたたずみ、しかし同時に他者を助けるために行動したように、夫であるヨセフも、天使によって告げられた神の思いを受け止め、それに信頼し、謙遜のうちに行動します。この二人の謙遜さ、勇気、そして神への信頼における行動の選択があったからこそ、救い主の誕生が現実のものとなりました。

「天よ、露をしたたらせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開いて救い主を生み出せ」

今日の典礼の入祭唱に記されるイザヤ書の言葉は、わたしたちがもっとも待ち望んでいること、すなわち救い主の誕生を直接言及しています。主の降誕を待ち望んでいるわたしたちは、雲が露をこの地上にしたたらせるように、神の恵みがわたしたちを包み込み、そのわたしたちの間から救い主が誕生するのだと言うことを確信しています。

天から露のように降り注ぐ神の恵みは、それを受けた人の謙遜さ、勇気、信頼を通じた行動によって、初めて実を結びます。わたしたちの決断と選択と行動が伴わなければ、神が豊かに降り注がれているその恵みを、わたしたちは無駄にしてしまいます。神が人となられともに歩まれたように、わたしたちも既成の概念にとらわれることなく殻を破り、神がそうされたように、ともに歩み支え祈り合うこと、すなわちシノドス的な教会共同体を構成することが、まさしくいま求められています。

暗闇の中を希望を求めてさまようわたしたちは、一つのことを確信しています。それは、神がわたしたちとともにおられるという確信です。見捨てられることがないという確信です。神はご自分が愛を込めて創造された賜物であるいのちを見捨てることは決してない。常にわたしたちとともに歩んでくださる。旅する神の民の真ん中に、御聖体とみ言葉を通じて、主は現存される。その確信がわたしたちに希望をもたらします。共におられる神は、わたしたちの希望です、わたしたちは、その希望を掲げ分かち合うために巡礼の旅路を続ける、希望の巡礼者です。

間もなく降誕祭を迎えます。主がわたしたちと共にいてくださる事実を、降誕祭の喜びのうちにあらためて黙想し、主への信頼のうちに、その希望の光を暗闇の中でともに掲げて巡礼者としての旅路を歩み続けましょう。

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2025年12月13日 (土)

週刊大司教第236回:待降節第三主日A

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待降節は後半に入り、主の降誕に焦点が当てられます。

待降節前のノベナが行われる教会もあることだと思います。重要な典礼上の祝日や、意向のために、九日間連続で祈りをささげることを、「九」のラテン語からとってノベナと呼ばれており、様々な機会にノベナが行われます。かつて修道会で生活をしていた頃には、特に神学院共同体でクリスマス前のノベナを晩の祈りに行っていましたが、小教区などでは、主にフィリピン出身の信徒の共同体が、シンバンガビと呼ばれるクリスマス前のノベナを行っています。フィリピンでは早朝に行われると伺いましたが、東京教区内のいくつかの小教区では、夕方に行われています。メッセージでも触れましたが、私も毎年、目黒教会で晩7時に行われているシンバンガビのミサを一度は捧げるようにしています。英語ミサですが、よろしければご参加ください。今年は12月15日の夜7時が、私の司式です。

今回の香港教区創設80年のお祝いの機会に、香港で働く30名ほどの神言会会員と出会うことができました。香港の司祭養成共同体は郊外の3階建て一軒家の半分を改装して設置されていましたが、このたび隣の部分も購入でき、一棟すべてを共同体に使うことができるようになったそうです。30年来の悲願だったとのことでした。

共同体との昼食後に、数名と一緒に香港郊外の塩田梓島を訪問することができました。釣り客相手の店やシーフードレストランが並ぶ港でモーターボートをチャーターして海を渡り、10分ほど。

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1875年に創設された神言会の最初の中国宣教師であった聖ヨゼフ・フライナデメッツが、中国本土に向かう前にこの島に渡り、1879年に聖堂を建て、二年間司牧をされた地です。1881年に聖人は山東省に移動市、その後中国本土の宣教で活躍されました。150年近い歴史を持つ聖堂は、史跡として指定されているとのこと。

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いまではこの島に住む人はいなくなったものの、塩田事業は続いており、また聖堂は香港教区の巡礼地として大切にされているとのこと。下の写真は、かつて聖人が住んでいた司祭館の跡地に据えられている聖ヨゼフ・フライナデメッツの像です。

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島の船着き場も新しく立派なものでした。

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以下、本日午後6時配信、週刊大司教第236回め、待降節第三主日のメッセージです。

