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2026年1月10日 (土)

週刊大司教第239回:主の洗礼の主日A

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新しい年の最初の週刊大司教です。主の洗礼の主日となります。

2026年も「週刊大司教」の配信は、定期的に継続していく予定です。どうぞよろしくお願いします。以前にも記しましたが、毎週の配信は千人を超える方に見ていただき、時には二千人を超えることもあります。話しているわたしにも、製作している教区広報担当にとっても、多くの方が視聴してくださっていることは継続する力の源となっています。ありがとうございます。心から感謝申し上げます。皆様の主日に向けての祈りの一助になっているのであれば、幸いです。

また、「週刊大司教」や、このブログ「司教の日記」をご存じない方も多くおられると思いますので、ご覧頂いている皆様には、お知り合いの方に紹介などしていただけると幸いです。

以下、本日午後6時配信、週刊大司教第239回、主の洗礼の主日のメッセージです。

主の洗礼の主日A
週刊大司教第239回
2026年01月11日

新しい年のはじめにあたり、みなさまにお喜びを申し上げます。

教皇フランシスコによって始められた25年に一度の聖年は、1月6日に聖ペトロ大聖堂の聖年の扉が教皇レオ14世によって閉じられ、終わりを迎えました。このたびの聖年は、聖年としての行事と共に、教皇フランシスコの帰天とレオ14世の選出という出来事が重なり、様々な意味で特別な年でありました。

その聖なる一年は終わりを迎えましたが、教皇フランシスコによって選ばれた「希望の巡礼者」というテーマは、教皇レオ14世に引き継がれ、これからも教会を導き重要なテーマとしてわたしたちに与えられています。わたしたちは、これからも、この混迷し暗闇に沈む社会の中で、希望を証しする巡礼者であり続けたいと思います。

マタイの福音は、イエスがガリラヤからヨルダン川のヨハネの所へ出向き、洗礼を受けた様を記しています。神の子羊が洗礼を受けに来たことに驚き、躊躇する洗礼者ヨハネに対して、イエスは「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と述べています。

もちろん「正しいこと」とは、神の目において「正しいこと」、つまり神の定めた秩序の実現のために欠かすことのできない選択のことであります。そして、ヨハネが躊躇するのは、自分がそのような尊大な行動は選択できないという人間のごく当然の価値判断に依っているからです。つまり神の計画の実現には、人間の価値観を遙かに超える神の意志に従った行動を選択することが不可欠であることを、イエスご自身の行動が示しています。

「罪のゆるしを得させるために悔い改めの」水による洗礼を受けることは、そもそも罪の汚れのない神であるイエスには必要のないことですが、カテキズムによれば、「その洗礼は神の苦しむしもべとしての使命の受諾」であり(カテキズム536)、罪人である人類に神ご自身が加わることで、水を通じてわたしたちにその贖いの業に与る道が開かれました。水による洗礼はイエスの公生活の始まりを告げています。

希望の巡礼者として、混迷する世界の暗闇の中で希望を証しすることは、それほどたやすいことではありません。神の平和を説き、人間の尊厳を護り、神の賜物であるいのちを守ることを主張することは、必ずしも現実社会の選択と轍を同じくする主張とは限りません。時に、福音に基づいて発言し行動することは、夢物語に生きている非現実的な主張と見なされることも少なくありません。

それでもわたしたちは、「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいこと」という主御自身の言葉に励まされ、福音のメッセージを証しする巡礼者であり続けたいと思います。

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2026年臨時の枢機卿会@バチカン

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この1月7日と8日、バチカンにおいて臨時の枢機卿会(Extraordinary Consistory)が教皇レオ14世によって招集され、世界中から多くの枢機卿がローマに集まりました。

現在枢機卿は、80歳未満の教皇選挙投票権を持っている枢機卿が122名、80歳を超えているなど投票権を持っていない枢機卿が123名います。総勢245名となりますが、今回の枢機卿会には170名ほどが参加しました。中には非常に高齢で、しかしながら教皇様から委任された役目を果たそうと車椅子で参加された枢機卿様方もおられました。日本からは、前田枢機卿様とわたしが参加させていただきました。

