主の降誕、おめでとうございます
降誕祭にあたり、みなさまにお喜びを申し上げます。
みなさまにとって、またみなさまのご家族や友人のみなさまにとって、希望の光が心にともされるクリスマスとなりますように。
以下、本日午後7時半、東京カテドラル聖マリア大聖堂での主の降誕夜半ミサの説教原稿です。
主の降誕(夜半のミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2025年12月24日暗闇に輝く小さな光は、わたしたちの希望の源です。闇が深ければ深いほど、たとえどんなに小さな光でも、わたしたちの心には安心が芽生えます。心の安心は不安と絶望からわたしたちを解放し、心に希望が生まれます。暗闇に輝く小さな光は、わたしたちの希望の光です。
暗闇がもたらす絶望は、わたしたちが前に進もうと一歩を踏み出す勇気を心から奪い去ります。絶望は不安を恐怖に変えてしまいます。恐怖にとらわれた心は、未知の世界へと歩みを進めるよりも、勝手知ったる過去の体験へと戻ることを促します。
幼子イエスの誕生を記す福音には、暗闇の中で羊飼いたちに希望と喜びのメッセージを伝える天使たちの言葉を記しています。天使は「恐れるな」と、闇の中で絶望にとりつかれ、前に進む勇気を失った世界に対して、恐れを取り除く希望の光が与えられたことを告げています。
「恐れるな」と言う天使の言葉は、今宵、この暗闇の中、イエスの誕生を記念して集まったわたしたちにも向けられています。暗闇に輝く小さな光は、恐れを取り除き、闇に打ち勝ち、まだ知らない未来に向かって歩みを進める勇気を生み出す、希望の光であります。クリスマスは、わたしたちが生きる希望を取り戻すために恐れを打ち破る勇気を心にいだく日でもあります。
この夜、誕生したばかりの幼子は、父と母と共に旅の途上にありました。加えてその日、この聖なる家族には、安心して泊る場所さえなかったと福音は伝えています。心の安まらない暗闇の状況で不安を抱える父と母。その家族に新しいいのちが誕生します。この状況の中で、いのちの誕生という人生における重大な出来事に直面したときに、この聖なる家族が抱えた不安は、どれほどだったことでしょう。助けてくれる知り合いとて見つからない旅の途中で、どれほどの不安を抱えていたことでしょう。
その不安を打ち払うために、神が用意されたのは、宿でもなければ食事でもなく、ともに歩む兄弟姉妹との出会いでありました。それこそが、あの夜、羊飼いたちにイエスの誕生の知らせがもたらされた一番の理由です。孤独と不安を打ち破る、共に喜びを分かち合う兄弟姉妹の登場です。闇を打ち破り不安と絶望を払拭する希望は、ともに歩む兄弟姉妹との出会いの中で生まれてきます。いのちを生きる希望は、ともに歩む兄弟姉妹との出会いの中で生まれます。
教皇レオ14世は12月14日、聖年の行事の一つである受刑者の祝祭ミサで説教し、次のように強調されました。
「だれ一人として失われることがありませんように。すべての人が救われますように。これこそが神の望みです。これこそが神の国です。これこそが世における神の業の目的です。降誕祭が近づく中で、わたしたちも揺るぎない決意と信頼をもって、ますます強く神の抱く夢を抱こうではありませんか。わたしたちはどんな困難を前にしても一人きりではないことを知っているからです。主はすぐ近くにおられます。主はわたしたちとともに歩まれます。主がわたしたちのそばにおられるとき、つねに何かすばらしいこと、喜ばしいことが起こるのです」
聖母マリアと聖ヨセフ、そして誕生したばかりのイエスという聖家族は、いのちをつないでいくことに不安を感じていました。暗闇の中で光を求めていました。その光は天使たちによって、そして天使に導かれた羊飼いたちによって聖なる家族にもたらされました。
同じように不安を抱え、心細さのなかで不安を抱えながら旅を続ける家族が、いまの世界にはどれほどいることでしょう。暴力的な出来事に直面し、闇の中をさまよっているいのちが、一体どれほどあることでしょう。誰も助けてくれない。どこにも頼る人がいない。孤独の闇の中で、希望を失い、絶望に支配されているいのちがどれほどいることでしょう。
しかし神は、「だれ一人として失われることがありませんように。すべての人が救われますように」と願っています。その神の願いを実現するためには、暗闇の中で光を届ける人が必要です。ともに歩もうとする人が必要です。いのちをまもるためによりそい、手を差し伸べ、光を届ける人が必要です。
紛争の地にあって、毎日のいのちの危険から逃れるために、旅に出ざるを得なかった人。政治の対立に翻弄されて、生きる場を失った人。国際関係の波間で、人間の尊厳を奪われ、自らの意思に反して旅に出ざるを得なかった人。厳しい経済環境の中で、生きるために旅に出る選択をせざるを得なかった人。愛する家族と一緒になるため、愛する人と一緒に生きていくために、法律の枠を超えて旅に出る人。多くのいのちが、先行きの見えない暗闇の中で、さまよっています。光を求めています。希望を求めています。
自分の存在を忘れられ、孤独のうちに取り残されるとき、人はいのちを生きる希望を失います。世界各地に広がる紛争の現場や、災害の現場や、避難民キャンプや、経済的に困窮する社会の現実の中で、多くの人が「わたしたちを忘れないで」と叫んでいる、その声が耳に響いてこないでしょうか。
クリスマスのお祝いは、明るいイルミネーションに照らされることで、なにやら明るく楽しいイベントになっていますが、その理由は、暗闇の中で輝く光が、心の不安を打ち破り希望を生み出す力となることを実感するために他なりません。喜びは、多くの人と分かち合う喜びであってほしいと思います。光は多くの人と分かち合われる光であってほしいと思います。ひとり一人の心に芽生える希望は、最大の希望、すなわち神の救いへと繋がる希望であってほしいと思います。
教会は、人間のいのちは神からの賜物であると信じています。聖書の冒頭、創世記に記された天地創造の物語から、人のいのちには神の似姿としての尊厳があり、またそれは「互いに助け合う者」として創造されたと信じています。そうであるならば教会は、神からの賜物であるいのちを守り抜く存在として、社会の中で率先して共に歩む存在でありたいと思います。暴力を持っていのちを危機にさらす紛争が勃発する社会に対して、互いの尊厳をまもり、違いを尊重し、弱い存在を支え、声なき声に耳を傾け、誰ひとりとして排除されることなく、忘れ去られることのない世界を実現するために、共に歩みを続ける教会でありたいと思います。
クリスマスおめでとうございます。この喜びを、希望を、一人でも多くの人と分かち合うことができますように。共に希望を心に抱いて、最大の希望である神に向けて、ともに歩んでいくことができるように、常に努力を続けるものでありましょう。
| 固定リンク | 11
「配信ミサ説教」カテゴリの記事
- 神の母聖マリア@世界平和の日2026年(2026.01.01)
- 2025聖年閉幕ミサ@東京カテドラル(2025.12.28)
- 主の降誕、おめでとうございます(2025.12.24)
- 2025年聖母マリアの被昇天(2025.08.15)
- 2025年平和旬間:広島、そして東京教区平和祈願ミサ(2025.08.09)