待降節第三主日A
週刊大司教第236回
2025年12月14日

待降節は後半に入ります。前半の二週間は、キリストの再臨、すなわち世の終わりに向けて、過去のしがらみにとらわれずに、謙遜に神の呼びかけに耳を傾け心を向け、回心することに焦点が当てられました。

待降節の後半は、主の降誕を待ち望む喜びに焦点が当てられます。教会の伝統は、大きな祝日や重要な願いのために、九日間の祈りを捧げることを勧めてきました。ノベナの祈りと呼ばれます。東京教区を始め日本の教会にはフィリピン出身の信徒の方が多くおられますが、フィリピンの教会では降誕祭前のノベナの早朝のミサと祈りが捧げられ、シンバンガビと呼ばれています。その伝統も今週から始まります。東京教区でもフィリピン出身の信徒の共同体がある教会では、早朝よりも夕方にこのミサが捧げられており、私も毎年、目黒教会で夕刻に行われるシンバンガビのミサを司式しています。今年は15日の月曜に目黒教会で英語ミサを捧げる予定です。主の降誕という大きなお祝いの喜びをさらに大きな喜びとするために、それぞれの形で喜びのうちにノベナの祈りを捧げることはふさわしい準備ではないでしょうか。

そしてその準備が始まる待降節第三主日は喜びの主日とも呼ばれ、ミサの入祭唱には、フィリピ書4章から、「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる」と記されています。典礼では教会によってはバラ色の祭服が使われることもあります。降誕祭を間近に控えて、主とともに歩むという喜びを、しっかりと心に刻む主日です。

マタイ福音は今週も洗礼者ヨハネについて記しています。福音では、イエスが、ご自分が示される栄光と救いの業におけるヨハネの役割について語っています。

ヨハネが預言者として人々に伝えたことは、イエスご自身の業によってあかしされました。イエスはそのことを、「見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」とヨハネの弟子に指示することで、洗礼者ヨハネが果たした役割の偉大さをあらためて確認します。そしてこれまで道しるべとして救い主に至る道を示してきたヨハネに代わり、ご自分の言葉と行いこそが救いのしるしであり、それに躓くことのないようにと呼びかけます。

教会は洗礼者ヨハネに倣い、現代世界の中で預言者としての役割を果たし続けています。教会は、自らが信じる神の言葉を具体的に明かしするものであろうとしています。それはイエスにこそいのちを生きる希望があるからであり、その希望を、神が賜物として与えられたいのちを生きるすべての人に分かち合いたいと願っているからに他なりません。願っているだけではないのです。それが私たちの使命です。

わたしたちは、主イエスの福音を具体的に生きるとき、喜びに満たされ、いのちを生きる希望を抱きます。希望はものではありませんから、はいどうぞと分かち合うことはできません。私たちは人との出会いを通じて言葉と行いで希望をあかしし、希望の種が出会う人の心に蒔かれるように努めます。

絶望や、悲しみや怒りではなく、喜びのうちに福音を告げ、希望をあかしするものであり続けましょう。

香港滞在中に訪問した神言会共同体で、インタビューを受けましたので、それも紹介します。冒頭の紹介は中国語で英語字幕、インタビュー自体は英語です。

 

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2025年12月11日 (木)

香港教区80周年記念行事@香港

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香港に使徒座管理区が創設されたのは、1841年のことです。その後1874年に使徒座代理区に昇格し、教区として独立したのは1946年4月11日。来年で80年となります。

司教座聖堂は香港島の丘の中腹に建つ無原罪の聖母教会。聖堂としては第三代目となる現在の司教座聖堂は、1883年に礎石が定められ、1888年にオープンしていますから、ほぼ140年の歴史を持っています。

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香港教区ではカテドラルの祝日である今年の12月8日から、教区の80周年行事を始め、来年に至るまで、様々な行事を計画しておられます。その80周年を開始する無原罪の聖母の祝日ミサに香港教区長スティーブン周枢機卿様からお声がけいただいて、参加させていただきました。

またこれに合わせて香港教区では12月6日の夜に聖歌隊フェズティバルを計画し、普遍教会の一致をシンボライズするために、関係のある世界各地から聖歌隊を招聘されました。参加したのは香港、台北、サンホセ(米国)、ウランバートル、大邱、マカオの聖歌隊で、加えて東京からも、麹町聖イグナチオ教会の聖歌隊選抜が東京を代表して参加してくださいました。