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枢機卿会自体は、新しい聖人の認定などのために定期的に開催されていますが、これには基本的にローマに住んでいる枢機卿たちが参加しています。

それ以外に、新しい枢機卿が任命されるとその叙任式のために枢機卿会が開催され、これにはすべての枢機卿が招集されます。

これらとは別に、様々な課題について教皇様に意見を具申したりするために招集されるのが臨時の枢機卿会です。ベネディクト16世の頃までは、定期的に招集されていたと聞いていますが、教皇フランシスコは臨時の枢機卿会を招集されませんでした。

教皇フランシスコが帰天された直後、教皇選挙前に開催された枢機卿の総会では、新しく任命された枢機卿達がお互いを知らないことが指摘され、是非とも新しい教皇には一年に一度程度には臨時の枢機卿会を招集してほしいという意見が相次いで表明されていました。

そこで、教皇レオ14世は、聖年の扉が閉じられ、教皇フランシスコが定めていたすべての日程が終わった時を見計らって、このたびの臨時の枢機卿会招集となりました。

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枢機卿達に国務省から臨時の枢機卿会開催の通知が来たのが11月初めでした。参加するためには、往復の旅もローマでの宿も、すべて自分で準備する必要があります。バチカンからの支援はありません。今回は幸いにも、サンピエトロ広場に繋がる通りのそばにあるバチカンの宿舎の予約が取れ(多くの枢機卿が宿泊されてました)、往復の旅もターキッシュで確保できました。1月ですから、ヨーロッパ、特にドイツあたりは雪になって欠航が出ることがあり、それを避けるためにイスタンブール経由としましたが、予約の関係で帰途にはイスタンブールで9時間の乗り継ぎ待ちとなり、いまこのブログを、イスタンブールの空港の中で書いています。

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さて、枢機卿会開催の数日前に、国務省を通じてすべての枢機卿に教皇様からの手紙が届き、その中には、これからの教会が進むべき優先課題を明確にしたいので、四つの課題について意見を聞きたいと記されていました。

一つ目は、教皇フランシスコの「福音の喜び」をもう一度読み直して、それを宣教にどう生かしていくことができるのか。

二つ目は、教皇フランシスコの時代に定められた教皇庁改革に伴う諸改革について記した「ローマ教皇庁ならびに 世にある教会に対するその職務についての 使徒憲章『プレディカテ・エバンジェリウム(福音をのべ伝えなさい)』」について。その実施状況などをどう見ているのか。

三つ目は、シノドス性についてのシノドスに関して、その実りをどう生かしていくべきなのか。

四つ目が、様々な伝統を包括した典礼の今後についてどのように考えるのか。

これらの四つが掲げられていました。しかしたった二日で、大勢の枢機卿を集めてどうやってこの四つを扱うのだろうといぶかしく思っておりました。そうしたら、素晴らしい展開が待っていました。

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二日間で三回の霊における会話を行うプログラムとなっていたのです。一日目は午後からでしたので、ティモシー・ラドクリフ枢機卿の講話の後、わたしも参加したシノドスで懐かしいパウロ六世ホールに設置された丸テーブルに移動し、そこで八から九名の枢機卿が、霊における会話をすることになっていました。一回目では、四つの課題の中から優先順位をつけて二つを選択すること。二回目と三回目は、選択された二つの課題について、さらに深めることとなっていました。同時にすべての枢機卿は、教皇様に直接メールで意見書を送付することもできるとされています。

会場で渡された資料の一番上に、資料とは別の書簡があり、二日間、英語グループの一つでファシリテーターをするようにと命じられました。さいわいなことに、わたしがファシリテーターを務めることになったグループ9名は、すべて以前から存じ上げている枢機卿様達でしたし、このグループの書記に任ぜられていたのが、これまた旧知のスーピッチ枢機卿(シカゴ)でしたし、さらにシノドス経験者も多く、みなさんがよく理解されていて、3分や2分の発言時間を基本的には守ってくださったので、ファシリテーターの苦労は半減でした。

