2025聖年閉幕ミサ@東京カテドラル
世界中の各教区で、本日、聖家族の主日に、聖年閉幕ミサが捧げられています。
東京教区では、本日12月28日午後3時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、閉幕ミサを捧げました。
以下、本日ミサの説教原稿です。
2025年聖年閉幕ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2025年12月28日教皇フランシスコによって、昨年12月24日にバチカンの聖ペトロ大聖堂入り口右手にある聖年の扉が開かれ、2025年聖年が始まりました。そのテーマは、「希望の巡礼者」であります。
それから一年、世界中の各教区の司教座聖堂では、本日聖家族の主日にミサを捧げ、聖年の閉幕に感謝を捧げるように求められています。その後、年明けの2026年1月6日に、聖ペトロ大聖堂の聖年の扉が教皇レオ14世によって閉じられることで閉幕となります。
教皇フランシスコは聖年開幕を告げる文書の中に、「キリスト者の希望の光が、すべての人に向けられた神の愛のメッセージとして、一人ひとりに届けられますように。教会が、世界のあらゆる場所でこの知らせを忠実にあかしすることができますように」と、この一年の聖年への期待を記されていました。果たしてこの一年、わたしたちは希望の光をすべての人に届けることができたでしょうか。
教皇フランシスコは、同じ文書の冒頭で、教会は「希望を神の恵みからくみ取ることに加え、主がわたしたちに差し出す、時のしるしの中にも希望を再発見するよう招かれて」いると強調されました。その上で教皇様は、「聖年の間にわたしたちは、苦しい境遇のもとで生きる大勢の兄弟姉妹にとっての、確かな希望のしるしとなるよう求められます」と、教会全体がいのちの危機に直面する多くの兄弟姉妹に手を差し伸べともに歩む教会であるようにと招かれていました。
聖年のロゴには四人の人物が描かれています。それは地球の四方から集まってきたことを象徴し、全人類を表現しているといわれます。全人類を代表する四人が抱き合う姿は、すべての民を結びつける連帯と友愛を象徴しています。さらに先頭の人物は十字架にしっかりと捉まっています。皆の足元には人生の旅に立ち向かう困難の波が押し寄せていますが、長く伸びた十字架の先は船の「いかり」となり、信仰の旅を続ける四人が流されてしまうことのないように支えています。人生の道をともに歩むわたしたちに、十字架の主が常に共にいてくださり、荒波に飲み込まれ流されることのないように支えてくださっていることを象徴するこのロゴマークは、まさしくいま教会が追い求めているシノドス的な教会のあり方を象徴しています。シノドス的な教会は、わたしひとりが希望の光を届ける者となるのではなく、教会共同体全体が希望をもたらす巡礼者として、この世界を共に旅する者となることを求めています。
バチカンの聖ペトロ大聖堂前の広場左手に、大きなブロンズの群衆像が設置されています。何人もの人が固まって立ち尽くす姿は、ボートに乗って避難する人々の姿だと言われています。その群衆像のタイトルは英語で、「Angels Unawares」と呼ばれています。その意味するところは、ヘブライ人への手紙13章2節に記されている次の言葉です。
「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」
「気づかずに天使たちを」というのがその群衆像の名称です。ボートの上に立ち尽くす様々な人たちの真ん中に、天使の羽が見えています。よく見るとボートの右側側面には、大工道具を持った男性が幼子を抱えた女性と一緒に立っている姿が見えます。それが聖家族だと言われています。
本日は聖家族の主日でしたが、本日の主日の福音は、幼子が誕生した馬小屋での希望と平和に満ちた情景ではなく、父ヨセフが、「子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」と天使からのお告げを受けて、いのちを守るために必死に行動した様子を記しておりました。広場におかれたこの群衆像は、安全を求めて避難する多くの人たちの姿を描き、その人たちへの心配りを忘れてはならないことを明示するために制作されています。
長年、他の彫刻がおかれることのなかった聖ペトロ広場にこの群衆像を設置するように命じたのは、教皇フランシスコです。絶望の淵にあって希望を求めて旅を続ける人々の中には、天使も、そして聖家族も、すなわち主ご自身がおられるのだということを、あらためてわたしたちに自覚させるためでありました。救いを求め、安全を求め、不安の内に旅を続ける人々に、手を差し伸べるようにと促す教皇フランシスコの思いでありました。
2023年10月19日、シノドス第16回総会の第一会期中に、教皇フランシスコは参加者全員をこの群衆像の前に集め、祈りの集いを行われました。その祈りの集いで、教皇フランシスコはこう述べておられます。
「よきサマリア人のように、私たちはこの時代のすべての旅人にとっての「隣人」となるよう、彼らの命を救い、傷を癒し、痛みを和らげるよう呼ばれています。悲劇的なことに、多くの人々にとっては手遅れであり、私たちは彼らの墓、もし墓があるとしても、その前で泣くことしかできません。あるいは、地中海が彼らの墓となってしまいます。しかし、主は彼ら一人ひとりの顔を知っておられ、それを忘れることはありません」
その上で教皇フランシスコは、難民の保護に関してご自身が何度も繰り返された四つの行動、すなわち「受け入れ、保護し、推進し、統合する」を繰り返し、教会はそれを実行する存在でなければならないと強調されました。
今日、聖家族は、共に歩く誰かを必要としています。主ご自身がその中で、誰かの心が向けられること、そして手が差し伸べられることを待っています。人と人との心からのかかわりこそが、希望を生み出すために不可欠です。
暴力が支配し、いのちを危機にさらす世界は、絶望を生み出す暗闇であります。わたしたちの世界は、いま、暗闇を打ち破り絶望を取り去る希望を必要としています。わたしたちはこの聖年が終わったからと言って、希望をもたらす巡礼者であることをやめるわけではありません。いまの世界には希望が必要です。多くの人の心に、希望をもたらす業を続けていきましょう。
教皇フランシスコは、聖年開幕の文書の最後に、次のように記されています。
「今より、希望に引き寄せられていきましょう。希望が、わたしたちを通して、それを望む人たちに浸透していきますように。わたしたちの生き方が、彼らに「主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(詩編27・14)と語りかけるものとなりますように。主イエス・キリストの再臨を信頼のうちに待ちながら、わたしたちの今が希望の力で満たされますように」
わたしたちは希望の巡礼者です。わたしたちはこれからも希望の巡礼者として、歩みを続けて参りましょう。
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