当初の計画では、これに北京の聖歌隊も加わることが考えられていましたが、残念ながら諸般の事由からこの計画は実現しませんでした。

また先日、大埔区超高層マンション「宏福苑」の火災があったことから、その犠牲者のためにも祈りが捧げられました。

なお当日の演奏会の模様は、2時間ほどになりますが、こちらのリンクからYoutubeでご覧いただけます。日本の聖歌隊は、40分あたりから登場します。

わたしは、12月6日は関口教会の125周年記念ミサがあったため、香港には行けませんでしたが、翌日に東京を発ち、12月8日の夕刻の無原罪の聖母の祝日ミサにご一緒させていただきました。

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このミサは、司式は周枢機卿様、そして補佐司教の夏司教様、それから引退されている湯枢機卿様と陳枢機卿様も参加されました。陳日君枢機卿様はまもなく年が明けると94歳ですが、いつも通り大変にお元気でした。

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ミサにはさらに、香港教区の長年のパートナー教区であるドイツのエッセン教区からOverbeck司教様、カリフォルニアのサンホセのCantu司教様、台北の趙補佐司教、マカオの李司教とわたしが共同司式で参加。その他大勢の司祭・修道者・信徒の方々が参加されました。ミサ前には、今年金祝や銀祝を祝っている司祭と修道者がひとり一人、周枢機卿様からお祝いを頂くなど、お祝いムード満点でした。

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ミサ前の日中には、他の海外の司教様方と一緒に、聖フランシスコ大学を見学に。大学に到着すると、壁面にはカリタスのロゴが。そして構内の至る所にカリタスのロゴがあります。と言うのも、この学校は元々カリタス香港が運営していた高等専門学校が発展したもので、その発展と現在の大学へと進化させたのが、前教区司教のミカエル楊司教です。2019年に72歳で帰天されています。

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わたしが、前回香港を訪れたのは、この楊司教様の司教叙階式でした。2014年の8月。というのも楊司教様は、長年にわたってカリタス香港の責任者を務め、教育や社会福祉事業に取り組む現在のカリタス香港という巨大な組織を造り上げた方で、一緒にアジアのカリタスの仕事をした仲間でした。

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今回、聖フランシスコ大学の図書館を訪れたところ、楊司教を顕彰するコーナーが設けられ、大学生説に彼が果たした役割が明記されていました。早逝されてしまいましたが、偉大な司教様でした。後者の至る所に、彼の存在を感じさせるように、カリタスのロゴが記されていました。

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12月7日は香港の議会にあたる立法会の選挙の日でもあり、夜11時頃まで投票所が開いていましたが、投票率は低調だったと聞いています。確かに街の至る所で、候補者の写真を掲げて投票を促している方々が、その日は大勢おられました。

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今回の北京の聖歌隊の不参加の件もそうですが、常に中国本土との関係の中で緊張を強いられるのが香港です。今後とも、香港の教会のために祈りたいと思いますし、特にその教育や社会福祉の事業がよりふさわしい実を結ぶように、協力しその実りから学んでていきたいと思います。

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香港教区の使徒職活動の豊かさには驚かされます。その中でもカリタス香港を中心とした様々な活動には70年の長い歴史もあり、社会の中でもしっかりと認知され、さらには何千人もの人を雇用する巨大組織でもあります。

日本に帰国する直前にその本部を訪れ、お話を伺い機会を頂いたことに感謝します。学ぶところは多々あると実感いたしました。

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2025年12月 6日 (土)

週刊大司教第235回:待降節第二主日A

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待降節も第二主日です。良い準備の時を過ごされますように。

12月7日で、教皇フランシスコから枢機卿に叙任されて一年となります。この一年間、いろいろとありましたが、多くのみなさまに支えていただき、心から感謝申し上げます。

枢機卿に任じられるという個人的にも衝撃的な驚きのニュースを耳にしたのが昨年10月6日。その後、12月7日の枢機卿会に向けて、生まれて初めての経験をいくつもしながら、バタバタと準備をしました。そして年が明けて今年、2025年の春には教皇フランシスコが帰天。その後の葬儀や教皇選挙への参加。新しい牧者教皇レオ14世の誕生。さらに10月9日のローマ、サン・ジョバンニ・レオナルディ教会での枢機卿名義教会への着座式と、この一年は普段とは異なる出来事への準備と対応で翻弄され、ローマに出かけることも続き、教区を不在にすることが多くなってしまいました。その間、多くの方にお祈りと励ましを戴いたことに、心から感謝申し上げます。