枢機卿達は言語別と共に、教皇庁などで働く枢機卿のグループと、教区司教を務める枢機卿のグループに分かれ、後者の教区司教を務める枢機卿のグループが9ありました。教皇様は、ローマにいる枢機卿の意見はいつでも聞けるので、今回は特にこの教区司教を務める枢機卿グループの声を聞きたいと言われ、霊における会話の後の発表も、基本的にはこの9グループの書記が行いました。

教皇様は、枢機卿会の冒頭で、みなさんの声を聞くために来ましたと言われましたが、最初から最後まで、よく耳を傾けてくださったと思います。結局、最初の霊における会話で選択されたのは、シノドスについてと福音の喜びについての、二つの課題でした。

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一日目は午後3時頃から7時まででしたが、二日目は、まだくらい朝の7時半からサンピエトロで教皇ミサ。その後会場で皆で朝食。9時15分から祈りと、グレック枢機卿のシノドスについての導入、そしてシノドスについての霊における会話となりました。

この日の昼食は教皇様が提供され、パウロ六世ホールのロビーに配されたテーブルについて全員で一緒に。さらにその後3時過ぎから、福音の喜びについてフェルナンデス枢機卿の導入後に、霊における会話。最後は、改めて二回のシノドスホールに集まり、教皇様のコメントの後、全員でテ・デウムを歌って、枢機卿会は終わりとなりました。

シノドス性について語り合った先のシノドスに参加し、現在もシノドス特別チームとして日本での実施に取り組んでいる者としては、今回教皇様が、教会にとっての司牧の優先改題を見定めるために霊における会話を採用されたことに、大きな励ましを頂きました。またシノドスの具体化についての異なる地域での取り組みや課題について聞くことができたのも、貴重な体験でした。教皇様の、耳を傾ける姿勢にも、学ぶところが多くあったと思います。

教皇様は、今年中にまた枢機卿会を開催し全員を招集する意向です。また毎年同じような枢機卿会を開催される意向も示されています。第二バチカン公会議以降、神の民としてともに歩んでいる教会が、さらにその姿勢を確立していく道が開かれているように感じた枢機卿会でした。

 

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2026年1月 1日 (木)

神の母聖マリア@世界平和の日2026年

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みなさま、新年明けましておめでとうございます。

2026年がみなさまにとって、神様の祝福に満たされた平和な一年となることをお祈りいたします。

1月1日は神の母聖マリアの祝日であり、世界平和の日でもあります。教皇様の世界平和の日のメッセージはこちらからご覧ください

以下、本日午前10時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられた、新年最初のミサ、神の母聖マリアの祝日ミサの説教です。

神の母聖マリア
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2026年1月1日

新しい年、2026年の始まりにあたり、お喜びを申し上げます。

聖母マリアの人生は驚きの出来事によって彩られた人生です。天使ガブリエルによる救い主の母となるというお告げ自体が、ひとりの少女の人生にとっては大きな驚きですが、イエスの誕生に至る日々も様々な驚きの連続であったことが、福音に記された物語から感じ取ることが可能です。驚きだけではなく、その中でマリアは人生をかけた選択をし、神の計画に身を委ねる決意を固めていきます。

人類の救い主の母となることを告げられたそのときから、また神の御言葉を胎内に宿したそのときから、さらに神のひとり子の母となったそのときから、マリアの心は様々に乱れ、恐れや悩みも様々にあったことだと思います。しかしルカ福音は、マリアがそういった一連の出来事に振り回されることなく、神の計画に信頼しながら、すべてを心に納めて、それらの出来事によって神が望まれる道はどこにあるのかを思い巡らし続けていたと伝えます。

わたしたちが生きている現代社会は、様々な情報が人間の処理能力を超えて世界を駆け巡り、さらには誤った理解やねつ造された事実が飛び回るなど、一つ一つの出来事にわたしたちは取り込まれて振り回され、一喜一憂し、現実を直視して深く洞察することもできないままに反応してしまったりします。そのようなことが続く中で、落ち着いて考えれば他の選択肢もあるとは言え、両極端な言説や過激な行動が見受けられるようになりました。そんな時代に生きているからこそ、わたしたちは聖母マリアが、起こっている出来事を心に納め、神の意思と計画を思い巡らしていたその祈りの姿勢に習いたいと思います。

