2026年奉献生活者の日ミサ@麹町教会
2月2日の主の奉献の祝日にあわせて、教皇聖ヨハネパウロ2世は、1997年に奉献生活者のための祈りの日を設けられました。
故チェノットゥ教皇大使の呼びかけに応え、日本の男女の修道会責任者たちは(男子が管区長会、女子は総長管区長会)、2月2日に一番近い土曜日の午後に、ともに集まってミサを捧げることにして、すでに10年以上の歴史を刻んできました。2026年の奉献生活者のためのミサは、本日1月31日(土)午後2時から、麹町の聖イグナチオ教会で捧げられました。
わたしが司式と説教を担当し、修道者担当の山野内司教様他大勢の修道会司祭が参加してくださり、聖堂も様々な形態の奉献生活者で一杯でした。今年は、なんと新潟の上越のクララ会修道院から、お二人が参加してくださいました。
またミサの前には四名の若い奉献生活者の体験の分かち合いもあり(下のビデオ冒頭をご覧ください)、また拝領後には、誓願10周年の男女奉献生活者のお祝いもありました。これからも多くの青年たちが、奉献生活の道へと歩みを進めてくださることを祈っています。
以下、本日手元にあった説教原稿です。
奉献生活者のミサ
2026年1月31日
聖イグナチオ麹町教会昨年一年、正確には2024年12月24日にバチカンの聖ペトロ大聖堂入り口右手にある聖年の扉が教皇フランシスコによって開かれて、2026年1月6日に教皇レオ14世によって閉じられるまで、わたしたちは「希望の巡礼者」をテーマとした聖年を過ごしてきました。
教皇フランシスコは聖年開幕を告げる文書の中に、「キリスト者の希望の光が、すべての人に向けられた神の愛のメッセージとして、一人ひとりに届けられますように。教会が、世界のあらゆる場所でこの知らせを忠実にあかしすることができますように」と、この聖年への期待を記されていました。果たしてこの聖年を通じて、わたしたちは希望の光をすべての人に届ける者となることができたでしょうか。
教皇フランシスコは、同じ文書の冒頭で、教会は「希望を神の恵みからくみ取ることに加え、主がわたしたちに差し出す、時のしるしの中にも希望を再発見するよう招かれて」いると強調されました。その上で教皇様は、「聖年の間にわたしたちは、苦しい境遇のもとで生きる大勢の兄弟姉妹にとっての、確かな希望のしるしとなるよう求められます」と、教会全体がいのちの危機に直面する多くの兄弟姉妹に手を差し伸べともに歩む教会であるようにと招かれていました。
聖年の閉幕にあたり主の公現のミサで教皇レオ14世は、占星術の学者たちが「宮殿や神殿を後にして、ベツレヘムへと旅立」ったことによって希望の星を再び見いだしたことに触れ、現代にあっても多くの人が占星術の学者たちと同様に、危険や困難を顧みずに希望を求めて歩みを進めようとしていることを指摘します。
教皇様は、「わたしたちの教会の中にいのちはあるだろうか。生まれようとするもののための場所はそこにあるだろうか。わたしたちは、自分たちを旅立たせる神を愛し、告げ知らせているだろうか」と問いかけ、さらに「主の道はわたしたちの道ではありません。暴力をふるう者がそれを支配することはできません。世の権力ある者もそれを妨げることはできません。ここに占星術の学者たちの大きな喜びがあります。彼らは宮殿や神殿を後にして、ベツレヘムへと旅立ちます。そのとき、彼らは星を再び見つけたのです」と指摘されています。この世の栄光や価値観の中に安住し挑戦や変化を避けていたのでは、神における希望を見いだすことはできないと強調されます。
その上で、教皇様は、「だから、希望の巡礼者となることはすばらしいことです。そして、ともに希望の巡礼者であり続けることもすばらしいことです。神の忠実さはわたしたちを驚かせ続けます。わたしたちの教会を記念物にしてしまわず、わたしたちの共同体が帰るべき家であり続け、わたしたちが権力ある者の誘惑に抗い続けるなら、そのときわたしたちは新しい夜明けの世代となることでしょう」と呼びかけられています。