枢機卿になったからといってローマからなにか特別な手当や給与が出るわけではありませんので、公務出張が極端に増え、折からの円安で、教区財政に大きな負担をかけていることも大変申し訳なく感じています。

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また不在が続く間にはアンドレア司教様に、補佐司教として多くの責任を担っていただいています。心から感謝しています。アンドレア司教様がこれからも健康で教区のために一緒に働いてくださるよう、どうぞお祈りください。みなさまのお祈りと支えがなければ、とてもではありませんが、司教は立場に伴う責任を果たしていくことはできません。今後とも、わたしにも、またアンドレア司教様にも、どうぞ、みなさまのお力を貸してくださるように、心からお願い申し上げます。

(この上下の写真は、11月末にローマで行われた国際カリタスの理事会の際、教皇謁見の後に、聖ペトロ大聖堂の聖年の門を、理事会参加者で通り、聖堂内で祈りを捧げたときのものです)

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メッセージでも触れていますが、待降節第二主日は宣教地召命促進の日です。福音宣教の取り組む司祭修道者の召命のためにお祈りください。なお教皇庁宣教事業の聖ペトロ事業がこの担当ですが、日本の教皇庁宣教事業(門間直輝神父様担当)のホームページにその制定の経緯など詳細が記されていますので、ご一読ください。日本の宣教とも密接に関わりある歴史です。

待降節第二主日A(ビデオ配信メッセージ)
週刊大司教第235回
2025年12月07日

マタイによる福音は、主の先駆者として悔い改めて準備をするようにと告げる洗礼者ヨハネについて記しています。

ヨハネは、既得権益のように自分たちの立場を優位に考えているファリサイ派やサドカイ派の人々に向かって、思い上がりをただし、神の前に謙遜であるようにと諭します。

「出向いていく教会」であれと呼びかけ続けられた教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」の中で、「宣教を中心とした司牧では、『いつもこうしてきた』という安易な司牧基準を捨てなければなりません(33)」と呼びかけていました。その声は今でも力を持っています。

これまでこうしてきたからとか、こうして成功してきたとか、これが当然なのだとか、さまざまな人間の思いやおごりにがんじがらめになるとき、私たちは新しい挑戦へと踏み出すことを躊躇してしまい、結局、神の力が働くのを妨げてしまいます。ヨハネの前に立ちはだかった伝統に生きる人たちも、その過去のしがらみに縛られて、新しい道を見いだすことができずにいます。ヨハネの言葉はわたしたちに、勇気を持って、傷つくのを恐れず、出向いていく教会として、福音に生き、福音をあかししていくようにと力強く呼びかけています。

神の正義の実現のためには、教会の中にでも変えなくてはならないことが多々あります。人間の尊厳を守り抜くために、正していかなければならないしがらみも多くあります。一歩ずつそのしがらみから自分を解き放つ努力を続けたいと思います。

「荒れ野で叫ぶ声」、すなわち洗礼者ヨハネの呼びかけは、ただむなしく響き渡る夢物語ではなく、人々の心に突き刺さる力ある声でありました。その厳しさの故に、後に洗礼者ヨハネは捕らえられ殉教の死を遂げることになります。洗礼者ヨハネが告げる言葉には神の力が宿っており、それを受け入れることのできないものは、いのちに対する暴力で、神の言葉を否定しようとしました。

教会は、その誕生の時から聖霊によって導かれ、聖霊によって力づけられながら、その時代における預言者としての務めを果たそうとしてきました。わたしたちは現代社会を旅する神の民として、ヨハネの姿勢にならい、過去のしがらみから自らを解き放ち、常に恐れることなく神の言葉をあかしする預言者でありたいと思います。

待降節第二主日は、宣教地召命促進の日であります。日本だけでなく、多くの国で司祭・修道者の召命は危機的状況にあります。数字の上ではそうでしょう。主は呼びかけることをやめたのでしょうか。そんなはずはありません。呼びかけに耳を傾け、それに勇気を持って「はい」と答えることができる霊的な環境を、共同体の中で整えたいと思います。

宣教地において、すべての信徒が福音をあかしする使命を果たせるよう、また宣教に従事する司祭・修道者がよりいっそう増えるよう祈ることは、とても大切なことです。この日、わたしたちは、世界中の宣教地における召命促進のために祈り、犠牲をささげます。教会が神の民としてふさわしく預言者としての使命を果たしていくことができるように、豊かな召命が与えられるよう祈り続けましょう。

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