同時に聖母マリアは、単なる模範ではなく、わたしたち教会の母でもあり、歩みをともにしてくださる方でもあります。神は、人となられた神の御言葉、暗闇に輝く一筋の光として、わたしたちの希望の源ですが、聖母マリアは、その御言葉である御子イエスと歩みをともにされ、わたしたち教会と歩みをともにされる希望の母であります。

教皇フランシスコは「福音の喜び」の終わりに、聖母について詳しく触れていますが、そこにこう記されています。

「(マリアは)すべての者の母として、正義を生み出すまで産みの苦しみを味わうすべての民の希望のしるしです。マリアは、わたしたちの人生に同伴するために身近な存在になってくださる宣教者であり、母の愛を持って、わたしたちの心を信仰へと開きます。」

新しい年の初めにあたり、聖母が信仰のうちに神の計画を探し求め、忍耐の内にイエスと歩みをともにされたように、わたしたちも主の示される道、すなわち聖霊の導きを共に祈りのうちに識別し、主とともに歩み、いのちの希望を掲げながら巡礼者としての歩みを続ける決意を新たにしたいと思います。

さて教会は、新年の第一日目を「世界平和の日」と定めています。かつて1968年、ベトナム戦争の激化という時代を背景に、パウロ六世が定められた平和のための祈りの日であります。1974年、教皇パウロ6世は、「マリアーリス・クルトゥス」で、世界平和の日を、神の母聖マリアの祝日に合わせて設けた理由に触れ、「この聖なる母を通してこそ、わたしたちは生命の与え主を受けるにふさわしい者とされた」と記し、その上で「今一度天使たちによる喜ばしい知らせに耳を傾け、平和の女王を通じて、このうえない賜物である平和を神に祈り求める」日であると呼びかけられました。

今日、世界の平和を考える時、ある研究所の報告では現在56もの地域紛争が起こっており、これは第二次世界大戦以降最も多いと言われています。また国境を越えて紛争に関与している国は92カ国にも及んでいると言われます。ガザやウクライナでの状況は言うにおよばず、アフリカでも、そしてアジアでも、小規模な紛争は頻発し、それが将来的に大規模な紛争へと繋がっていく可能性を否定することはできません。武力の行使は真の平和の確立には繋がりません。暴力が暴力を呼び起こす、負の連鎖が始まるだけです。

世界平和の日にあたって、紛争に巻き込まれている各地に平和が訪れることを祈りたいと思います。暴力の波に巻き込まれていのちの危機に直面し、絶望の暗闇の中でいのちをつないでいる兄弟姉妹のために祈りたいと思います。

教皇レオ14世は世界平和の日にあたり、「あなたがたに平和があるように――「武器のない平和、武器を取り除く平和」に向けて」と題したメッセージを発表されています。

2025年5月8日夕刻。第267代の教皇に選出されたレオ14世は、集まっていた多くの人たちに、「あなたがたに平和があるように」と呼びかけられました。その上で教皇様は、「愛する兄弟姉妹の皆さん。これが、神の民のためにいのちを与えた、よき牧者である、復活したキリストの最初の挨拶です。わたしもこう望みます。この平和の挨拶が皆さんの心に入りますように。・・・これが復活したキリストの平和です。謙遜で、忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和です。この平和は神から来るものです」と、武器のない平和を呼びかけられました。

教皇のこの最初の呼びかけは、単なる挨拶の言葉としての「平和」ではありません。なぜなら、その最初の挨拶は、教皇選挙後の慌ただしさの中で即興で考えたスピーチではなく、その日の午前中に行われた二回の投票が終わり昼の休憩となったときに、すでに枢機卿たちの投票行動の推移からご自分が選出される可能性があることを感じたプレボスト枢機卿が、仮にそうなった場合に備えて準備されたスピーチだったからです。いわば教皇レオ14世にとっての、一番最初の施政方針演説でありました。この最初の呼びかけを通じて教皇レオ14世は、混迷を深める現代世界において、平和の確立こそが、教会の最優先課題であることを明確にされました。