まさしくわたしたちがこの数年間追い求めているシノドス的な教会とは、単なる機構改革ではなく、生き方の変革、すなわち希望をもたらす巡礼者としてともに歩んでいく生き方を選択し、ともに祈りのうちにそれを生きようとする共同体としての教会となることであります。シノドス的な教会は、わたしひとりが希望の光を届ける者となるのではなく、教会共同体全体が希望をもたらす巡礼者として、この世界を共に旅する神の民となるようにと、わたしたちを招いています。
先日一月七日と八日に行われた臨時の枢機卿会の閉会にあたって、教皇レオ14世はこれから数年間の教会の優先課題を明確にするために、多くの声に耳を傾ける姿勢をご自分もそして教会全体も持つことの重要性を指摘され、教皇フランシスコが第二バチカン公会議の仕上げとして始められた今回のシノドス的な教会となる道を継続することを明確にされました。その上で教皇様は、「わたしたちの使命の中心にキリストを見いだすこと。福音をのべ伝えること。わたしたちは皆、イエス・キリストが中心であることをよく知っています。わたしたちはキリストのことばを告げ知らせたいと望みます。それゆえ、現代世界の中であかしを行うことができる、真の霊的生活をわたしたち自身においても生きることが重要です」と呼びかけられています。
この教皇様のことばを念頭に置く時、奉献生活者の神の民における役割の一つに、率先して真の霊的生活を生き、その共同体の中で、教会のシノドス性を具体的に生き、希望を証しする者となることがあると思います。
「必要とされるのは、神の父としての顔と教会の母としての顔を示すことができる人々です。また、他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です。教会が必要とする奉献された人々とは・・・神の恵みによって変容されることに身を委ね、自分をあますところなく福音に一致させる人です(105)」と使徒的勧告「奉献生活」に記されたのは教皇ヨハネパウロ二世でした。
暴力が支配し、いのちを危機にさらす世界は、絶望を生み出す暗闇であります。社会の混乱は、先行きが見通せない不安を生み出し、不安は希望を消し去ります。災害による社会の混乱をわたしたちがコントロールすることはできませんが、しかしいま世界を混乱させている状況は、人間が生み出した状況です。相互不信と対立は、排除と暴力を容認しています。社会の混乱の中で希望の見いだせない不安にいる人間は、疑心暗鬼を深めます。疑心暗鬼を深めたとき人間は、少なくとも自分にとって確実なものだけは守ろうといたします。自分にとって確実なもの、それは自分自身の存在であります。すなわち、不安と相互不信と混乱の行き着く先は、自己保身であり、究極的には徹底した自己中心、利己主義であり、異質な存在の排除であります。
そうであるにもかかわらず、人間は社会という共同体の中で生きていかなくてはなりません。共同体の構成員が自己保身を深めるとき、社会全体も自己保身的になってまいります。ひとり一人が排除する傾向を強める時、社会全体もそのようになっていきます。
そういう時代であるからこそ、わたしたちは、神はわたしを愛してわたしだけにいのちを与えてくださったのではなく、わたしたちを愛してわたしたちにいのちを与えてくださったのだ。だからこそわたしたちは互いに助け合って、互いを尊重して、ともに歩み、神からの賜物であるいのちの尊厳が護られる社会を生み出していかなくてはならないと、自分たちの存在を通じて、社会に訴えていく存在でありたいと思います。奉献生活に生きる皆さんには、先頭に立たなくてもかまいませんが、率先してその証しに生きる者であってほしいと思います。
世界は、いま、暗闇を打ち破り、絶望を取り去る希望を必要としています。わたしたちはこの聖年が終わったからと言って、希望をもたらす巡礼者であることをやめるわけではありません。いまの世界には希望が必要です。多くの人の心に、希望をもたらす巡礼者の旅路を一緒に続けていきましょう。
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