今年のメッセージに、教皇レオ14世はその最初の言葉に触れて、次のように記しています。「『あなたがたに平和があるように』。わたしはローマ司教に選ばれた晩から、自分のあいさつの中に、この世界中でともに唱えられる告知を含めることを望みました。わたしたちは繰り返して述べたいと思います。これが復活したキリストの平和です。謙遜で、忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和です。この平和は神から来るものです。神はわたしたち皆を無条件で愛してくださいます」

その上で教皇様は、「平和は、目的である以前に、存在であり、歩みです。嵐に脅かされた小さな炎のように内外で反対を受けても、平和をあかしした人々の名前と歴史を忘れることなく、平和を保ってください」と呼びかけ、どんな困難に遭ってもくじけることなく、平和を証しすることをやめないようにとわたしたちを招いています。

混乱の中でもすべてを心に留め、取り乱すことなく神の御心を識別しようとした聖母に倣い、わたしたちも平和を求めて諦めることなく、神の御心を識別しながら、ともに歩んで参りましょう。いのちを護り、すべての人の尊厳を護る世界を実現していきましょう。

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2026年 年頭の司牧書簡

希望の灯火を絶やすことのないように
2026年1月1日

カトリック東京大司教区 大司教
菊地功 枢機卿

 

 新しい年の初めにあたり、東京教区のみなさまに、ご挨拶申し上げます。

一昨年12月、教皇フランシスコから枢機卿への叙任を受けました。その後、昨年2025年の春に教皇フランシスコの帰天、教皇選挙への参加、新しい牧者レオ14世の誕生、さらに10月9日のローマでの枢機卿名義教会への着座式と、昨年一年は普段にはない行事への対応で教区を不在にすることが続いてしまいました。その間、多くの方にお祈りと励ましを戴いたことに、心から感謝申し上げます。

着座式のためにローマを訪れた際、ジェズ教会を訪問しました。イエズス会の創立者である聖イグナチオ・ロヨラが葬られているこの聖堂には、聖フランシスコ・ザビエルの右腕が安置されています。わたしはローマを訪れるたびごとにこの教会を訪れ、聖フランシスコ・ザビエルの右腕が安置された祭壇の前で、感謝の祈りを捧げることにしています。

聖なる宣教師にならって

言うまでもなく、1549年に日本に始めて福音をもたらしてくださった宣教師です。祈りながら心に浮かんだのは、この偉大な宣教師がどれほど大きな不安を抱えて異国の地に足を運ばれたのだろうかということでした。今の時代であれば、宣教師として派遣されるにしても、事前の行き先について情報を集めることが可能です。テクノロジーが進むにつれて、さらにリアルな情報を手にすることも、また行き先の方と事前に打ち合わせをすることも可能でしょう。

しかしその便利さは、逆に、命がけの冒険に歩みを進めていく勇気を現代社会から奪ってしまったような気がしています。十分な知識を持って緻密な計画を立てておかなければ、未知の歩みを始める勇気がないのです。

かつて大海原に乗り出し、遙か彼方のアジアに福音をもたらした聖なる宣教師は、未知の歩みを始める勇気をどこから得ていたのでしょう。それは聖霊の導きにすべてを任せる信仰における勇気であったのだと思います。無計画な蛮勇ではなく、信仰に基づく決断の勇気です。

シノドスの道を歩む教会は、まさしくかつての聖なる宣教師のように、未知の旅路へと歩みを進めるために、聖霊の導きに勇気を持って身を任せる教会です。どうしても緻密な計画を立て、明確な方向性がなければ先に進むことに躊躇してしまう現代社会だからこそ、聖霊に身を任せる勇気が必要です。

聖年の終わりにあたり

「希望の巡礼者」をテーマに掲げた聖年は、各地の教区で昨年末の聖家族の主日に捧げられた閉幕ミサと、ローマにおいては1月6日に聖ペトロ大聖堂の聖年の扉が教皇レオ14世によって閉じられて閉幕します。

教皇フランシスコは、混迷を極める現代社会において神の民が旅路を歩み続けるために、二つの大切なことを提示されました。その一つは、教会とは一体どういう存在なのかを問いかけるシノドスの歩みであり、もう一つが、25年に一度の聖年の機会を捉えて、神の民が希望を掲げて歩みを続ける巡礼者であり続けようという呼びかけでした。

教皇フランシスコは聖年の開始を告げる大勅書「希望は欺かない」の冒頭に、「すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望は良いものへの願望と期待として、ひとり一人の心の中に宿っています」と記し、この世界を旅するわたしたちの心には、常に希望が宿っていることを指摘されています。同時に教皇フランシスコは、「希望の最初のしるしは、世界の平和と言いうるものです。世界はいままた、戦争という惨劇に沈んでいます。過去の惨事を忘れがちな人類は、おびただしい人々が暴力の蛮行によって虐げられるさまを目の当たりにする、新たな、そして困難な試練にさらされています」と指摘され、この数年間の世界の現実が、いかにその希望を奪い去り、絶望を生み出すものであるのかを強調されました。

新しい牧者として昨年5月に教皇に選出され、サンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せた教皇レオ14世の最初の言葉は、「あなた方に平和があるように」でありました。

その上でレオ14世は、「愛する兄弟姉妹の皆さん。これが、神の民のためにいのちを与えた、よき牧者である、復活したキリストの最初の挨拶です。わたしもこう望みます。この平和の挨拶が皆さんの心に入りますように。・・・これが復活したキリストの平和です。謙遜で、忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和です。この平和は神から来るものです」と呼びかけ、平和の確立こそが現代社会における教会の最優先の課題であることを明確にされました。平和の確立こそが絶望の闇を打ち払い、希望を生み出します。いま世界は希望を必要としています。絶望の暗闇を打ち破る希望を必要としています。

ウクライナ、ミャンマー、ガザなど、混迷を深め絶望をもたらし続ける暴力の嵐は止まるところを知りません。神からの賜物であるいのちは、日々、危機に直面し続けています。

先行きへの不安を抱え、将来への道筋が不透明な世界は、いまや自己保身の利己主義的な価値観に席巻され、異質な存在への排除の力と同調圧力が強まっていると感じます。

いのちは神から与えられた賜物です。神の似姿としての尊厳に満ちあふれています。いのちは暗闇の中に輝く希望の源です。いのちへの暴力は、どのような形であれゆるされてはなりません。いのちはその始めから終わりまで、例外なく、人間の尊厳とともに護られなくてはなりません。いのちに対する暴力こそが世界から希望を奪い去り、絶望の闇の支配を許しています。暗闇の中を孤独のうちに歩いているわたしたちには、闇を打ち破る希望と、その希望を生み出してくれる一緒に旅をする仲間の存在が必要です。それだからこそ、わたし達はともに巡礼者として希望を掲げ、それをあかしする旅路を続けていきたいと思います。

「希望の巡礼者」は聖年の閉幕とともに終わってしまうのではありません。いのちに対する暴力が続く限り、「希望の巡礼者」たちの教会共同体にはこの世の荒波の中で希望のあかしとなる使命があるのです。希望の灯火を絶やすことのないように、それぞれの場で取り組みを続けて参りましょう。

シノドスの歩みは、希望をあかしする道です。聖霊がどこにわたし達を導いていくのかを、事前に理解することはできません。兄弟姉妹と歩みをともにし、互いに支え合い、ともに祈り合うシノドス的な共同体のあり方は、わたし達を絶望から解き放し希望を生み出す道です。

聖なる宣教師が勇気を持って聖霊の導きに身を任せて、未知の冒険とも言うべき旅路に出たように、わたしたちも勇気をもって聖霊の導きに身を任せる教会でありたいと思います。その決断こそが、シノドスの歩みを進めていきます。

シノドスの道

2028年10月の教会総会に向けて、それぞれの小教区や教区で、理解と実践を深めることが求められています。シノドス第二会期の最後に出された「最終文書(シノドス流の教会)」は、教皇文書としてわたし達に与えられた羅針盤です。

司教団のシノドス特別チームは、先日、2028年10月に向けてのロードマップを公表し、取り組みを呼びかけています。これに従って、東京教区での取り組みも深めていきたいと思います。まずは「シノドス流の教会、交わり、参加、宣教《シノドス最終文書≫」を是非ともご一読ください。その上で、聖霊の導きを識別するための実践である「霊における会話」に慣れ親しんでください。「霊における会話」ができるようになることがシノドス性の確立ではありませんが、聖霊の導きを見いだすためには有用な手段です。今後、教区の中で互いに分かち合っていただくテーマなどを、教区のシノドス担当から、提示させていただきます。

「最終文書」に記されていることについて具体的にどのような選択をするのかは、それぞれの共同体が置かれている社会の現状や生きているコンテキストによって異なっています。しかしわたしたちの教会がどこを向いて歩んでいるのか、どのような困難を抱えているのか、そういうことを共有しながら、ともに歩み、ともに祈り、ともに識別するすべを身につけることは重要であると思います。

宣教協力体の見直しについては歩みが遅くて大変申し訳ありませんが、総代理であるアンドレア司教様のリーダーシップで、昨年一年は、第二期(2023年・2024年)宣教司牧評議会での話し合いに基づいて、教区を大きく七つのグループに分け、訪問する形で具体的なそれぞれの事情に耳を傾ける作業を進めました。歴史的な経緯があることと、具体的に運用が成功している協力体とそうではない協力体もあることから、見直し作業は簡単ではありませんが、今年中に何らかの提案ができるかと思います。それにあわせる形で、宣教協力体の存在と密接に関連する宣教司牧方針の中間見直しと宣教司牧評議会のあり方の見直しを進めて参ります。

皆でともに

社会全体の少子高齢化が激しく進み、教会にもその現実が重くのしかかっています。同時に、外国籍信徒の方々も、教区が公式に統計として出している信徒数に匹敵する数の方々が教区内にはおられると想定しています。長期に一緒に暮らす方も、短期の滞在の方もいるとはいえ、公式統計上は9万人から10万人の間の信徒数の東京教区ですが、実際にはその倍程度には、兄弟姉妹が存在しているものと推定されます。この方々の存在は、東京教区にとって希望の光であるとともに、一緒に教会共同体を育てていく仲間であります。他人ではなく兄弟姉妹です。

そういった中で、教会は秘跡の機会を提供するだけにとどまらず、信仰を同じくする兄弟姉妹による交わりの共同体であることを、改めて意識したいと思います。教会は、司教だけでは成り立ちません。司祭だけでも成り立ちません。修道者だけでも成り立ちません。同じキリストへの信仰に招かれ、同じ洗礼を受け、同じ信仰を告白する兄弟姉妹は、司教であろうと司祭であろうと修道者であろうと信徒であろうと、どの国の出身であろうと、皆同じキリスト者として一緒に教会共同体を作り上げる神の民です。

誰かが育んですべてを準備してくれた教会で霊的サービスを受けるお客様になるのではなく、一緒になって共同体を育てる道に、どうかあなたの力を貸してください。みなさん、お一人お一人の力と助けがなければ、教会は成り立ちません。それがシノドス的教会です。互いを大切にしてください。誰かに助けてほしいと思っているのはご自分だけでなく、教会に集うすべての兄弟姉妹が、それぞれの形で何らかの助けを必要としています。互いの尊厳を尊重し護りながら、耳を傾け合いましょう。助け合いましょう。祈りをともにしましょう。一緒に教会を育み、豊かにしていきましょう。一緒に歩みましょう。一緒に聖霊の導きに身を任せましょう。

希望の灯火を絶やすことのないように、歩みをともにしてくださるあなたの存在が必要です。一緒に歩んで参りましょう。

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謹賀新年

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皆様、新年、明けましておめでとうございます。

新しい年、2026年が神様の祝福に満たされ、神の平和が実現する年となりますよう、また皆様の上に聖霊の導きがありますように、心からお祈りいたします。

この一年もまた、教会のために、東京教区のために、そして私を含め司祭修道者のためにも、お祈りをお願い申し上げます。

年頭に当たっての司牧書簡を記しました。1/2月号の教区ニュースに掲載されておりますので、またこのブログにも掲載しますので、ご一読いただければと思います。

また年初、1月7日と8日には、教皇レオ14世によって臨時の枢機卿会が招集されており、私もローマに出かけて参ります。教皇様のために、また集まる枢機卿たちのためにもお祈りくださいますように、お願い申し上げます。

祝福に満ちた一年の始まりとなりますように。

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